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2026年9月3日木曜日

「絶滅写真」とスギモトノート


 東京国立近代美術館で開催されている杉本博司「絶滅写真」を7月に見てきた。

 ずっと以前(20年ほど前だと思う)、杉本氏についてよく知らなかった頃、どこかの美術館で「海景」の一点が展示されているのを見たことがあった。当時は「何もない海が写っているだけ」という感想しか抱けず、価値を見出せずにいた。しかし、「なんだこれは?」と覚えた確かな違和感と共に、杉本氏の名前は記憶の底に残り続けた。

 これまで杉本氏を自分の研究対象としてこなかったのは、写真家の枠に収まり切らない作家であったがゆえに、関心が向かなかったからなのだろう。


 近年になり美術史を学び始めると、現代美術を代表する日本人作家として再び杉本氏の名に出会った。写真技術を用いた現代美術とはどのようなものか――そう思い立ち、作品が掲載された著書や随筆を数冊手に取ってみた。

 そこにあったのは、圧倒的な知識の量だった。まさにリベラルアーツの宝庫のような頭脳を持つ作家だと感嘆した。現代美術への理解を深めると共に、杉本氏の作品はそうした知識や文脈(コンテキスト)の上に成り立っているのだと確信し、「海景」をはじめ、「劇場」「ジオラマ」「放電場」といったコンセプトを読み解いていった。


 杉本氏の作品は、単なる感情だけで鑑賞するものではない。深く対峙しようとするならば、鑑賞者にも相応の素養が要求される。文脈を知ってこそ真価を楽しめる作品なのだ。

 杉本氏が提示すること、そして考えていることは極めてシンプルである。しかし、それを実行に移すことがいかに困難であるかは容易に想像がつく。氏が制作プロセスをすべて公開し、「真似してもいい」と語りかけているのも、そうした自負の裏返しなのだろう。(当然、おいそれと真似できるはずもないのだが!)

 

 暗闇の展示室に浮かび上がる大判プリントを見つめていると、単なる「写真」を超えた何かを感じる。鑑賞しているうちに、ふと江戸川乱歩の小説『大暗室』が頭をよぎった。

 どこか不気味で退廃的な美しさ、そして「かつてそこに確かに存在したもの(あるいは巧妙に作られた虚構)」を凝視する冷徹な視線。像が結ばれる直前の「暗室」の闇そのものを思わせるその世界観は、杉本氏が意図しているかどうかは別として、僕にはその世界が江戸川乱歩の描く猟奇・怪奇の精神世界とどこかで響き合っているように感じられた。



 今回の上京の目的は、展示作品の鑑賞はもちろんのこと、同館3階の所蔵品ギャラリーに展示されている「スギモトノート(複製)」を確かめ、記録することだった。杉本氏が作品制作において重ねてきた試行錯誤の痕跡が、そこに綴られているはずだからだ。僕にとって必要となるページは、すべてカメラに収めてきた。


「やっぱり、ネガ現像液はD-23処方か。」


 あの「海景」の果てしない無限のグラデーションとシャドー部の粘りが、メトール単用の現像液から生み出されていたことは、以前随筆を読んで知っていた。

 この「D-23」現像液については、また別の機会に詳しく書くことにしたい。僕自身もD-23から派生した処方の現像液を愛用しているため、この薬剤とは実に長い付き合いになる。

 
杉本博司 著 「スギモトノート 銀塩写真技法」


 7月中旬、岩波書店から杉本博司著『スギモトノート 銀塩写真技法』が刊行された。 ノートに書かれた思考が随筆的に解き明かされている内容かと期待して手に取ったが、様相は少し違っていた。どちらかといえば、杉本作品の撮影現場や技術的な側面から当時を回想するような一冊であった。 それでも、一気に読み終えてしまったのは紛れもない事実である。

 二十年前、「何もない海」としか思えなかった一枚の写真が、いまになってこれほど多くのものを僕の中から引き出してくる。

 あのとき感じた「なんだこれは?」という違和感は、どうやら間違っていなかったらしい。

 作品を理解するとは、作品に知識を付け足すことではなく、過去の自分が感じていたものを後から別の言葉で発見することなのかもしれない。

2026年8月18日火曜日

新版 写真論


 あまりにも有名なスーザン・ソンタグの『写真論』だが、今まで読んだことがなかった。最近、新版が発売されたので読んでみた。

 読んではみた。半分くらいまでは。

 しかし、断片的には分かるものの、通して読んでみると僕には何が書いてあるのか、まったく分からなかった。訳文が難解なうえに、僕の読解力が不足しているのか、難しい単語が多いわけでもないのに、さっぱり頭に入ってこない。

