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2026年9月3日木曜日

「絶滅写真」とスギモトノート


 東京国立近代美術館で開催されている杉本博司「絶滅写真」を7月に見てきた。

 ずっと以前(20年ほど前だと思う)、杉本氏についてよく知らなかった頃、どこかの美術館で「海景」の一点が展示されているのを見たことがあった。当時は「何もない海が写っているだけ」という感想しか抱けず、価値を見出せずにいた。しかし、「なんだこれは?」と覚えた確かな違和感と共に、杉本氏の名前は記憶の底に残り続けた。

 これまで杉本氏を自分の研究対象としてこなかったのは、写真家の枠に収まり切らない作家であったがゆえに、関心が向かなかったからなのだろう。


 近年になり美術史を学び始めると、現代美術を代表する日本人作家として再び杉本氏の名に出会った。写真技術を用いた現代美術とはどのようなものか――そう思い立ち、作品が掲載された著書や随筆を数冊手に取ってみた。

 そこにあったのは、圧倒的な知識の量だった。まさにリベラルアーツの宝庫のような頭脳を持つ作家だと感嘆した。現代美術への理解を深めると共に、杉本氏の作品はそうした知識や文脈(コンテキスト)の上に成り立っているのだと確信し、「海景」をはじめ、「劇場」「ジオラマ」「放電場」といったコンセプトを読み解いていった。


 杉本氏の作品は、単なる感情だけで鑑賞するものではない。深く対峙しようとするならば、鑑賞者にも相応の素養が要求される。文脈を知ってこそ真価を楽しめる作品なのだ。

 杉本氏が提示すること、そして考えていることは極めてシンプルである。しかし、それを実行に移すことがいかに困難であるかは容易に想像がつく。氏が制作プロセスをすべて公開し、「真似してもいい」と語りかけているのも、そうした自負の裏返しなのだろう。(当然、おいそれと真似できるはずもないのだが!)

 

 暗闇の展示室に浮かび上がる大判プリントを見つめていると、単なる「写真」を超えた何かを感じる。鑑賞しているうちに、ふと江戸川乱歩の小説『大暗室』が頭をよぎった。

 どこか不気味で退廃的な美しさ、そして「かつてそこに確かに存在したもの(あるいは巧妙に作られた虚構)」を凝視する冷徹な視線。像が結ばれる直前の「暗室」の闇そのものを思わせるその世界観は、杉本氏が意図しているかどうかは別として、僕にはその世界が江戸川乱歩の描く猟奇・怪奇の精神世界とどこかで響き合っているように感じられた。



 今回の上京の目的は、展示作品の鑑賞はもちろんのこと、同館3階の所蔵品ギャラリーに展示されている「スギモトノート(複製)」を確かめ、記録することだった。杉本氏が作品制作において重ねてきた試行錯誤の痕跡が、そこに綴られているはずだからだ。僕にとって必要となるページは、すべてカメラに収めてきた。


「やっぱり、ネガ現像液はD-23処方か。」


 あの「海景」の果てしない無限のグラデーションとシャドー部の粘りが、メトール単用の現像液から生み出されていたことは、以前随筆を読んで知っていた。

 この「D-23」現像液については、また別の機会に詳しく書くことにしたい。僕自身もD-23から派生した処方の現像液を愛用しているため、この薬剤とは実に長い付き合いになる。

 
杉本博司 著 「スギモトノート 銀塩写真技法」


 7月中旬、岩波書店から杉本博司著『スギモトノート 銀塩写真技法』が刊行された。 ノートに書かれた思考が随筆的に解き明かされている内容かと期待して手に取ったが、様相は少し違っていた。どちらかといえば、杉本作品の撮影現場や技術的な側面から当時を回想するような一冊であった。 それでも、一気に読み終えてしまったのは紛れもない事実である。

 二十年前、「何もない海」としか思えなかった一枚の写真が、いまになってこれほど多くのものを僕の中から引き出してくる。

 あのとき感じた「なんだこれは?」という違和感は、どうやら間違っていなかったらしい。

 作品を理解するとは、作品に知識を付け足すことではなく、過去の自分が感じていたものを後から別の言葉で発見することなのかもしれない。

2026年8月13日木曜日

写真展の片隅で考える平和

  


 岐阜市のギャラリー「pieni onni」で開催されている公募写真展「PEACE」に参加している。会期は8月16日(日)まで。

 この季節に「平和」へと思いを寄せると、先の大戦から戦後何年といった報道や各地での式典を目にする。誰もが戦争のない世の中を祈るが、世界のどこかでは常に紛争が続いており、戦争がなくなる気配はない。なぜなくならないのかを考え始めると長くなりそうなので、今日は考えないでおくことにする。

 「平和」という文字から連想されるのは、きっと「平らかな和」なのだろう。平穏で和やかな日々が続くなら、それは間違いなく誰にとっても心の中に平和が存在している状態だ。

 しかし人は生きているだけで、さまざまな試練に見舞われ、不安や心配事が絶えない。身体の健康と精神の平静を重んじるエピクロスの快楽主義を地で行くような生き方ができればいいのだが、人は自分本位だけでは生きられないため、それもなかなか難しい。 せめて、人生のところどころに現れる貴重な「平和」を満喫したいものだ。

 今回は公募展であり、個々の作品はそれぞれ独立しているものの、テーマが決まっているため会場全体がひとつのコレクティブアート作品のようにも感じられる。会期中は毎日懇談会が開催されており、作品を眺めたり言葉を交わしたりして過ごす時間は、まさに「平和」そのものである。

2026年8月5日水曜日

美の共通感覚と、表現者のジレンマ

 いくら端正込めて制作された芸術作品であっても、他社の目に晒さないと、自己満足で終わってしまう。

 このことは、すべての表現者が背負わなければならない、最も残酷で人間らしい「避けられない矛盾(ジレンマ)」なのだと思う。


 他者の評価から離れた、純粋な衝動から作品は生まれるはずなのだが、現実の人間は、仙人のように霞を食べて、永遠に孤独な湖畔で生きていくことはできない。


 なぜ、「自己満足」では生きられないのか。なぜ「誰かに見てもらいたい」と願ってしまうのか。

 それは決して、承認欲求や名誉欲等のみではなく、「アートの本質」に組み込まれた、もう一つの避けられない真理がある。


 もし本当に自己満足だけでよいのなら、ただ目に焼き付けて、胸にしまっておけばいい。一瞬を惜しむように撮影する必要も暗室の闇で作業する必要も、公募展に応募する必要も、エッセイに書き起こす必要もない。

