ラベル 大判カメラ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 大判カメラ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年4月9日木曜日

暮色の湖岸


 
 今年の桜の開花は、例年よりも一週間ほど早かった。

 ここ岐阜ではすっかり満開を過ぎ、葉桜になりつつある。昨日の雨と風が季節の移ろいを加速させたのだろう。近所の桜の名所からも花見客の姿は消え、観光駐車場の監視員が所在なさげに佇んでいた。

 湖北の桜が満開を迎えるのは、岐阜よりも一週間ほど遅い。「今シーズンはまだ一枚も桜を撮れていない」という焦燥にも似た思いに突き動かされた。まだ間に合うのではないか。そう信じて大判カメラ一式を車に積み込み、湖岸の暮色に染まる桜を求めて北へと向かった。

 琵琶湖は広いが、桜と岩礁、そして湖面を一つの画面に収められるポイントは限られている。かつてカヤックを出し、湖岸の表情を丹念に探った時の記憶を頼りに、目的の場所へと足を進める。

 写真は不確定要素の積み重ねだ。現地へ赴いたところで、望み通りの花が咲いているとは限らない。花見客で溢れて車を止められないかもしれないし、狙った場所に先客がいるかもしれない。風が吹けば枝は揺れ、現像のプロセスにも失敗のリスクは潜んでいる。

 それでも、行かなければ何も得ることはできない。

 午後2時。明るいうちに構図を追い込もうと、不安定な岩場に三脚を据えた。絶好の撮影ポイントというものは、なぜいつもこうも足場が悪いのだろうか。

 超広角レンズを装着し、蛇腹を繰り出しながら構図を絞り込んでいく。用意したフィルムは6枚。これで十分だ。40分ほどかけてセッティングを終え、日没の時刻を調べると、まだ4時間もの時間があった。

 なぜ、陽光の下でシャッターを切らないのか。
 日中は輝度差が大きすぎるからだ。湖面は陽光を跳ね返して白飛びし、岩場の影は深く沈み込む。フィルムのラティチュード(記録再現幅)を超えてしまえば、目の前の世界を「露わにする」ことは叶わない。世界は条件が揃わなければ現れない。だからこそ、光が平坦に、弱くなる瞬間を待つのだ。

 このまま、静かに時を待つ。

 幸い、風はない。構図も決まった。これほど条件に恵まれた日は、一生のうちにそう何度も訪れるものではないだろう。

 岩の上に腰を下ろし、澄んだ湖水に浮かぶ花筏(はないかだ)を眺めたり、周囲を散策したりして過ごすが、こういう時に限って時計の針は遅々として進まない。それでも、夕刻が近づくにつれて花見客の喧騒は引き、空気は冷え込み、陽光は緩やかに傾いていく。

 ようやく午後6時を回った頃、バックにフィルムを装填し、最初の一枚に15分間の長時間露光を祈りのように捧げた。満開、そして無風。これほどの好条件に巡り合うことができず、実はこれまで一度も納得のいく桜を撮れたことがなかった。

 完全に陽が落ちるまでに、5枚のフィルムを費やした。待っている間の4時間はあんなに長かったのに、撮影に没頭した30分は、瞬く間に過ぎ去っていった。

 薄暗くなった足元を慎重に確認しながら、レンズを外し、カメラを折り畳み、三脚を縮めてその場を後にする。湖面には、トンビや猿の鳴き声が、どこか遠く響き渡っていた。

2026年3月21日土曜日

アルストロメリア

 


 隣町にアルストロメリアの農家があるせいか、時折、新鮮な切り花が手に入る。

 寒い時期はハウス栽培だろうが、暖かくなれば民家の庭先で咲いているのも見かける。アルストロメリアは花もちが良い。すぐに萎れてしまう心配がないので、じっくりと時間をかけて撮影できるのが魅力だ。色や模様は様々だが、今回の被写体には白基調の個体を選んだ。

 いつもの粉引きの一輪挿しにそっと挿し、コーヒーを淹れるためにお湯を沸かす。

​ 誰もいない午後。コーヒーカップを片手に、光の状態を観察する。

 

 まだ風は冷たいが、南向きの部屋には春の陽射しがたっぷりと差し込んでいた。太陽の熱を蓄えたチェストの上で、花はみるみるうちにその花弁を広げていく。

 「萎れる」心配はしていなかったが、「開花」のスピードまでは誤算だった。状態の変化が、思ったよりもずっと速い。のんびりとコーヒーを啜っている場合ではないことに気づく。