 名著と言われている本なのに、まったく理解できずに断念してしまうのは悔しくて仕方がないが、今の僕には無理なのかもしれない。

 写真家や画家が書いた本は生の感覚や身体性を伴うため内容が理解できるのだが、評論家や学者の文章は、他人の思想・文学・歴史・社会現象を大量に引きながら、言葉で言葉を重ねる世界を展開しているような気がする。僕とは持っている前提知識の量があまりにも違いすぎるうえに、思考プロセスも別物なのだ。

 もしかしたら、ソンタグの『写真論』に書かれていることは、シンプルなことなのかもしれない。今は、この本に時間を費やすことは避けるが、またいつか読んでみようと思う日が来るのかもしれない。

2026年8月11日火曜日

黒の物語

 ヘイリー・エドワーズ=デュジャルダン (原著), 丸山 有美 (翻訳)「色の物語 黒」


 黒とはいったい、何だろうか。

 写真が捉えるもの。それは光源から発せられた光子という名の素粒子が、物体に跳ね返り、レンズを通ってフィルムへと到達した軌跡だ。その光がフィルムの記録再現幅(ラティチュード)に収まったとき、初めて像として結実する。

 物質によって光子の反射率は異なり、その数値が低ければ低いほど、眼前に現れる黒は深さを増していく。となれば、究極の黒とは、光さえも逃しはしないブラックホールの色を指すのだろうか。


 人類は、この「完全な黒」を求めて、悠久の時を費やしてきた。

 歴史を紐解けば、必ずフランスのラスコー洞窟の壁画に行き当たる。当時の人々は二酸化マンガンを用い、闇を描こうとした。その後も木炭や鉄など、身近な物質を媒介に、人類は黒を「発明」し続けてきたのである。その探求の結晶は、2014年に登場したナノ技術による最新の黒にまで至る。数千年もの間、黒を作り出すことは、人にとってそれほどまでに困難で、抗いがたい魅力を持つ挑戦であったに違いない。


 19世紀に写真が登場した当初、その色は「黒」ではなく「茶色」だった。当時の技術では、まだ完全な黒を定着させることができなかったのだ。よくある誤解として、「古い白黒写真が劣化して茶色くなった」と思われがちだが、そうではない。それらは、最初から琥珀の色調を帯びて生まれてきたのである。

 その後、感光材料の改良が進み、銀粒子の緻密な制御が可能になったことで、写真はようやく、ビロードのような深い黒を手に入れた。


 人類が数千年かけてようやく到達したこの漆黒を、僕は今、あえて再び「茶色」へと引き戻そうと試みている。硫黄を操り、化学変化を媒介として、銀の黒を温かな褐色へと変容させる。それは、効率や進歩という名の時間軸を逆行する、僕自身の物語なのかもしれない。

2026年7月18日土曜日

杉本博司自伝 影老日記


 

 東京国立近代美術館で、杉本博司氏の「絶滅写真」展が開催されている。先日、その会場に足を運んだ。具体的な展示の有り様は後日改めてここに綴るつもりだが、彼がどのような軌跡を辿ってこの表現に行き着いたのかに興味が湧き、その自伝を紐解いてみた。

 戦後まもなく、東京の裕福な家庭に生まれた氏は、復興の熱気と学生運動の嵐が吹き荒れる日本で学生時代を終え、混迷のなかで渡米する。1970年代初頭の留学は現代のそれとは比較にならないほど地続きではなかったはずだが、親類に米国人の夫を持つ女性がいたという背景が、彼を未知の地へと押し出すささやかな、しかし決定的な呼び水となったのだろう。

 以降、人生の大半を米国で過ごすことになる。世界を漂泊しながらニューヨークに拠点を据え、ヒッピー・ムーブメントが全盛を迎えるなか、ポップアートの旗手や現代アーティストたちの熱気のただ中に身を置いた。 作家活動の傍らで古美術商を営み、自ら大工仕事をもこなし、そして若くして妻を看取る。こうした生々しい経験の集積とその喪失のすべてが、杉本氏の表現の底流を形作っている。

