2026年5月31日日曜日

満月のプレリュード

  完全に陽が落ちた満月の夜、湖面を撮影する場合、露光時間はどうなるのだろうか。

  露出値の基準をISO100で「-EV2(F8、4分)」と想定してみる。しかし、使用するフィルム特有の相反則不軌特性を考慮しなければならない。


フォマパン200の場合

  


 データシートによると、露光時間が100秒を超えるときには、露光時間を18倍に引き伸ばさなければならない。

 4分の露光では補正後の露光時間はおよそ70分程度になる。しかし、一律で18倍というわけでもないだろうし、実際に撮影に臨むとなれば、F8で1時間、F11なら2時間くらいで、撮影することになりそうだ。



ケントメアパン200の場合



 こちらはフォマパン200に比べると、相反則不軌特性がいくぶん穏やかである。

 この数式は、指数になっている。計算上はF8で16分、F16なら95分となる。ただ、ケントメアパン200はコントラストが高くなりやすいという特徴を持つ。ハイライトの繊細な階調を硬くさせずに残すため、あえて少し切り詰め、F16で50分の露光とするのが現実的かもしれない。


 撮影フォーマットについても思案が要る。 フォマパン200はブローニーから大判の4×5まで揃うが、ケントメアパン200には4×5のラインナップがない。そのため、後者を選ぶならブローニーを使うことになる。手元には6×9のロールフィルムホルダーがあるが、今回は4×5に近いアスペクト比を持つ6×7で、あの静寂な広がりを切り取ってみたい。

 本番は、夏の終わりか、あるいは秋の初め頃の満月の夜。 夕暮れ時の湖面に三脚を立て、夜の帳が静かに落ちてくるのを待つのだ。長く開け放たれたシャッターの傍らで、お湯を沸かしてコーヒーを淹れる――そんな贅沢な時間が、今から少し待ち遠しい。


 この撮影は、不確定要素のオンパレードだ。実際のEV値、月の高度、大気の透明度、湖面の状態、相反則不軌の個体差や現像条件、引き伸ばし時に欲しいネガ濃度。

 これらを事前に完全には予測することは出来ない。今の段階で自分にできることと言えば「失敗を減らす」ことだけで、「最初から正解を知る」ことは難しい。


「仮説を立てる → 撮る → 現像する → 初めて結果を知る」

という時間のかかる営みである。

 その意味では、今回の撮影は写真を撮るだけでなく、満月の湖面という被写体について学ぶための最初の実験とも言える。

 そして意外と、最初のネガが技術的には失敗でも、その失敗から得た情報が二回目、三回目の撮影で大きく効いてくるだろう。

 「一枚の成功作を狙う」というより、「満月の湖面というテーマを数年かけて探究する」方向に進むのもいい。

 計算上の露光値が、現像後に失敗であると判明しても、そんな時間を過ごした記憶だけは、静かに刻まれるのだろう。

 

 四分の露光が一時間へと引き伸ばされる。

 もちろん実際に引き伸ばされているのは時間ではなく、フィルムの感度特性なのだが、露出計の示す数字と現実の露光時間との間には、大きな隔たりが生まれる。

 宇宙を旅する光もまた、長い時間の中でその姿を変える。宇宙誕生の頃に放たれた光は、空間の膨張によって波長を引き伸ばされ、現在では宇宙マイクロ波背景放射として観測されている。

 満月の湖面を写そうと計算していると、ときどき写真という技術が、光だけでなく時間そのものを扱う装置であるように思えてくる。

 もしフィルムがマイクロ波にも感光したなら、夜空は肉眼で見るよりもずっと賑やかで、眩しい場所として記録されるのかもしれない。

 しかし、目に見えないその眩しさを遮るように、夜の湖面はただ静かに、満月の光だけを気紛れに返すだろう。


 ――そんなわけで、リンホフのスーパーローレックス 45/67 を探そうかな。物欲のプレリュード。

2026年5月30日土曜日

夏の終わりの落とし物

 


 昨年の夏の終わり、確かに撮影したはずのネガが行方不明になっていた。それから月日が流れ、当時の記憶も曖昧になった今頃になって、ようやくそれを見つけ出すことができた。

