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2026年1月14日水曜日

ペンタックスSPと歩む豊かな写真ライフ

 

 

 普段はマニュアルフォーカスの機械式一眼レフ、ニコン New FM2 を愛用しているが、万が一のサブ機として、 ペンタックス SP を購入した。これが、4年前のことになる。


 ただ、これは自分でもかなり強引な言い訳だと振り返ってみると思った。New FM2はすこぶる調子がいいし、仮に故障したとしても、修理中に代わりを務めるカメラは既に手元にある。結局のところ、そんな理屈はどうでもよくて、New FM2よりも20年ほど前の時代のこのカメラを、ただ使ってみたかっただけなのだろう。


 ペンタプリズムにアクセサリーシューがない、すっきりとしたデザイン。今となっては珍しい「絞り込み測光」。そして汎用性の高いM42マウント。実際に手に取ってみると、巻き上げレバーの手応えやシャッターを切ったときの感触がとても心地よい。その質感は、僕が使っている現行品のライカ M-A にも決して劣っていないと感じる。

 ただ、やはりファインダー像は、New FM2よりもかなり暗くざらついている印象はある。まだ発展途上のカメラであったことは否めない。

 かつてのベストセラー機ということもあり、中古市場には今も豊富に出回っていて、価格も手頃だ。55mm F1.8のレンズ付きで1万円ほど。135mm F3.5は不人気ゆえか1,000円くらい。少し高価な35mm F2も1万円ほどで手に入った。


 オールドレンズの定番といえば「Super-Takumar」が人気だが、僕はあえて次世代の「Super-Multi-Coated Takumar」で揃えた。これらはいわゆる「放射能レンズ」で、硝材に酸化トリウムが使われているため、入手時はかなり黄色く変色(黄変)していた。特に35mm F2の変色はひどいものだった。


 僕は黒白(モノクロ)フィルムしか使わないが、できるだけ普通のレンズとして使いたかったので、UVライトを二日間ほど照射して黄変を除去した。それでも完全には消えず、わずかに色が残っているが、それも味だろう。


 SP用の水銀電池「H-B」はすでに生産終了しているため、関東カメラサービスのアダプターを導入した。このアダプターは電圧を調整してくれる優れものだが、いかんせん60年前のカメラである。露出計の精度を確認したところ、低輝度側で2段ほどズレが生じていた。しかし、極端に暗い場所で撮ることは稀なので、実用上の問題はない。


 フィルムカメラを安価に楽しむには、これ以上ない選択肢かもしれない。100ft(フィート)の長巻から切り出した1本あたり500円前後の黒白フィルムを使い、自分で現像してスマホでネガスキャンする。そんな工夫を凝らす時間も含めて、豊かな写真ライフを味わえそうだ。

 ただ、最初からこの境地にはたどり着ける者は多くはない気がする。 

2025年12月29日月曜日

認識の枠とストリートフォトグラフィー


PENTAX SP Super-multi-coated Takumar 55mm f1.8

Fomapan200(EI100)  Stoeckler Two-bath Film Developer

SILVERCHROME FLEXGRADE RC Matt


 ストリートフォトグラフィーとは、まちを歩き、偶然に現れた現実を即時に撮影したもの、と定義づければよいだろう。


 先人たちの巨匠の作品には、人が写っている場合が多く、そこには人間ドラマがあり、いわゆる決定的瞬間が写し取られていた。


 二十一世紀に入り、インターネットが普及し、誰もが撮影した画像を公衆の面前に晒すことが可能になった頃から、写真を撮る人々は肖像権に対して、より神経質になっていった。それは、社会全体が「ホワイト化」していく流れとも無関係ではないだろう。


 そのような情勢の中で、人が写り込んだ写真を撮影する者は、次第に減少していった。


 新聞の三面記事を眺めていると、盗撮で逮捕という報道を頻繁に目にする。こちらにその意図がなかったとしても、いつ自分が犠牲の祭壇にまつり上げられるか分からないと思えば、人を撮ることに慎重になるのも無理はない。


 結果として、人が写り込んでいたとしても個人が特定できない状態であったり、撮影対象そのものが都市風景や物体へと移行していった。僕自身も、カメラを提げてまちを歩くときは、自然とそのような撮影スタイルになっている。



PENTAX SP Super-multi-coated Takumar 55mm f1.8

Fomapan200(EI100)  Stoeckler Two-bath Film Developer

SILVERCHROME FLEXGRADE RC Matt



 カメラという装置を用いてまちを撮影する行為は、絵画などの表現手法とは異なり、「無意識」と直結、もしくはより近い領域で作用しているのではないだろうか。


 絵画は、構図や色彩の選択など、理性が介在する余地が大きい。ジャクソン・ポロックは、理性を排除し無意識と接続するためにアクションペインティングという手法を採ったが、それは偶然性に身を委ねたというよりも、理性ではなく無意識によって制御された行為であったと言える。


 感性、悟性、理性の順に意識は深まっていくが、ストリートフォトグラフィーは、出会い頭に撮影が完了する表現であり、その多くは感性の領域で完結する。


 一方で、風景や静物に取り組む際には、構図や露光時間を吟味するなど、理性の働きが大きく関与する。そこには、写真表現の別の位相が存在している。


 ストリートフォトグラフィーは、感性の無意識領域で世界にアクセスする必要がある。そのため、以前のブログに書いたように認識の枠を揺さぶるための内面の再編成、意識的な努力と深い内省が不可欠だと改めて思う。


  哲学は、答えではなく問いである。知識ではなく道具である。と、つくづく感じる。


Nikon FG Ai Nikkor 50mmF1.8S

Fomapan200(EI100)  Stoeckler Two-bath Film Developer

SILVERCHROME FLEXGRADE RC Matt

2025年12月26日金曜日

捕まった光

 


PENTAX SP Super-multi-coated Takumar 35mm f2

Fomapan200(EI100)  Stoeckler Two-bath Film Developer

SILVERCHROME FLEXGRADE RC Matt

 魚を捕まえるための網に、落ち葉が捕まっていた。

 小さな魚やエビを捕まえるための網だろうか。綿のように、網の目はひどく細かい。
秋の光がその網に絡まり、乱反射している。その光に照らされ、落ち葉は静かに存在を主張していた。

 ただそれだけの光景。

 数時間後、午後の光で、もう一度この被写体を撮ろうと思い、再びこの場所を訪れた。
だが、網は片付けられていて、そこにはもうなかった。

 何もない漁港の岸壁に、落ち葉だけが残っていた。

 僕は歩きながら、M42マウントのレンズを回して外し、55mmのレンズに交換した。
次に出会うであろう被写体のために。