2026年4月23日木曜日

揺らぎの湖面

 


 湖畔の樹々が、新緑の兆しをそっと告げている。葉は枝の先からほどけるように芽吹き、日ごとにその姿を変えていく。
 
 夕刻、湖畔に三脚を据え、十五分の露光のあいだ、ただ立ち尽くしていると、樹々の向こうで湖面が光り、揺らいでいた。
 
 湖面を見ていると、世界のはじまりもまた、このような揺らぎに満ちていたのではないかと思えてくる。
 一枚の布がたわむように、何かが満ち、かすかに波打つ。そのわずかな偏りが、かたちを呼び寄せ、また打ち消し合いながら、やがて残るものと消えるものを分けていったのかもしれない。
 そうして残されたものが、星や大地の姿を結んでいったのだろう。
 いまここに在るということは、どこかで在らなかったことと隣り合っている。
  
 長い露光のあいだ、そんな取り留めのない思いに身をゆだねていると、魚の跳ねる音がして我にかえる。
  
 陽が傾き、入り江の奥へと目を向ける。岩礁を写そうと、湖岸を北へ歩いた。
 水際の、波が届かぬあたりに、何かが横たわっている。はじめは小さな毛布かと思ったが、近づけば、それは小動物の骸だった。原形は失われ、砂礫に半ば埋もれている。何であったのかは分からない。ただ、猿ほどの大きさに見えた。
 それは、ここに在った時間を終えたのだろうか。

 そのすぐ傍らに、親指ほどの小さな木が芽を出していた。あまりにか細い姿なのに、軽く引いてもびくともしない。見えないところで、確かに根を張っている。
 この芽がどこまで伸びるのかは分からない。ただ、いまはまだ、ここにとどまり、揺らぎの中で確かに息づいている。

 僕は撮影を繰り返し、やがて、シャッターを静かに閉じる。
 
 十五分という時間のあいだに、光は幾度も揺れ、その都度、かたちを変えていたはずだ。 その連なりが、フィルムの上に、ひとつの像として沈んでいく。
 
 あの湖面の揺らぎも、すべては消えたのではなく、かたちを変えてそこに在る。
 

2026年4月21日火曜日

亜硫酸ソーダと心の処方箋

 

 僕が長年にわたって使い続けているフィルム用現像液には、無水亜硫酸ソーダがたっぷりと含まれている。1リットルの現像液に対して100グラム。成分の一割が、無水亜硫酸ソーダだと考えると、その存在感は決して小さくない。


 無水亜硫酸ソーダは、工業用や食品用としても使われている、穏やかな性質のアルカリ剤である。現像という化学反応は、アルカリが強いほど進みやすい。


 現像液の中での無水亜硫酸ソーダの役割は、本来、酸化を防ぐための保恒剤である。しかしそれだけではなく、像を現すに足る程度のアルカリ性も併せ持っている。だからこそ、現像主薬と無水亜硫酸ソーダさえあれば、最も簡素な現像液を作ることができる。


 ここまでが、無水亜硫酸ソーダの基本的な役割である。だが、僕がこの成分を含む現像液を使い続けている理由は、むしろ写真表現の側にある。無水亜硫酸ソーダには、像を微粒子化するという特質がある。


 金属銀の粒子の周囲がわずかに溶かされ、その溶かされた微細な銀が、近くの粒子へと移動し、再び結びつく。粒子は整えられ、角が取れ、丸みを帯びる。その結果、諧調のつながりは滑らかになる。


 もっとも、この効果は、諧調表現に大きな利点をもたらす一方で、シャープネスが甘く、柔らかすぎる調子のネガになるという側面も併せ持っている。


 そこで、現像主薬はあえてメトール単用とする。コントラストの境界部分において、現像主薬の疲労と進行の差を利用し、輪郭にわずかな緊張感を与えるためだ。

 もし、メトールに還元作用があるハイドロキノンを加えれば、主薬は疲労しにくくなり、この効果は得られにくくなる。

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 かつてフィルムメーカーが化粧品に進出した際、現像主薬の還元作用がシミ対策に転用されたという話を聞いた。僕にとってはネガ像を黒く作るための成分が、誰かにとっては肌を白くするためのものになる。

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 光を多く受けたハイライト部分では現像反応が早く進み、現像主薬は早々に疲労する。一方、光の乏しいシャドー部では反応が遅く、主薬はゆっくりと消耗していく。この差異が、境界面の描写を形づくる。


 攪拌の頻度を抑えること、あるいは現像終了後にホウ砂や炭酸ソーダといったアルカリ剤で処理することも、同様の効果をもたらす。いずれも、フィルムに新鮮な現像主薬を過剰に供給しないことで、ハイライトとシャドーの境目に、かすかな鋭さを生み出すための手法である。


 細やかで柔らかな粒状性が生む、諧調の滑らかな連なりと、控えめな輪郭描写。僕の作品表現の骨子は、ほとんどフィルム現像の段階で決まっていると言っていい。暗室での引き伸ばし作業で出来ることは、実はそれほど多くない。


