
ヘイリー・エドワーズ=デュジャルダン (原著), 丸山 有美 (翻訳)「色の物語 黒」
黒とはいったい、何だろうか。
写真が捉えるもの。それは光源から発せられた光子という名の素粒子が、物体に跳ね返り、レンズを通ってフィルムへと到達した軌跡だ。その光がフィルムの記録再現幅(ラティチュード)に収まったとき、初めて像として結実する。
物質によって光子の反射率は異なり、その数値が低ければ低いほど、眼前に現れる黒は深さを増していく。となれば、究極の黒とは、光さえも逃しはしないブラックホールの色を指すのだろうか。
人類は、この「完全な黒」を求めて、悠久の時を費やしてきた。
歴史を紐解けば、必ずフランスのラスコー洞窟の壁画に行き当たる。当時の人々は二酸化マンガンを用い、闇を描こうとした。その後も木炭や鉄など、身近な物質を媒介に、人類は黒を「発明」し続けてきたのである。その探求の結晶は、2014年に登場したナノ技術による最新の黒にまで至る。数千年もの間、黒を作り出すことは、人にとってそれほどまでに困難で、抗いがたい魅力を持つ挑戦であったに違いない。
19世紀に写真が登場した当初、その色は「黒」ではなく「茶色」だった。当時の技術では、まだ完全な黒を定着させることができなかったのだ。よくある誤解として、「古い白黒写真が劣化して茶色くなった」と思われがちだが、そうではない。それらは、最初から琥珀の色調を帯びて生まれてきたのである。
その後、感光材料の改良が進み、銀粒子の緻密な制御が可能になったことで、写真はようやく、ビロードのような深い黒を手に入れた。
人類が数千年かけてようやく到達したこの漆黒を、僕は今、あえて再び「茶色」へと引き戻そうと試みている。硫黄を操り、化学変化を媒介として、銀の黒を温かな褐色へと変容させる。それは、効率や進歩という名の時間軸を逆行する、僕自身の物語なのかもしれない。



