僕にとって硫肝は、単なる薬品ではない。
前回のエントリーで、プリントの銀画像保護と表現のための調色において、硫肝が僕にはどうしても必要だと書いた。
もう10年以上前になるが、写真用品店で硫肝が売られていたので、500g入りを購入し、それを材料に調色液を作って愛用していた。
あるとき調色液をうっかりこぼしてしまい、新たに作ろうと思って薬壜の硫肝を確認すると、すっかり酸化して用を成さない状態になっていた。
以前購入した写真用品店ではすでに取り扱いがなく、薬品メーカーや商社に直接問い合わせても、生産終了であるとか、個人とは取引しないとか、試験研究用にしか販売しないとか言われ、ほとほと困り果てていた。
そこで海外の写真用品ECサイトから、硫肝を基に調合された調色液を取り寄せて使ってみた。(その時の話はこちら)
使えないことはないが、調色特性にはどうしても不満が残る。それでも「もうこれしかないんだ」と、無理やり自分を納得させて使い続けていた。
そんな日々を過ごすうち、写真仲間から「炭酸カリウムと硫黄で硫肝を作れるらしい」という情報を得た。その友人自身は実際に作ったことはないという。となると、ここから先は自分で試すしかない。
しかし、もしこれがうまくいけば、安価に、しかもいつでも作りたての新鮮な硫肝を手に入れることができる。やってみるだけの価値は十分にあると思った。
硫黄と炭酸カリウムを熱して反応させることで、ようやく水溶性でアルカリ性を示す『硫肝(多硫化カリウム)』が生まれるのだ。
「硫黄を水に溶かし、そこに印画紙を浸ければ調色できるのではないか?」
化学的知識がほとんどない自分は、最初そんなことを考えた。しかし、そもそも硫黄は水には溶けない。さらに、印画紙のゼラチン層を通過して金属銀を硫化させるには、ある程度のアルカリ性が必要になる。
こうして生まれる硫肝は、水に溶け、アルカリ性を示す。だからこそ銀画像に作用できるのだ。
ちなみに、温泉に硫黄が溶け込んでいるのも同様の作用による。地球内部で硫黄がナトリウムやカリウム、カルシウムなどと結合し、水溶性の物質となって温泉の成分となる。そして、これらが湖に流れ込むと、硫黄の黄色と太陽光の青が混ざり合い、エメラルドグリーンの湖が生まれる。
白水湖(岐阜県大野郡白川村)
写真をやっていると、いろいろなことが分かってきて面白いな、と思う。暗室の中の化学反応が、外の世界の大きな自然現象とつながっている。
さっそくアマゾンで炭酸カリウムと硫黄を購入した。加熱用の容器とマドラーはステンレス製を用い、硫化水素の発生に備えて、屋外で作業することにした。
ちょうど持ち手が壊れて、捨てる予定の鍋があったので、それを使うことにした。まるで硫肝を作るために、このタイミングで壊れてくれたかのようで、その鍋を褒めてやりたいくらいだった。
必ず正しい知識の下で、かつ自己責任で、自他ともに安全に気を付けて調合してください!
硫肝(多硫化カリウム)の作り方
・硫黄 10g
・炭酸カリウム 20g
※ 炭酸カリウムを50ccの湯に溶かし硫黄を加えたものを加熱する。ペースト状に近い液体の状態で沸騰した状態をキープし、水分が蒸発したら水を補充し、コーラのような色になり、硫黄が完全に溶けるまで加熱すると、15gほどの硫肝が生成できる。
硫肝調色液の作り方
・自作硫肝(上記で生成したもの) 約15g
・炭酸ソーダ 5g
・水 (総量2リットル)
さっそく手元のプリントでテストしてみた。結果は、十分に満足のいくものだった。
調色というプロセスは、単にゼラチン層を透過して銀画像を安定させるだけではない。時としてそれは、見る者の心の壁をも通過し、奥底まで届く力を持つ。
<調色処理>
<調色前>
今回はRC印画紙でのテストだったが、バライタ印画紙や事前漂白を組み合わせれば、表現の幅はさらに広がるだろう。その未知の色調を探っていくのが今から楽しみだ。
――結果を報告すると、友人は「これで自由になれた気がするよ」と言ってくれた。
自らの手で知識を編み、技術を習得することで得られる「自由」は、確かに存在するのだ。