 それでも、この現像結果から生まれるネガを見ていると、確かなカタルシスを覚える。現像液の処方は、世界をどう認識するかの方便である。

 処方を変えれば、荒々しく、高コントラストな像を得ることもできる。だが、そうした像は、どうにも心を落ち着かせてはくれない。


 同じことを続けていれば、人はやがて飽きる。けれども、この現像処方に出会ってから二十年以上が経つ今も、僕は一度も飽きを感じたことがない。


 カメラやレンズについては、別のものを試してみたいという気持ちが湧くこともある。しかし、暗室機材や薬剤については、これからもずっと同じものを使い続けたいと思っている。

 同じ現像液処方を守り続けることは、写真のためだけでなく、僕自身の心を整えるための、小さな処方箋でもあるのだ。


2026年4月17日金曜日

モクレン

 



 次々と花が入れ替わるこの季節、僕は「粉引きに花」のシリーズ撮影に追われている。実家の庭で今にも咲きそうだったモクレンの枝を切り、毎日そのつぼみが開くのをじっと待った。

 このモクレンは「トウモクレン」という種類らしい。真っ白なハクモクレンや、花弁の内外ともに紫のシモクレンとは違い、トウモクレンは外側が紫で内側が白いのが特徴だ。

  モノクロームで表現する以上、被写体としての花は「白」を基調としたい。しかし、大ぶりのハクモクレンは画面の中での主張が強すぎ、一方でシモクレンは中間調のグレーとなり背景に紛れてしまう。諧調が分離せず、花の存在が際立たないのだ。結果として、実家に咲いていたのがトウモクレンであったことは、僕にとってこの上ない幸いだった。

 それにしても、大ぶりの花を付けた枝を一輪挿しに生けると、どうしても花が重みで下を向いてしまう。モクレンは本来、空を仰ぐように咲く花だ。その気高く上を向く姿を捉えたくて、位置を固定するのに少々手を焼いた。

 花の向きを自在に制御する「生け花」のような技術も、また学ばねばならないのか、と苦笑する。

 写真を撮るということは、単にシャッターを切ることではない。ある時は展示のための木工や、カメラのストラップを作るための革細工に没頭し、ある時は暗室での化学反応や、レンズの向こう側にある哲学を思索する。そして、水辺の被写体を求めてカヤックを漕ぎ出し、水上を彷徨うこともある。

 一枚の銀塩プリントに命を吹き込むために必要な、あまりに多岐にわたる研鑽。その終わりのない旅路に、僕は今、そこはかとない可笑しさと喜びを感じている。


2026年4月9日木曜日

暮色の湖岸


 
 今年の桜の開花は、例年よりも一週間ほど早かった。

 ここ岐阜ではすっかり満開を過ぎ、葉桜になりつつある。昨日の雨と風が季節の移ろいを加速させたのだろう。近所の桜の名所からも花見客の姿は消え、観光駐車場の監視員が所在なさげに佇んでいた。

 湖北の桜が満開を迎えるのは、岐阜よりも一週間ほど遅い。「今シーズンはまだ一枚も桜を撮れていない」という焦燥にも似た思いに突き動かされた。まだ間に合うのではないか。そう信じて大判カメラ一式を車に積み込み、湖岸の暮色に染まる桜を求めて北へと向かった。

 琵琶湖は広いが、桜と岩礁、そして湖面を一つの画面に収められるポイントは限られている。かつてカヤックを出し、湖岸の表情を丹念に探った時の記憶を頼りに、目的の場所へと足を進める。

 写真は不確定要素の積み重ねだ。現地へ赴いたところで、望み通りの花が咲いているとは限らない。花見客で溢れて車を止められないかもしれないし、狙った場所に先客がいるかもしれない。風が吹けば枝は揺れ、現像のプロセスにも失敗のリスクは潜んでいる。

 それでも、行かなければ何も得ることはできない。

 午後2時。明るいうちに構図を追い込もうと、不安定な岩場に三脚を据えた。絶好の撮影ポイントというものは、なぜいつもこうも足場が悪いのだろうか。

 超広角レンズを装着し、蛇腹を繰り出しながら構図を絞り込んでいく。用意したフィルムは6枚。これで十分だ。40分ほどかけてセッティングを終え、日没の時刻を調べると、まだ4時間もの時間があった。

 なぜ、陽光の下でシャッターを切らないのか。
 日中は輝度差が大きすぎるからだ。湖面は陽光を跳ね返して白飛びし、岩場の影は深く沈み込む。フィルムのラティチュード(記録再現幅)を超えてしまえば、目の前の世界を「露わにする」ことは叶わない。世界は条件が揃わなければ現れない。だからこそ、光が平坦に、弱くなる瞬間を待つのだ。

