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2026年5月31日日曜日

満月のプレリュード

  完全に陽が落ちた満月の夜、湖面を撮影する場合、露光時間はどうなるのだろうか。

  露出値の基準をISO100で「-EV2(F8、4分)」と想定してみる。しかし、使用するフィルム特有の相反則不軌特性を考慮しなければならない。


フォマパン200の場合

  


 データシートによると、露光時間が100秒を超えるときには、露光時間を18倍に引き伸ばさなければならない。

 4分の露光では補正後の露光時間はおよそ70分程度になる。しかし、一律で18倍というわけでもないだろうし、実際に撮影に臨むとなれば、F8で1時間、F11なら2時間くらいで、撮影することになりそうだ。



ケントメアパン200の場合



 こちらはフォマパン200に比べると、相反則不軌特性がいくぶん穏やかである。

 この数式は、指数になっている。計算上はF8で16分、F16なら95分となる。ただ、ケントメアパン200はコントラストが高くなりやすいという特徴を持つ。ハイライトの繊細な階調を硬くさせずに残すため、あえて少し切り詰め、F16で50分の露光とするのが現実的かもしれない。


 撮影フォーマットについても思案が要る。 フォマパン200はブローニーから大判の4×5まで揃うが、ケントメアパン200には4×5のラインナップがない。そのため、後者を選ぶならブローニーを使うことになる。手元には6×9のロールフィルムホルダーがあるが、今回は4×5に近いアスペクト比を持つ6×7で、あの静寂な広がりを切り取ってみたい。

 本番は、夏の終わりか、あるいは秋の初め頃の満月の夜。 夕暮れ時の湖面に三脚を立て、夜の帳が静かに落ちてくるのを待つのだ。長く開け放たれたシャッターの傍らで、お湯を沸かしてコーヒーを淹れる――そんな贅沢な時間が、今から少し待ち遠しい。


 この撮影は、不確定要素のオンパレードだ。実際のEV値、月の高度、大気の透明度、湖面の状態、相反則不軌の個体差や現像条件、引き伸ばし時に欲しいネガ濃度。

 これらを事前に完全には予測することは出来ない。今の段階で自分にできることと言えば「失敗を減らす」ことだけで、「最初から正解を知る」ことは難しい。


「仮説を立てる → 撮る → 現像する → 初めて結果を知る」

という時間のかかる営みである。

 その意味では、今回の撮影は写真を撮るだけでなく、満月の湖面という被写体について学ぶための最初の実験とも言える。

 そして意外と、最初のネガが技術的には失敗でも、その失敗から得た情報が二回目、三回目の撮影で大きく効いてくるだろう。

 「一枚の成功作を狙う」というより、「満月の湖面というテーマを数年かけて探究する」方向に進むのもいい。

 計算上の露光値が、現像後に失敗であると判明しても、そんな時間を過ごした記憶だけは、静かに刻まれるのだろう。

 

 四分の露光が一時間へと引き伸ばされる。

 もちろん実際に引き伸ばされているのは時間ではなく、フィルムの感度特性なのだが、露出計の示す数字と現実の露光時間との間には、大きな隔たりが生まれる。

 宇宙を旅する光もまた、長い時間の中でその姿を変える。宇宙誕生の頃に放たれた光は、空間の膨張によって波長を引き伸ばされ、現在では宇宙マイクロ波背景放射として観測されている。

 満月の湖面を写そうと計算していると、ときどき写真という技術が、光だけでなく時間そのものを扱う装置であるように思えてくる。

 もしフィルムがマイクロ波にも感光したなら、夜空は肉眼で見るよりもずっと賑やかで、眩しい場所として記録されるのかもしれない。

 しかし、目に見えないその眩しさを遮るように、夜の湖面はただ静かに、満月の光だけを気紛れに返すだろう。


 ――そんなわけで、リンホフのスーパーローレックス 45/67 を探そうかな。物欲のプレリュード。

2026年5月27日水曜日

パトローネの猫

 


 
 琵琶湖の西側へ久しぶりに行こうと思い、バイクのトランクにニコンNew FM2とレンズ3本、フィルム2本、SCフィルターを積んで出かけた。
 岐阜に住んでいると、琵琶湖の東側は行きやすいのだが、西側は距離があるので、どうしても足が遠のいていた。
 数年ぶりに来てみると、湖岸の草木の繁茂や造成工事によって景色が変わっている。冬になったら大判カメラを持って撮りたいと思う場所を何か所か発見したので、メモしておいた。

 今日の旅の友にNew FM2を選んだのには、ちょっとした理由がある。

 少し前にニコンFGで撮影していたところ、36枚を超えてもまだ巻き上がった。もしかしたら、フィルムローダーでフィルムを巻くときに少し長めに巻いたのかなと思い、そのまま撮っていたら、38枚、39枚と巻き上がっていく。
 ここまで来ると、さすがにカメラ内部で何か異変が起こっていることに気づく。

 予想される事象としては、フィルム装填を失敗して1枚も撮影できていないか、もしくは、途中でフィルムが切れて巻き上げスプールに溜まっているか。

 おそらく後者であろうと当たりをつけ、暗室で裏蓋を開けたが、その予想は外れ、パトローネ室内に完全に巻き取られたフィルムがあるだけだった。
 果たして、このフィルムは未露光なのか、それとも露光済みなのか?

 次の取るべき行動は、露光済みであると判断して現像するか、もしくは、未露光であると判断してベロを引き出し、再び撮影するか……。

 前者の予想が裏切られた場合、何も写っていない素抜けのネガが出来上がる。後者の場合は、コマ間が不ぞろいの多重露光、かつ露光過多のネガが出来上がる。

 まるで、「シュレーディンガーの猫」のように、現像して確認するまでパトローネの中の世界は確定しないのだ。


 僕は、後者を選んだ。
 なぜなら、素抜けのネガはただの失敗だが、そこに光の記録が存在している限りは、やりようがあるかもしれないからだ。

 今回のトラブルはFGに問題があったわけではない。僕の操作ミスによるものだ。それは分かってはいるのだが、今回は心理的にFGから気持ちが遠のいた。
 そんなわけで、New FM2に久しぶりに電池を入れて、FGから取り出したフィルムを装填した。今回は、念入りにだ。

 このNew FM2というカメラ、かなり付き合いの長い知り合いとカメラ交換をして僕の手元にやってきた。彼はモデル末期のものを新品で購入していたので、素性の知れた、信頼できる機体である。

 そうでなくとも、このNew FM2は機械式一眼レフカメラの終着点とも言うべき存在で、ケチの付けようがないカメラである。敢えて言うならば、コストダウンのためにシャッタースピードダイヤルの表示などが刻印ではなくプリントになっていることくらいかな。ファインダーは明るくとても見やすい。マニュアルでピントを合わせないといけないので、スクリーンの出来はとても重要だ。ペンタックスSPはカメラの作りはいいが、古い機種であるためスクリーンは暗い。

 もともとニコンのFEシリーズは、どれも使いやすく説明書いらずのUIであるが、その中でもこのNew FM2は「ザ・スタンダード機械式制御一眼レフ」なのである。それ故か、中古市場でも驚くほど安定している。