 それでも奇跡のような光景を、自分の中だけで終わらせてはいけない。誰かに伝えなければならない」という、もう一つの強烈な衝動がある。

 

 哲学者カントは、判断力批判の中で、実用性や理屈とは遠いところにあるという意味として「美は無関心である」と言った後に、「共通感覚」について述べている。

 それは、「美しいと感じたとき、人は無意識のうちに『他人も同じように美しいと感じるはずだ(感じてほしい)』と要求する」という性である。


 自分のこの孤独な感覚は、決して独りよがりではなく、他の人間たちとも繋がっているはずだと確認したくてたまらなくなる生き物が人間なのだろう。

 「認められたい」という願いの根源は、名声ではなく、「魂が見ている世界は、他者と繋がっている」という深い安心感(連帯)への渇望である。

 しかし、ここで悲劇が起こる。

 純粋な求めは「魂の震え(共通感覚)への共鳴」なのに、現実の社会(公募展や市場)が用意しているのは、「審査基準」や「価格」といった「冷酷なシステムの物差し(具象化)」だからである。


 「自分が目の当たりにした奇跡の光(魂)が、冷たい社会の秤にかけられ、点数や価格という記号に還元されてしまうことへの違和感」


 「それでも、たった一人でもいいから、あの光の美しさをわかってくれる『誰か』に出会いたいという祈り」


 この2項が、激しく綱引きをしている。

 しかし、この対極にある2つの世界を、作品を抱えて、傷つきながら何度も往復する闘いの中にいる姿こそが、人間らしいのだ。


 自己満足の安全な場所に引きこもらず、傷つく(否定される)かもしれない恐怖を抱えながら、それでも「私が見た光」を社会へと差し出す勇気がアートを生み出し続ける理由そのものなのである。

 それゆえ、「無関心」であり「共通感覚」から発露した美は極めて純度が高い。そこに承認欲、名誉欲、金銭欲が絡んだとしてもだ。

 しかし、それゆえ、承認欲、名誉欲、金銭欲が見え過ぎる作品は薄汚く見えてしまう。

2026年7月29日水曜日

月光のフェルマータ~確定した現実の存在と不在~

EOS Kiss X3 EF-S 18-55mm F3.5-5.6IS

 先週、公募展の審査が終わった。その結果は今週、僕の手元に届くはずだ。期待か、それとも失意か。どちらにしても、僕は否応なく「確定した現実」に着地することになる。 宙ぶらりんなこの時間は、可能性がまだ閉じられていない時間でもある。

「いっそ、永久に結果など届かなければいい」

 ――そんな拍子抜けな願いが口をつくのは、丹精込めて生み出したものを現実の秤にかけたくないという密かな防衛本能なのだろう。

 

 答えの出ない思いを抱えたまま、暮れなずむ国道を琵琶湖の西岸へと走らせた。 三脚を据え、大判カメラにレンズを装着する。グラウンドグラスの暗がりの中で構図を確かめると、日没まではあと三十分ほどだった。南東の空には、まだ頼りなげな月がぽつりと浮かんでいる。

 浜辺に腰を下ろし、静かに暮れゆく湖面を眺めながらささやかな夕食をとる。ただ目の前にある光と水、刻一刻と移ろう時間だけに身を委ねていると、胸のざわめきをゆっくりと解きほぐしてくれる。

 

 日没直後、まだ周囲にうっすらと残光が漂う中、最初の一枚のために十五分間の露光を開始する。シャッターを開け、一息ついてふと南東の湖面に目をやった。 まばゆい光が、波間に眩しく揺れている。車のヘッドライトか、対岸の街灯りでも映り込んでいるのだろうか。

 だが、目を凝らしてよく見れば、それはほかでもない、月光だった。

  「この光を撮りたい」

 ――激しい衝動が胸を突く。 しかし、大判カメラは今まさに露光の真っ最中だ。ほかにカメラは……そうだ、車の中に古いキスデジ(小型デジタル一眼)を積んでいたはずだ。迷っている時間はない。急いでスペアの三脚にキスデジを据え、頭に固定したヘッドランプの細い光で足元を照らし、暗闇の岸辺を走り出した。猶予は大判カメラを露光している十五分しかない。

 息を切らして辿り着いた水際で、僕は言葉を失った。 天上から降り注ぐ月光が湖水と溶け合う瞬間、波の一粒一粒が四方八方へと銀色の光を打ち返している。そこには、目も眩むような光の絨毯が揺らめいていた。

 はやる心を抑えながら三脚を立てる。マニュアルモードに切り替え、ISOは100、絞りはF8、シャッタースピードはバルブに。レリーズ(遠隔シャッター)など用意しているはずもない。

 キスデジでこんな奇跡のような夜を撮ることなど想定していなかったのだ。意を決し、指先で直接シャッターボタンを押し込む。 露光時間を感覚で変えながら夢中で数枚を撮影すると、再び暗がりを走り抜け、大判カメラのもとへと戻った。滑り込みでシャッターを閉じ、フィルムを巻き上げる。

 

 次の一枚は三十分露光だ。少しの余裕ができた僕は、再び三脚を抱えて先ほどの浜辺へと向かった。 けれど――あの銀の絨毯は、もうどこにもなかった。 ほんの数分前まであれほどまばゆく輝いていた光は嘘のように消え去り、静けさだけが広がっている。琵琶湖は広い。  

  あの瞬間の光の奇跡を目撃したのは、きっと世界で僕ひとりだけだったのだろう。僕が見なかったとしたら、あの光景は「確定した現実」として存在しない。

 沖合へと引き退いた月光は今、遠くの湖面をただ静かに、一筋のスポットライトのように照らし続けていた。

 

2026年7月26日日曜日

生ものな作品

 写真を紙に焼き付ける。そこに宿った像をどう愛でるかによって、その作品の軌跡は形を変えていく。

 僕にとって紙焼きの目的は、自分のための「時を超える標本」を作ることだ。手に馴染む四つ切ほどの大きさが心地いい。暗室でバライタ印画紙に銀の粒子を浮かび上がらせ、硫化調色を施す。そうして出来上がった一枚は、幾年月にも耐えうる作品となる。

 もし幸運な機会が訪れ、その写真を展示という名の旅をさせる日が来たのなら、 無酸性の三角コーナーでマットに添え、額の裏板で優しく圧をかけてやる。それだけで、波打っていた紙は息を整え、平らな表情を見せてくれる。展示という短い旅が終われば、またアルバムの静かな闇へと還せばいい。

