昨年の七月の終わりにM-Aを手にしてから、気づけば十ヶ月が経っていた。八月に最初のフィルムを一本通したきり、そのカメラの出番は途絶えていた。旅の連れを選ぶとき、どうしてもM-Aでなければならない必然を見つけられず、僕はいつも廉価ではあるが描写には文句がない他のカメラばかりを選んでいたのだ。
思えばフィルムカメラという領分において、操作系統が似通った他のM型ライカも含め、M-Aの代わりになるカメラはいくらでも転がっている。しかし、デジタルカメラになると、M型ライカの操作感覚は他には置き換えが効かないので、熱心な愛用者がいるのだろう。
フィルムライカであるM-Aのシルバークロームが、数ヶ月前に生産終了となったようだ。僕は金属の質感をより強く感じられる、銀塩写真の象徴たる「銀色」のカメラが好きだ。黒は僕にとっては強すぎる。光を反射し、カメラのボディが光を纏ってその存在を示してくれる、その佇まいに惹かれる。
昨年から、琵琶湖畔の木陰の光景を撮り続けている。何度もシャッターを切りながらも、未だ「何を、どう撮るべきか」の答えを出せずにいる。その輪郭を掴むために琵琶湖へと通っているのだが、季節の歩みは早く、日に日に樹々は葉を繁らせ、浜辺の木陰は木漏れ日を浸食していく。
陽射しが熱を帯びるにつれ、湖畔を歩く足取りも重くなる。けれど、木陰のベンチでひと息つくと、夏の琵琶湖の匂いを連れた涼風が、鼻腔をかすめて肺の腑までを心地よく吹き抜けていく。
こんな日だからこそ、M-Aと過ごしたい、と思った。
ズミクロン35mm ASPH.にイエローフィルターをねじ込み、M-Aに合わせる。フィルム二本と露出計をバッグに放り込み、バイクのエンジンをかけて琵琶湖の北へと向かった。
昼過ぎから始めた撮影も、午後五時を回る頃には、携えた二本のフィルムを撮り終えた。レンズを透過していった、樹木、草花、湖面、そして気まぐれに落ちる木漏れ日たち。彼らは一体、どんな姿でそこに留まっているのだろう。