 生涯、手元に置いておきたい信頼のできるカメラだ。唯一の心配事は、露出計かな。

そんなことを思いながらNew FM2を首から提げ、「露光済みかもしれないフィルムで撮影している」という一抹の不安を抱えながら湖畔を歩く。ようやくそのフィルムの撮影を終えると、次の、正真正銘の未露光フィルムを装填した。
 
 撮影が終わるころには、トンビが鳴きながら旋回し、鵜が編隊を組んで飛んでいる空が、徐々に夜の気配を帯びてくる。

 帰り道、バイクを操作しながら、もう一度思う。FGに問題があるわけではない。あくまでも僕の操作ミス。そして確認ミス。


2026年5月17日日曜日

尾形光琳の銀

尾形光琳 紅白梅図屏風

 
 日本史や美術史を紐解くと必ず出てくる、尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」。
  着目すべきは、中央の妖しくうねった黒い川である。今まで、この黒が何に由来するものなのか、深く考えたことはなかった。 
  
 何か自分の写真表現で参考になることはないかと、日本画の技法書を読んでいるうちに、ある記述に強い興味を覚えた。

 


 この黒い川は、銀箔を硫化させて作り出した黒だという。そして、若干の紫色を帯びていることから、微量のセレニウムの存在が指摘されている。
 これは、僕が暗室でバライタ印画紙を硫化調色、あるいはセレニウム調色しているのと同じプロセスではないか。まさかこんなところで、自分と光琳が接続するとは思ってもみなかった。

 なぜ、化学的に安定した墨ではなく、あえて不安定な銀を光琳は使ったのだろうか。

 墨にはない、硬質な金属光沢を求めたのか。
 背景が金であるため、川の表現にも貴金属である銀を使いたかったのか。
 あるいは、不安定な物質だからこそ、生き物のように変化し、完成していく「時間」を計算に入れたのだろうか。

 暗室で印画紙を現像液に浸したとき、最初に浮かび上がる黒はまだ浅い。それが定着や調色(硫肝・セレン)のプロセスを経て、ようやく「これだ」という独自の重みを持った黒へと完成していく。

 光琳が求めたのも、おそらくその「化学変化の先にある黒」だったのではないだろうか。
 もし彼がただ「黒い線」を引きたいだけなら、迷わず墨を使ったはずだ。しかし彼が描きたかったのは、流れる水であり、うごめく自然のエネルギーであった。そのためには、光を吸い込む墨ではなく、光と遊び、時とともに変化し続ける「銀の黒」でなければならなかったのだろう。

 川は、変化し続けるものだから。

2026年5月6日水曜日

原点回帰のその先へ



 市販の硫肝(ポリ硫化カリウム)が入手困難になってから、印画紙の調色処理はここ一年、僕にとっての大きな課題であった。国内で取り扱う事業者は既になく、海外のECサイトから調合済みの調色液を取り寄せてみたものの、その仕上がりは満足のいくものではなかった。

 昨冬の終わり、硫黄と炭酸カリウムによって硫肝を合成できると知り、自作に踏み切った。試行錯誤の結果、それが実用に足るものであることを確認できた。しかし、肝心の使用液の濃度、アルカリ強度、処理温度、そして処理時間。これらの最適なバランスを導き出すには、さらなる時間を要した。幾度ものテストを重ね、昨夜、ようやく納得のいくパラメーターを探り当てることができた。

 これでやっと、一年前の状態に戻れたのだ。しかし、失ったものを取り戻す過程で得られた知識や経験は、あまりに大きかった。これは単なる原点回帰ではない。

 かつてのように市販品を使い、教科書通りに処理していただけの自分はもうここにはいない。自らの手で理を解き、答えを導き出した「今の僕」が、確かにここにいる。

 調色を終え、水洗中のバライタ印画紙を攪拌しながら、現れた見事な濃茶の輝きに、そんな確信を得ていた。


2026年5月5日火曜日

三年目のシャクヤク

 


 職場の同僚から、今年も芍薬(しゃくやく)をいただいた。今年で3年目になる。

 1年目は、その存在感に視覚・嗅覚ともに圧倒された。蕾から散るまでの位相的遷移を日々観察し、撮影もしたが、花弁の華やかさに意識を奪われ、自分らしい写真は撮れずに終わった。だが、大量の花弁が一気に崩れ落ちる散り際と、その柔らかで冷たい手触りだけは、強烈な印象として残った。

 2年目は、花がどう変化するかを経験済みであったため、心に余裕を持って迎えることができた。しかし、花を見る「形而上のレンズ」が前年と同じままでは、新たな発見には至らない。開花中に数カット撮影したが、手応えはなかった。 それでも、角度や光線を変えて試行錯誤していた刹那、花弁がハラハラと落ちた。その瞬間、前年の記憶が鮮烈に蘇った。僕は急いで、かろうじて残った花弁と、散った花弁をフレームに収めた。それは、僕の中のレンズが切り替わった瞬間でもあった。

 3年目の今年は、開花した花と蕾のトーンバランス、そして茎や葉の形状に着目して撮影計画を立てた。蕾の状態でいただいてから、大きめの花瓶に挿し、毎日水を替えてその時を待った。昨日の夕方から蕾が綻び始め、深夜には五分咲きの状態になった。 「一輪が咲き、かつ二輪目は開花直前」という状態を、早朝か夕方の柔らかな光で撮らねばならない。チャンスは翌朝しかなかった。

 当日、早起きして開花状況が最適であることを確認し、剪定鋏(せんていばさみ)を手にした。花の形に合わせた即興の剪定だ。その間にも開花は刻一刻と進んでいく。 移ろう朝の光に合わせ、幾度も花や蕾の配置を整え直しながら、2時間で7枚ほどを撮影した。

 三度目の芍薬は、いまも大輪の花を咲かせている。僕の意識の中においても。

2026年5月3日日曜日

イメージかモノか

 高島 直之 著 「イメージか モノか: 日本現代美術のアポリア」


 この本の内容は、僕にとって少し難解なものだった。しかし、いつものことながら、分からないものにこそ、わずかでも関わろうとする姿勢が必要だと思う。未知の領域には、自身の価値観を揺さぶる何かが潜んでいる可能性が高いからだ。一読してすぐに理解できるような内容では、真の意味で新しい視点を得ることはできない。


 この本は、現代美術全般を対象にしているが、その多くのページが写真関連に割かれていた。写真は、シャッターを押した瞬間、撮り手の意図を超えてあらゆるものを写し取ってしまう。イメージを見るとは、単なる記号の「解読」ではない。それは「人間と事物を結びつける場を感得すること」に他ならない。鑑賞者は写真を見る際、そこに写るイメージを見ているのであって、写真という物質的な媒体そのものを見ているわけではないからだ。ただし、印画紙の表面の質感は、作品性に確かに影響を与える。


 写真家・中平卓馬は、自身の写真実践が権力側の私有するイメージに回収されることを拒絶した。彼は著書『なぜ、植物図鑑か』において、情緒的な物語性を排除し、物事をあるがままに即物的に捉えることを目指した。それは、彼が思想的闘争の時代を生きたという背景も、大きく影響しているのだろう。


 ロラン・バルトが「作者の死」で説いたように、作品は完成した瞬間に作者の手を離れ、その解釈は鑑賞者に委ねられる。僕が1990年代に写真教室に通っていた頃、講師はよく「この作品からは作者の思いが伝わらない」と批評していた。しかし現在では、そうした評価軸は徐々に過去のものになりつつあるように思う。鑑賞において「作者の思い」は副次的なものであり、どう受け止めるかは鑑賞者の自由に委ねられているのだ。