 少なくとも僕は、その旅の準備で裏打ちはしたくない。ドライマウントでマットボードに強く圧着されたプリントは、もう旅立つ前の姿には戻れない。半永久の時を望むのであれば、余計な手は加えず、ただそのまま置いておくのが一番なのだ。


──そうは言っても、ただ一過性の展示だけを目的に大全紙を使わなくてはならない時もある。

 作品内容によっては額を使えず、パネルやマットへ固定するために糊やテープを使い、印画紙にどうしても負担をかけてしまう。大全紙という大きさは、僕が手元で静かに愛でるには少し大袈裟すぎるのだ。

 どれほど精魂を傾け、その一瞬に命を吹き込んだとしても、僕にとってそれは展示を終えれば役目を果たす「短命な花」に過ぎない。

 消耗品、と呼ぶのは少し寂しい。 そう、あれはまるで「生もの」なのだ。展示室の眩い光の中にいる間だけその命を咲かせ、楽しむためのもの。過ぎ去ったあとは、記憶の中の残像だけが静かに揺らめいている。

2026年7月20日月曜日

光と物質のマリアージュ

 

 
 電磁波の全帯域の中で、人が見ることのできる領域はほんのわずかだ。太陽は可視光線領域の電磁波を多く放出しているため、人は太陽光に合わせた目を持つように進化してきたのだろう。
 もし、すべての波長を見ることができたのなら、世界は眩しすぎる。

 太陽から放たれた光子が、フィルムの乳剤中に存在するハロゲン化銀に当たると光子は消滅する。ハロゲンが電子を手放し、銀イオンがそれを受け取ることで、金属銀の微粒子(潜像核)が生まれる。この段階の金属銀は「潜像」と呼ばれ、きわめて頼りないものにすぎない。しかし、これを現像液に浸すことにより、潜像という「種」が何百万倍、何千万倍ものスケールですさまじく増殖し、目に見える像が現出する。だからこそ、これを「現像」と呼ぶのだろう。

 電磁波のエネルギーは、波長が長いほど弱く、短いほど強い。この関係性を見ると、紫外線のエネルギーの強さは凄まじい。肌に当てるのを避けたくなるのも道理だ。

 そのエネルギーの強弱は、撮影用フィルムの歴史にもそのまま当てはまる。ハロゲン化銀単独の乳剤は、青色より短い波長の光にしか感光しない。つまり、青空は真っ白に写り、それ以外の暖色系の景色は沈んで黒くなってしまう。現在ではそのようなレギュラー乳剤のフィルムは市販されていない。

 それでは視覚的な再現性に乏しいため、乳剤に感色性染料を加えることで、緑色領域まで感度を広げた「オルソクロマチック・フィルム」が登場した。このフィルムは、赤色という長い波長には感光しない。だがその性質ゆえに、暗室で赤いセーフライトをつけて作業ができるという大きな利点がある。実際、暗室で扱うモノクロ印画紙(ゼラチンシルバープリント用)の多くは、現在でもこのオルソクロマチックに近い(赤色非感光性の)乳剤を使用している。

 その後、さらに色素の改良が進み、すべての可視光に感光する「パンクロマチック」が登場し、これがモノクロフィルムの主流となった。一方で「赤外線フィルム」は、パンクロマチックよりもさらに波長の長い、人間の目には見えない赤外線領域にまで感度を広げたものだ。

 ただ、パンクロマチックが全可視光に感光すると言っても、すべての色に均一な感度を持つわけではない。やはりエネルギーの強い、短い波長の光(青や紫)に対してより過敏に反応してしまう。そのため、そのまま撮影すると青空は目視よりも白っぽく写り、雲とのコントラストが失われてしまう。そこで、レンズの前にイエローフィルターを装着し、青色近辺の短い波長を適度にカットしてやる。そうすることで、青空を「見た目の印象」に近い、落ち着いたトーンで引き締めることができるのだ。

 
 もし太陽光の放出スペクトルが、まったく異なる帯域だったとしたら、私たちはこれほど豊かな光景を見ることも、記録することもできなかっただろう。
 人間の目が「光」として感じている波長と、ハロゲン化銀という物質が「エネルギー」として受け取り、その姿を変える波長が、ほぼ重なり合っている。この精妙なキャッチボール。

 そう考えると、暗室の赤い光の下、現像液の中で印画紙の上に静かに像が浮かび上がってくるあの瞬間は、単なる化学変化を超えて、この宇宙の「光」と「物質」の調和(マリアージュ)を目の当たりにしているような、そんな敬虔な気持ちにさえさせてくれる。

2026年7月14日火曜日

展示とは、自分の到達点を問う場である

 


​ 展示や公募展は、「完成された最高傑作」のみを見せる場所ではない。

 そもそも、それが本当に最高傑作なのか、あるいは完成品なのかは、誰にも分からない。時間が経過して見返したとき、当時はまだ見えていなかったことに気づく場合があるからだ。

 もしその気づきがなければ、表現者としての歩みはそこで終わってしまう。仮に絶対的な到達点というものがあるとして、そこに達してしまったら、次はどこへ行けばいいというのか。したがって、「完成」という状態は非常に曖昧なものだ。

 ​作品は時間の中で変化する。それは作品そのものが変質するのではなく、作者の「認識」が変わるからである。

 そう考えると、展示とは「私は今、ここまで来ました」という報告に近い。

 登山に例えるなら、山頂に立った証明ではなく、現在地の無線連絡のようなものだ。

 十年後に見返すと、「構図が甘かった」と思うかもしれない。あるいは、「もう、あんな気持ちで、撮ることは出来なくなった」と、もう既にいなくなった過去の自分の喪失を感じるのかもしれない。

 それは、今の僕には分からない。なぜなら、十年後の僕はまだここにいないのだから。「これで完成なのか?」という問いに、あらかじめ用意された答えなどない。

​ 展示において、どんなカメラやレンズを使ったか、どんな技術で作ったか、ということはさほど重要ではない。お金で買える機材や既成の知識は、その人固有のものではないからだ。

 そんなものを誇示するよりも、「僕が世界をどう見ているか」がそこに写り込んでいることの方が、遥かに肝要である。

​ 展示する意味とは、その問いを他人の前に差し出すことにある。

「僕は今、世界をこう見ています」

 そう差し出されたものに対して、見る人は賛同するかもしれないし、何も感じないかもしれない。あるいは、まったく別の解釈をするかもしれない。

 それでも展示は成立する。​ 逆に、「完成してから発表しよう」という思い込みは危険極まりない。なぜなら、本当に完成したと思える日など、生涯ほとんど来ないからである。