​ 慌てて遮光カーテンを引き、光の量と角度を追い込む。三脚を立て、カメラにレンズを装着。冠布(かんぷ)を被り、薄暗い中でグラウンドグラスを覗き込む。

 ピントを合わせ、スポット測光でハイライトとシャドウの輝度差を計測する。近接撮影による補正と、フィルムの相反則不軌……。頭の中で露出値を算出し、レンズに設定する。

 時間は慌ただしく過ぎていき、静かな部屋の中で僕だけが忙しなく動いている。すべての準備を終え、シャッターを閉じてフィルムを装填する。引き蓋を抜き、レリーズを押し下げてシャッターを開放した。

​ ――7秒間の露光。

​ この7秒間、少なくとも僕だけは、彫像のように動かない。7秒後、再びレリーズを押してシャッターを閉じた。

​ この日の撮影は、これで完了。

​ ふと机の上を見ると、そこには、いつの間にか飲むのを忘れてすっかり冷めてしまったコーヒーが残っていた。


2026年3月5日木曜日

クリスマスローズは走っている

 


 庭先に植えたクリスマスローズが咲き始めた。
 昨年の今頃、静物写真のモチーフにするため、形の異なる三株を買い求め、玄関先で一年かけて育ててきた。ようやく、その花がひらいた。

 日陰を好む植物だからと、わずかな光の差を考えて植え分けた。だが一年後、最も勢いよく葉を広げたのは、皮肉にもいちばん陽当たりのよい場所の株だった。人の配慮など、植物には関わりがないらしい。
 
 撮影のために周到に準備してきたが、花は僕の思惑とは別の時間を生きている。蕾は揃わず、順にほどけ、やがて衰える。一斉に咲いてくれればどれほど楽かと思うが、自然は決して段取りに従わない。
 土門拳は「仏像は走っている」と言った。花もまた、静止しているように見えながら、確かな速度で走り続けている。
 蕾の開き具合を見極める。光の角度を待つ。そのあいだに時は進み、花の相貌もまた移ろう。
 
 ホームセンターで展示用パネルに塗るステインを選び、時間をやり過ごす。準備と逡巡を重ねたのち、ようやくその刻が訪れた。
 ジュラルミンの三脚は冷たく、木製の大判カメラは掌にわずかな温もりを返す。夕刻、窓からの光がゆるやかに衰えていく。

 八重と一重、それぞれの株から、昨夜の雨を含んだ花茎を切る。粉引きの一輪挿しに挿し、形を整える。機材を組み終えてから切るのは、わずかな時間の差で花の均衡が崩れるのを恐れるからだ。

 この日のために一年を費やした。失敗は許されない。

 かつて、プッチーニという品種のカボチャを種から育て、静物として撮ろうとしたことがある。結実せぬまま終わった。翌年、再び種を蒔く気力は残らなかった。
 買ってきた花でも写真は撮れる。だが一年をともに過ごした花には、目に見えない時間が宿る。その時間ごと、写し取りたいと思う。
 
 この日は四枚、シャッターを切った。まだ伸びようとする花茎がある。季節は周期的に雨を降らせ、冬を終わらせ、春へと押し出していく。
 
 そのあいだにも、花は走り続けている。
 僕はそれを追いかける。
 追いながらいつも少しだけ遅れている。

2026年1月24日土曜日

水中木、冬

 


 異例の積雪だった。

 伊吹山麓に雪が積もることは珍しくないが、湖岸がこれほど白く染まることは、そう頻繁にあるわけではない。雪景色の撮影には、またとない好機だった。幸いにも今日は仕事が休みで、自由に動ける一日でもあった。

 道中、雪道を走るリスクはあったが、「無理なら引き返せばいい」と自分に言い聞かせ、湖北へと車を走らせた。フロントガラスの向こうに広がる白さが、次第に現実味を帯びてくる。

 目的地は、多くの写真家を惹きつけてやまない水中木だ。

 僕も何度となく足を運んできた場所だが、冬になると水位が下がり、根元は小さな島のように姿を現す。その地表に雪が積もる光景を、いつか撮りたいと、長く心に留めていた。今回の降雪は、まさにそのために用意された時間のように思えた。

 昼頃に現地へ到着し、まずは数枚シャッターを切る。曇天とはいえ、日中の光はまだ強く、ND400を装着して長秒露光を試みた。その後は近くの喫茶店に入り、読書をしながら光が落ち着くのを待った。