 中平氏が、意図しない恣意的な解釈を拒み、事物をあるがままに伝えようとした背景には、こうした「解釈の暴走」への抵抗があったのかもしれない。その思想は、美術動向である「もの派」とも共通点がある。目の前の現実を、解釈を挟まずに像として定着させることは、写真という装置の本質的な特徴でもある。

 もの派は空間に対象を配置することで「物質の存在」を際立たせ、写真は四角い枠に収めることで「事物の存在」を際立たせる。


 しかし、写真は多くの場合、やはり「イメージ」として享受されるものであり、「ものそのもの」を直接鑑賞する媒体ではない。それゆえに、写り込んだ事物の「概念」が鑑賞者の脳内に飛び込み、自動的な解釈を誘発してしまう。

 写真に写るのは現実であり、観念ではない。しかし、写り込んでいる事物から想起される「人の思い」は、確かに存在すると信じたい。そして、僕はずっとそんな写真に取り組んできたつもりだ。


 でも、最近、こうした著書を読み繋ぐにつれ、別方向の興味も顔を出してきた。果たして写真によって、「ものそのもの」に限りなく近似した表現を生み出すことは可能なのだろうか。

 この問いに、時間をかけて向き合っていきたいと思う。

2026年4月23日木曜日

揺らぎの湖面

 


 湖畔の樹々が、新緑の兆しをそっと告げている。葉は枝の先からほどけるように芽吹き、日ごとにその姿を変えていく。
 
 夕刻、湖畔に三脚を据え、十五分の露光のあいだ、ただ立ち尽くしていると、樹々の向こうで湖面が光り、揺らいでいた。
 
 湖面を見ていると、世界のはじまりもまた、このような揺らぎに満ちていたのではないかと思えてくる。
 一枚の布がたわむように、何かが満ち、かすかに波打つ。そのわずかな偏りが、かたちを呼び寄せ、また打ち消し合いながら、やがて残るものと消えるものを分けていったのかもしれない。
 そうして残されたものが、星や大地の姿を結んでいったのだろう。
 いまここに在るということは、どこかで在らなかったことと隣り合っている。
  
 長い露光のあいだ、そんな取り留めのない思いに身をゆだねていると、魚の跳ねる音がして我にかえる。
  
 陽が傾き、入り江の奥へと目を向ける。岩礁を写そうと、湖岸を北へ歩いた。
 水際の、波が届かぬあたりに、何かが横たわっている。はじめは小さな毛布かと思ったが、近づけば、それは小動物の骸だった。原形は失われ、砂礫に半ば埋もれている。何であったのかは分からない。ただ、猿ほどの大きさに見えた。
 それは、ここに在った時間を終えたのだろうか。

 そのすぐ傍らに、親指ほどの小さな木が芽を出していた。あまりにか細い姿なのに、軽く引いてもびくともしない。見えないところで、確かに根を張っている。
 この芽がどこまで伸びるのかは分からない。ただ、いまはまだ、ここにとどまり、揺らぎの中で確かに息づいている。

 僕は撮影を繰り返し、やがて、シャッターを静かに閉じる。
 
 十五分という時間のあいだに、光は幾度も揺れ、その都度、かたちを変えていたはずだ。 その連なりが、フィルムの上に、ひとつの像として沈んでいく。
 
 あの湖面の揺らぎも、すべては消えたのではなく、かたちを変えてそこに在る。
 

2026年4月21日火曜日

亜硫酸ソーダと心の処方箋

 

 僕が長年にわたって使い続けているフィルム用現像液には、無水亜硫酸ソーダがたっぷりと含まれている。1リットルの現像液に対して100グラム。成分の一割が、無水亜硫酸ソーダだと考えると、その存在感は決して小さくない。


 無水亜硫酸ソーダは、工業用や食品用としても使われている、穏やかな性質のアルカリ剤である。現像という化学反応は、アルカリが強いほど進みやすい。


 現像液の中での無水亜硫酸ソーダの役割は、本来、酸化を防ぐための保恒剤である。しかしそれだけではなく、像を現すに足る程度のアルカリ性も併せ持っている。だからこそ、現像主薬と無水亜硫酸ソーダさえあれば、最も簡素な現像液を作ることができる。


 ここまでが、無水亜硫酸ソーダの基本的な役割である。だが、僕がこの成分を含む現像液を使い続けている理由は、むしろ写真表現の側にある。無水亜硫酸ソーダには、像を微粒子化するという特質がある。


 金属銀の粒子の周囲がわずかに溶かされ、その溶かされた微細な銀が、近くの粒子へと移動し、再び結びつく。粒子は整えられ、角が取れ、丸みを帯びる。その結果、諧調のつながりは滑らかになる。


 もっとも、この効果は、諧調表現に大きな利点をもたらす一方で、シャープネスが甘く、柔らかすぎる調子のネガになるという側面も併せ持っている。


 そこで、現像主薬はあえてメトール単用とする。コントラストの境界部分において、現像主薬の疲労と進行の差を利用し、輪郭にわずかな緊張感を与えるためだ。

 もし、メトールに還元作用があるハイドロキノンを加えれば、主薬は疲労しにくくなり、この効果は得られにくくなる。

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 かつてフィルムメーカーが化粧品に進出した際、現像主薬の還元作用がシミ対策に転用されたという話を聞いた。僕にとってはネガ像を黒く作るための成分が、誰かにとっては肌を白くするためのものになる。

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 光を多く受けたハイライト部分では現像反応が早く進み、現像主薬は早々に疲労する。一方、光の乏しいシャドー部では反応が遅く、主薬はゆっくりと消耗していく。この差異が、境界面の描写を形づくる。


 攪拌の頻度を抑えること、あるいは現像終了後にホウ砂や炭酸ソーダといったアルカリ剤で処理することも、同様の効果をもたらす。いずれも、フィルムに新鮮な現像主薬を過剰に供給しないことで、ハイライトとシャドーの境目に、かすかな鋭さを生み出すための手法である。


 細やかで柔らかな粒状性が生む、諧調の滑らかな連なりと、控えめな輪郭描写。僕の作品表現の骨子は、ほとんどフィルム現像の段階で決まっていると言っていい。暗室での引き伸ばし作業で出来ることは、実はそれほど多くない。


 それでも、この現像結果から生まれるネガを見ていると、確かなカタルシスを覚える。現像液の処方は、世界をどう認識するかの方便である。

 処方を変えれば、荒々しく、高コントラストな像を得ることもできる。だが、そうした像は、どうにも心を落ち着かせてはくれない。


 同じことを続けていれば、人はやがて飽きる。けれども、この現像処方に出会ってから二十年以上が経つ今も、僕は一度も飽きを感じたことがない。


 カメラやレンズについては、別のものを試してみたいという気持ちが湧くこともある。しかし、暗室機材や薬剤については、これからもずっと同じものを使い続けたいと思っている。

 同じ現像液処方を守り続けることは、写真のためだけでなく、僕自身の心を整えるための、小さな処方箋でもあるのだ。


2026年3月31日火曜日

「Do It Myself」の効用

 

