うたろう寫眞
Monochrome Anthology - 暗室系写真サイト - のブログ
2026年6月22日月曜日
暗室のプルシアンブルー
2026年6月16日火曜日
八重の曲線
八重咲きのユリをいただいたので、いつもの粉引の一輪挿しに挿して撮影した。このシリーズで使うレンズは、ニッコールW210mm F5.6に決めている。絞りはいつもF8前後。画角と被写体までの距離、そしてボケの量が、いまの自分にはちょうどいい。 カメラは、その時の気分でタチハラかリンホフを選ぶ。
改めて考えてみると、「気分」とは何なのだろうか。 理由はいくつも挙げられる。前回はリンホフだったから今日はタチハラにしよう、といった単純な反復もあれば、操作そのものを楽しみたいからリンホフを選ぶこともある。木の軽さや手触り、あるいは金属の冷たさや油の匂いに惹かれることもあるだろう。 だが、そうして並べた理由は、どれも決め手にはならない。むしろ、それらが重なり合い、わずかに揺らぎながら、その時の選択をかたちづくっている。
論理では説明しきれないが、決して偶然でもない。体調や光の具合、直前まで見ていた風景や記憶の断片——そうしたものが身体のどこかに沈殿し、その総体として現れてくるもの。それを、ひとまず「気分」と呼んでいるのかもしれない。いつだって、論理に先立つ「気分」という情調の中で、すでに世界に投げ込まれ、道具と向き合っているのだろう。
今日、選んだのはリンホフだった。八重咲きの柔らかな曲線と、油の匂いを帯びた冷たい金属。それらが、今の自分の内側に静かに噛み合った。 粉引の白とユリの白が溶け合うファインダーの中で、カメラはもはや観察すべき客体ではなく、ハイデガーが言ったように身体の一部——「手近存在」として世界に溶け込んでいく。カメラを操作する指先の微細な振動だけが、僕と世界を繋ぐ確かな手応えのように感じられた。
2026年6月8日月曜日
エンターテイメントとしての発色現像プリント
ヤマボウシの静物写真を撮りたくなったので、3年ほど前に苗木を買ってきて庭先に植えた。昨年は一輪も咲かなかったが、今年は肥料と水やりをまめに行ったせいか、少し花がついた。
いつもどおり、大判カメラで撮影した後、デジタルカメラでも撮影しておいた。デジタルカメラでの画像は、SNSに投稿したら役目を終える。
しかし、思い返してみれば、キスデジタルX3を買ってから17年ほど経つが、このカメラで撮影したものをちゃんとプリントしたことがない。ふと、カラーで引き伸ばしてみたいと思った。もちろん、僕の本領はゼラチンシルバープリントなので、それは「遊び」としてだ。
現状、写真の紙焼き(プリント)には、代表的なプロセスとして次のものがある。
1 ネガ → 光学引き伸ばし → 銀塩プリント(発色現像、ゼラチンシルバー)
2 ネガ → スキャン → 銀塩プリント(発色現像)
3 デジカメ → 銀塩プリント(発色現像)
4 ネガ → スキャン → インクジェット
5 デジカメ → インクジェット
※技法的に、発色現像はカラー、ゼラチンシルバーはモノクローム
デジカメで撮影した場合、選択肢は3か5になる。デジタルデータからデジタルネガを作成し、1のプロセスを通ることもできるが、まあ、今回はそこまで深く立ち入らないので3を選んだ。
3を選ぶか、5を選ぶか。おそらく5の方が「本気度」が高いのではないだろうか。デジカメで撮影してインクジェットで印刷するというのは、現代において最も高品質で耐久性があるプリントを作成できる手法であり、相応に高価でもある。
僕が3を選んだのは、冒頭にも書いたように今回の試みが「遊び」であるからと、久しぶりに発色現像方式の印画紙を手に取って見てみたいと思ったからだ。
そんなわけで、少しだけ明るめに調整し、RAW現像したデータをSDカードに保存して、近所のカメラのキタムラに行った。