 ネガの反転像では細部が分かりにくいため、普段ならベタ焼きで確認するところだが、今回は電灯の光に透かしただけで、それらしき気配を感じ取ることができた。すぐに引き伸ばし機で大きく投影し、探していたものだと確信に変えた。

 シャドーもハイライトも、破綻することなくネガの中に情報が収まっている。アンセル・アダムスが提唱したゾーンシステム――フィルム、現像液、そして処理工程の相関から導き出した撮影感度と露光が生み出した、技術の賜物だった。

 大判カメラに比して、135フォーマットの撮影は極めて軽快だ。しかし、フィルム面積の小ささゆえに、そのハンドリングはかえってシビアさを要求される。手軽に扱えるものほど、真に使いこなすのは難しい。


2026年5月27日水曜日

パトローネの猫

 


 
 琵琶湖の西側へ久しぶりに行こうと思い、バイクのトランクにニコンNew FM2とレンズ3本、フィルム2本、SCフィルターを積んで出かけた。
 岐阜に住んでいると、琵琶湖の東側は行きやすいのだが、西側は距離があるので、どうしても足が遠のいていた。
 数年ぶりに来てみると、湖岸の草木の繁茂や造成工事によって景色が変わっている。冬になったら大判カメラを持って撮りたいと思う場所を何か所か発見したので、メモしておいた。

 今日の旅の友にNew FM2を選んだのには、ちょっとした理由がある。

 少し前にニコンFGで撮影していたところ、36枚を超えてもまだ巻き上がった。もしかしたら、フィルムローダーでフィルムを巻くときに少し長めに巻いたのかなと思い、そのまま撮っていたら、38枚、39枚と巻き上がっていく。
 ここまで来ると、さすがにカメラ内部で何か異変が起こっていることに気づく。

 予想される事象としては、フィルム装填を失敗して1枚も撮影できていないか、もしくは、途中でフィルムが切れて巻き上げスプールに溜まっているか。

 おそらく後者であろうと当たりをつけ、暗室で裏蓋を開けたが、その予想は外れ、パトローネ室内に完全に巻き取られたフィルムがあるだけだった。
 果たして、このフィルムは未露光なのか、それとも露光済みなのか?

 次の取るべき行動は、露光済みであると判断して現像するか、もしくは、未露光であると判断してベロを引き出し、再び撮影するか……。

 前者の予想が裏切られた場合、何も写っていない素抜けのネガが出来上がる。後者の場合は、コマ間が不ぞろいの多重露光、かつ露光過多のネガが出来上がる。

 まるで、「シュレーディンガーの猫」のように、現像して確認するまでパトローネの中の世界は確定しないのだ。


 僕は、後者を選んだ。
 なぜなら、素抜けのネガはただの失敗だが、そこに光の記録が存在している限りは、やりようがあるかもしれないからだ。

 今回のトラブルはFGに問題があったわけではない。僕の操作ミスによるものだ。それは分かってはいるのだが、今回は心理的にFGから気持ちが遠のいた。
 そんなわけで、New FM2に久しぶりに電池を入れて、FGから取り出したフィルムを装填した。今回は、念入りにだ。

 このNew FM2というカメラ、かなり付き合いの長い知り合いとカメラ交換をして僕の手元にやってきた。彼はモデル末期のものを新品で購入していたので、素性の知れた、信頼できる機体である。

 そうでなくとも、このNew FM2は機械式一眼レフカメラの終着点とも言うべき存在で、ケチの付けようがないカメラである。敢えて言うならば、コストダウンのためにシャッタースピードダイヤルの表示などが刻印ではなくプリントになっていることくらいかな。ファインダーは明るくとても見やすい。マニュアルでピントを合わせないといけないので、スクリーンの出来はとても重要だ。ペンタックスSPはカメラの作りはいいが、古い機種であるためスクリーンは暗い。

 もともとニコンのFEシリーズは、どれも使いやすく説明書いらずのUIであるが、その中でもこのNew FM2は「ザ・スタンダード機械式制御一眼レフ」なのである。それ故か、中古市場でも驚くほど安定している。