 1980年代、僕が白黒写真の自家処理を始めたきっかけは、単にその方が圧倒的に安価だったからだ。それ以外に理由はなかった。そうでなければ、最初から迷わずカラー写真を選んでいただろう。当時は白黒写真が美しいとは微塵も思っておらず、コスト面でのやむを得ない選択に過ぎなかった。

 しかし、作業を続けていくうちに、コスト以上に自家処理から得られる恩恵がはるかに大きいことを知り、「もう外注はできない」という思いに変わっていった。それと同時に、モノクロームプリントが持つ独特の美しさも、ようやく理解できるようになったのだ。

 白黒フィルムの現像液は、それこそ何百種類と存在する。外注では、どんな液を使い、どのような温度や攪拌で処理されているかも分からない。それでは到底、自分の目指す仕上がりは望めないだろう。 プリント作業も同様だ。テストプリントを繰り返しては試行錯誤し、理想へと追い込んでいく。この視覚的な判断を、言葉の指示だけで他者に伝えるのは至難の業だ。

 何より、自ら手を動かす過程には常に「学び」がある。そこで得た気づきは、次の表現への応用につながる。

 この日は、展示用パネルの切り出しを行った。既製品を買う方が品質は明らかに高いが、規格品にはない、ある種の「いびつさ」を僕は嫌いではない。写真は制作プロセスの多くを機械に頼るため、作品も工業製品のようになりがちだ。だからこそ、人の手を介した際に生まれるいびつさに、僕は手作業特有の「身体性」を感じるのである。規格品の均質な仕上がりは安心を与えるが、同時に、自分が関与していない存在が空虚さを残す。

 そんなわけで、自分でできることは、まず自分でやってみるのだ。

2026年3月28日土曜日

線は、僕を描く

 砥上 裕將著「線は、僕を描く」


大学生である主人公の鎮魂と再生の物語を、水墨画の修行を通して描いた小説だ。

 大事なことが書かれているような気がして、時期を変えて三回読んだ。
 横浜流星主演による映画版もある。だが、いくつか省略されているところがあり、湖山先生(主人公の水墨画の師匠)のキャスティングも、少しイメージと違った。格好良すぎるのだ。
 この物語に必要なのは、完成された佇まいよりも、もう少し不器用な気配なのかもしれない。だから、やはり小説のほうがいい。

 心に残った湖山先生の言葉を、書き留めておいた。


・目の届くところにしか、手の技は届かない。

・できることが目的じゃないよ。やってみることが目的なんだ。

・どんなに失敗してもいい。失敗することだって、当たり前のように許されたら、おもしろいだろ?

・拙さが、巧みさに劣るわけではないんだよ。

・気韻生動を尊ぶ。気韻というのは……端的に言えば、楽しんでいるかどうか、だよ。

・自分の絵だけを見ていれば、そのうち自分自身の手にも、技にも、騙されるようになってしまうよ。

・現象とは、外側にしかないものなのか? 心の内側に、宇宙はないのか?

・(水墨画は)着彩を排していることからも、我々の外側にある現象を描く絵画ではない……。

・我々の手は、現象を追うには遅すぎるんだ。(描き)終わったときには、またすべてが変わっている。

・絵は、絵空事だよ。

・君が優れた水墨画家になるか、ならないかなんて、そんなことはどうだっていい……それを伝える術が、水墨しかなかったんだよ。


 これらの言葉は、水墨画に限った話ではない。写真を撮ることにも、そのまま重なる。
 
 目の届くところにしか、手の技は届かない。認識していないところに、技巧を凝らすことは出来ない。

 できるかどうかよりも、シャッターを切ってしまうこと。失敗を許された場所でしか、像は立ち上がらない。

 現象は外側にだけあるのか。それとも、こちらの内側にすでに用意されているのか。

 手は遅い。気づいたときには、光も、気配も、すでに別のものになっている。
それでも、遅れたまま、触れようとする。

 絵は絵空事だ、という言葉が、なぜか救いのように残る。写真もまた、現実そのものではない。

だからこそ、そこにしか宿らないものがある。

 これは、僕にとっては形而上のレンズについて書かれた物語なのだと思う。
目に見えるものを写しながら、いつのまにか、こちら側が描かれてしまう、その過程について。

 線は、僕を描く。
 写真もまた、僕を描くのかもしれない。

2026年3月3日火曜日

「それは、かつてあった」の残響


 2月3日のエントリーで、ロラン・バルトの『明るい部屋』について書いた。

 そこに記されていた言葉が、半月ほど経った今もなお、心に突き刺さっている。

 そんな心持ちのまま、昨年から撮影したいと思っていた古民家を目指し、風のない、日差しのやわらかな冬の午後に、美濃市までバイクを走らせた。

 自宅から目的地までは一時間ほど。せめて道中だけは軽やかな気分でいたくて、ZARDのアルバム『forever you』を聴きながら走った。

 長良川沿いを北上する。ヘルメットのシールド越しに流れ去る景色を見ていると、河川敷には梅が咲いている。曲も次々と入れ替わっていく。

 「あなたを感じていたい」が流れた。何度も聴いた曲だが、改めて歌詞に耳を澄ますと、これは冬の歌なのだと気づく。



 ボーカルの坂井泉水さんは、2007年に亡くなっている。

 すでにこの世にはいない。そう思った瞬間、軽快だったはずの旋律が、不意にレクイエムのように響きはじめた。

 

 彼女が生きていたころ、その声は、歌以外の何ものでもなかった。

 だが、いまは違う。

 その声は、彼女が確かに存在したという証拠になっている。


 美濃市の旧市街に入り、目的の古民家に到着した瞬間、唖然とした。

 そこにあったはずの古民家はすでに取り壊され、柵の向こうに赤茶色の地面がひろがっているだけだった。

 そこには、もう何もなかった。

 ただ、「それは、かつてあった」という事実だけが残っていた。

 声は残り、建物は消える。

 だが、残ることと消えることに、優劣はない。

 ただ、時間がそうさせるだけだ。

2026年2月10日火曜日

生成AI画像とストゥディウム、写真表現のこれから・・・

 前回のエントリーで、ロラン・バルト著『明るい部屋――写真についての覚書』(1997)について書いた。

 そこで今回は、改めて生成AI画像との関連について考えてみたい。生成AI画像は、プロンプトによって生成される。プロンプトとは、当然のことながら言語を用いてAIに指示を与える行為である。

**

 バルトは、文化的に理解可能で、誰もが共有できる意味――すなわちコードの領域を「ストゥディウム(Studium)」と名付けた。

 一方で、ときにそのコードが通用しない瞬間が訪れる。見る者を突き刺すような、「意味になりきらない何か」。バルトはそれを「プンクトゥム(Punctum)」と呼んだ。

**

 プロンプトは、誰もが共有できる意味によって構成されていなければならない。つまり、言語化可能なストゥディウム的イメージこそが、生成AIの得意分野であると言える。

 前回のエントリーで触れた例をプロンプト化し、実際に画像を生成してみた。その結果が次のとおりである。



プロンプト

「日本の伝統行事の稚児行列に参加しようとしている化粧をした子供に、窓からの斜光線がその顔を照らしている画像」

生成結果


 意外なほど、うまく生成されているのではないだろうか。

 もし、このようなモチーフを対象に実際に撮影していたとしたら、「結果としての画像」だけを求めるのであれば、生成AIは極めて親和性が高い存在であると言える。

 他にも、

 「ひまわり畑とドクターイエロー」

 「ひなびた駅のホームで、白いワンピースを着た女性がトランクを持つ風景」

 「山城と月」

 それらは、SNSで「映える」画像は言語化が容易であることに気づかされる。


 この技術の登場は、写真表現において一つの転換点になるのではないだろうか。過去にも、似たような転換点があった。


<写真と印象派以降の類似性>

 19世紀、写真が「現実の忠実な記録」という役割を担うようになったことで、画家たちはそれまでとは異なる、多様な表現へと向かっていった。

 印象派は光や瞬間の印象を追求し、キュビズムは多視点の同時表現へと踏み込み、抽象画は形態や色彩そのものを探求した。写実という「機能」から解放されたことで、人間にしかできない表現が模索されていったのである。