カメラ店に行くのはかなり久しぶりである。どうやって注文したら良いのか分からずにいると、店員にプリント注文用の端末を案内された。注文の過程で「無補正」と「お任せ補正」があり、どちらにしようかかなり悩んだが、せっかく自分で現像したデータなので、最終的に「無補正」にした。
10日ほどして受け取りに行き、仕上がりを確認すると、ちょっと暗めではあるが満足のいくレベルであった。これがいつものゼラチンシルバープリントであるなら再プリント(焼き直し)していたかもしれないが、今回はそこまでやるつもりはない。そうしたお手軽さを求めて、このサービスを選んだのだ。
印画紙の裏を見ると、富士フイルム製品のようだった。少し前に富士フイルムはシート印画紙の販売を終了してしまったが、ロール印画紙の供給はまだ続けている。同社もノーリツ鋼機も、ミニラボ機をまだ生産ラインに残しているのだ。
各店舗にミニラボ機を配置するのは需要面から難しいのだろうが、ラボへ集中一元化し、ユーザー側も仕上がりまでの日数を許容できるのであれば、この価格で発色現像プリントを楽しめる環境は、まだ当分は維持されるのではないだろうか。
フィルムカメラは現像結果を見るまで分からないため、その「待つ期間」がワクワクするとよく言われる。しかし今回の経験から、RAW現像データ通りに仕上がるか分からない発色現像プリントも、納品を待つ間の心持ちは同じではないかと思えた。
もっとも、僕の場合はいつも「ワクワク」ではなく、「ハラハラ(心配)」なのだが。
2026年6月4日木曜日
開拓者の木
水中から生えている木の大半は、このアカメヤナギではないだろうか。成長が早く、生命力が強いこの木は、他の植物に先駆けていち早く根付き、森林形成の第一歩を担う「先駆植物(パイオニア植物)」である。
開拓者であるがゆえに、この木には試練が待ち受けている。嵐、雪、雷、虫害、波。それらの災厄に耐え切れず、倒れてしまう木もある。しかし、倒れてもなお、生を諦めることはない。倒れたまま、別の方向に枝や根を伸ばし、成長し続けていく。
20年ほど前だろうか。湖岸で撮影しているうちに、沖に浮かぶように生えている開拓者たちを、間近で見たいと思い始めた。まさか泳いでいくわけにもいかず、水上を散歩できる乗り物を探すなかで、カヤックに行き着いた。それから10年ほどは、琵琶湖の湖岸を漕いで回った。
その間、フィルムカメラを持っていた手は、パドルを握る手に変わっていた。
「事物をよくみる」という行為を実現するための道具が、カメラからカヤックに移った時期だった。
水中から生えているように見える木の根元は、水深こそ浅いが、常に水に浸かっているため地中深くに根を伸ばさず地表に沿っている。それゆえ、波で周囲の土を洗われ、強風が吹き付けると、倒れやすいのだろう。
カヤックを降りて、開拓者の周りを歩いてみると、その見かけ上の島は根だけで形成されているようで、ふわふわとして、まことに踏み応えがない。
ただそれだけを確認するために、湖岸を嘗めるように漕ぎまわった。
今は再び、カメラを使い、湖岸から遠くの開拓者たちをみている。やっていることは、元に戻ったわけだ。しかし、開拓者に触れ、認識の枠を強く揺さぶられた僕は、もう以前のままではない。
2026年5月31日日曜日
満月のプレリュード
完全に陽が落ちた満月の夜、湖面を撮影する場合、露光時間はどうなるのだろうか。
露出値の基準をISO100で「-EV2(F8、4分)」と想定してみる。しかし、使用するフィルム特有の相反則不軌特性を考慮しなければならない。
フォマパン200の場合
データシートによると、露光時間が100秒を超えるときには、露光時間を18倍に引き伸ばさなければならない。
4分の露光では補正後の露光時間はおよそ70分程度になる。しかし、一律で18倍というわけでもないだろうし、実際に撮影に臨むとなれば、F8で1時間、F11なら2時間くらいで、撮影することになりそうだ。
