2026年3月21日土曜日

アルストロメリア

 


 隣町にアルストロメリアの農家があるせいか、時折、新鮮な切り花が手に入る。

 寒い時期はハウス栽培だろうが、暖かくなれば民家の庭先で咲いているのも見かける。アルストロメリアは花もちが良い。すぐに萎れてしまう心配がないので、じっくりと時間をかけて撮影できるのが魅力だ。色や模様は様々だが、今回の被写体には白基調の個体を選んだ。

 いつもの粉引きの一輪挿しにそっと挿し、コーヒーを淹れるためにお湯を沸かす。

​ 誰もいない午後。コーヒーカップを片手に、光の状態を観察する。

 

 まだ風は冷たいが、南向きの部屋には春の陽射しがたっぷりと差し込んでいた。太陽の熱を蓄えたチェストの上で、花はみるみるうちにその花弁を広げていく。

 「萎れる」心配はしていなかったが、「開花」のスピードまでは誤算だった。状態の変化が、思ったよりもずっと速い。のんびりとコーヒーを啜っている場合ではないことに気づく。

​ 慌てて遮光カーテンを引き、光の量と角度を追い込む。三脚を立て、カメラにレンズを装着。冠布(かんぷ)を被り、薄暗い中でグラウンドグラスを覗き込む。

 ピントを合わせ、スポット測光でハイライトとシャドウの輝度差を計測する。近接撮影による補正と、フィルムの相反則不軌……。頭の中で露出値を算出し、レンズに設定する。

 時間は慌ただしく過ぎていき、静かな部屋の中で僕だけが忙しなく動いている。すべての準備を終え、シャッターを閉じてフィルムを装填する。引き蓋を抜き、レリーズを押し下げてシャッターを開放した。

​ ――7秒間の露光。

​ この7秒間、少なくとも僕だけは、彫像のように動かない。7秒後、再びレリーズを押してシャッターを閉じた。

​ この日の撮影は、これで完了。

​ ふと机の上を見ると、そこには、いつの間にか飲むのを忘れてすっかり冷めてしまったコーヒーが残っていた。


2026年3月17日火曜日

銀の黒、墨の黒

 


 ゼラチンシルバープリントの仕上げの工程に、スポッティングという作業がある。現像や定着を終え、乾燥したプリントを確認し、微細な白点を見つけて筆で埋めていく作業である。


 フィルムや印画紙に付着した塵や傷、現像の過程で生じた事故的な欠落によって、小さな白い点が残ることがある。それをそのままにしておくと、鑑賞者の視線が目障りなノイズとして、そこに引き寄せられてしまう。

 そこで、細い筆の先にわずかな塗料を含ませ、その白点にそっと触れて消す。使用する塗料には、人によって好みがある。市販されているスポッティング用の塗料もあるが、僕は習字用の墨を使っている。

 墨の黒は炭素の黒で、銀と同じく単体の物質であり、化学的な安定性が高い。長く同じ姿を留めてくれるものにはロマンを感じる。

 スポッティング作業は、いつも硯の陸に水を落とし、墨を磨ることからはじまる。墨は細かな粒子であり、その密度で、濃淡を調整する。


 暗室作業の最後に行うこの小さな修正のなかで、いつも二つの黒の違いを意識する。ひとつは、写真の黒である。ゼラチンシルバープリントの黒は、光によって生まれた銀の像である。撮影された光がフィルムに潜像をつくり、それが現像によって還元され金属銀となり、印画紙の上に定着する。黒は光の結果としてそこに現れる。

 もうひとつは、スポッティングの墨の黒である。墨は光によって生まれたものではない。筆を持つ手の判断によって置かれる黒である。画面の中の一点を見極め、必要最小限の濃度で、できるだけ痕跡を残さないように、塗るのではなく、置く。

 同じ黒ではあるが、両者の成り立ちはまったく異なる。銀の黒は、光と化学反応が作り出した像であり、いわば自然現象の延長にある。一方、墨の黒は、人の手による介入である。

 写真はしばしば、機械的に生成される像だと考えられる。シャッターが開き、光がフィルムに当たり、化学反応が像を作る。そこには人の手の痕跡は少ないように見える。しかし、プリントの最終段階で筆を持つとき、写真は完全に自動的な像ではなくなる。

 白点を見つけ、筆先を置く。その小さな黒は、銀の像の中に紛れ込む。鑑賞者がそれに気づくことはほとんどないだろう。むしろ気づかれないことこそが、この作業の目的である。