 夕方、完全に太陽が山の向こうに落ち、湖畔に静けさが戻る瞬間を見計らって、最後の一枚に向き合う。

 昼間に撮った写真には、樹木に付着した雪の質感が、より克明に刻まれているだろう。だが、光の階調は夕方の方が美しいはずだ。遠方に浮かぶ沖島が、淡く輪郭を取り戻していく様子は、息をのむほどだった。構図もレンズの選択も、昼間とは変えている。

 個人的には、日没後の繊細な光を好んでいる。とはいえ、昼の描写が劣るわけではない。昼は150mmと300mmで対象を確かに捉え、夕刻には500mmで、その場に漂う空気ごと凝縮するようにシャッターを切った。

 使用した500mmは、山崎光学研究所のテレ・コンゴー500mm F9.5である。同社が業務を終える前年に新品で購入したものだ。この焦点距離を必要とする場面は多くなく、いつしか持ち出す機会も減っていった。一時は、手放してしまおうかと考えたことさえある。
 
 だがこの日、広角から望遠まで万全を期してレンズを携行した判断が、静かに報われた気がした。もしこの一枚が、思い描いていた通りに写っているのなら、このレンズは名実ともに、僕の「愛用の一本」と呼べる存在になるだろう。

 結果がどうであったかは、現像してみるまで分からない。

 うまく写っていないかもしれないし、暗室での工程で失敗する可能性だってある。
それでも、雪を掻き分け、踏みしめながら、コハクチョウの鳴き声を背に撮影に没頭した時間は、確かな記憶として身体の奥に残った。

 それだけで、もう十分だった。

2025年10月28日火曜日

花を撮る時間

 


 秋の訪れとともに、コスモスは日本の風景のあちこちに姿を現す。観賞用に整えられた花畑も、道端にひっそりと咲く一輪も、等しく季節の訪れを告げている。明治の開国とともにこの国に迎え入れられた花は、いつしか日本の秋に欠かせない存在となった。

 同じ時代、同じ海を越えてやってきたセイタカアワダチソウは、今では厄介者として扱われている。僕自身、あの花を部屋に飾ろうとは思えない。同じキク科でありながら、これほどまでに運命が分かれたのは何故だろうか。おそらくは花弁の広がりだ。ある程度の面積を持つ花びらが、光を受けて「パッと咲く」瞬間──その華やぎこそが、心を捉えるのだろう。

 これまで数多くの花を撮影してきた。芍薬の繊細さ、胡蝶蘭の優美さ。しかしコスモスは、あまりにも身近すぎて、長い間レンズを向けることがなかった。

 野の花をたくさん摘んできて、形や大きさを吟味しながら一輪挿しに活ける。繊細な花では許されない自由が、ここにはある。茎を切り、向きを変え、何度でも構図を試すことができる。野趣という名の寛容さが、花との対話を豊かにしてくれる。

 このシリーズを撮影するのは、曇りの日か、直射日光が窓に届かない時間帯と決めている。左側の窓から、レースのカーテンを透過した光が、静かに部屋に満ちる。その柔らかな光は弱く、ISO100、F11で撮るとき、シャッタースピードは2秒ほどになる日もある。フィルムの相反則不軌を考慮すれば、実質的には8秒近い露光時間が必要だ。

その長い時間、僕は息を潜めて待つ。

柔らかく、弱く、しかし確かな光が、いつも優しく花とカメラと僕を包んでいる。

2025年9月17日水曜日

リンホフ・マスターテヒニカ2000

 

 2013年、リンホフ・マスターテヒニカ2000を中古で手に入れた。

 大判写真を撮るには木製暗箱のタチハラで不足はなかった。しかし、金属製のテクニカルカメラの使い心地を体験してみたいという思いを抱きつつ、10年近くリンホフを眺めるだけの日々を送っていた。
 そして、この年、タチハラ写真機製作所が廃業してしまったことが、リンホフを買う引き金になった。

 金属製テクニカルカメラは、リンホフ以外にも、国産のトヨフィールドやホースマンがあったが、眼中になかった。
 トヨフィールドよりもリンホフの方がコンパクトで、モデルによっては広角レンズの使い勝手がいい等、、、の理由があるが、それはあくまでも比較した時の違いであって、本当の理由は、リンホフが欲しかったというただそれだけである。

