2025年8月3日日曜日

写真コンテストについて

  従来から各地で開催されてきた写真コンテストだが、昨今はSNSにハッシュタグを付けて投稿する参加形式も増えている。

 僕は多作な性分ではないため、納得のいく作品ができた時だけ参加している。コンテストは、その主旨や審査員の指向、時代性など様々な要因によって入選が決まる。つまり作品評価の基準はコンテストの数だけ存在すると言えるだろう。応募数の多いコンテストでは、同じ審査員が同じ日に再び審査しても結果が変わる可能性がある。それほどこの評価基準は不安定なものだ。評価基準を完全に明文化することも困難であり、審査員は客観性を意識しながらも、最終的には自己の主観の中で判断せざるを得ない。

 しかし、コンテストとはそういうものなのだ。落選を機に写真を諦め、コンテスト自体を嫌悪する人を多く見てきた。一方で、コンテスト対策が自身の表現方法と化してしまった人もいる。どちらも、コンテストという枠組みに心を囚われた状態だと僕は考えている。

 創作において、外部の基準に囚われることは本質的ではない。自分は自分の作品を作ればよい。人間は様々なものを吸収しながら成長し変化するが、その変化はコンテストという場における不安定な外的要因によってではなく、自らの内側から生まれるべきものだ。評価基準は常に流動的であるため、続けていれば自分に合う場所が見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。

 また、コンテストだけが作品発表の唯一の手段ではない。コンテストには適さなくとも優れた作品は存在するし、そもそも広く発表する必要のない創作の形もある。

 最近、時間をかけて丹念に作り上げた作品がコンテストで落選した。確かに残念ではあるが、だからといってコンテスト向けの作品を作ろうとは思わない。自分の心に響かないものを作ることはできないし、そうした作品を応募して再び落選したら、さらに虚しさを感じるだけだろう。(でも、入選したら嬉しいかも。)

 僕は来年も、不確実な評価基準と自分自身の内的成長という二つの変数が交わる瞬間を楽しみに、自分の信じる作品を出品していきたい。


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