 それでも、その一点には意味がある。そこには、光によって生まれた像に対して、人間が最後に触れた痕跡が残っている。銀の黒の中に、わずかに墨の黒が入り込む。

 作業台で筆を置くとき、いつも、その境界に触れているような気がする。光が作ったイメージの黒と、人が置いた物質の黒。その二つが見分けのつかないかたちで同じ印画紙の中に共存する。そのとき写真は、単なる光の記録ではなく、光と人間の行為が重なり合ったものとして、完成する。

2026年3月10日火曜日

写真批評

 金村 修 著「写真批評」


 金村修氏のエッセイが写真界隈で話題になっているので、読んでみた。


 金村氏といえば、かつて『日本カメラ』のモノクロ写真部門で月例フォトコンテストの審査員を務めていた時期がある。その容赦のない選評は非常に魅力的だった。「卓越した、普通にうまい写真」などは、まず選ばれない。どんな写真であれば選ばれるのか、皆目見当がつかないほどカオスな月例だったと思う。

 

 もしかすると、そんな月例だからこそ自分にも勝機があるのではないか——。

 そう思い、その年は一回だけ応募してみたのだが、幸運にも入選して誌面に掲載されたことがある。その際にいただいた選評は、写真の体裁を整える技術など一蹴され、剥き出しの何かが引きずり出されるようなものだった。その言葉は、良くも悪くも一生、僕の心に深く突き刺さっている。それはある種の呪縛と救済のようなものだった。


 その月例で好評を博した金村氏は、翌年から同誌で「金村修に叱られたい!」という連載コーナーも担当されていた。

 そんな金村氏が綴るエッセイが、面白くないはずがない。360ページというボリュームながら、一つの章を読み終えて次をチラ見するたび、どうしても気になって読み進めてしまう。結局、それほど時間をかけずに読了してしまった。

 随所にベッヒャー夫妻やバルト、ポロック、アジェといった名前が登場するため、これらの名に反応する読者なら、随所で立ち止まらされるだろう。


2026年3月5日木曜日

クリスマスローズは走っている

 


 庭先に植えたクリスマスローズが咲き始めた。
 昨年の今頃、静物写真のモチーフにするため、形の異なる三株を買い求め、玄関先で一年かけて育ててきた。ようやく、その花がひらいた。

 日陰を好む植物だからと、わずかな光の差を考えて植え分けた。だが一年後、最も勢いよく葉を広げたのは、皮肉にもいちばん陽当たりのよい場所の株だった。人の配慮など、植物には関わりがないらしい。
 
 撮影のために周到に準備してきたが、花は僕の思惑とは別の時間を生きている。蕾は揃わず、順にほどけ、やがて衰える。一斉に咲いてくれればどれほど楽かと思うが、自然は決して段取りに従わない。
 土門拳は「仏像は走っている」と言った。花もまた、静止しているように見えながら、確かな速度で走り続けている。
 蕾の開き具合を見極める。光の角度を待つ。そのあいだに時は進み、花の相貌もまた移ろう。
 
 ホームセンターで展示用パネルに塗るステインを選び、時間をやり過ごす。準備と逡巡を重ねたのち、ようやくその刻が訪れた。
 ジュラルミンの三脚は冷たく、木製の大判カメラは掌にわずかな温もりを返す。夕刻、窓からの光がゆるやかに衰えていく。

 八重と一重、それぞれの株から、昨夜の雨を含んだ花茎を切る。粉引きの一輪挿しに挿し、形を整える。機材を組み終えてから切るのは、わずかな時間の差で花の均衡が崩れるのを恐れるからだ。

 この日のために一年を費やした。失敗は許されない。

 かつて、プッチーニという品種のカボチャを種から育て、静物として撮ろうとしたことがある。結実せぬまま終わった。翌年、再び種を蒔く気力は残らなかった。
 買ってきた花でも写真は撮れる。だが一年をともに過ごした花には、目に見えない時間が宿る。その時間ごと、写し取りたいと思う。
 