 リンホフ・マスターテヒニカには、世代によっていくつかのモデルがあるが、マスターテヒニカ2000(初期型)を選択した。2000は、1994年発売されたモデルであるが、贅沢な作りをした前モデルのマスターテヒニカ45の遺構が引き継がれている。つまり物として、とても魅力があるが、後期型になると、随所にコストダウンを伴う改良が施されていくようになる。
 機能面では、それまでのモデルにはない広角レンズの使い勝手の良さもある。現行の3000は、広角レンズはさらに使いやすくなっているが、いかんせん現行であるがゆえに高価であるし、作りが良かった時代のカメラではなく、所有欲が満たされない。20世紀の物作りの精神と現代的な操作感を兼ねそろえたモデルとなるとわずかな期間に製造された2000初期型になる。そんな些細なことに、僕は心惹かれるのだ。
 

 フォーカシングノブやスイングバックロックノブのフラップは、前モデルの部品を流用しているようで、その作りはとても丁寧だ。2000の特徴でもある、上部のスイングバックロックノブが側面に配置されているデザインも、前モデルの名残りだろうか。

 前モデルのマスターテヒニカ45は距離計を側面に装備していたが、2000は電子距離計を上部に搭載できる仕様になっているので、側面には距離計の取り付け跡を塞ぐ板が貼られている。前モデルの部品を流用したのだろうか。もしそうだとしても、つるりとした側面よりも、こうした全モデルの名残であり、無骨な凹凸があるデザインの方が、僕は好ましく思う。


 
 このレバーを操作すると、ボディ内のトラックを移動させられる。広角レンズを使うときには、この機能がとてもありがたい。

 僕の2000は、当初、可動トラックが驚くほど硬く、ピントを合わせるのに苦労した。いつもお世話になっている、大阪の鈴木特殊カメラで整備を依頼すると、適度なトルクで可動トラックが動くようになった。ついでに、暗くて見づらかったグラウンドグラスを、フレネルレンズに交換してもらった。そのおかげで、ファインダー越しに見える世界は、ぱっと明るくなった。

 それから8年ほど経った頃、スイングバックロックのネジが外れてしまった。修理に出すついでに、かなりくたびれていた蛇腹も交換してもらった。

 大判カメラは、究極的にはただの箱に過ぎない。どんな素材で、どんなに簡素な作りであっても、撮れる写真に影響はないだろう。使い勝手だけを考えれば、リンホフよりタチハラの方がずっと良い。リンホフは、ひとつひとつの動作をじっくりと行わなければならないから、どうしても時間がかかる。

それでも、あの美しい金属の塊を手にしていると、僕はただただ楽しくて仕方がないのだ。

2025年9月8日月曜日

静物写真

 ホームセンターに用事があり、店に入ろうとしたら、入り口の陽当たりが良い場所に草花コーナーがあり、星形の白い花をつけたポッドがいくつも並んでいた。二百円という手に取りやすい価格。ラベルには「矮性キキョウ  アストラホワイト」と記されている。キキョウといえば、青紫の花弁を持つ、野原にひっそりと咲く草花という固定観念があった。白いキキョウの存在に心が揺れる。

 僕の作品「粉引に花」シリーズは、白い花を主題としているため、青紫のキキョウは眼中になかった。それなのに、まさか白いキキョウがあるとは。園芸用に品種改良されたのだろうか。知らないということは、どこかで大切な何かを見落としていることだ。「不知の自覚」が、僕には足りていなかったのである。

 白いキキョウのポッドを買い求めた時、それは風船のような蕾をいくつか従えていた。翌日、午後の光が最も柔らかく差し込む時間を待った。その間に、風船が弾け、花はあっという間に開いていった。

 三脚にカメラを据え、レンズを装着する。花を付けた茎を切り、一輪挿しに挿し、余分な葉を切り揃える。冠布を被り、グラウンドグラス越しに構図を定め、ピントを合わせる。露出計で背景のシャドウと花弁のハイライトをスポット測光し、輝度の幅を確認したら仮の露光値を決定する。その値から、撮影倍率によるベローズファクターやフィルムの相反則不規特性を考慮し、再計算した露光値をカメラに入力する。 そして、フィルムを装填した刹那、あらためて花を見ると、花弁の一部がすでに萎れかけていた。

 室内の気温は三十度ほどある。夏の切り花は、こんなにも早く萎れるものなのかと、僕は愕然とした。その姿に時の残酷さを見た気がした。

 普段、何気なく目にしている植物は、昨日と今日とでほとんど姿を変えることなく存在しているように思える。しかし、いざ作品として向き合おうとすると、驚くほどの速さで変化していく。それは、今までに幾度となく経験してきたことだ。このシャクヤク(#8)も、まさに撮影中に散っていったのである。