 このまま、静かに時を待つ。

 幸い、風はない。構図も決まった。これほど条件に恵まれた日は、一生のうちにそう何度も訪れるものではないだろう。

 岩の上に腰を下ろし、澄んだ湖水に浮かぶ花筏(はないかだ)を眺めたり、周囲を散策したりして過ごすが、こういう時に限って時計の針は遅々として進まない。それでも、夕刻が近づくにつれて花見客の喧騒は引き、空気は冷え込み、陽光は緩やかに傾いていく。

 ようやく午後6時を回った頃、バックにフィルムを装填し、最初の一枚に15分間の長時間露光を祈りのように捧げた。満開、そして無風。これほどの好条件に巡り合うことができず、実はこれまで一度も納得のいく桜を撮れたことがなかった。

 完全に陽が落ちるまでに、5枚のフィルムを費やした。待っている間の4時間はあんなに長かったのに、撮影に没頭した30分は、瞬く間に過ぎ去っていった。

 薄暗くなった足元を慎重に確認しながら、レンズを外し、カメラを折り畳み、三脚を縮めてその場を後にする。湖面には、トンビや猿の鳴き声が、どこか遠く響き渡っていた。

2026年4月7日火曜日

パネル装

 

 

 写真をパネルに貼るという行為は、保存という点では危うさを伴う。剥き出しの銀塩面は傷に弱く、木材から出るヤニが歳月とともに紙を蝕む可能性も否定できない。永く遺すことを目的とするならば、額装に軍配が上がるのは明白だ。

 けれど、表現の方向性として、どうしてもパネルという形式が必要な場合がある。その時は、展示期間という限られた時間の中でだけその命を全うすればいい、と潔く割り切ることにしている。あるいは、自分自身が日々眺めて楽しむためであれば、保存性の優劣など些細な問題に過ぎない。

 ベニヤを裁ち、角材を貼り合わせる。サンドペーパーを走らせて表面を整え、ステインを塗り、金具を打つ。そうした単純な作業の積み重ねによって、一つの「場」が出来上がる。

 そこに、4×5判の密着プリントで引き伸ばした印画紙を添える。……密着プリントはネガの原寸大であるため、「引き伸ばした」というのは、いささか語弊がある。

 額装の端正な佇まいとはまた違う、作品と支持体が一体となった、分かちがたい塊としての実存を実感する。

2026年4月4日土曜日

粉引の通奏低音、花の主旋律

 


 外は朝から雨。数日前から咲き始めた桜が満開を迎えているが、雨の中を出歩く気にはなれず、庭先で全ての蕾が開花したクリスマスローズを撮影することにした。
  雨の日は窓から差し込む光が柔らかく、コントロールがしやすい。時間に追われることもなく、撮影に没頭できる。BGMには、バロック音楽のキタローネの楽曲を選んだ。

 粉引(こひき)の一輪挿しに花を活けて写す「粉引に花」シリーズは、もう5年ほど続けている。音楽を聴きながら、ふと思った。この一輪挿しは「通奏低音」であり、その時々に挿す花が「主旋律」なのかもしれない、と。

 愛用の木製大判カメラからは、今日に限っていつもより強く木の香りが漂う。春の暖かさに雨の湿度が加わったせいだろうか。その佇まいを眺めていると、まるで楽器のようだと感じる。

 一年かけて育てたクリスマスローズには、新しい葉が次々と芽吹いている。きっと来年も、また多くの花を咲かせてくれるだろう。
 

2026年3月31日火曜日

「Do It Myself」の効用

 

 1980年代、僕が白黒写真の自家処理を始めたきっかけは、単にその方が圧倒的に安価だったからだ。それ以外に理由はなかった。そうでなければ、最初から迷わずカラー写真を選んでいただろう。当時は白黒写真が美しいとは微塵も思っておらず、コスト面でのやむを得ない選択に過ぎなかった。

 しかし、作業を続けていくうちに、コスト以上に自家処理から得られる恩恵がはるかに大きいことを知り、「もう外注はできない」という思いに変わっていった。それと同時に、モノクロームプリントが持つ独特の美しさも、ようやく理解できるようになったのだ。

 白黒フィルムの現像液は、それこそ何百種類と存在する。外注では、どんな液を使い、どのような温度や攪拌で処理されているかも分からない。それでは到底、自分の目指す仕上がりは望めないだろう。 プリント作業も同様だ。テストプリントを繰り返しては試行錯誤し、理想へと追い込んでいく。この視覚的な判断を、言葉の指示だけで他者に伝えるのは至難の業だ。

 何より、自ら手を動かす過程には常に「学び」がある。そこで得た気づきは、次の表現への応用につながる。

 この日は、展示用パネルの切り出しを行った。既製品を買う方が品質は明らかに高いが、規格品にはない、ある種の「いびつさ」を僕は嫌いではない。写真は制作プロセスの多くを機械に頼るため、作品も工業製品のようになりがちだ。だからこそ、人の手を介した際に生まれるいびつさに、僕は手作業特有の「身体性」を感じるのである。規格品の均質な仕上がりは安心を与えるが、同時に、自分が関与していない存在が空虚さを残す。

 そんなわけで、自分でできることは、まず自分でやってみるのだ。