 写真という表現領域において、彼はアンセル・アダムスを精神的なメンター(師)と定め、ゾーンシステムによる厳密なネガ作成に没頭していく。 何かを狂おしく実践する者にとって、やはりメンターの存在は不可欠なのだ。ジョセフ・キャンベルが『千の顔を持つ英雄』で描いたように、境界を越えて旅立つ英雄(表現者)の前には、必ずその行く手を指し示す「導き手」が現れる。それは神話の時代から続く普遍的な構造なのだろう。

 そのメンターは、必ずしも言葉を交わせる実在の人物である必要はない。遥か歴史の彼方にいる異国の人であっても、あるいは身近な誰かであってもいい。要は、己の精神のなかに揺るぎない「指標」をいかに打ち立てるか、ということなのだと思う。

 読み終えたあとも思考の覚めない、一冊であった。

2026年5月3日日曜日

イメージかモノか

 高島 直之 著 「イメージか モノか: 日本現代美術のアポリア」


 この本の内容は、僕にとって少し難解なものだった。しかし、いつものことながら、分からないものにこそ、わずかでも関わろうとする姿勢が必要だと思う。未知の領域には、自身の価値観を揺さぶる何かが潜んでいる可能性が高いからだ。一読してすぐに理解できるような内容では、真の意味で新しい視点を得ることはできない。


 この本は、現代美術全般を対象にしているが、その多くのページが写真関連に割かれていた。写真は、シャッターを押した瞬間、撮り手の意図を超えてあらゆるものを写し取ってしまう。イメージを見るとは、単なる記号の「解読」ではない。それは「人間と事物を結びつける場を感得すること」に他ならない。鑑賞者は写真を見る際、そこに写るイメージを見ているのであって、写真という物質的な媒体そのものを見ているわけではないからだ。ただし、印画紙の表面の質感は、作品性に確かに影響を与える。


 写真家・中平卓馬は、自身の写真実践が権力側の私有するイメージに回収されることを拒絶した。彼は著書『なぜ、植物図鑑か』において、情緒的な物語性を排除し、物事をあるがままに即物的に捉えることを目指した。それは、彼が思想的闘争の時代を生きたという背景も、大きく影響しているのだろう。


 ロラン・バルトが「作者の死」で説いたように、作品は完成した瞬間に作者の手を離れ、その解釈は鑑賞者に委ねられる。僕が1990年代に写真教室に通っていた頃、講師はよく「この作品からは作者の思いが伝わらない」と批評していた。しかし現在では、そうした評価軸は徐々に過去のものになりつつあるように思う。鑑賞において「作者の思い」は副次的なものであり、どう受け止めるかは鑑賞者の自由に委ねられているのだ。


 中平氏が、意図しない恣意的な解釈を拒み、事物をあるがままに伝えようとした背景には、こうした「解釈の暴走」への抵抗があったのかもしれない。その思想は、美術動向である「もの派」とも共通点がある。目の前の現実を、解釈を挟まずに像として定着させることは、写真という装置の本質的な特徴でもある。

 もの派は空間に対象を配置することで「物質の存在」を際立たせ、写真は四角い枠に収めることで「事物の存在」を際立たせる。


 しかし、写真は多くの場合、やはり「イメージ」として享受されるものであり、「ものそのもの」を直接鑑賞する媒体ではない。それゆえに、写り込んだ事物の「概念」が鑑賞者の脳内に飛び込み、自動的な解釈を誘発してしまう。

 写真に写るのは現実であり、観念ではない。しかし、写り込んでいる事物から想起される「人の思い」は、確かに存在すると信じたい。そして、僕はずっとそんな写真に取り組んできたつもりだ。


 でも、最近、こうした著書を読み繋ぐにつれ、別方向の興味も顔を出してきた。果たして写真によって、「ものそのもの」に限りなく近似した表現を生み出すことは可能なのだろうか。

 この問いに、時間をかけて向き合っていきたいと思う。

2026年3月28日土曜日

線は、僕を描く

 砥上 裕將著「線は、僕を描く」


大学生である主人公の鎮魂と再生の物語を、水墨画の修行を通して描いた小説だ。

 大事なことが書かれているような気がして、時期を変えて三回読んだ。
 横浜流星主演による映画版もある。だが、いくつか省略されているところがあり、湖山先生(主人公の水墨画の師匠)のキャスティングも、少しイメージと違った。格好良すぎるのだ。
 この物語に必要なのは、完成された佇まいよりも、もう少し不器用な気配なのかもしれない。だから、やはり小説のほうがいい。

 心に残った湖山先生の言葉を、書き留めておいた。


・目の届くところにしか、手の技は届かない。

・できることが目的じゃないよ。やってみることが目的なんだ。

・どんなに失敗してもいい。失敗することだって、当たり前のように許されたら、おもしろいだろ?