 世界を眺めていると、問いはとめどもなく湧き上がる。


 木を見れば時間を考え、

 暗室の薬剤を見れば物質を考え、

 月を見れば露光時間を考える。


 探求とは、どこかにある完成形に到達することではなく、問いを深め続けるプロセスそのものなのだ。

 ​展示作品が、単なる偶然の一枚ではなく、僕が長く考えてきた問いの「途中経過」として、自分らしさと意味を持ったものであれば、それでいい。

2026年6月16日火曜日

八重の曲線

 

 

 八重咲きのユリをいただいたので、いつもの粉引の一輪挿しに挿して撮影した。このシリーズで使うレンズは、ニッコールW210mm F5.6に決めている。絞りはいつもF8前後。画角と被写体までの距離、そしてボケの量が、いまの自分にはちょうどいい。 カメラは、その時の気分でタチハラかリンホフを選ぶ。

 改めて考えてみると、「気分」とは何なのだろうか。 理由はいくつも挙げられる。前回はリンホフだったから今日はタチハラにしよう、といった単純な反復もあれば、操作そのものを楽しみたいからリンホフを選ぶこともある。木の軽さや手触り、あるいは金属の冷たさや油の匂いに惹かれることもあるだろう。 だが、そうして並べた理由は、どれも決め手にはならない。むしろ、それらが重なり合い、わずかに揺らぎながら、その時の選択をかたちづくっている。

 論理では説明しきれないが、決して偶然でもない。体調や光の具合、直前まで見ていた風景や記憶の断片——そうしたものが身体のどこかに沈殿し、その総体として現れてくるもの。それを、ひとまず「気分」と呼んでいるのかもしれない。いつだって、論理に先立つ「気分」という情調の中で、すでに世界に投げ込まれ、道具と向き合っているのだろう。

 今日、選んだのはリンホフだった。八重咲きの柔らかな曲線と、油の匂いを帯びた冷たい金属。それらが、今の自分の内側に静かに噛み合った。 粉引の白とユリの白が溶け合うファインダーの中で、カメラはもはや観察すべき客体ではなく、ハイデガーが言ったように身体の一部——「手近存在」として世界に溶け込んでいく。カメラを操作する指先の微細な振動だけが、僕と世界を繋ぐ確かな手応えのように感じられた。 

2026年6月4日木曜日

開拓者の木

 


 琵琶湖の湖岸には、アカメヤナギが群生している。

​ 水中から生えている木の大半は、このアカメヤナギではないだろうか。成長が早く、生命力が強いこの木は、他の植物に先駆けていち早く根付き、森林形成の第一歩を担う「先駆植物(パイオニア植物)」である。

​ 開拓者であるがゆえに、この木には試練が待ち受けている。嵐、雪、雷、虫害、波。それらの災厄に耐え切れず、倒れてしまう木もある。しかし、倒れてもなお、生を諦めることはない。倒れたまま、別の方向に枝や根を伸ばし、成長し続けていく。

​ 20年ほど前だろうか。湖岸で撮影しているうちに、沖に浮かぶように生えている開拓者たちを、間近で見たいと思い始めた。まさか泳いでいくわけにもいかず、水上を散歩できる乗り物を探すなかで、カヤックに行き着いた。それから10年ほどは、琵琶湖の湖岸を漕いで回った。

  その間、フィルムカメラを持っていた手は、パドルを握る手に変わっていた。

​ 「事物をよくみる」という行為を実現するための道具が、カメラからカヤックに移った時期だった。

​ 水中から生えているように見える木の根元は、水深こそ浅いが、常に水に浸かっているため地中深くに根を伸ばさず地表に沿っている。それゆえ、波で周囲の土を洗われ、強風が吹き付けると、倒れやすいのだろう。

 カヤックを降りて、開拓者の周りを歩いてみると、その見かけ上の島は根だけで形成されているようで、ふわふわとして、まことに踏み応えがない。

​ ただそれだけを確認するために、湖岸を嘗めるように漕ぎまわった。

​ 今は再び、カメラを使い、湖岸から遠くの開拓者たちをみている。やっていることは、元に戻ったわけだ。しかし、開拓者に触れ、認識の枠を強く揺さぶられた僕は、もう以前のままではない。



2026年5月31日日曜日

満月のプレリュード

  完全に陽が落ちた満月の夜、湖面を撮影する場合、露光時間はどうなるのだろうか。

  露出値の基準をISO100で「-EV2(F8、4分)」と想定してみる。しかし、使用するフィルム特有の相反則不軌特性を考慮しなければならない。


フォマパン200の場合

  


 データシートによると、露光時間が100秒を超えるときには、露光時間を18倍に引き伸ばさなければならない。

 4分の露光では補正後の露光時間はおよそ70分程度になる。しかし、一律で18倍というわけでもないだろうし、実際に撮影に臨むとなれば、F8で1時間、F11なら2時間くらいで、撮影することになりそうだ。



ケントメアパン200の場合



 こちらはフォマパン200に比べると、相反則不軌特性がいくぶん穏やかである。

 この数式は、指数になっている。計算上はF8で16分、F16なら95分となる。ただ、ケントメアパン200はコントラストが高くなりやすいという特徴を持つ。ハイライトの繊細な階調を硬くさせずに残すため、あえて少し切り詰め、F16で50分の露光とするのが現実的かもしれない。


 撮影フォーマットについても思案が要る。 フォマパン200はブローニーから大判の4×5まで揃うが、ケントメアパン200には4×5のラインナップがない。そのため、後者を選ぶならブローニーを使うことになる。手元には6×9のロールフィルムホルダーがあるが、今回は4×5に近いアスペクト比を持つ6×7で、あの静寂な広がりを切り取ってみたい。

 本番は、夏の終わりか、あるいは秋の初め頃の満月の夜。 夕暮れ時の湖面に三脚を立て、夜の帳が静かに落ちてくるのを待つのだ。長く開け放たれたシャッターの傍らで、お湯を沸かしてコーヒーを淹れる――そんな贅沢な時間が、今から少し待ち遠しい。