<生成AIによる新たな分岐>

 生成AIが「言語化可能なイメージ」を高精度で生成できるようになった今、アートは次のような方向へとシフトしていくのかもしれない。

・言語を超えた領域

 ――プロンプトでは記述できない曖昧さ、矛盾、無意識的要素の追求

・物質性・身体性

 ――デジタルでは再現不可能な素材の質感や、制作プロセスそのものの価値

・偶然性と予測不能性

 ――アルゴリズムの確率的生成とは異なる、「真の偶然」との対峙

・文脈依存の体験

 ――特定の空間・時間・鑑賞者との関係性の中でしか成立しない作品

 もっとも、写真が登場しても写実絵画が消えなかったように、生成AIの時代になっても、従来と同じ表現を続ける人はいるだろう。結果として、多様な表現が共存していくはずだ。


 そんな時代に、僕はどこへ向かおうとしているのだろうか。少なくとも、言語化できた時点で安心してしまうような表現ではない。「何が写っているか」が説明できた瞬間に、役割を終えてしまう場所には立っていないつもりだ。

2026年2月3日火曜日

明るい部屋

 

ロラン・バルト著「明るい部屋―写真についての覚書」(1997)


 ロラン・バルトの『明るい部屋――写真についての覚書』。 写真論の古典でありながら、僕はこの本を手に取るのを長く避けてきた。みすず書房の重厚な装丁、そして翻訳特有の「……するところのもの」といった難解な言い回し。ページをめくる前から、その手強さを想像していたからだ。しかし、敢えてそこに踏み込んでみた。分からない部分は分からないままでいい。


 以下は、この難解な迷宮をアリアドネの糸に導かれ、僕なりに咀嚼し、たどり着いた景色である。

*この本にはアリアドネの章もあったので援用してみた。



「ストゥディウム」

 写真は一見、現実をありのままに写し取っているように見える。しかし実際には、僕たちは無意識のうちに多くの「コード(規則)」に支配されながら、その像を解釈している。コードとは、撮影者の視点であり、僕たちの「認識の枠」の一部を形成している。


 バルトは、この文化的に理解可能で、誰もが共有できる意味の領域を**「ストゥディウム(Studium)」**と呼んだ。


 たとえば、日本の伝統行事の稚児行列に参加しようとしている化粧をした子供の写真があるとする。窓からの射光線がその顔を照らしている。「これは伝統の記録であり、光の使い方が効果的だ」……。そうした容易に言語化できる要素の集積がストゥディウムである。


 SNSに溢れる「映える」写真もまた、まさにストゥディウムの塊だ。また、バルトによればポルノもまたストゥディウムに属する。それは実用的で明白であり、何が写っているかを即座に言語化できるからだ。

 対して「エロティシズム」は、写っていない何かを想起させ、鑑賞者の内面を揺さぶる。それはもはやストゥディウムの領域ではない。

 エロ本は、その内容がエロティシズムではなくポルノなので、エロ本という言い回しは間違っていることになる。と、思った。

 

「プンクトゥム」

 時としてそのコードが通用しない瞬間が訪れる。バルトが**「プンクトゥム(Punctum)」**と名付けた、観る者を突き刺す「意味になりきらない何か」である。


 プンクトゥムは、鑑賞者が個人的に「感じてしまう」ものである。通常、鑑賞の主体は人間であり、写真は客体に過ぎない。だが、ニーチェが「深淵をのぞき込むとき、深淵もまたこちらをのぞき込んでいる」と言ったように、プンクトゥムが発生する瞬間、主客は逆転する。写真の側から、こちらを刺しに来るのだ。


 バルトは写真を「俳句」に例えた。五・七・五という形式の中で、用いられている単語のの意味以上のものが、ある細部から見えてくる。写真もまた、静止した像の裂け目から、僕たちの認識を根底から揺さぶってくる。

 

「みるための時計」としてのカメラ

 カメラという装置は、もともと家具や時計の技術から派生したものだという。そう考えると、写真はまさに**「みるための時計」**なのだとバルトは言っている。


 ここで一つの疑問が浮かぶ。プンクトゥムは鑑賞者に発生するものだが、では、その状況をすべて知っている「作者自身」が自作を見たときはどうなるのか。


 撮影時の僕は、たしかに「意図を持つ主体」であった。しかし、相応の時を経て自作に対面したとき、僕は「ただの観者」へと変貌する。かつての自分が捉えたはずの背景、忘れていた身振り、今は失われた場所……。それらは「今となっては失われてしまった事物」として、無慈悲に僕を突き刺す。


 作者は、自分が写した「かつての自分」という名の存在に射抜かれる。写真は、時間がもたらす不可逆性を突きつける、最も精緻な時計である。ただし、その時計が動くためには、「時間の経過」という残酷な発酵が必要なのだ。


「それはかつてあった」という狂気

 第一部の最後で、バルトはそれまでの分析的な態度を投げ出す。「今まで書いたことは、やっぱりなかったことにして、もう一回考え直す」という驚くべき前言取り消しを行い、第二部へと突入する。


 これは第一部が誤りだったからではない。分析という「ロゴス(論理)」を捨て、写真がもたらす「パトス(情念)」の深淵へと飛び込むための儀式だったのだ。


 バルトは写真の本質を、**「それはかつてあった」**という狂気であると結論づけた。 狂気とは何か。それは、過去のある瞬間が、時間を超えて「今、ここ」に存在する矛盾そのものだ。


「かつて在った」という確信と、「今はもういない」という喪失。この矛盾が同時に突きつけられたとき、理性を超えた剥き出しの感情が立ち上がる。これこそが写真の孕む狂気である。


 僕もまた、ずっと以前、毎年海外へ撮影に出かけていた。その頃の写真を見返すたび、「もうこんな写真は二度と撮れない」と痛感する。今の僕はあの頃の僕ではなく、被写体となったあの場所もあの人も、もう存在しない。その事実が僕を射抜くとき、僕はプンクトゥムという名の狂気に触れている。


 バルトは、写真を本当によく見るためには、時として写真から顔を上げるか、あるいは目を閉じてしまう方がいいと言う。

 コード化された意味から自由になり、心の奥底で立ち上がってくる印象に身を任せる。そのとき、写真は単なる記録であることをやめ、二度と繰り返されることのない「一回性」の痕跡として、僕たちの実存に触れてくる。


 「ただ一度しか起こらなかったこと」を、理解可能な形式へと変換してしまうのがコード化だとするならば、そこから漏れ出した「痛み」こそが写真の正体なのかもしれない。その裂け目は僕たちの認識を壊すが、同時に、新しい世界を見るための枠組みを形成する契機ともなるのだ。

