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2025年12月29日月曜日

認識の枠とストリートフォトグラフィー


PENTAX SP Super-multi-coated Takumar 55mm f1.8

Fomapan200(EI100)  Stoeckler Two-bath Film Developer

SILVERCHROME FLEXGRADE RC Matt


 ストリートフォトグラフィーとは、まちを歩き、偶然に現れた現実を即時に撮影したもの、と定義づければよいだろう。


 先人たちの巨匠の作品には、人が写っている場合が多く、そこには人間ドラマがあり、いわゆる決定的瞬間が写し取られていた。


 二十一世紀に入り、インターネットが普及し、誰もが撮影した画像を公衆の面前に晒すことが可能になった頃から、写真を撮る人々は肖像権に対して、より神経質になっていった。それは、社会全体が「ホワイト化」していく流れとも無関係ではないだろう。


 そのような情勢の中で、人が写り込んだ写真を撮影する者は、次第に減少していった。


 新聞の三面記事を眺めていると、盗撮で逮捕という報道を頻繁に目にする。こちらにその意図がなかったとしても、いつ自分が犠牲の祭壇にまつり上げられるか分からないと思えば、人を撮ることに慎重になるのも無理はない。


 結果として、人が写り込んでいたとしても個人が特定できない状態であったり、撮影対象そのものが都市風景や物体へと移行していった。僕自身も、カメラを提げてまちを歩くときは、自然とそのような撮影スタイルになっている。



PENTAX SP Super-multi-coated Takumar 55mm f1.8

Fomapan200(EI100)  Stoeckler Two-bath Film Developer

SILVERCHROME FLEXGRADE RC Matt



 カメラという装置を用いてまちを撮影する行為は、絵画などの表現手法とは異なり、「無意識」と直結、もしくはより近い領域で作用しているのではないだろうか。


 絵画は、構図や色彩の選択など、理性が介在する余地が大きい。ジャクソン・ポロックは、理性を排除し無意識と接続するためにアクションペインティングという手法を採ったが、それは偶然性に身を委ねたというよりも、理性ではなく無意識によって制御された行為であったと言える。


 感性、悟性、理性の順に意識は深まっていくが、ストリートフォトグラフィーは、出会い頭に撮影が完了する表現であり、その多くは感性の領域で完結する。


 一方で、風景や静物に取り組む際には、構図や露光時間を吟味するなど、理性の働きが大きく関与する。そこには、写真表現の別の位相が存在している。


 ストリートフォトグラフィーは、感性の無意識領域で世界にアクセスする必要がある。そのため、以前のブログに書いたように認識の枠を揺さぶるための内面の再編成、意識的な努力と深い内省が不可欠だと改めて思う。


  哲学は、答えではなく問いである。知識ではなく道具である。と、つくづく感じる。


Nikon FG Ai Nikkor 50mmF1.8S

Fomapan200(EI100)  Stoeckler Two-bath Film Developer

SILVERCHROME FLEXGRADE RC Matt

2025年12月16日火曜日

選ばなかったカメラを今・・・

 

 先月、ニコンFGを手に入れた。

 40年以上前に発売された、小さなフィルム一眼レフ。その存在に、今あらためて触れてみたくなった。


 発売は1982年(昭和57年)。

 当時の僕は中学一年生。欲しいカメラを夢中で探していた頃で、各メーカーに葉書を書けば、数日後には分厚いカタログが郵便受けに届いた。インターネットも比較サイトもない時代。情報とは、自分で取り寄せ、自分で比較し、自分の時間で眺めて噛みしめるものだった。


 その頃の僕にとって、FGは「入門機」のイメージが強く、候補からは外れていた。

 当時のニコンの一眼レフを、今あらためて振り返ると、こんな感じ。


入門機:EM、FG


中級機:NewFM2、FE、FE2、FA


高級機:F3シリーズ


(これはあくまで当時の僕の感覚ね。)


 キヤノン、ペンタックス、ミノルタ、オリンパス。あれこれ迷った末、最終的に選んだのは、精度の高い電子制御式シャッターを搭載したFE2だった。「電池を入れるなら、機械式にこだわる必要なんてない」と、あの頃は信じて疑わなかった。機械式シャッターのNewFM2は選択肢にすら入らなかった。