 この撮影は、不確定要素のオンパレードだ。実際のEV値、月の高度、大気の透明度、湖面の状態、相反則不軌の個体差や現像条件、引き伸ばし時に欲しいネガ濃度。

 これらを事前に完全には予測することは出来ない。今の段階で自分にできることと言えば「失敗を減らす」ことだけで、「最初から正解を知る」ことは難しい。


「仮説を立てる → 撮る → 現像する → 初めて結果を知る」

という時間のかかる営みである。

 その意味では、今回の撮影は写真を撮るだけでなく、満月の湖面という被写体について学ぶための最初の実験とも言える。

 そして意外と、最初のネガが技術的には失敗でも、その失敗から得た情報が二回目、三回目の撮影で大きく効いてくるだろう。

 「一枚の成功作を狙う」というより、「満月の湖面というテーマを数年かけて探究する」方向に進むのもいい。

 計算上の露光値が、現像後に失敗であると判明しても、そんな時間を過ごした記憶だけは、静かに刻まれるのだろう。

 

 四分の露光が一時間へと引き伸ばされる。

 もちろん実際に引き伸ばされているのは時間ではなく、フィルムの感度特性なのだが、露出計の示す数字と現実の露光時間との間には、大きな隔たりが生まれる。

 宇宙を旅する光もまた、長い時間の中でその姿を変える。宇宙誕生の頃に放たれた光は、空間の膨張によって波長を引き伸ばされ、現在では宇宙マイクロ波背景放射として観測されている。

 満月の湖面を写そうと計算していると、ときどき写真という技術が、光だけでなく時間そのものを扱う装置であるように思えてくる。

 もしフィルムがマイクロ波にも感光したなら、夜空は肉眼で見るよりもずっと賑やかで、眩しい場所として記録されるのかもしれない。

 しかし、目に見えないその眩しさを遮るように、夜の湖面はただ静かに、満月の光だけを気紛れに返すだろう。


 ――そんなわけで、リンホフのスーパーローレックス 45/67 を探そうかな。物欲のプレリュード。

2026年5月27日水曜日

パトローネの猫

 


 
 琵琶湖の西側へ久しぶりに行こうと思い、バイクのトランクにニコンNew FM2とレンズ3本、フィルム2本、SCフィルターを積んで出かけた。
 岐阜に住んでいると、琵琶湖の東側は行きやすいのだが、西側は距離があるので、どうしても足が遠のいていた。
 数年ぶりに来てみると、湖岸の草木の繁茂や造成工事によって景色が変わっている。冬になったら大判カメラを持って撮りたいと思う場所を何か所か発見したので、メモしておいた。

 今日の旅の友にNew FM2を選んだのには、ちょっとした理由がある。

 少し前にニコンFGで撮影していたところ、36枚を超えてもまだ巻き上がった。もしかしたら、フィルムローダーでフィルムを巻くときに少し長めに巻いたのかなと思い、そのまま撮っていたら、38枚、39枚と巻き上がっていく。
 ここまで来ると、さすがにカメラ内部で何か異変が起こっていることに気づく。

 予想される事象としては、フィルム装填を失敗して1枚も撮影できていないか、もしくは、途中でフィルムが切れて巻き上げスプールに溜まっているか。

 おそらく後者であろうと当たりをつけ、暗室で裏蓋を開けたが、その予想は外れ、パトローネ室内に完全に巻き取られたフィルムがあるだけだった。
 果たして、このフィルムは未露光なのか、それとも露光済みなのか?

 次の取るべき行動は、露光済みであると判断して現像するか、もしくは、未露光であると判断してベロを引き出し、再び撮影するか……。

 前者の予想が裏切られた場合、何も写っていない素抜けのネガが出来上がる。後者の場合は、コマ間が不ぞろいの多重露光、かつ露光過多のネガが出来上がる。

 まるで、「シュレーディンガーの猫」のように、現像して確認するまでパトローネの中の世界は確定しないのだ。


 僕は、後者を選んだ。
 なぜなら、素抜けのネガはただの失敗だが、そこに光の記録が存在している限りは、やりようがあるかもしれないからだ。

 今回のトラブルはFGに問題があったわけではない。僕の操作ミスによるものだ。それは分かってはいるのだが、今回は心理的にFGから気持ちが遠のいた。
 そんなわけで、New FM2に久しぶりに電池を入れて、FGから取り出したフィルムを装填した。今回は、念入りにだ。

 このNew FM2というカメラ、かなり付き合いの長い知り合いとカメラ交換をして僕の手元にやってきた。彼はモデル末期のものを新品で購入していたので、素性の知れた、信頼できる機体である。

 そうでなくとも、このNew FM2は機械式一眼レフカメラの終着点とも言うべき存在で、ケチの付けようがないカメラである。敢えて言うならば、コストダウンのためにシャッタースピードダイヤルの表示などが刻印ではなくプリントになっていることくらいかな。ファインダーは明るくとても見やすい。マニュアルでピントを合わせないといけないので、スクリーンの出来はとても重要だ。ペンタックスSPはカメラの作りはいいが、古い機種であるためスクリーンは暗い。

 もともとニコンのFEシリーズは、どれも使いやすく説明書いらずのUIであるが、その中でもこのNew FM2は「ザ・スタンダード機械式制御一眼レフ」なのである。それ故か、中古市場でも驚くほど安定している。

 生涯、手元に置いておきたい信頼のできるカメラだ。唯一の心配事は、露出計かな。

そんなことを思いながらNew FM2を首から提げ、「露光済みかもしれないフィルムで撮影している」という一抹の不安を抱えながら湖畔を歩く。ようやくそのフィルムの撮影を終えると、次の、正真正銘の未露光フィルムを装填した。
 
 撮影が終わるころには、トンビが鳴きながら旋回し、鵜が編隊を組んで飛んでいる空が、徐々に夜の気配を帯びてくる。

 帰り道、バイクを操作しながら、もう一度思う。FGに問題があるわけではない。あくまでも僕の操作ミス。そして確認ミス。


2026年5月17日日曜日

尾形光琳の銀

尾形光琳 紅白梅図屏風

 
 日本史や美術史を紐解くと必ず出てくる、尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」。
  着目すべきは、中央の妖しくうねった黒い川である。今まで、この黒が何に由来するものなのか、深く考えたことはなかった。 
  
 何か自分の写真表現で参考になることはないかと、日本画の技法書を読んでいるうちに、ある記述に強い興味を覚えた。

 


 この黒い川は、銀箔を硫化させて作り出した黒だという。そして、若干の紫色を帯びていることから、微量のセレニウムの存在が指摘されている。
 これは、僕が暗室でバライタ印画紙を硫化調色、あるいはセレニウム調色しているのと同じプロセスではないか。まさかこんなところで、自分と光琳が接続するとは思ってもみなかった。