 この日は四枚、シャッターを切った。まだ伸びようとする花茎がある。季節は周期的に雨を降らせ、冬を終わらせ、春へと押し出していく。
 
 そのあいだにも、花は走り続けている。
 僕はそれを追いかける。
 追いながらいつも少しだけ遅れている。

2026年3月3日火曜日

「それは、かつてあった」の残響


 2月3日のエントリーで、ロラン・バルトの『明るい部屋』について書いた。

 そこに記されていた言葉が、半月ほど経った今もなお、心に突き刺さっている。

 そんな心持ちのまま、昨年から撮影したいと思っていた古民家を目指し、風のない、日差しのやわらかな冬の午後に、美濃市までバイクを走らせた。

 自宅から目的地までは一時間ほど。せめて道中だけは軽やかな気分でいたくて、ZARDのアルバム『forever you』を聴きながら走った。

 長良川沿いを北上する。ヘルメットのシールド越しに流れ去る景色を見ていると、河川敷には梅が咲いている。曲も次々と入れ替わっていく。

 「あなたを感じていたい」が流れた。何度も聴いた曲だが、改めて歌詞に耳を澄ますと、これは冬の歌なのだと気づく。



 ボーカルの坂井泉水さんは、2007年に亡くなっている。

 すでにこの世にはいない。そう思った瞬間、軽快だったはずの旋律が、不意にレクイエムのように響きはじめた。

 

 彼女が生きていたころ、その声は、歌以外の何ものでもなかった。

 だが、いまは違う。

 その声は、彼女が確かに存在したという証拠になっている。


 美濃市の旧市街に入り、目的の古民家に到着した瞬間、唖然とした。

 そこにあったはずの古民家はすでに取り壊され、柵の向こうに赤茶色の地面がひろがっているだけだった。

 そこには、もう何もなかった。

 ただ、「それは、かつてあった」という事実だけが残っていた。

 声は残り、建物は消える。

 だが、残ることと消えることに、優劣はない。

 ただ、時間がそうさせるだけだ。

2026年2月21日土曜日

硫肝を作る

 

 僕にとって硫肝は、単なる薬品ではない。


 前回のエントリーで、プリントの銀画像保護と表現のための調色において、硫肝が僕にはどうしても必要だと書いた。

 もう10年以上前になるが、写真用品店で硫肝が売られていたので、500g入りを購入し、それを材料に調色液を作って愛用していた。

 あるとき調色液をうっかりこぼしてしまい、新たに作ろうと思って薬壜の硫肝を確認すると、すっかり酸化して用を成さない状態になっていた。

 以前購入した写真用品店ではすでに取り扱いがなく、薬品メーカーや商社に直接問い合わせても、生産終了であるとか、個人とは取引しないとか、試験研究用にしか販売しないとか言われ、ほとほと困り果てていた。

 そこで海外の写真用品ECサイトから、硫肝を基に調合された調色液を取り寄せて使ってみた。(その時の話はこちら)

 使えないことはないが、調色特性にはどうしても不満が残る。それでも「もうこれしかないんだ」と、無理やり自分を納得させて使い続けていた。

 そんな日々を過ごすうち、写真仲間から「炭酸カリウムと硫黄で硫肝を作れるらしい」という情報を得た。その友人自身は実際に作ったことはないという。となると、ここから先は自分で試すしかない。

 しかし、もしこれがうまくいけば、安価に、しかもいつでも作りたての新鮮な硫肝を手に入れることができる。やってみるだけの価値は十分にあると思った。

 硫黄と炭酸カリウムを熱して反応させることで、ようやく水溶性でアルカリ性を示す『硫肝(多硫化カリウム)』が生まれるのだ。

「硫黄を水に溶かし、そこに印画紙を浸ければ調色できるのではないか?」

 化学的知識がほとんどない自分は、最初そんなことを考えた。しかし、そもそも硫黄は水には溶けない。さらに、印画紙のゼラチン層を通過して金属銀を硫化させるには、ある程度のアルカリ性が必要になる。

 こうして生まれる硫肝は、水に溶け、アルカリ性を示す。だからこそ銀画像に作用できるのだ。

 ちなみに、温泉に硫黄が溶け込んでいるのも同様の作用による。地球内部で硫黄がナトリウムやカリウム、カルシウムなどと結合し、水溶性の物質となって温泉の成分となる。そして、これらが湖に流れ込むと、硫黄の黄色と太陽光の青が混ざり合い、エメラルドグリーンの湖が生まれる。


白水湖(岐阜県大野郡白川村)

 

 写真をやっていると、いろいろなことが分かってきて面白いな、と思う。暗室の中の化学反応が、外の世界の大きな自然現象とつながっている。

 さっそくアマゾンで炭酸カリウムと硫黄を購入した。加熱用の容器とマドラーはステンレス製を用い、硫化水素の発生に備えて、屋外で作業することにした。


 ちょうど持ち手が壊れて、捨てる予定の鍋があったので、それを使うことにした。まるで硫肝を作るために、このタイミングで壊れてくれたかのようで、その鍋を褒めてやりたいくらいだった。


必ず正しい知識の下で、かつ自己責任で、自他ともに安全に気を付けて調合してください!