 そのFE2は、写真専門学校に進学した友人の当時最先端だったAFカメラのミノルタα7000と交換して、今は僕の手元にはない。


 当時FGを評価できなかった理由は単純だった。スペックだ。


 最高シャッタースピードは1/1000秒。シンクロは1/90秒。

 対してFE2は1/4000秒に、シンクロ1/250秒。未来を感じた。


 しかし、あの時代、日本の工業製品はすでに十分すぎる性能を備えており、「更に高いスペック」を競い始めていた。

 カメラにおいても同じで、実際には使わないような機能が積み上がっていく時代だった。


 FGは、入門機のEMの上位版。デザインは正式に「ジウジアーロ」とは表記されないが、EMやF3と同じ血筋を感じる。


 そして時は流れ、21世紀に入り、さらに四半世紀が経った現在。


 電子制御式シャッターを搭載したカメラを「クラシック」と呼ぶには抵抗があるが、それでも製造から40年以上が経ったカメラだ。

 今、スペックを求めてこの手のカメラを選ぶ理由はない。最高シャッタースピードが1/500でも困らないし、ストロボなんて最後に使ったのはいつだったか思い出せない。


 結局のところ、写真はレンズで決まる。――コンタックスの言葉が、今は当時よりずっとよく理解できる。


 ニコンのMF機としては、2004年に手に入れたNewFM2をずっと使っている。サイトを始めて間もないころに知り合ったイケガワさんと僕が使っていたコンタックスのアリアと交換した。もう21年経ったのかと思うと、時の流れは本当に容赦がない。


 そんな中で、今回手に入れたFGは、僕の手元にある唯一の電子制御式シャッター機となる。フィルム現像の現像時間のテストデータを作るためには、信頼できる精度の電子制御式シャッターが適している。


 露出モードは、絞り優先AE、プログラムAE、そしてマニュアル。

 プログラムは、どうも表現という行為と相性が悪い。だからこのカメラでは、絞り優先AEがほどよく思える。測光は中央部重点平均測光。必要なら露出補正ダイヤルを回せばいい。


 ボディ左側には、+2EV補正のボタンがある。入門者向けなのだろうが、これを適切に使いこなせた初心者は、当時すでに初心者ではなかったはずだ。



 各所にロックが設けられた操作系は、親切であり、少しばかり煩わしいが、当時の設計思想を感じる。

 巻き上げは小刻み対応。巻き心地は「グイー、グッ」とした粘りのある感触。嫌ではない。むしろ心地よい。

 ファインダーは明るく、ピントの山は掴みやすい。AF時代の入門機より確実に良い作りだ。


 ファインダー内表示はLED。F値表示はないが、それで十分だと思えるのは、年齢のせいか、それとも経験のせいか。


 シャッタスピードダイヤルの文字表示は刻印。NewFM2では印刷になっている。

 時代の変化が、ディテールに宿っている。


 シャッターボタンを押すと、ミラーショックが手のひらに伝わる。

 それが上がる瞬間か、戻る瞬間か――できれば後者であってほしい。そうでなければ手ブレが気になる。けれど、この小さなカメラにそれを求めること自体、もはや野暮だろう。


 NewFM2では内部でショックが吸収されているように感じるが、FGの素朴さも悪くない。


 かつて「選ばなかった」カメラを、こうして今になって手に入れている。


 時代が用意し、時間が熟成させ、そして自分自身の認識が変化したとき、初めて手にする機械がある。若い頃は数値と未来を追い、いまは質感と体験を選ぶ。

 FGは、そうして今、僕の手元にあり、選ばなかったことも、選んだことも、いまこうしてフィルムに光を刻んでいる。


2025年12月1日月曜日

偶然の雨、必然の光

 

 平日の午後にぽっかりと空いた時間を抱えて、僕は大阪へと向かった。今回の旅に、特別な地図や明確な目的地はない。「何となく」その時間を過ごせれば、それで良かった。一泊二日という時間は、自分に都市の空気を取り込むには案外短い。

 街のスナップを撮るつもりで、愛用のEOS Kiss IIIにEF50mm F1.8 STMを装着し、敢えてフィルムを装填しないまま、バッグに無造作に押し込んだ。このカメラは、資産としての価値はほぼないけれど、実用には全く不足がない。だからこそ、緩衝材など使わず、雑に放り込んで運べるのがいい。そんな乱雑な扱いで、あちこちの国を旅したにもかかわらず、不思議と壊れもせず、目立った傷もない。

 早めにホテルにチェックインし、借りた自転車に跨る。首からはフィルム未装填のEOS Kiss IIIを提げ、コートの内側に隠すようにして、南船場にある大阪写真会館を目指した。堺筋をひたすら北へ。車道には、自転車レーンの青い路面標示が鮮やかに敷かれているのに気付く。変速機のない簡易な自転車で、旅先を自分の脚で漕ぎ進むとき、この「まち」がより肌理細やかに、身近なものとして僕には感じられる。

 大阪写真会館に到着し、自転車に鍵をかける。

 古き良き中古カメラ店が複数入居するその建物で、僕は「矢倉カメラ」の扉を開いた。数年ぶりの訪問だが、店内の佇まいは一切変わっていない。商品が混沌とした魅力を放って陳列される光景は圧巻で、あらゆる時代の機種、レンズがここに集結しているのではないかと思わせる量だ。目当ての品がある場合は店員さんに告げれば出してもらえるが、この雑然とした棚を眺めているうちに、思わぬ“出会い”がある。ここでは、客自身の探す力量が問われている気がする。

 この日、僕が「見てみたかった」のは、世界最小の機械式一眼レフのペンタックスMXか、あるいは「プログラムニコン」の愛称を持つニコンFGだった。どちらも、小型軽量で、フィルム交換式フォーカルプレーンシャッター機という共通点を持つ。