・拙さが、巧みさに劣るわけではないんだよ。

・気韻生動を尊ぶ。気韻というのは……端的に言えば、楽しんでいるかどうか、だよ。

・自分の絵だけを見ていれば、そのうち自分自身の手にも、技にも、騙されるようになってしまうよ。

・現象とは、外側にしかないものなのか? 心の内側に、宇宙はないのか?

・(水墨画は)着彩を排していることからも、我々の外側にある現象を描く絵画ではない……。

・我々の手は、現象を追うには遅すぎるんだ。(描き)終わったときには、またすべてが変わっている。

・絵は、絵空事だよ。

・君が優れた水墨画家になるか、ならないかなんて、そんなことはどうだっていい……それを伝える術が、水墨しかなかったんだよ。


 これらの言葉は、水墨画に限った話ではない。写真を撮ることにも、そのまま重なる。
 
 目の届くところにしか、手の技は届かない。認識していないところに、技巧を凝らすことは出来ない。

 できるかどうかよりも、シャッターを切ってしまうこと。失敗を許された場所でしか、像は立ち上がらない。

 現象は外側にだけあるのか。それとも、こちらの内側にすでに用意されているのか。

 手は遅い。気づいたときには、光も、気配も、すでに別のものになっている。
それでも、遅れたまま、触れようとする。

 絵は絵空事だ、という言葉が、なぜか救いのように残る。写真もまた、現実そのものではない。

だからこそ、そこにしか宿らないものがある。

 これは、僕にとっては形而上のレンズについて書かれた物語なのだと思う。
目に見えるものを写しながら、いつのまにか、こちら側が描かれてしまう、その過程について。

 線は、僕を描く。
 写真もまた、僕を描くのかもしれない。

2026年3月10日火曜日

写真批評

 金村 修 著「写真批評」


 金村修氏のエッセイが写真界隈で話題になっているので、読んでみた。


 金村氏といえば、かつて『日本カメラ』のモノクロ写真部門で月例フォトコンテストの審査員を務めていた時期がある。その容赦のない選評は非常に魅力的だった。「卓越した、普通にうまい写真」などは、まず選ばれない。どんな写真であれば選ばれるのか、皆目見当がつかないほどカオスな月例だったと思う。

 

 もしかすると、そんな月例だからこそ自分にも勝機があるのではないか——。

 そう思い、その年は一回だけ応募してみたのだが、幸運にも入選して誌面に掲載されたことがある。その際にいただいた選評は、写真の体裁を整える技術など一蹴され、剥き出しの何かが引きずり出されるようなものだった。その言葉は、良くも悪くも一生、僕の心に深く突き刺さっている。それはある種の呪縛と救済のようなものだった。


 その月例で好評を博した金村氏は、翌年から同誌で「金村修に叱られたい!」という連載コーナーも担当されていた。

 そんな金村氏が綴るエッセイが、面白くないはずがない。360ページというボリュームながら、一つの章を読み終えて次をチラ見するたび、どうしても気になって読み進めてしまう。結局、それほど時間をかけずに読了してしまった。

 随所にベッヒャー夫妻やバルト、ポロック、アジェといった名前が登場するため、これらの名に反応する読者なら、随所で立ち止まらされるだろう。


2026年2月3日火曜日

明るい部屋

 

ロラン・バルト著「明るい部屋―写真についての覚書」(1997)


 ロラン・バルトの『明るい部屋――写真についての覚書』。 写真論の古典でありながら、僕はこの本を手に取るのを長く避けてきた。みすず書房の重厚な装丁、そして翻訳特有の「……するところのもの」といった難解な言い回し。ページをめくる前から、その手強さを想像していたからだ。しかし、敢えてそこに踏み込んでみた。分からない部分は分からないままでいい。