ケントメアパン200の場合
こちらはフォマパン200に比べると、相反則不軌特性がいくぶん穏やかである。
この数式は、指数になっている。計算上はF8で16分、F16なら95分となる。ただ、ケントメアパン200はコントラストが高くなりやすいという特徴を持つ。ハイライトの繊細な階調を硬くさせずに残すため、あえて少し切り詰め、F16で50分の露光とするのが現実的かもしれない。
撮影フォーマットについても思案が要る。 フォマパン200はブローニーから大判の4×5まで揃うが、ケントメアパン200には4×5のラインナップがない。そのため、後者を選ぶならブローニーを使うことになる。手元には6×9のロールフィルムホルダーがあるが、今回は4×5に近いアスペクト比を持つ6×7で、あの静寂な広がりを切り取ってみたい。
本番は、夏の終わりか、あるいは秋の初め頃の満月の夜。 夕暮れ時の湖面に三脚を立て、夜の帳が静かに落ちてくるのを待つのだ。長く開け放たれたシャッターの傍らで、お湯を沸かしてコーヒーを淹れる――そんな贅沢な時間が、今から少し待ち遠しい。
この撮影は、不確定要素のオンパレードだ。実際のEV値、月の高度、大気の透明度、湖面の状態、相反則不軌の個体差や現像条件、引き伸ばし時に欲しいネガ濃度。
これらを事前に完全には予測することは出来ない。今の段階で自分にできることと言えば「失敗を減らす」ことだけで、「最初から正解を知る」ことは難しい。
「仮説を立てる → 撮る → 現像する → 初めて結果を知る」
という時間のかかる営みである。
その意味では、今回の撮影は写真を撮るだけでなく、満月の湖面という被写体について学ぶための最初の実験とも言える。
そして意外と、最初のネガが技術的には失敗でも、その失敗から得た情報が二回目、三回目の撮影で大きく効いてくるだろう。
「一枚の成功作を狙う」というより、「満月の湖面というテーマを数年かけて探究する」方向に進むのもいい。
計算上の露光値が、現像後に失敗であると判明しても、そんな時間を過ごした記憶だけは、静かに刻まれるのだろう。
四分の露光が一時間へと引き伸ばされる。
もちろん実際に引き伸ばされているのは時間ではなく、フィルムの感度特性なのだが、露出計の示す数字と現実の露光時間との間には、大きな隔たりが生まれる。
宇宙を旅する光もまた、長い時間の中でその姿を変える。宇宙誕生の頃に放たれた光は、空間の膨張によって波長を引き伸ばされ、現在では宇宙マイクロ波背景放射として観測されている。
満月の湖面を写そうと計算していると、ときどき写真という技術が、光だけでなく時間そのものを扱う装置であるように思えてくる。
もしフィルムがマイクロ波にも感光したなら、夜空は肉眼で見るよりもずっと賑やかで、眩しい場所として記録されるのかもしれない。
しかし、目に見えないその眩しさを遮るように、夜の湖面はただ静かに、満月の光だけを気紛れに返すだろう。
――そんなわけで、リンホフのスーパーローレックス 45/67 を探そうかな。物欲のプレリュード。
2026年5月30日土曜日
夏の終わりの落とし物
ネガの反転像では細部が分かりにくいため、普段ならベタ焼きで確認するところだが、今回は電灯の光に透かしただけで、それらしき気配を感じ取ることができた。すぐに引き伸ばし機で大きく投影し、探していたものだと確信に変えた。
シャドーもハイライトも、破綻することなくネガの中に情報が収まっている。アンセル・アダムスが提唱したゾーンシステム――フィルム、現像液、そして処理工程の相関から導き出した撮影感度と露光が生み出した、技術の賜物だった。
大判カメラに比して、135フォーマットの撮影は極めて軽快だ。しかし、フィルム面積の小ささゆえに、そのハンドリングはかえってシビアさを要求される。手軽に扱えるものほど、真に使いこなすのは難しい。
2026年5月27日水曜日
パトローネの猫