 そもそも「見たかった」という意識、そしてEOS Kiss IIIが「フィルム未装填」であるという事実は、この日の僕の心理状態を如実に示唆していた。つまり、「もし気に入った状態のものがあれば、連れて帰りたい」という、漠然とした期待だ。しかし、中古の宿命で、在庫があるか、あったとしても状態が好ましいか、それは分からない。その不確かな旅の記録を、もしものために請け負うのが、バッグの中のEOS Kiss IIIだった。

 ショーケースを覗き込むと、ニコンFGのシルバーが2台、静かに重ねて置かれているのに気づいた。ペンタックスMXは見当たらない。もしかしたら大量のカメラに埋もれていたのかもしれないが、それ以上探す気にはなれなかった。

 2台のFGを見せてもらい、僕はその歴史と対話する。電池を入れ、何度もシャッターを切り、露出計の動作も確認する。細かな汚れは、持ち帰ってから自分で丁寧に拭き取ればいい。大きな凹みや傷はない。しかし、二台とも三脚穴の周囲には、三脚に取り付ける際にできたスリ傷が付いていた。それは、このカメラが誰かの手で、間違いなく使われてきたという、確かな歴史の証しだ。三脚を使うということは記念写真だろうか。はたまた花火でも撮ったのだろうか?

 2000円ほどの価格差があったが、気になる場所の傷が少なかった安い方を選んだ。

 軽量なカメラには、やはり軽量なレンズを合わせたい。プログラム露出を搭載したFGには、AI Nikkor 50mm F1.8Sが最良の相棒だろう。このレンズも2本の在庫があった。実店舗で中古を購入する最大の価値は、同じ個体を比較できるという体験だ。絞りとピントリングをそれぞれ操作してみる。一本はスカスカと軽いトルク。もう一本は、しっかりとグリスが残っていそうな、ねっとりとしたトルクを感じた。後者には、純正のラバーフードも付属していた。光学系はどちらも問題ないようだ。価格差は1000円ほど高かったが、僕は後者を選んだ。

 サービスでキャップや電池、そしてこの時代のニコンのストラップも探して付けてもらい、フィルムを装填したFGをエアキャップに優しく包んでもらい、店を出た。

 秋の終わりの短い陽光が、街を淡く照らしている。ISO100のフィルムでも、この開放値のレンズならば、電飾に彩られた都市を撮るには十分だ。ホテルに自転車を返し、EOS Kiss IIIを部屋に置いて、僕は真新しい相棒と街を歩き始めた。

 11月の終わりだというのに、もう街はクリスマスの電飾に彩られている。とっくに閉店時刻を過ぎた銀行のガラスには、街の人工的な光が長く映り込み、足早に過ぎていく人々の影が、ときおりその光を遮ってゆく。

 僕は、その様をひたすら絞り開放で撮影していく。

 絞り開放で撮影するということは、開放測光の一眼レフにとって、見たままの像がフィルムに露光されるということだ。シャッタースピードは15分の1秒くらいになっているだろうか。手ブレの心配など、今はどうでもいい。今、この時、この場所で、目の前の光景を深く観察し、シャッターを切ることだけに、全神経を注ぐのだ。

 その刹那、ポケットの中でスマートフォンが微かに振動したような気がした。確認してみると、雨雲が急速に近づいている。通り雨だが、かなり強い雨になりそうだ。雨の予報ではなかったため、傘はホテルに置いてきてしまった。

 ほどなくして、大粒の雨が降り始めたので、僕は慌てて歩道橋の屋根の下で雨宿りする。すぐ近くにいた路上ミュージシャンと、急な天候の変化について、少し会話を交わしているうちに、雨は嘘のように止んでいった。

 雨上がりの夜の町は、光に満ち溢れている。先ほどの銀行のガラスには水滴が残り、路面には大きな水たまりが、もう一つの光の都市を映し出す。雨が降る前よりも、ずっと多くの光が溢れていた。

 平日の帰宅ラッシュの時間が終わるころには、僕はフィルムを一本撮り終えることができた。

 ニコンFGは、学生時代、写真部の先輩が愛用していたカメラだ。今回縁のなかったペンタックスMXは、恩師が使っていた。この時代のカメラは、今でも中古カメラ店で、「ちゃんと動くもの」として入手できる。当時のカメラは魅力的なものが多く、友人たちがそれぞれの機種を使っていた。そのため、カメラを見れば、それを愛用していた誰かを思い出さずにはいられない。

 あれから随分と年月が流れ、様々な人が僕の人生を通り過ぎていった。

 今回、再びカメラと出会ったように、いつかまた、あの人たちとも出会うことがあるのだろうか。それは、中古カメラ店のように足繁く通えば叶う、というほど簡単なことではない。だからこそ、僕は今、この手にあるカメラで、移ろいゆく光の刹那を焼き付け続けていたいと思う。

 撮ることは失われたものへ手を伸ばす行為なのだろうか。すべてが未整理のまま、しかし確かに存在している。