硫肝(多硫化カリウム)の作り方

・硫黄     10g

・炭酸カリウム 20g

※ 炭酸カリウムを50ccの湯に溶かし硫黄を加えたものを加熱する。ペースト状に近い液体の状態で沸騰した状態をキープし、水分が蒸発したら水を補充し、コーラのような色になり、硫黄が完全に溶けるまで加熱すると、15gほどの硫肝が生成できる。



硫肝調色液の作り方

・自作硫肝(上記で生成したもの)   約15g

・炭酸ソーダ                5g

・水      (総量2リットル)


 さっそく手元のプリントでテストしてみた。結果は、十分に満足のいくものだった。

 調色というプロセスは、単にゼラチン層を透過して銀画像を安定させるだけではない。時としてそれは、見る者の心の壁をも通過し、奥底まで届く力を持つ。




<調色処理> 




<調色前>



 今回はRC印画紙でのテストだったが、バライタ印画紙や事前漂白を組み合わせれば、表現の幅はさらに広がるだろう。その未知の色調を探っていくのが今から楽しみだ。


――結果を報告すると、友人は「これで自由になれた気がするよ」と言ってくれた。

自らの手で知識を編み、技術を習得することで得られる「自由」は、確かに存在するのだ。

2026年2月17日火曜日

銀とその保護、表現について

 写真用フィルムや印画紙には銀が使われている。他の金属は、コスト、光感度特性、毒性、保存性といった点で適さず、選ばれることはなかった。

 白黒写真の場合、フィルムや印画紙に含まれる銀は、現像・定着処理を経て金属銀として像を形成する。感光しなかったハロゲン化銀は定着液に溶解し、取り除かれる。これがゼラチン・シルバープリントである。

 カラー写真の場合も、フィルムや印画紙には銀が含まれているが、処理工程の途中で色素に置き換えられ、銀は取り除かれてリサイクルされる。これは発色現像方式による印画である。

 銀は貴金属であり、化学的には比較的安定しているが、決して万全ではない。

 銀の指輪やネックレスを着けたまま温泉に入ると真っ黒になる。銀の皿やスプーンは、使わなくても経年で黒ずんでくる。シルバーアクセサリーには、意図的に黒ずませる「いぶし加工」という技法もある。古い写真がセピア色に変色するのも、同じ現象だ。

 これらはすべて、空気中に微量に含まれる硫化水素が、金属銀を硫化銀へと変えることで起こる。

 銀分子の密度によって、黒く見えたり、茶色く見えたりする。銀は鉄のように酸化してボロボロになることはないが、最終的には硫化銀という安定形態へと移行する。自然界に存在する銀の多くは、硫化銀として産出する。

 ここで、写真の話に戻る。

 金属銀が露出したままのゼラチン・シルバープリントは、いずれ硫化していく運命にある。長期間プリントを保存しようとするなら、金属銀を何らかの形で保護する必要がある。

 海外では、セレニウム調色液によって金属銀をセレン化する処理が一般的だと思われるが、重金属であるためか、日本国内では入手しづらい。

 セレニウムトナーに代わる次善の策としては、フジのAGガードが挙げられるだろう。これは印画紙表面に保護膜を形成する処理で、銀を化学的に安定化させる方法とは異なるが、色調が変化しないため、僕も使うことがある。

そして、硫化調色である。

 放置しておけば、印画紙上の金属銀はまだらに硫化していく。それならば、最初から一様に硫化させ、安定形態にしてしまえばよい。加えて、モノクロームの表現は白と黒だけではない。茶色を帯びたモノクロームを用いたい場面もある。

 硫化調色の薬品には、硫化ソーダ、硫化カリウム、硫化カルシウムなどがあるが、硫肝(多硫化カリウム)による調色は、僕にとって最も好みの色調を得ることのできる方法だ。

 しかし、写真のデジタル化によって銀塩写真のユーザーは減少し、供給される写真薬品の種類も限られてきた。現在では、市販の硫肝を入手することは、かなり困難になっている。

 硫肝にまつわる話は、また別の機会で。