 あるいは、僕が変わらないと思い込んでいるのは、白いキキョウの存在に気づかなかったようにただの認識不足で、日頃から気に留めていないからそう見えるだけなのかもしれない。たしかに、気温が高く、切り花にしたことで変化の速度が早まったことは、大きな要因であるに違いない。しかし、それだけではないような気がする。僕の目が捉えきれていない何かがそこにある。

 対象と真摯に向き合うということは、それを契機として、様々なことが見えてくるものだ。作品作りは、正直言って、とても億劫な作業である。面倒くさいと思うこともしばしばある。作品を作ったからといって、何かが劇的に変わるわけでも、特別な利益を得るわけでもない。

 だが、それでも、僕自身に何かしらのフィードバックがあることは確かだ。昨日と同じ今日、今日と同じ明日が連綿と続くわけではない。小さな変化による差異の気づきが、対象の存在認識につながり、僕を次のステージに運んでくれる。

 そして、差異としての経験こそが、日常に埋没することなく、記憶として留めておいてくれる存在となる。非日常的体験は、差異を認識した意識に存在し、フィルムに露光するように、僕の心にも確かな像が焼き付けられていく。

2025年9月5日金曜日

タチハラフィルスタンド45Ⅱ


  タチハラフィルスタンド45Ⅱ「Handy View 4521」との出会いは、2004年のことである。しかし、その前日譚を語るには、2003年まで遡らねばならない。まずは、その話から始めよう。

 大判写真を本格的に始めるにあたり、僕はごく短い間、タチハラフィルスタンド45(便宜上、Ⅰ型と呼ぼう)を使っていた。身近に大判カメラを使っている者などいなかったから、独学であらゆることを調べ、覚えるしかなかったのだ。いくらカタログにスペックが書かれていても、実際に使ってみるまでは、その使い勝手は実感できない。だから、まずは使ってみる必要があった。大阪のトダカメラ(今はもうない)で、7万円弱で手に入れた記憶がある。手のかかったハンドメイドのカメラが、こんなにも手頃な価格でいいものか、と当時の僕は素直に驚いた。

 実際に使ってみて初めて分かったことだが、Ⅰ型は後枠を前後にスライドさせることはできるものの、それはギアによるものではない。一方、Ⅱ型はギア駆動になっている。静物写真のように、近距離でピントを合わせる場合、前枠を動かすとレンズの位置が変わってしまい構図もずれてしまう。しかし、後枠で合わせれば、そうした心配がない。そんなごく基本的なことすら、僕は最初、分かっていなかった。そして、Ⅱ型が存在する理由を心底理解したのだ。風景しか撮らないのならⅠ型でも問題なかったが、僕は静物も撮影したかったので、Ⅱ型が必要となった。そうして、僕は翌年に買い替えることになった。

 大阪のヨドバシカメラで、木部の塗装や金具の色、蛇腹の材質まで細かく指定してⅡ型を注文した。こうして製造されたものは、僕だけの一台となるわけだ。それでも11万円くらいだったと思う。使われている木は、北海道の樹齢300年の朱里桜だという。手書きで「121」と記されたシリアルナンバーも、いかにもハンドメイドらしい風合いがあり、僕の愛着をより一層深いものにした。Ⅱ型が結局何台製造されたのかは分からない。だが、2013年にタチハラ写真機製作所が廃業してしまったことを考えると、それほど多くはないだろう。

 木製のカメラなんていうと、かなりレトロな印象を持たれがちだ。しかし、僕のタチハラⅡ型は、21世紀になってから販売が始まったモデルであり、「Handy View 4521」という愛称が付けられている。ちなみに、タチハラフィルスタンドの「フィルスタンド」は、「field stand」、つまり「原に立つ」という意味らしい。その響きが、なんとも心地よい。

 その後、僕は2013年にリンホフ・マスターテヒニカ2000を購入することになるのだが、操作性においてはタチハラの方が使いやすい。各部のロックは、単純にネジを締め付けるだけなので素早く動かせるし、前枠を一番前で固定できるため、広角レンズ使用時に、ベッドが写り込むこともない。この点、マスターテヒニカは手順が多くなりがちだ。

 ヨドバシカメラの販売員が、「タチハラはいいですよ。リンホフを持っている方でも、タチハラばかりで撮っている方もいます」と言っていたが、今になってその言葉の意味がよく分かる。

 ただ、僕の場合、今のところリンホフを持ち出すことの方が多い。それは、面倒な手順を踏んで撮影する方が、何か得るものがあるような気がするからである。これはカメラの構造的な問題なので、慣れで解決するものではない。タチハラは軽く、使いやすく、どこか手工芸品の趣さえ感じさせる。