 なぜ、化学的に安定した墨ではなく、あえて不安定な銀を光琳は使ったのだろうか。

 墨にはない、硬質な金属光沢を求めたのか。
 背景が金であるため、川の表現にも貴金属である銀を使いたかったのか。
 あるいは、不安定な物質だからこそ、生き物のように変化し、完成していく「時間」を計算に入れたのだろうか。

 暗室で印画紙を現像液に浸したとき、最初に浮かび上がる黒はまだ浅い。それが定着や調色(硫肝・セレン)のプロセスを経て、ようやく「これだ」という独自の重みを持った黒へと完成していく。

 光琳が求めたのも、おそらくその「化学変化の先にある黒」だったのではないだろうか。
 もし彼がただ「黒い線」を引きたいだけなら、迷わず墨を使ったはずだ。しかし彼が描きたかったのは、流れる水であり、うごめく自然のエネルギーであった。そのためには、光を吸い込む墨ではなく、光と遊び、時とともに変化し続ける「銀の黒」でなければならなかったのだろう。

 川は、変化し続けるものだから。

2026年5月6日水曜日

原点回帰のその先へ



 市販の硫肝(ポリ硫化カリウム)が入手困難になってから、印画紙の調色処理はここ一年、僕にとっての大きな課題であった。国内で取り扱う事業者は既になく、海外のECサイトから調合済みの調色液を取り寄せてみたものの、その仕上がりは満足のいくものではなかった。

 昨冬の終わり、硫黄と炭酸カリウムによって硫肝を合成できると知り、自作に踏み切った。試行錯誤の結果、それが実用に足るものであることを確認できた。しかし、肝心の使用液の濃度、アルカリ強度、処理温度、そして処理時間。これらの最適なバランスを導き出すには、さらなる時間を要した。幾度ものテストを重ね、昨夜、ようやく納得のいくパラメーターを探り当てることができた。

 これでやっと、一年前の状態に戻れたのだ。しかし、失ったものを取り戻す過程で得られた知識や経験は、あまりに大きかった。これは単なる原点回帰ではない。

 かつてのように市販品を使い、教科書通りに処理していただけの自分はもうここにはいない。自らの手で理を解き、答えを導き出した「今の僕」が、確かにここにいる。

 調色を終え、水洗中のバライタ印画紙を攪拌しながら、現れた見事な濃茶の輝きに、そんな確信を得ていた。


2026年5月5日火曜日

三年目のシャクヤク

 


 職場の同僚から、今年も芍薬(しゃくやく)をいただいた。今年で3年目になる。

 1年目は、その存在感に視覚・嗅覚ともに圧倒された。蕾から散るまでの位相的遷移を日々観察し、撮影もしたが、花弁の華やかさに意識を奪われ、自分らしい写真は撮れずに終わった。だが、大量の花弁が一気に崩れ落ちる散り際と、その柔らかで冷たい手触りだけは、強烈な印象として残った。

 2年目は、花がどう変化するかを経験済みであったため、心に余裕を持って迎えることができた。しかし、花を見る「形而上のレンズ」が前年と同じままでは、新たな発見には至らない。開花中に数カット撮影したが、手応えはなかった。 それでも、角度や光線を変えて試行錯誤していた刹那、花弁がハラハラと落ちた。その瞬間、前年の記憶が鮮烈に蘇った。僕は急いで、かろうじて残った花弁と、散った花弁をフレームに収めた。それは、僕の中のレンズが切り替わった瞬間でもあった。

 3年目の今年は、開花した花と蕾のトーンバランス、そして茎や葉の形状に着目して撮影計画を立てた。蕾の状態でいただいてから、大きめの花瓶に挿し、毎日水を替えてその時を待った。昨日の夕方から蕾が綻び始め、深夜には五分咲きの状態になった。 「一輪が咲き、かつ二輪目は開花直前」という状態を、早朝か夕方の柔らかな光で撮らねばならない。チャンスは翌朝しかなかった。

 当日、早起きして開花状況が最適であることを確認し、剪定鋏(せんていばさみ)を手にした。花の形に合わせた即興の剪定だ。その間にも開花は刻一刻と進んでいく。 移ろう朝の光に合わせ、幾度も花や蕾の配置を整え直しながら、2時間で7枚ほどを撮影した。

 三度目の芍薬は、いまも大輪の花を咲かせている。僕の意識の中においても。

2026年5月3日日曜日

イメージかモノか

 高島 直之 著 「イメージか モノか: 日本現代美術のアポリア」


 この本の内容は、僕にとって少し難解なものだった。しかし、いつものことながら、分からないものにこそ、わずかでも関わろうとする姿勢が必要だと思う。未知の領域には、自身の価値観を揺さぶる何かが潜んでいる可能性が高いからだ。一読してすぐに理解できるような内容では、真の意味で新しい視点を得ることはできない。


 この本は、現代美術全般を対象にしているが、その多くのページが写真関連に割かれていた。写真は、シャッターを押した瞬間、撮り手の意図を超えてあらゆるものを写し取ってしまう。イメージを見るとは、単なる記号の「解読」ではない。それは「人間と事物を結びつける場を感得すること」に他ならない。鑑賞者は写真を見る際、そこに写るイメージを見ているのであって、写真という物質的な媒体そのものを見ているわけではないからだ。ただし、印画紙の表面の質感は、作品性に確かに影響を与える。


 写真家・中平卓馬は、自身の写真実践が権力側の私有するイメージに回収されることを拒絶した。彼は著書『なぜ、植物図鑑か』において、情緒的な物語性を排除し、物事をあるがままに即物的に捉えることを目指した。それは、彼が思想的闘争の時代を生きたという背景も、大きく影響しているのだろう。


 ロラン・バルトが「作者の死」で説いたように、作品は完成した瞬間に作者の手を離れ、その解釈は鑑賞者に委ねられる。僕が1990年代に写真教室に通っていた頃、講師はよく「この作品からは作者の思いが伝わらない」と批評していた。しかし現在では、そうした評価軸は徐々に過去のものになりつつあるように思う。鑑賞において「作者の思い」は副次的なものであり、どう受け止めるかは鑑賞者の自由に委ねられているのだ。