2026年1月6日火曜日

認識を助けるための、忘却

 

PENTAX SP Super-multi-coated Takumar 55mm f1.8

Fomapan200(EI100)  Stoeckler Two-bath Film Developer

SILVERCHROME FLEXGRADE RC Matt

 フィルム写真は、撮影後すぐに確認することができない。後で見返してみると、なぜこんな写真を撮ったのか自分でも分からないものがある。意図的に撮ったのか、あるいは事故的にシャッターが切れてしまったのか、それすら判然としない。

 現像するまで結果が分からないその時間を「楽しみ」だと言う人は多いが、僕個人はそう思ったことはない。デジタルカメラであれば即座に確認し、失敗していれば消去して撮り直すだろう。フィルムでも同様のことが可能なら、おそらくそうしてしまっている。

 デジタルカメラにおける「即座の消去」は、「現在の自分」の価値観による検閲とも言える。撮影した瞬間の自分にとって「失敗」と見なされたものは、その場で存在を抹消され、未来の自分に届くことはない。

 それならば、デジタルカメラでの「失敗作」も、消去せずに保存しておけば良いのかもしれないが、僕の場合、デジタルカメラでの撮影目的は、あくまでも「記録」なので、意図に反したものは、消去したい性分なのだ。
 
  しかし、その「効率の良さ」が必ずしも良い結果に結びつくとは限らない。

 フィルムの場合、結果を見るには待たざるを得ない。「待つ」と言っても、僕の場合は自分で現像しているため、未現像のまま保管している時間が長いというだけのことだ。フィルムは、ある程度溜まってから作業した方が効率も良く、現像液の節約にもなる。

 結果として、撮影から暗室でプリントするまでには、ある程度の月日が経過することになる。そこには思わぬ効用がある。時間が経つことで、撮影時の記憶があいまいになっていくのだ。それは、画像を暗室で再構成する際、良い方向に働く。撮影時の主観的な感情が薄れることで、自身の写真を客観視できるようになるからだ。

 「待つ」という行為は、単なる効率化ではなく、それは、「自分」というノイズが消えるのを待つための熟成期間なのかもしれない


 撮影した瞬間の「僕」と、数ヶ月後にネガを見る「僕」は、別の存在である。時間が経過することで、かつての自分の感情というバイアスが剥がれ落ち、純粋な「対象」として写真に向き合える。「忘却」が「認識」を助けてくれる。

 この写真も、撮影した記憶が全くない。しかし、ピントも露出もそれなりに合っている。何かの弾みでシャッターが降りたわけではなさそうだ。気になって、小さな印画紙にさっとプリントしてみた。

  仕上がったものを見ても、やはり「これは何だ」という感覚は拭えない。だが、そのわけの分からなさが面白い。自分でもこれ以上どうしようもない写真なので、「このネガを丁寧に焼き直そう。」とまでは思わない。

 ただ、こうして図らずも撮れてしまった写真が、表現の新たな出発点になることはある。

2026年1月4日日曜日

ノイズに耳を澄まし、目を凝らす


   


  昨年を振り返ってみると、古楽をよく聴いていた。聴き始めの頃は知識がなく、十六世紀の音楽家ジョン・ダウランドのリュート作品ばかりを繰り返し聴いていた。

 なんて心癒される音色だろうと思った。

 他のリュート作品も聴いてみたくなり、オムニバスCDを手に取った。すると、音色や奏法に随分と違いがあることに気づいた。
 
 調べてみたところ、リュートにはルネサンス様式とバロック様式があるらしい。僕が聴いていたジョン・ダウランドはルネサンス様式である。 バロック様式では、リュートを大型化したテオルボという楽器があり、かなり低音が出る。音域がとても豊かである。 テオルボの作品を調べて、今村泰典さんの「バッハの《無伴奏チェロ組曲》」を、ダウンロード購入してみた。 (YouTube でも視聴できるみたい。) 

  僕は、音楽にはまったくと言っていいほど門外漢で、音楽理論は分からないので、理性ではなく感性のみで鑑賞することになる。

 知識がないことは、悪いことばかりではない。器楽曲であれば、耳から脳に届く情報を理性で分析することなく、感性のまま受け止めることができる。日本語の歌詞が入った曲だと、理性で意味を解釈しないわけにはいかないため、そうはいかないが。

  リュートのようなソロの演奏を聴いていると、手のひらがネックを滑る音や、袖が弦に触れたときの音に気付く。

 DTM(コンピューター打ち込みの音楽)では、身体行為に付随するノイズは発生しない。ノイズは一般に雑音とされるものだが、そういったノイズは快なのか、あるいは不快なものなのか?僕には快く聴こえるため、好意的なものとして捉えている。

 耳に届く「身体的なノイズ」が音楽に奥行きを与えるように、視覚表現におけるノイズもまた、単なる雑音以上の意味を持ち得るのではないか。

 フィルム写真の世界を振り返ると、現像ムラや傷、埃といったノイズは、かつては徹底的に忌避される対象だった。しかし、いつの頃からかこのノイズを表現手段とする作品が見られるようになった。

 フィルムの最初と最後のコマの、半分しか露光されていない像を積極的に面白がるのも同じ感覚だと思う。 先日読んだ村上隆氏の「芸術闘争論」の文中に、視線誘導をするため、ノイズを意図的に描くこともある。というくだりがあった。僕の場合、現像ムラがあるネガは、即座に失敗と判断し、傷や埃によるスポットは、印画紙に修正を施し、その存在を消してきた。 

 リュートの弦が擦れる音を愛でるように、これからは写真に現れるノイズもまた、一つの「音色」としてその可能性を模索してみたい。



2025年12月29日月曜日

認識の枠とストリートフォトグラフィー


PENTAX SP Super-multi-coated Takumar 55mm f1.8

Fomapan200(EI100)  Stoeckler Two-bath Film Developer

SILVERCHROME FLEXGRADE RC Matt


 ストリートフォトグラフィーとは、まちを歩き、偶然に現れた現実を即時に撮影したもの、と定義づければよいだろう。


 先人たちの巨匠の作品には、人が写っている場合が多く、そこには人間ドラマがあり、いわゆる決定的瞬間が写し取られていた。


 二十一世紀に入り、インターネットが普及し、誰もが撮影した画像を公衆の面前に晒すことが可能になった頃から、写真を撮る人々は肖像権に対して、より神経質になっていった。それは、社会全体が「ホワイト化」していく流れとも無関係ではないだろう。


 そのような情勢の中で、人が写り込んだ写真を撮影する者は、次第に減少していった。


 新聞の三面記事を眺めていると、盗撮で逮捕という報道を頻繁に目にする。こちらにその意図がなかったとしても、いつ自分が犠牲の祭壇にまつり上げられるか分からないと思えば、人を撮ることに慎重になるのも無理はない。


 結果として、人が写り込んでいたとしても個人が特定できない状態であったり、撮影対象そのものが都市風景や物体へと移行していった。僕自身も、カメラを提げてまちを歩くときは、自然とそのような撮影スタイルになっている。