 以前、僕は立原さんと電話で直接お話しさせていただいたことがある。この人が作ったカメラなんだという実感が湧くと、ますます愛着が深まるのだ。僕にとって、このカメラは単なる道具ではなく、特別な存在なのである。



2025年8月28日木曜日

大判写真

 

 僕が大判写真に心を寄せ始めたのは、2000年頃のことだった。まだフィルムが街にあふれていた時代。2002年、知人から譲り受けたモノレールタイプのカメラを手にしたとき、初めて大判写真の世界の扉を開いた。しかし、その大きさと重量ゆえにすぐに押し戻され、僕の手を離れて別の人のもとへと渡っていった。

 それでも、大判写真への憧れは消えなかった。やがて「組み立て式のテクニカルカメラなら持ち運べるのではないか」と思い、2004年に木製暗箱のタチハラを手に入れた。温かな木の手触りと塗りたてのニスと蛇腹の革の匂い。今にして思えば、それが僕の大判写真の本当の始まりだったのだ。

 中判写真のときには、深く考えることもなく足を踏み出せた。だが大判は違った。ロールではなくシートのフィルムは一枚一枚が独立した「場」であり、暗室機材も一から整え直さないといけない。そこには、それまでの延長線ではなく、新しい世界が待っていた。

 あの頃は、まだ量販店に大判カメラや暗室機材が並んでいた。しかし今、大判写真の環境を整えようと思えば、海外の新しい発想で作られた製品に頼るしかない。3Dプリンターで作られたカメラや、スマホで光を制御する引伸ばし機を見ると、どこか時代のずれを感じる。
 だが、それもまた21世紀の大判写真の姿なのだろう。

 2025年の今、かつての日本の大判カメラメーカーはすべて生産を終え、木製暗箱を作り続けた職人も、この世にはいない。時代の流れに呑み込まれるように消えていったものを思うと、2004年にタチハラを手にしたことがいっそう特別な出来事のように思えてくる。

 もちろん、最初から自在に操れたわけではない。シートフィルムを現像する手つきも、カメラの操作も、初めはひどくぎこちなかった。ひとつひとつの所作を確かめながら進める僕は、まるで歩き方を覚える子どものようだった。けれど今では、体が自然に動き、カメラは僕の一部のようになった。

 タチハラは軽く、扱いやすく、十分に信頼できるカメラだった。それでも僕は、金属の重みを持つテクニカルカメラへの憧れを拭えなかった。組み立て式カメラの始祖、リンホフ。その響きに惹かれ続け、2013年、リンホフ・マスターテヒニカ2000を中古で手に入れた。修理屋で調整を受け、グラウンドグラスと蛇腹を交換し、ソリッドな金属の塊とギアの油の匂いがするリンホフを今も愛用している。もちろん、タチハラも静かに僕のそばにいる。

 長く使ってきたカメラを前にすると、その入手の経緯まで鮮やかに蘇る。そしてそれは、僕の人生を振り返ることと同じ意味を持つ。リンホフを夢見て研究していた日々は、昨日のように思える。それでも、あの時から流れた歳月の方が、今ははるかに長い。

 一日に十枚も撮らない大判写真。少ない枚数だからこそ、一枚ごとに時間をかけ、丁寧に撮るため無駄が少ない。むしろ135の方が浪費が多く、高くつくことさえある。

 世間では「大判写真は高価な趣味」と思われがちだ。だが白黒フィルムを自家現像すれば、それほどでもない。(2025年8月19日 記)

 大判カメラにロールフィルムホルダーをつければ中判カメラとしても使える。しかしそれはあくまで補助であり、楽しみの本質には届かない。中判フィルムを使うなら、むしろ6×9のビューカメラを持つ方が、きっと心が弾むだろう。

 大判写真の魅力とは何か。広いフィルム面積から生まれる高画質も確かに大きい。だが本当の魅力は、目の前の光景と長い時間向き合えることにある。三脚を据え、カメラを組み、構図を決め、露出を測る。その間ずっと、景色と呼吸を合わせるように立ち続ける。大判カメラは、過ぎていく時間を必死に追いかける道具だ。

 フィルムを装填し引き蓋を抜き、レリーズを握ると、静止した時間が訪れる。

 光がそっと移ろい、風が通り過ぎる。大判写真とは、その一瞬を抱きとめようとする、静かな祈りに似ている。