 中平氏が、意図しない恣意的な解釈を拒み、事物をあるがままに伝えようとした背景には、こうした「解釈の暴走」への抵抗があったのかもしれない。その思想は、美術動向である「もの派」とも共通点がある。目の前の現実を、解釈を挟まずに像として定着させることは、写真という装置の本質的な特徴でもある。

 もの派は空間に対象を配置することで「物質の存在」を際立たせ、写真は四角い枠に収めることで「事物の存在」を際立たせる。


 しかし、写真は多くの場合、やはり「イメージ」として享受されるものであり、「ものそのもの」を直接鑑賞する媒体ではない。それゆえに、写り込んだ事物の「概念」が鑑賞者の脳内に飛び込み、自動的な解釈を誘発してしまう。

 写真に写るのは現実であり、観念ではない。しかし、写り込んでいる事物から想起される「人の思い」は、確かに存在すると信じたい。そして、僕はずっとそんな写真に取り組んできたつもりだ。


 でも、最近、こうした著書を読み繋ぐにつれ、別方向の興味も顔を出してきた。果たして写真によって、「ものそのもの」に限りなく近似した表現を生み出すことは可能なのだろうか。

 この問いに、時間をかけて向き合っていきたいと思う。

2026年4月23日木曜日

揺らぎの湖面

 


 湖畔の樹々が、新緑の兆しをそっと告げている。葉は枝の先からほどけるように芽吹き、日ごとにその姿を変えていく。
 
 夕刻、湖畔に三脚を据え、十五分の露光のあいだ、ただ立ち尽くしていると、樹々の向こうで湖面が光り、揺らいでいた。
 
 湖面を見ていると、世界のはじまりもまた、このような揺らぎに満ちていたのではないかと思えてくる。
 一枚の布がたわむように、何かが満ち、かすかに波打つ。そのわずかな偏りが、かたちを呼び寄せ、また打ち消し合いながら、やがて残るものと消えるものを分けていったのかもしれない。
 そうして残されたものが、星や大地の姿を結んでいったのだろう。
 いまここに在るということは、どこかで在らなかったことと隣り合っている。
  
 長い露光のあいだ、そんな取り留めのない思いに身をゆだねていると、魚の跳ねる音がして我にかえる。
  
 陽が傾き、入り江の奥へと目を向ける。岩礁を写そうと、湖岸を北へ歩いた。
 水際の、波が届かぬあたりに、何かが横たわっている。はじめは小さな毛布かと思ったが、近づけば、それは小動物の骸だった。原形は失われ、砂礫に半ば埋もれている。何であったのかは分からない。ただ、猿ほどの大きさに見えた。
 それは、ここに在った時間を終えたのだろうか。

 そのすぐ傍らに、親指ほどの小さな木が芽を出していた。あまりにか細い姿なのに、軽く引いてもびくともしない。見えないところで、確かに根を張っている。
 この芽がどこまで伸びるのかは分からない。ただ、いまはまだ、ここにとどまり、揺らぎの中で確かに息づいている。

 僕は撮影を繰り返し、やがて、シャッターを静かに閉じる。
 
 十五分という時間のあいだに、光は幾度も揺れ、その都度、かたちを変えていたはずだ。 その連なりが、フィルムの上に、ひとつの像として沈んでいく。
 
 あの湖面の揺らぎも、すべては消えたのではなく、かたちを変えてそこに在る。
 

2026年4月21日火曜日

亜硫酸ソーダと心の処方箋

 

 僕が長年にわたって使い続けているフィルム用現像液には、無水亜硫酸ソーダがたっぷりと含まれている。1リットルの現像液に対して100グラム。成分の一割が、無水亜硫酸ソーダだと考えると、その存在感は決して小さくない。


 無水亜硫酸ソーダは、工業用や食品用としても使われている、穏やかな性質のアルカリ剤である。現像という化学反応は、アルカリが強いほど進みやすい。


 現像液の中での無水亜硫酸ソーダの役割は、本来、酸化を防ぐための保恒剤である。しかしそれだけではなく、像を現すに足る程度のアルカリ性も併せ持っている。だからこそ、現像主薬と無水亜硫酸ソーダさえあれば、最も簡素な現像液を作ることができる。


 ここまでが、無水亜硫酸ソーダの基本的な役割である。だが、僕がこの成分を含む現像液を使い続けている理由は、むしろ写真表現の側にある。無水亜硫酸ソーダには、像を微粒子化するという特質がある。


 金属銀の粒子の周囲がわずかに溶かされ、その溶かされた微細な銀が、近くの粒子へと移動し、再び結びつく。粒子は整えられ、角が取れ、丸みを帯びる。その結果、諧調のつながりは滑らかになる。


 もっとも、この効果は、諧調表現に大きな利点をもたらす一方で、シャープネスが甘く、柔らかすぎる調子のネガになるという側面も併せ持っている。


 そこで、現像主薬はあえてメトール単用とする。コントラストの境界部分において、現像主薬の疲労と進行の差を利用し、輪郭にわずかな緊張感を与えるためだ。

 もし、メトールに還元作用があるハイドロキノンを加えれば、主薬は疲労しにくくなり、この効果は得られにくくなる。

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 かつてフィルムメーカーが化粧品に進出した際、現像主薬の還元作用がシミ対策に転用されたという話を聞いた。僕にとってはネガ像を黒く作るための成分が、誰かにとっては肌を白くするためのものになる。

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 光を多く受けたハイライト部分では現像反応が早く進み、現像主薬は早々に疲労する。一方、光の乏しいシャドー部では反応が遅く、主薬はゆっくりと消耗していく。この差異が、境界面の描写を形づくる。


 攪拌の頻度を抑えること、あるいは現像終了後にホウ砂や炭酸ソーダといったアルカリ剤で処理することも、同様の効果をもたらす。いずれも、フィルムに新鮮な現像主薬を過剰に供給しないことで、ハイライトとシャドーの境目に、かすかな鋭さを生み出すための手法である。


 細やかで柔らかな粒状性が生む、諧調の滑らかな連なりと、控えめな輪郭描写。僕の作品表現の骨子は、ほとんどフィルム現像の段階で決まっていると言っていい。暗室での引き伸ばし作業で出来ることは、実はそれほど多くない。


 それでも、この現像結果から生まれるネガを見ていると、確かなカタルシスを覚える。現像液の処方は、世界をどう認識するかの方便である。

 処方を変えれば、荒々しく、高コントラストな像を得ることもできる。だが、そうした像は、どうにも心を落ち着かせてはくれない。


 同じことを続けていれば、人はやがて飽きる。けれども、この現像処方に出会ってから二十年以上が経つ今も、僕は一度も飽きを感じたことがない。


 カメラやレンズについては、別のものを試してみたいという気持ちが湧くこともある。しかし、暗室機材や薬剤については、これからもずっと同じものを使い続けたいと思っている。

