
砥上 裕將著「線は、僕を描く」
大学生である主人公の鎮魂と再生の物語を、水墨画の修行を通して描いた小説だ。
Monochrome Anthology - 暗室系写真サイト - のブログ

砥上 裕將著「線は、僕を描く」
大学生である主人公の鎮魂と再生の物語を、水墨画の修行を通して描いた小説だ。
隣町にアルストロメリアの農家があるせいか、時折、新鮮な切り花が手に入る。
寒い時期はハウス栽培だろうが、暖かくなれば民家の庭先で咲いているのも見かける。アルストロメリアは花もちが良い。すぐに萎れてしまう心配がないので、じっくりと時間をかけて撮影できるのが魅力だ。色や模様は様々だが、今回の被写体には白基調の個体を選んだ。
いつもの粉引きの一輪挿しにそっと挿し、コーヒーを淹れるためにお湯を沸かす。
誰もいない午後。コーヒーカップを片手に、光の状態を観察する。
まだ風は冷たいが、南向きの部屋には春の陽射しがたっぷりと差し込んでいた。太陽の熱を蓄えたチェストの上で、花はみるみるうちにその花弁を広げていく。
「萎れる」心配はしていなかったが、「開花」のスピードまでは誤算だった。状態の変化が、思ったよりもずっと速い。のんびりとコーヒーを啜っている場合ではないことに気づく。
慌てて遮光カーテンを引き、光の量と角度を追い込む。三脚を立て、カメラにレンズを装着。冠布(かんぷ)を被り、薄暗い中でグラウンドグラスを覗き込む。
ピントを合わせ、スポット測光でハイライトとシャドウの輝度差を計測する。近接撮影による補正と、フィルムの相反則不軌……。頭の中で露出値を算出し、レンズに設定する。
時間は慌ただしく過ぎていき、静かな部屋の中で僕だけが忙しなく動いている。すべての準備を終え、シャッターを閉じてフィルムを装填する。引き蓋を抜き、レリーズを押し下げてシャッターを開放した。
――7秒間の露光。
この7秒間、少なくとも僕だけは、彫像のように動かない。7秒後、再びレリーズを押してシャッターを閉じた。
この日の撮影は、これで完了。
ふと机の上を見ると、そこには、いつの間にか飲むのを忘れてすっかり冷めてしまったコーヒーが残っていた。
ゼラチンシルバープリントの仕上げの工程に、スポッティングという作業がある。現像や定着を終え、乾燥したプリントを確認し、微細な白点を見つけて筆で埋めていく作業である。

金村 修 著「写真批評」
金村修氏のエッセイが写真界隈で話題になっているので、読んでみた。
金村氏といえば、かつて『日本カメラ』のモノクロ写真部門で月例フォトコンテストの審査員を務めていた時期がある。その容赦のない選評は非常に魅力的だった。「卓越した、普通にうまい写真」などは、まず選ばれない。どんな写真であれば選ばれるのか、皆目見当がつかないほどカオスな月例だったと思う。
もしかすると、そんな月例だからこそ自分にも勝機があるのではないか——。
そう思い、その年は一回だけ応募してみたのだが、幸運にも入選して誌面に掲載されたことがある。その際にいただいた選評は、写真の体裁を整える技術など一蹴され、剥き出しの何かが引きずり出されるようなものだった。その言葉は、良くも悪くも一生、僕の心に深く突き刺さっている。それはある種の呪縛と救済のようなものだった。
その月例で好評を博した金村氏は、翌年から同誌で「金村修に叱られたい!」という連載コーナーも担当されていた。
そんな金村氏が綴るエッセイが、面白くないはずがない。360ページというボリュームながら、一つの章を読み終えて次をチラ見するたび、どうしても気になって読み進めてしまう。結局、それほど時間をかけずに読了してしまった。
随所にベッヒャー夫妻やバルト、ポロック、アジェといった名前が登場するため、これらの名に反応する読者なら、随所で立ち止まらされるだろう。
2月3日のエントリーで、ロラン・バルトの『明るい部屋』について書いた。
そこに記されていた言葉が、半月ほど経った今もなお、心に突き刺さっている。
そんな心持ちのまま、昨年から撮影したいと思っていた古民家を目指し、風のない、日差しのやわらかな冬の午後に、美濃市までバイクを走らせた。
自宅から目的地までは一時間ほど。せめて道中だけは軽やかな気分でいたくて、ZARDのアルバム『forever you』を聴きながら走った。
長良川沿いを北上する。ヘルメットのシールド越しに流れ去る景色を見ていると、河川敷には梅が咲いている。曲も次々と入れ替わっていく。
「あなたを感じていたい」が流れた。何度も聴いた曲だが、改めて歌詞に耳を澄ますと、これは冬の歌なのだと気づく。
ボーカルの坂井泉水さんは、2007年に亡くなっている。
すでにこの世にはいない。そう思った瞬間、軽快だったはずの旋律が、不意にレクイエムのように響きはじめた。
