2025年8月28日木曜日

大判写真

 

 僕が大判写真に心を寄せ始めたのは、2000年頃のことだった。まだフィルムが街にあふれていた時代。2002年、知人から譲り受けたモノレールタイプのカメラを手にしたとき、初めて大判写真の世界の扉を開いた。しかし、その大きさと重量ゆえにすぐに押し戻され、僕の手を離れて別の人のもとへと渡っていった。

 それでも、大判写真への憧れは消えなかった。やがて「組み立て式のテクニカルカメラなら持ち運べるのではないか」と思い、2004年に木製暗箱のタチハラを手に入れた。温かな木の手触りと塗りたてのニスと蛇腹の革の匂い。今にして思えば、それが僕の大判写真の本当の始まりだったのだ。

 中判写真のときには、深く考えることもなく足を踏み出せた。だが大判は違った。ロールではなくシートのフィルムは一枚一枚が独立した「場」であり、暗室機材も一から整え直さないといけない。そこには、それまでの延長線ではなく、新しい世界が待っていた。

 あの頃は、まだ量販店に大判カメラや暗室機材が並んでいた。しかし今、大判写真の環境を整えようと思えば、海外の新しい発想で作られた製品に頼るしかない。3Dプリンターで作られたカメラや、スマホで光を制御する引伸ばし機を見ると、どこか時代のずれを感じる。
 だが、それもまた21世紀の大判写真の姿なのだろう。

 2025年の今、かつての日本の大判カメラメーカーはすべて生産を終え、木製暗箱を作り続けた職人も、この世にはいない。時代の流れに呑み込まれるように消えていったものを思うと、2004年にタチハラを手にしたことがいっそう特別な出来事のように思えてくる。

 もちろん、最初から自在に操れたわけではない。シートフィルムを現像する手つきも、カメラの操作も、初めはひどくぎこちなかった。ひとつひとつの所作を確かめながら進める僕は、まるで歩き方を覚える子どものようだった。けれど今では、体が自然に動き、カメラは僕の一部のようになった。

 タチハラは軽く、扱いやすく、十分に信頼できるカメラだった。それでも僕は、金属の重みを持つテクニカルカメラへの憧れを拭えなかった。組み立て式カメラの始祖、リンホフ。その響きに惹かれ続け、2013年、リンホフ・マスターテヒニカ2000を中古で手に入れた。修理屋で調整を受け、グラウンドグラスと蛇腹を交換し、ソリッドな金属の塊とギアの油の匂いがするリンホフを今も愛用している。もちろん、タチハラも静かに僕のそばにいる。

 長く使ってきたカメラを前にすると、その入手の経緯まで鮮やかに蘇る。そしてそれは、僕の人生を振り返ることと同じ意味を持つ。リンホフを夢見て研究していた日々は、昨日のように思える。それでも、あの時から流れた歳月の方が、今ははるかに長い。

 一日に十枚も撮らない大判写真。少ない枚数だからこそ、一枚ごとに時間をかけ、丁寧に撮るため無駄が少ない。むしろ135の方が浪費が多く、高くつくことさえある。

 世間では「大判写真は高価な趣味」と思われがちだ。だが白黒フィルムを自家現像すれば、それほどでもない。(2025年8月19日 記)

 大判カメラにロールフィルムホルダーをつければ中判カメラとしても使える。しかしそれはあくまで補助であり、楽しみの本質には届かない。中判フィルムを使うなら、むしろ6×9のビューカメラを持つ方が、きっと心が弾むだろう。

 大判写真の魅力とは何か。広いフィルム面積から生まれる高画質も確かに大きい。だが本当の魅力は、目の前の光景と長い時間向き合えることにある。三脚を据え、カメラを組み、構図を決め、露出を測る。その間ずっと、景色と呼吸を合わせるように立ち続ける。大判カメラは、過ぎていく時間を必死に追いかける道具だ。

 フィルムを装填し引き蓋を抜き、レリーズを握ると、静止した時間が訪れる。

 光がそっと移ろい、風が通り過ぎる。大判写真とは、その一瞬を抱きとめようとする、静かな祈りに似ている。

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