 生涯、手元に置いておきたい信頼のできるカメラだ。唯一の心配事は、露出計かな。

そんなことを思いながらNew FM2を首から提げ、「露光済みかもしれないフィルムで撮影している」という一抹の不安を抱えながら湖畔を歩く。ようやくそのフィルムの撮影を終えると、次の、正真正銘の未露光フィルムを装填した。
 
 撮影が終わるころには、トンビが鳴きながら旋回し、鵜が編隊を組んで飛んでいる空が、徐々に夜の気配を帯びてくる。

 帰り道、バイクを操作しながら、もう一度思う。FGに問題があるわけではない。あくまでも僕の操作ミス。そして確認ミス。


2026年5月21日木曜日

光の輪郭を探しに

 


 昨年の七月の終わりにM-Aを手にしてから、気づけば十ヶ月が経っていた。八月に最初のフィルムを一本通したきり、そのカメラの出番は途絶えていた。旅の連れを選ぶとき、どうしてもM-Aでなければならない必然を見つけられず、僕はいつも廉価ではあるが描写には文句がない他のカメラばかりを選んでいたのだ。

 思えばフィルムカメラという領分において、操作系統が似通った他のM型ライカも含め、M-Aの代わりになるカメラはいくらでも転がっている。しかし、デジタルカメラになると、M型ライカの操作感覚は他には置き換えが効かないので、熱心な愛用者がいるのだろう。

 フィルムライカであるM-Aのシルバークロームが、数ヶ月前に生産終了となったようだ。僕は金属の質感をより強く感じられる、銀塩写真の象徴たる「銀色」のカメラが好きだ。黒は僕にとっては強すぎる。光を反射し、カメラのボディが光を纏ってその存在を示してくれる、その佇まいに惹かれる。


 昨年から、琵琶湖畔の木陰の光景を撮り続けている。何度もシャッターを切りながらも、未だ「何を、どう撮るべきか」の答えを出せずにいる。その輪郭を掴むために琵琶湖へと通っているのだが、季節の歩みは早く、日に日に樹々は葉を繁らせ、浜辺の木陰は木漏れ日を浸食していく。

 陽射しが熱を帯びるにつれ、湖畔を歩く足取りも重くなる。けれど、木陰のベンチでひと息つくと、夏の琵琶湖の匂いを連れた涼風が、鼻腔をかすめて肺の腑までを心地よく吹き抜けていく。

 こんな日だからこそ、M-Aと過ごしたい、と思った。

 ズミクロン35mm ASPH.にイエローフィルターをねじ込み、M-Aに合わせる。フィルム二本と露出計をバッグに放り込み、バイクのエンジンをかけて琵琶湖の北へと向かった。

 昼過ぎから始めた撮影も、午後五時を回る頃には、携えた二本のフィルムを撮り終えた。レンズを透過していった、樹木、草花、湖面、そして気まぐれに落ちる木漏れ日たち。彼らは一体、どんな姿でそこに留まっているのだろう。

 木漏れ日の撮影は、まだ二年目の幕が上がったばかり。今日のフィルムに落ちた光の粒子は、少し先の未来で確かめることにする。 

2026年5月20日水曜日

黒の物語

 ヘイリー・エドワーズ=デュジャルダン (原著), 丸山 有美 (翻訳)「色の物語 黒」


 黒とはいったい、何だろうか。

 写真が捉えるもの。それは光源から発せられた光子という名の素粒子が、物体に跳ね返り、レンズを通ってフィルムへと到達した軌跡だ。その光がフィルムの記録再現幅(ラティチュード)に収まったとき、初めて像として結実する。

 物質によって光子の反射率は異なり、その数値が低ければ低いほど、眼前に現れる黒は深さを増していく。となれば、究極の黒とは、光さえも逃しはしないブラックホールの色を指すのだろうか。


