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2026年5月27日水曜日

パトローネの猫

 


 
 琵琶湖の西側へ久しぶりに行こうと思い、バイクのトランクにニコンNew FM2とレンズ3本、フィルム2本、SCフィルターを積んで出かけた。
 岐阜に住んでいると、琵琶湖の東側は行きやすいのだが、西側は距離があるので、どうしても足が遠のいていた。
 数年ぶりに来てみると、湖岸の草木の繁茂や造成工事によって景色が変わっている。冬になったら大判カメラを持って撮りたいと思う場所を何か所か発見したので、メモしておいた。

 今日の旅の友にNew FM2を選んだのには、ちょっとした理由がある。

 少し前にニコンFGで撮影していたところ、36枚を超えてもまだ巻き上がった。もしかしたら、フィルムローダーでフィルムを巻くときに少し長めに巻いたのかなと思い、そのまま撮っていたら、38枚、39枚と巻き上がっていく。
 ここまで来ると、さすがにカメラ内部で何か異変が起こっていることに気づく。

 予想される事象としては、フィルム装填を失敗して1枚も撮影できていないか、もしくは、途中でフィルムが切れて巻き上げスプールに溜まっているか。

 おそらく後者であろうと当たりをつけ、暗室で裏蓋を開けたが、その予想は外れ、パトローネ室内に完全に巻き取られたフィルムがあるだけだった。
 果たして、このフィルムは未露光なのか、それとも露光済みなのか?

 次の取るべき行動は、露光済みであると判断して現像するか、もしくは、未露光であると判断してベロを引き出し、再び撮影するか……。

 前者の予想が裏切られた場合、何も写っていない素抜けのネガが出来上がる。後者の場合は、コマ間が不ぞろいの多重露光、かつ露光過多のネガが出来上がる。

 まるで、「シュレーディンガーの猫」のように、現像して確認するまでパトローネの中の世界は確定しないのだ。


 僕は、後者を選んだ。
 なぜなら、素抜けのネガはただの失敗だが、そこに光の記録が存在している限りは、やりようがあるかもしれないからだ。

 今回のトラブルはFGに問題があったわけではない。僕の操作ミスによるものだ。それは分かってはいるのだが、今回は心理的にFGから気持ちが遠のいた。
 そんなわけで、New FM2に久しぶりに電池を入れて、FGから取り出したフィルムを装填した。今回は、念入りにだ。

 このNew FM2というカメラ、かなり付き合いの長い知り合いとカメラ交換をして僕の手元にやってきた。彼はモデル末期のものを新品で購入していたので、素性の知れた、信頼できる機体である。

 そうでなくとも、このNew FM2は機械式一眼レフカメラの終着点とも言うべき存在で、ケチの付けようがないカメラである。敢えて言うならば、コストダウンのためにシャッタースピードダイヤルの表示などが刻印ではなくプリントになっていることくらいかな。ファインダーは明るくとても見やすい。マニュアルでピントを合わせないといけないので、スクリーンの出来はとても重要だ。ペンタックスSPはカメラの作りはいいが、古い機種であるためスクリーンは暗い。

 もともとニコンのFEシリーズは、どれも使いやすく説明書いらずのUIであるが、その中でもこのNew FM2は「ザ・スタンダード機械式制御一眼レフ」なのである。それ故か、中古市場でも驚くほど安定している。

 生涯、手元に置いておきたい信頼のできるカメラだ。唯一の心配事は、露出計かな。

そんなことを思いながらNew FM2を首から提げ、「露光済みかもしれないフィルムで撮影している」という一抹の不安を抱えながら湖畔を歩く。ようやくそのフィルムの撮影を終えると、次の、正真正銘の未露光フィルムを装填した。
 
 撮影が終わるころには、トンビが鳴きながら旋回し、鵜が編隊を組んで飛んでいる空が、徐々に夜の気配を帯びてくる。

 帰り道、バイクを操作しながら、もう一度思う。FGに問題があるわけではない。あくまでも僕の操作ミス。そして確認ミス。


2026年5月21日木曜日

光の輪郭を探しに

 


 昨年の七月の終わりにM-Aを手にしてから、気づけば十ヶ月が経っていた。八月に最初のフィルムを一本通したきり、そのカメラの出番は途絶えていた。旅の連れを選ぶとき、どうしてもM-Aでなければならない必然を見つけられず、僕はいつも廉価ではあるが描写には文句がない他のカメラばかりを選んでいたのだ。

 思えばフィルムカメラという領分において、操作系統が似通った他のM型ライカも含め、M-Aの代わりになるカメラはいくらでも転がっている。しかし、デジタルカメラになると、M型ライカの操作感覚は他には置き換えが効かないので、熱心な愛用者がいるのだろう。

 フィルムライカであるM-Aのシルバークロームが、数ヶ月前に生産終了となったようだ。僕は金属の質感をより強く感じられる、銀塩写真の象徴たる「銀色」のカメラが好きだ。黒は僕にとっては強すぎる。光を反射し、カメラのボディが光を纏ってその存在を示してくれる、その佇まいに惹かれる。