 以下は、この難解な迷宮をアリアドネの糸に導かれ、僕なりに咀嚼し、たどり着いた景色である。

*この本にはアリアドネの章もあったので援用してみた。



「ストゥディウム」

 写真は一見、現実をありのままに写し取っているように見える。しかし実際には、僕たちは無意識のうちに多くの「コード(規則)」に支配されながら、その像を解釈している。コードとは、撮影者の視点であり、僕たちの「認識の枠」の一部を形成している。


 バルトは、この文化的に理解可能で、誰もが共有できる意味の領域を**「ストゥディウム(Studium)」**と呼んだ。


 たとえば、日本の伝統行事の稚児行列に参加しようとしている化粧をした子供の写真があるとする。窓からの射光線がその顔を照らしている。「これは伝統の記録であり、光の使い方が効果的だ」……。そうした容易に言語化できる要素の集積がストゥディウムである。


 SNSに溢れる「映える」写真もまた、まさにストゥディウムの塊だ。また、バルトによればポルノもまたストゥディウムに属する。それは実用的で明白であり、何が写っているかを即座に言語化できるからだ。

 対して「エロティシズム」は、写っていない何かを想起させ、鑑賞者の内面を揺さぶる。それはもはやストゥディウムの領域ではない。

 エロ本は、その内容がエロティシズムではなくポルノなので、エロ本という言い回しは間違っていることになる。と、思った。

 

「プンクトゥム」

 時としてそのコードが通用しない瞬間が訪れる。バルトが**「プンクトゥム(Punctum)」**と名付けた、観る者を突き刺す「意味になりきらない何か」である。


 プンクトゥムは、鑑賞者が個人的に「感じてしまう」ものである。通常、鑑賞の主体は人間であり、写真は客体に過ぎない。だが、ニーチェが「深淵をのぞき込むとき、深淵もまたこちらをのぞき込んでいる」と言ったように、プンクトゥムが発生する瞬間、主客は逆転する。写真の側から、こちらを刺しに来るのだ。


 バルトは写真を「俳句」に例えた。五・七・五という形式の中で、用いられている単語のの意味以上のものが、ある細部から見えてくる。写真もまた、静止した像の裂け目から、僕たちの認識を根底から揺さぶってくる。

 

「みるための時計」としてのカメラ

 カメラという装置は、もともと家具や時計の技術から派生したものだという。そう考えると、写真はまさに**「みるための時計」**なのだとバルトは言っている。


 ここで一つの疑問が浮かぶ。プンクトゥムは鑑賞者に発生するものだが、では、その状況をすべて知っている「作者自身」が自作を見たときはどうなるのか。


 撮影時の僕は、たしかに「意図を持つ主体」であった。しかし、相応の時を経て自作に対面したとき、僕は「ただの観者」へと変貌する。かつての自分が捉えたはずの背景、忘れていた身振り、今は失われた場所……。それらは「今となっては失われてしまった事物」として、無慈悲に僕を突き刺す。


 作者は、自分が写した「かつての自分」という名の存在に射抜かれる。写真は、時間がもたらす不可逆性を突きつける、最も精緻な時計である。ただし、その時計が動くためには、「時間の経過」という残酷な発酵が必要なのだ。


「それはかつてあった」という狂気

 第一部の最後で、バルトはそれまでの分析的な態度を投げ出す。「今まで書いたことは、やっぱりなかったことにして、もう一回考え直す」という驚くべき前言取り消しを行い、第二部へと突入する。


 これは第一部が誤りだったからではない。分析という「ロゴス(論理)」を捨て、写真がもたらす「パトス(情念)」の深淵へと飛び込むための儀式だったのだ。


 バルトは写真の本質を、**「それはかつてあった」**という狂気であると結論づけた。 狂気とは何か。それは、過去のある瞬間が、時間を超えて「今、ここ」に存在する矛盾そのものだ。


「かつて在った」という確信と、「今はもういない」という喪失。この矛盾が同時に突きつけられたとき、理性を超えた剥き出しの感情が立ち上がる。これこそが写真の孕む狂気である。


 僕もまた、ずっと以前、毎年海外へ撮影に出かけていた。その頃の写真を見返すたび、「もうこんな写真は二度と撮れない」と痛感する。今の僕はあの頃の僕ではなく、被写体となったあの場所もあの人も、もう存在しない。その事実が僕を射抜くとき、僕はプンクトゥムという名の狂気に触れている。