PENTAX SP Super-multi-coated Takumar 55mm f1.8

Fomapan200(EI100)  Stoeckler Two-bath Film Developer

SILVERCHROME FLEXGRADE RC Matt



 カメラという装置を用いてまちを撮影する行為は、絵画などの表現手法とは異なり、「無意識」と直結、もしくはより近い領域で作用しているのではないだろうか。


 絵画は、構図や色彩の選択など、理性が介在する余地が大きい。ジャクソン・ポロックは、理性を排除し無意識と接続するためにアクションペインティングという手法を採ったが、それは偶然性に身を委ねたというよりも、理性ではなく無意識によって制御された行為であったと言える。


 感性、悟性、理性の順に意識は深まっていくが、ストリートフォトグラフィーは、出会い頭に撮影が完了する表現であり、その多くは感性の領域で完結する。


 一方で、風景や静物に取り組む際には、構図や露光時間を吟味するなど、理性の働きが大きく関与する。そこには、写真表現の別の位相が存在している。


 ストリートフォトグラフィーは、感性の無意識領域で世界にアクセスする必要がある。そのため、以前のブログに書いたように認識の枠を揺さぶるための内面の再編成、意識的な努力と深い内省が不可欠だと改めて思う。


  哲学は、答えではなく問いである。知識ではなく道具である。と、つくづく感じる。


Nikon FG Ai Nikkor 50mmF1.8S

Fomapan200(EI100)  Stoeckler Two-bath Film Developer

SILVERCHROME FLEXGRADE RC Matt

2025年12月27日土曜日

穏やかな執着

  現代美術家・村上隆の著書『芸術闘争論』の中で、彼は鑑賞の四要素として次のものを挙げている。

① 構図

② 圧力

③ コンテクスト

④ 個性

 この中で、②の「圧力」とは何だろう、と引っかかった。色彩や描かれている事物の強さのことだろうか。

 どうもそういう意味ではなく、村上氏はそれを「執着力」や「執念」として説明している。もう少し良くするにはどうすればいいのかを毎日自問自答し、自分の作品を肯定しながら弱点を補完し続ける。その持続力こそが圧力なのだという。

 そう言えば、ある美術展の講評で、審査員が「どこまでやり切ったかは、作品を見れば分かる」と話していたことを思い出した。

 しかし、執着というものは、方向性を間違えれば、不幸の始まりではないだろうか。

 もしその執着や執念の源泉が、「人に見せて評価を得たい」「売らなければならない」「有名になりたい」「人に勝ちたい」といったエゴにあるのだとしたら、それを達成できなかったとき、精神的にも金銭的にも疲弊するだけなのではないか。

 もちろん、そうした方向性で制作せざるを得ない立場の人がいることは理解できる。村上氏がそうだとは限らないが。

 僕にとって写真は、「余暇を楽しむための活動」、いわばレジャーの一つだ。だから、それらのことは、どちらでもいい。そこには強い執着がない。突き詰めていけば、人に見せなければならないという縛りすらないし、他に何か見つかれば写真を中断することもある。

 完成したら、作品をストレージボックスにしまって終わりでもいいし、機会があれば展示してもいいし、どこかの公募展に出品してもいい。

 ここであらためて、執着や執念とは何なのかを考えてみた。

 僕の場合、向き合うべきなのは、結果から得られる価値への執着ではなく、プロセスそのものに対する精進ではないか、と思う。昨日できなかったことが今日できるようになる。それだけで嬉しいし、それは結果として、緩やかに作品の質にもつながっていく。

 何より、そうした姿勢での制作は、フロー純粋経験の状態を生み、幸福に満たされていて、そこに苦しみはない。

 そもそも、エゴへの執着が透けて見えるような作品は、鑑賞対象としても、あまり見たいとは思えない。ゴッホやゴーギャンは、執着の末にボロボロになり、最期の時を迎えたが、制作している時間だけは、そうした苦しみから解き放たれていたのだと、僕は思いたい。

 僕は、執着を燃やし尽くして何かを残すよりも、執着を手放して、穏やかに生きていたい。そして、そんな在り方がにじむ作品を作れたらいい。

 もっとも、これもまた、苦しみから逃れるための一種の執着なのかもしれないが。


2025年12月12日金曜日

河口の額とエポケー

 


 久しぶりに大判カメラを持ち出し、夕闇が忍び寄る薄暮の琵琶湖を撮ろうと思い、長浜へ向かった。


 午後三時には現地に着いたものの、僕が思い描いていた風景はそこにはなかった。風の強弱、空気の質感、雲の密度、湖の水位──それらの微妙な組み合わせが、僕の撮影意欲を決定づける。この日の琵琶湖は、その条件を満たしてはいなかった。大判カメラでの撮影は、早々に諦めることにした。


 ただ、このまま帰るのは惜しい。そこでニコンFGを肩に掛け、湖岸を歩いて姉川河口へ向かうことにした。柳を中心とした雑木林が防風林のように続き、その薄暗い道を抜けると、一気に視界が開けて砂浜に出た。頬に冷たい風が触れ、ようやく季節が深まりつつあることを肌で知る。


 湿度が低く、空気が澄んでいるからだろう。対岸の湖西の稜線まではっきりと見える。安曇川のあたりには低い雲がかかり、そこから雨柱が斜めに地上へ落ちていた。夏の積乱雲が落とす直線の雨とは違う。比良おろしにあおられてゆっくり傾く、その晩秋らしい雨柱を、僕はしばらく眺めた。


 夏の間に繁茂した水草は、浜辺に打ち上げられて厚く堆積し、その上を波が運んだ砂が覆っている。砂浜を歩いているはずなのに、踏みしめる足裏は布団のようにふかふかと沈み、歩みが思うように進まない。


 ところどころには、鳥に食べられた魚の骨、割れたくるみの殻、そしてペットボトルなどのゴミが漂着していた。きっと秋の終わりから吹きはじめる比良おろしに乗って、このあたりへ運ばれてきたのだろう。


 この日はさほど風が強いわけでもなかったが、姉川の河口では、琵琶湖側から逆流するように波が押し寄せていた。短い秋の陽光がその河口に反射し、薄鈍色の光をゆらゆらと揺らしている。


 その波打ち際に、小さな木製の額が落ちていた。どんな旅路を辿って、ここまで流れ着いたのだろう。僕はそれを拾い上げ、風と日差しの下でしばらく乾かした。塗料は不規則に剥がれ、ところどころ下地が覗いている。木の地肌がむき出しになった部分には、流されてきた時間がそのまま刻まれていた。


 それは、人が意図して作り出せる状態ではない。美しいのか、あるいはただ劣化したゴミにすぎないのか──どちらとも言い切れない宙ぶらりんな感情だけが胸に残る。結論を出せないまま、僕はそっとカバンにその額をしまった。


 僕は写真作品をつくるとき、工程そのものよりも「待つ時間」を大切にする。撮影、ネガ現像、引き伸ばし──どれも、一つを終えたあと次へ進むまでに、数日、ときには数週間をおく。その間に読んだ本や会った人の言葉が、じわりと自分の確信を形づくっていく。そして確信が満ちたころ、静かに作業に向かう。


 拾った額についても、同じように判断を保留し、エポケー(判断停止)の中に置いておこうと思う。エポケーは、忘れ去ることではない。問いを無意識領域に落とし込む作業である。