 人類は、この「完全な黒」を求めて、悠久の時を費やしてきた。

 歴史を紐解けば、必ずフランスのラスコー洞窟の壁画に行き当たる。当時の人々は二酸化マンガンを用い、闇を描こうとした。その後も木炭や鉄など、身近な物質を媒介に、人類は黒を「発明」し続けてきたのである。その探求の結晶は、2014年に登場したナノ技術による最新の黒にまで至る。数千年もの間、黒を作り出すことは、人にとってそれほどまでに困難で、抗いがたい魅力を持つ挑戦であったに違いない。


 19世紀に写真が登場した当初、その色は「黒」ではなく「茶色」だった。当時の技術では、まだ完全な黒を定着させることができなかったのだ。よくある誤解として、「古い白黒写真が劣化して茶色くなった」と思われがちだが、そうではない。それらは、最初から琥珀の色調を帯びて生まれてきたのである。

 その後、感光材料の改良が進み、銀粒子の緻密な制御が可能になったことで、写真はようやく、ビロードのような深い黒を手に入れた。


 人類が数千年かけてようやく到達したこの漆黒を、僕は今、あえて再び「茶色」へと引き戻そうと試みている。硫黄を操り、化学変化を媒介として、銀の黒を温かな褐色へと変容させる。それは、効率や進歩という名の時間軸を逆行する、僕自身の物語なのかもしれない。

2026年5月17日日曜日

尾形光琳の銀

尾形光琳 紅白梅図屏風

 
 日本史や美術史を紐解くと必ず出てくる、尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」。
  着目すべきは、中央の妖しくうねった黒い川である。今まで、この黒が何に由来するものなのか、深く考えたことはなかった。 
  
 何か自分の写真表現で参考になることはないかと、日本画の技法書を読んでいるうちに、ある記述に強い興味を覚えた。

 


 この黒い川は、銀箔を硫化させて作り出した黒だという。そして、若干の紫色を帯びていることから、微量のセレニウムの存在が指摘されている。
 これは、僕が暗室でバライタ印画紙を硫化調色、あるいはセレニウム調色しているのと同じプロセスではないか。まさかこんなところで、自分と光琳が接続するとは思ってもみなかった。

 なぜ、化学的に安定した墨ではなく、あえて不安定な銀を光琳は使ったのだろうか。

 墨にはない、硬質な金属光沢を求めたのか。
 背景が金であるため、川の表現にも貴金属である銀を使いたかったのか。
 あるいは、不安定な物質だからこそ、生き物のように変化し、完成していく「時間」を計算に入れたのだろうか。

 暗室で印画紙を現像液に浸したとき、最初に浮かび上がる黒はまだ浅い。それが定着や調色(硫肝・セレン)のプロセスを経て、ようやく「これだ」という独自の重みを持った黒へと完成していく。

 光琳が求めたのも、おそらくその「化学変化の先にある黒」だったのではないだろうか。
 もし彼がただ「黒い線」を引きたいだけなら、迷わず墨を使ったはずだ。しかし彼が描きたかったのは、流れる水であり、うごめく自然のエネルギーであった。そのためには、光を吸い込む墨ではなく、光と遊び、時とともに変化し続ける「銀の黒」でなければならなかったのだろう。

 川は、変化し続けるものだから。

2026年5月14日木曜日

大西茂 「写真と絵画」



 東京ステーションギャラリーで開催された展示の図録を購入した。

 掲載作品は決して多くはないが、そこにあるのは、いわゆる「正統な暗室処理」からはかけ離れた技法で生み出されたものばかりだ。


 刷毛(はけ)を用いた部分現像、変則的な温度管理による色調変化、ソラリゼーション、そして多重露光。長期保存という観点では推奨されない手法かもしれないが、彼にはそれ以上に優先すべき表現があったのだろう。

 数学者でもあった彼は「超無限」を顕(あらわ)そうとしていたという。それはプラトンの「イデア」に近い観念だったのだろうか。


 僕自身は、フィルムの性能を限界まで引き出し、適切な温度管理のもと、長期保存に耐えうる処理を旨としている。しかし、その正当な処理こそが、表現における一つの「限界」なのかもしれない。そこから逸脱した先にこそ、見えてくる世界があるのではないか。そう感じさせられた。