 バルトは、写真を本当によく見るためには、時として写真から顔を上げるか、あるいは目を閉じてしまう方がいいと言う。

 コード化された意味から自由になり、心の奥底で立ち上がってくる印象に身を任せる。そのとき、写真は単なる記録であることをやめ、二度と繰り返されることのない「一回性」の痕跡として、僕たちの実存に触れてくる。


 「ただ一度しか起こらなかったこと」を、理解可能な形式へと変換してしまうのがコード化だとするならば、そこから漏れ出した「痛み」こそが写真の正体なのかもしれない。その裂け目は僕たちの認識を壊すが、同時に、新しい世界を見るための枠組みを形成する契機ともなるのだ。

2025年12月27日土曜日

穏やかな執着

  現代美術家・村上隆の著書『芸術闘争論』の中で、彼は鑑賞の四要素として次のものを挙げている。

① 構図

② 圧力

③ コンテクスト

④ 個性

 この中で、②の「圧力」とは何だろう、と引っかかった。色彩や描かれている事物の強さのことだろうか。

 どうもそういう意味ではなく、村上氏はそれを「執着力」や「執念」として説明している。もう少し良くするにはどうすればいいのかを毎日自問自答し、自分の作品を肯定しながら弱点を補完し続ける。その持続力こそが圧力なのだという。

 そう言えば、ある美術展の講評で、審査員が「どこまでやり切ったかは、作品を見れば分かる」と話していたことを思い出した。

 しかし、執着というものは、方向性を間違えれば、不幸の始まりではないだろうか。

 もしその執着や執念の源泉が、「人に見せて評価を得たい」「売らなければならない」「有名になりたい」「人に勝ちたい」といったエゴにあるのだとしたら、それを達成できなかったとき、精神的にも金銭的にも疲弊するだけなのではないか。

 もちろん、そうした方向性で制作せざるを得ない立場の人がいることは理解できる。村上氏がそうだとは限らないが。

 僕にとって写真は、「余暇を楽しむための活動」、いわばレジャーの一つだ。だから、それらのことは、どちらでもいい。そこには強い執着がない。突き詰めていけば、人に見せなければならないという縛りすらないし、他に何か見つかれば写真を中断することもある。

 完成したら、作品をストレージボックスにしまって終わりでもいいし、機会があれば展示してもいいし、どこかの公募展に出品してもいい。

 ここであらためて、執着や執念とは何なのかを考えてみた。

 僕の場合、向き合うべきなのは、結果から得られる価値への執着ではなく、プロセスそのものに対する精進ではないか、と思う。昨日できなかったことが今日できるようになる。それだけで嬉しいし、それは結果として、緩やかに作品の質にもつながっていく。

 何より、そうした姿勢での制作は、フロー純粋経験の状態を生み、幸福に満たされていて、そこに苦しみはない。

 そもそも、エゴへの執着が透けて見えるような作品は、鑑賞対象としても、あまり見たいとは思えない。ゴッホやゴーギャンは、執着の末にボロボロになり、最期の時を迎えたが、制作している時間だけは、そうした苦しみから解き放たれていたのだと、僕は思いたい。

 僕は、執着を燃やし尽くして何かを残すよりも、執着を手放して、穏やかに生きていたい。そして、そんな在り方がにじむ作品を作れたらいい。

 もっとも、これもまた、苦しみから逃れるための一種の執着なのかもしれないが。


2025年8月7日木曜日

色彩論

ニュートン(1643-1727)の光学(1704

万有引力の発見で有名なニュートンは、太陽光をプリズムに当てると、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色に分光することを(も)発見した人である。

ここで興味深いのは、色を7段階にしたのは、1オクターブの音階に合わせて7色にしたことだ。実際のところ、赤から紫まではなだらかに変化していくため、何色にでも定義付けることが出来たと思われるが、科学分野にも芸術の影響があったということである。

橙と藍に関しては変化する幅が狭いため、ミ、ファ及びシ、ドの間の音階は半音の差であることに一致している。ちなみに、白色光は単色光の混合色である。物体の色というのは、発せられた光が物体で吸収されなかった色が反射したときの光の色となる。

 少年時代にピアニストを目指していたアンセル・アダムスは、諧調を11に分割するゾーンシステムを生んだが、やはり音階との関係も経験的に何かあったのだろう。一見、無関係のものからインスピレーションを得て、何かの発見に至ることはしばしばある。ニュートンのりんごも然りである。