 いつか、この琵琶湖に洗われた額を「美しい」と思える日が来たなら、そのときは丁寧に手入れして、ふさわしい一枚の写真を入れてやりたい。

 その写真は、きっとこの額の旅路を尊ぶような一枚でなければならない。





2025年12月9日火曜日

形而上のレンズ交換

 

 18世紀のドイツの哲学者カントは、人が世界をそのまま捉えるのではなく、ある種の枠組みを通して認識していると述べた。

 その考えを借りつつ話を進めると、世界をどのように認識するかは、個々の経験や先入観、文化的背景によって影響される。つまり、僕たちは世界そのものをそのまま認識するのではなく、無意識的な枠組みによって変形されたものを認識している。深層心理と言ってもいい。

 認識は単なる外的な世界の反映ではなく、無意識的な枠に基づいて選別された結果であり、その枠に縛られるため、物事を枠からはみ出した、思いもよらない方法で認識することはできない。

 図にあるように、現象を認識の枠というフィルターを通すと、クローズアップされたり、切り捨てられたり、本来なかった物が意識の場に出現したりする。

 写真を撮る瞬間、何を「美しい」と感じるか、何にシャッターを切るかは、意識的な判断よりも無意識的な反応や感覚、違和感によって決定され、同時に作品に個性を与える。

 認識の枠が無意識領域に存在する理由は、意識的に行う行動は思考負荷が高く、瞬時に行えず、安定的に対応ができないためである。無意識的な枠組みは、日常的に効率的に反応し、行動できるようにするために存在する。

 したがって、同じような作品しか作れなくなり、自分で自分の作品に飽きてきた場合は、認識の枠を変えなくてはならない。それには、無意識領域の再編成が必要となる。具体的手法としては、フロー体験、文芸作品の貪欲な吸収、旅などの新たな環境体験により、認識の枠を揺さぶる必要がある。新たな視点を得ることで、世界を見る「無意識領域のレンズ」が変わり、作品に変化が現れる。

 新たな「無意識領域のレンズ」を手に入れるための、最も手軽で簡便な方法は、カメラ屋に行き、欲しいレンズを手に入れることかもしれない。物理的に世界を見るレンズを変えれば、その体験は無意識領域に落とし込まれ、世界を見るための「無意識領域のレンズ」にも影響を与えることができるかもしれない。

 写真を志す人たちは、それを経験的に知っているため、そうしたロジックがなくても、無意識にカメラ屋でレンズを探しているのだろう。もはや夢遊病者のように。

 しかし、この方法は手軽で簡単であるだけに、得られる効果は限定的であり、深い変化をもたらすものではない。物理的なレンズを変えても、それだけでは根本的な認識の枠を大きく揺さぶることは難しい。だからこそ、認識の枠を変えるためには、内面の再編成が必要だと感じている。そしてそのためには、意識的な努力と深い内省が不可欠だと改めて思う。

 



2025年11月22日土曜日

フローへの助走

 本日も秋晴れだ。僕は部屋に丁寧に掃除機をかけ、布団を太陽の温もりをたっぷり吸って膨らむように陽光の下に広げる。今夜の心地よい眠りは、これで約束されたようなものだろう。

 布団を干している間、先日の美濃市で撮り切れなかったフィルムが入ったままのカメラを手に取り、中山道の湊町へ愛用の自転車に跨がり、静かに漕ぎ出した。

 先日訪れた美濃市もそうだが、近代化の波が押し寄せる以前のまち並みには、どこか時間の厚みが漂っている。旧街道の裏手には、過去への分岐点のような狭く、曲がりくねった道が張り巡らされ、そこには時間を遡ったかのような魅力的な被写体が潜んでいるのだ。

 自転車を漕ぎ始めて最初の10分ほどは、いつものことながら体が重い。まだ出発したばかりなのに、「もう引き返そうか」という億劫な気持ちに囚われそうになる。

 だが、その時間を越えると、次第に心身が動きに馴染み、ペダルを漕ぐことに一定のリズムが生まれる。その後は、意識と行為が融合し、まるで水が流れるようにフロー(Flow)の状態へと移行していく。移動と時間の経過が、内側で一つになっていくあの感覚だ。

 創作活動においても、このフローの状態に自分を置くことが、最良の結果を生む鍵だと僕は思っている。

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【フロー(Flow)】とは、心理学者のミハイ・チクセントミハイが提唱した概念で、僕らが特定の活動に完全に没頭し、時間の感覚さえ忘れてしまうほど夢中になっている心理状態を指す。フロー状態は、高い集中力と生産性をもたらすだけでなく、活動そのものから大きな充足感や幸福感を得ることができる。

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 フローに入るためには、あの自転車の漕ぎ始めと同様に、「億劫さ」という助走期間を乗り越える必要がある。このエンジンがかかるまでの一手間が、創作活動に取り掛かるのを妨げる最大の壁だ。

 フローに入るためにコーヒーを淹れたり、気分を上げる音楽を聴いたりしているうちに、結局その準備だけで終わってしまうことが多々ある。集中力を上げるために、音楽を聴き、ごく短時間、瞑想状態に身を置くことはフローに入るための準備としてはとても効果的ではあるが、そのまま眠ってしまうこともある。

 活動を始めても、即フローになるわけではない。フローに入るための条件がある。なぜなら、フローは、「何か他の目的」のためにあってはならないからだ。その活動に「縛り」があると、それは雑念となり、純粋な集中の妨げになる。

 撮影に出かけているのに、途中で急に仕事の電話がかかってきたりすると、その瞬間にフロー状態は継続困難となり解除されてしまう。暗室での作業においても、その行為が失敗を取り戻すための作業であったり、金銭的な目的や迫りくる納期といった「外部の動機」は妨げとなり、心の純度を失うことでフローには入りづらい。

 フローに入るための理想の形は、完成するかどうか自分でも分からない作品を試行錯誤できること。曖昧なままで手探りで向き合える環境こそ創作を深く支える。

 フロー状態に身を置くことは、充実感や幸福感に直結する。フロー状態は創作活動以外でももちろん入ることができる。スポーツ、読書、美術鑑賞、映画鑑賞、性行為など、多くの活動がフロー状態を経験できるものだ(音楽鑑賞のような受動的な行為はフローの準備には使えるが目的化はしにくい)。

 そして、脳は、繰り返し行われた思考や行動に対応して、特定の神経細胞間の結合を強化したり、新しい結合を作ったりする。ゆえに、幾多のフロー体験を重ねることは、単なる一時的な集中力の向上ではなく、脳の構造と機能を変化させ、「フローに素早く、深く入るための習慣的な脳内メカニズム」を築き上げる訓練となり、創作活動において大きなアドバンテージとなる。


 この日、僕は数ヶ月前にフィルムを装填したカメラから、ようやく撮影済みのフィルムを取り出すことができた。

 撮影中は、「フィルムが残っているから撮らなければ」という思いは全くない。ただ歩いて、光と影の気になるところを探し、見つかったら、露出とピントを合わせてシャッターを切る。ただそれだけの行為を、無心で何度か繰り返した。

 フィルムの残りがなくなると、「もう一本持って来れば良かったのに」という小さな後悔の念と共に、心地よかったフロー状態が解除された。


 短い秋の陽が、沈みきらないうちに帰宅して布団を取り入れよう。 今夜はふっくらと膨らんだ布団の中で眠る前に哲学書を読んで別のフローに入り込んでみよう。