 同じ現像液処方を守り続けることは、写真のためだけでなく、僕自身の心を整えるための、小さな処方箋でもあるのだ。


2026年3月31日火曜日

「Do It Myself」の効用

 

 1980年代、僕が白黒写真の自家処理を始めたきっかけは、単にその方が圧倒的に安価だったからだ。それ以外に理由はなかった。そうでなければ、最初から迷わずカラー写真を選んでいただろう。当時は白黒写真が美しいとは微塵も思っておらず、コスト面でのやむを得ない選択に過ぎなかった。

 しかし、作業を続けていくうちに、コスト以上に自家処理から得られる恩恵がはるかに大きいことを知り、「もう外注はできない」という思いに変わっていった。それと同時に、モノクロームプリントが持つ独特の美しさも、ようやく理解できるようになったのだ。

 白黒フィルムの現像液は、それこそ何百種類と存在する。外注では、どんな液を使い、どのような温度や攪拌で処理されているかも分からない。それでは到底、自分の目指す仕上がりは望めないだろう。 プリント作業も同様だ。テストプリントを繰り返しては試行錯誤し、理想へと追い込んでいく。この視覚的な判断を、言葉の指示だけで他者に伝えるのは至難の業だ。

 何より、自ら手を動かす過程には常に「学び」がある。そこで得た気づきは、次の表現への応用につながる。

 この日は、展示用パネルの切り出しを行った。既製品を買う方が品質は明らかに高いが、規格品にはない、ある種の「いびつさ」を僕は嫌いではない。写真は制作プロセスの多くを機械に頼るため、作品も工業製品のようになりがちだ。だからこそ、人の手を介した際に生まれるいびつさに、僕は手作業特有の「身体性」を感じるのである。規格品の均質な仕上がりは安心を与えるが、同時に、自分が関与していない存在が空虚さを残す。

 そんなわけで、自分でできることは、まず自分でやってみるのだ。

2026年3月28日土曜日

線は、僕を描く

 砥上 裕將著「線は、僕を描く」


大学生である主人公の鎮魂と再生の物語を、水墨画の修行を通して描いた小説だ。

 大事なことが書かれているような気がして、時期を変えて三回読んだ。
 横浜流星主演による映画版もある。だが、いくつか省略されているところがあり、湖山先生(主人公の水墨画の師匠)のキャスティングも、少しイメージと違った。格好良すぎるのだ。
 この物語に必要なのは、完成された佇まいよりも、もう少し不器用な気配なのかもしれない。だから、やはり小説のほうがいい。

 心に残った湖山先生の言葉を、書き留めておいた。


・目の届くところにしか、手の技は届かない。

・できることが目的じゃないよ。やってみることが目的なんだ。

・どんなに失敗してもいい。失敗することだって、当たり前のように許されたら、おもしろいだろ?

・拙さが、巧みさに劣るわけではないんだよ。

・気韻生動を尊ぶ。気韻というのは……端的に言えば、楽しんでいるかどうか、だよ。

・自分の絵だけを見ていれば、そのうち自分自身の手にも、技にも、騙されるようになってしまうよ。

・現象とは、外側にしかないものなのか? 心の内側に、宇宙はないのか?

・(水墨画は)着彩を排していることからも、我々の外側にある現象を描く絵画ではない……。

・我々の手は、現象を追うには遅すぎるんだ。(描き)終わったときには、またすべてが変わっている。

・絵は、絵空事だよ。

・君が優れた水墨画家になるか、ならないかなんて、そんなことはどうだっていい……それを伝える術が、水墨しかなかったんだよ。


 これらの言葉は、水墨画に限った話ではない。写真を撮ることにも、そのまま重なる。
 
 目の届くところにしか、手の技は届かない。認識していないところに、技巧を凝らすことは出来ない。

 できるかどうかよりも、シャッターを切ってしまうこと。失敗を許された場所でしか、像は立ち上がらない。

 現象は外側にだけあるのか。それとも、こちらの内側にすでに用意されているのか。

 手は遅い。気づいたときには、光も、気配も、すでに別のものになっている。
それでも、遅れたまま、触れようとする。

 絵は絵空事だ、という言葉が、なぜか救いのように残る。写真もまた、現実そのものではない。

だからこそ、そこにしか宿らないものがある。

 これは、僕にとっては形而上のレンズについて書かれた物語なのだと思う。
目に見えるものを写しながら、いつのまにか、こちら側が描かれてしまう、その過程について。

 線は、僕を描く。
 写真もまた、僕を描くのかもしれない。

2026年3月3日火曜日

「それは、かつてあった」の残響


 2月3日のエントリーで、ロラン・バルトの『明るい部屋』について書いた。

 そこに記されていた言葉が、半月ほど経った今もなお、心に突き刺さっている。

 そんな心持ちのまま、昨年から撮影したいと思っていた古民家を目指し、風のない、日差しのやわらかな冬の午後に、美濃市までバイクを走らせた。

 自宅から目的地までは一時間ほど。せめて道中だけは軽やかな気分でいたくて、ZARDのアルバム『forever you』を聴きながら走った。

 長良川沿いを北上する。ヘルメットのシールド越しに流れ去る景色を見ていると、河川敷には梅が咲いている。曲も次々と入れ替わっていく。

 「あなたを感じていたい」が流れた。何度も聴いた曲だが、改めて歌詞に耳を澄ますと、これは冬の歌なのだと気づく。



 ボーカルの坂井泉水さんは、2007年に亡くなっている。

 すでにこの世にはいない。そう思った瞬間、軽快だったはずの旋律が、不意にレクイエムのように響きはじめた。

 

 彼女が生きていたころ、その声は、歌以外の何ものでもなかった。

 だが、いまは違う。

 その声は、彼女が確かに存在したという証拠になっている。


 美濃市の旧市街に入り、目的の古民家に到着した瞬間、唖然とした。

 そこにあったはずの古民家はすでに取り壊され、柵の向こうに赤茶色の地面がひろがっているだけだった。

 そこには、もう何もなかった。

 ただ、「それは、かつてあった」という事実だけが残っていた。

 声は残り、建物は消える。

 だが、残ることと消えることに、優劣はない。

 ただ、時間がそうさせるだけだ。