「異質にみえる諸関係が相互に接近させられ、それらが一つに結び合わされたから・・・」

と、ゲーテの「科学方法論」の中にも記述がある。

 

ゲーテ(1749-1832)の色彩論(1810

 

 文学者で有名なドイツのゲーテだが、この時代の偉大な人たちは、いろいろなことをやってのけていたようだ。ゲーテもニュートンも政治家としての側面もあった。このゲーテの色彩論、僕にとっては内容が難しく、目で文字を追っているだけで、頭の中にどれほど入っているか分からない。

 ゲーテの色彩論、最初のうち読んでいるとニュートンの光学の批判が随所に出て来る。ニュートンは17世紀の物理学から光を考察したので、人間が見たときの光や色や、視覚異常がある人が見た光や色についてのアプローチをしなかったのは当たり前なのかもしれない。そこまで批判するのは酷なような気がもする。ゲーテは文学者故に、人の生理的視覚からアプローチが出来たのであろう。

 この色彩論の中では、光に最も近い色は黄色、闇に最も近いのは青となっている。青と黄色の先には、ゲーテの色彩環では、一方の頂点が緑、もう一方の頂点は赤になっている。

 僕はモノクローム専門で、カラーは扱わないが、カラー暗室をやる人には、これは違和感があるのではないだろうか?青(C)と黄色(Y)からは、赤は作れない。

 しかしながら、闇に近い色は青、光に近い色は黄色というのは、日常生活では経験的に至極納得できるのではないだろうか。ゲーテは、闇にも色が含まれているという。この辺りはいかにも文学者的な考察だと思う。

 絵本やアニメでは、夜は青っぽく描かれているし、光線兵器の色は黄色を含んでいることが多い。もしかして、ゲーテの色彩論を、みんな知っているのかな?

 ゲーテは、生理的色彩の章の中で、「青は黄色を要求する」と、補色残像についても言及している。これは、強い青を見続けた後、白いものを見ると黄色っぽく見えると言うものである。もしかして、ゴッホ(1853-1890)は、南仏の青い空を見続けたあまり、黄色の空を見たのかもしれない。

  

うたろう(196920😕?)の色彩論(2025

  僕は光学と化学によるモノクローム写真に携わっているので、その経験から色彩について自分自身の悟性により次のように結論づけている。どの門戸から入り、事物を観察したかによって認識は大きく左右されるが、自分が叩いた門はモノクローム写真である。 

前提として濃淡と色彩は合わせて考える。モノクローム写真は、最終的には単色の濃淡で印画紙上に現れる。色彩は、その表現過程で利用するのみだからである。

  まず、完全なる白と黒は色ではないと考える。

どんな色の物体も、完全な闇の中に存在すれば肉眼では闇に紛れ区別出来ない。撮影してもフィルムには記録されないし、印画紙上には諧調のない完全な黒として再現される。

物体に強烈な光(この場合は混合色の光)を当てると、まぶしくて見れなくなり、どんな色の物体も白く見える。撮影するとフィルムには乳剤が最も厚く残り、印画紙上には純白として再現され記録されない。つまり印画紙のベースのままの色となり表現上の空白部分となり最も忌避すべき部分となる。

この二つの理由により、光の強弱もしくは有無によりどんな色の物体も白と黒に飽和していくため、完全なる白や黒は、光か闇かのどちらかである。光や闇を色とは言わない。

闇はフィルムに記録されないし、光は印画紙に記録されない。記録されないものを撮っても無意味であるため撮影対象にはしない。したがって、どれくらい暗ければ闇になるのか、どれくらい明るければ純白になるのかは、自己の記録再現幅を知る必要がある。

 肉眼で見て、白あるいは黒と認識しているものは、完全な白(光)や黒(闇)ではない。それらはフィルムに再現可能な近似な白、もしくは黒である。詳細に観察していくと、肉眼で認識する白や黒は、その周囲との対比によって存在する。

モノクローム写真において、色彩に注意すべきことは撮影時のコントラスト調整に色彩が利用可能なことである。例えば、青い空を濃いグレーで表現したい場合は、黄、橙、赤のフィルターを用いる。真っ赤な紅葉を白く表現したい場合は、赤いフィルターを装着すれば紅葉が白くなる。

 うたろう色彩論は、以上となる。これだけ分かっていれば色彩について僕の人生は困ることはない。

「青は黄を要求する」

青い風景に黄色が存在すると目が落ち着くような気がする。