彼女が生きていたころ、その声は、歌以外の何ものでもなかった。
だが、いまは違う。
その声は、彼女が確かに存在したという証拠になっている。
美濃市の旧市街に入り、目的の古民家に到着した瞬間、唖然とした。
そこにあったはずの古民家はすでに取り壊され、柵の向こうに赤茶色の地面がひろがっているだけだった。
そこには、もう何もなかった。
ただ、「それは、かつてあった」という事実だけが残っていた。
声は残り、建物は消える。
だが、残ることと消えることに、優劣はない。
ただ、時間がそうさせるだけだ。
僕にとって硫肝は、単なる薬品ではない。
前回のエントリーで、プリントの銀画像保護と表現のための調色において、硫肝が僕にはどうしても必要だと書いた。
もう10年以上前になるが、写真用品店で硫肝が売られていたので、500g入りを購入し、それを材料に調色液を作って愛用していた。
あるとき調色液をうっかりこぼしてしまい、新たに作ろうと思って薬壜の硫肝を確認すると、すっかり酸化して用を成さない状態になっていた。
以前購入した写真用品店ではすでに取り扱いがなく、薬品メーカーや商社に直接問い合わせても、生産終了であるとか、個人とは取引しないとか、試験研究用にしか販売しないとか言われ、ほとほと困り果てていた。
そこで海外の写真用品ECサイトから、硫肝を基に調合された調色液を取り寄せて使ってみた。(その時の話はこちら)
使えないことはないが、調色特性にはどうしても不満が残る。それでも「もうこれしかないんだ」と、無理やり自分を納得させて使い続けていた。
そんな日々を過ごすうち、写真仲間から「炭酸カリウムと硫黄で硫肝を作れるらしい」という情報を得た。その友人自身は実際に作ったことはないという。となると、ここから先は自分で試すしかない。
しかし、もしこれがうまくいけば、安価に、しかもいつでも作りたての新鮮な硫肝を手に入れることができる。やってみるだけの価値は十分にあると思った。
硫黄と炭酸カリウムを熱して反応させることで、ようやく水溶性でアルカリ性を示す『硫肝(多硫化カリウム)』が生まれるのだ。
「硫黄を水に溶かし、そこに印画紙を浸ければ調色できるのではないか?」
化学的知識がほとんどない自分は、最初そんなことを考えた。しかし、そもそも硫黄は水には溶けない。さらに、印画紙のゼラチン層を通過して金属銀を硫化させるには、ある程度のアルカリ性が必要になる。
こうして生まれる硫肝は、水に溶け、アルカリ性を示す。だからこそ銀画像に作用できるのだ。
ちなみに、温泉に硫黄が溶け込んでいるのも同様の作用による。地球内部で硫黄がナトリウムやカリウム、カルシウムなどと結合し、水溶性の物質となって温泉の成分となる。そして、これらが湖に流れ込むと、硫黄の黄色と太陽光の青が混ざり合い、エメラルドグリーンの湖が生まれる。
白水湖(岐阜県大野郡白川村)
写真をやっていると、いろいろなことが分かってきて面白いな、と思う。暗室の中の化学反応が、外の世界の大きな自然現象とつながっている。
さっそくアマゾンで炭酸カリウムと硫黄を購入した。加熱用の容器とマドラーはステンレス製を用い、硫化水素の発生に備えて、屋外で作業することにした。
ちょうど持ち手が壊れて、捨てる予定の鍋があったので、それを使うことにした。まるで硫肝を作るために、このタイミングで壊れてくれたかのようで、その鍋を褒めてやりたいくらいだった。
必ず正しい知識の下で、かつ自己責任で、自他ともに安全に気を付けて調合してください!
硫肝(多硫化カリウム)の作り方
・硫黄 10g
・炭酸カリウム 20g
※ 炭酸カリウムを50ccの湯に溶かし硫黄を加えたものを加熱する。ペースト状に近い液体の状態で沸騰した状態をキープし、水分が蒸発したら水を補充し、コーラのような色になり、硫黄が完全に溶けるまで加熱すると、15gほどの硫肝が生成できる。
硫肝調色液の作り方
・自作硫肝(上記で生成したもの) 約15g
・炭酸ソーダ 5g
・水 (総量2リットル)
さっそく手元のプリントでテストしてみた。結果は、十分に満足のいくものだった。
調色というプロセスは、単にゼラチン層を透過して銀画像を安定させるだけではない。時としてそれは、見る者の心の壁をも通過し、奥底まで届く力を持つ。
<調色処理>
<調色前>
今回はRC印画紙でのテストだったが、バライタ印画紙や事前漂白を組み合わせれば、表現の幅はさらに広がるだろう。その未知の色調を探っていくのが今から楽しみだ。
――結果を報告すると、友人は「これで自由になれた気がするよ」と言ってくれた。
自らの手で知識を編み、技術を習得することで得られる「自由」は、確かに存在するのだ。