 昨年から、琵琶湖畔の木陰の光景を撮り続けている。何度もシャッターを切りながらも、未だ「何を、どう撮るべきか」の答えを出せずにいる。その輪郭を掴むために琵琶湖へと通っているのだが、季節の歩みは早く、日に日に樹々は葉を繁らせ、浜辺の木陰は木漏れ日を浸食していく。

 陽射しが熱を帯びるにつれ、湖畔を歩く足取りも重くなる。けれど、木陰のベンチでひと息つくと、夏の琵琶湖の匂いを連れた涼風が、鼻腔をかすめて肺の腑までを心地よく吹き抜けていく。

 こんな日だからこそ、M-Aと過ごしたい、と思った。

 ズミクロン35mm ASPH.にイエローフィルターをねじ込み、M-Aに合わせる。フィルム二本と露出計をバッグに放り込み、バイクのエンジンをかけて琵琶湖の北へと向かった。

 昼過ぎから始めた撮影も、午後五時を回る頃には、携えた二本のフィルムを撮り終えた。レンズを透過していった、樹木、草花、湖面、そして気まぐれに落ちる木漏れ日たち。彼らは一体、どんな姿でそこに留まっているのだろう。

 木漏れ日の撮影は、まだ二年目の幕が上がったばかり。今日のフィルムに落ちた光の粒子は、少し先の未来で確かめることにする。 

2026年4月23日木曜日

揺らぎの湖面

 


 湖畔の樹々が、新緑の兆しをそっと告げている。葉は枝の先からほどけるように芽吹き、日ごとにその姿を変えていく。
 
 夕刻、湖畔に三脚を据え、十五分の露光のあいだ、ただ立ち尽くしていると、樹々の向こうで湖面が光り、揺らいでいた。
 
 湖面を見ていると、世界のはじまりもまた、このような揺らぎに満ちていたのではないかと思えてくる。
 一枚の布がたわむように、何かが満ち、かすかに波打つ。そのわずかな偏りが、かたちを呼び寄せ、また打ち消し合いながら、やがて残るものと消えるものを分けていったのかもしれない。
 そうして残されたものが、星や大地の姿を結んでいったのだろう。
 いまここに在るということは、どこかで在らなかったことと隣り合っている。
  
 長い露光のあいだ、そんな取り留めのない思いに身をゆだねていると、魚の跳ねる音がして我にかえる。
  
 陽が傾き、入り江の奥へと目を向ける。岩礁を写そうと、湖岸を北へ歩いた。
 水際の、波が届かぬあたりに、何かが横たわっている。はじめは小さな毛布かと思ったが、近づけば、それは小動物の骸だった。原形は失われ、砂礫に半ば埋もれている。何であったのかは分からない。ただ、猿ほどの大きさに見えた。
 それは、ここに在った時間を終えたのだろうか。

 そのすぐ傍らに、親指ほどの小さな木が芽を出していた。あまりにか細い姿なのに、軽く引いてもびくともしない。見えないところで、確かに根を張っている。
 この芽がどこまで伸びるのかは分からない。ただ、いまはまだ、ここにとどまり、揺らぎの中で確かに息づいている。

 僕は撮影を繰り返し、やがて、シャッターを静かに閉じる。
 
 十五分という時間のあいだに、光は幾度も揺れ、その都度、かたちを変えていたはずだ。 その連なりが、フィルムの上に、ひとつの像として沈んでいく。
 
 あの湖面の揺らぎも、すべては消えたのではなく、かたちを変えてそこに在る。
 

2026年4月9日木曜日

暮色の湖岸


 
 今年の桜の開花は、例年よりも一週間ほど早かった。

 ここ岐阜ではすっかり満開を過ぎ、葉桜になりつつある。昨日の雨と風が季節の移ろいを加速させたのだろう。近所の桜の名所からも花見客の姿は消え、観光駐車場の監視員が所在なさげに佇んでいた。

 湖北の桜が満開を迎えるのは、岐阜よりも一週間ほど遅い。「今シーズンはまだ一枚も桜を撮れていない」という焦燥にも似た思いに突き動かされた。まだ間に合うのではないか。そう信じて大判カメラ一式を車に積み込み、湖岸の暮色に染まる桜を求めて北へと向かった。

 琵琶湖は広いが、桜と岩礁、そして湖面を一つの画面に収められるポイントは限られている。かつてカヤックを出し、湖岸の表情を丹念に探った時の記憶を頼りに、目的の場所へと足を進める。

 写真は不確定要素の積み重ねだ。現地へ赴いたところで、望み通りの花が咲いているとは限らない。花見客で溢れて車を止められないかもしれないし、狙った場所に先客がいるかもしれない。風が吹けば枝は揺れ、現像のプロセスにも失敗のリスクは潜んでいる。

 それでも、行かなければ何も得ることはできない。

 午後2時。明るいうちに構図を追い込もうと、不安定な岩場に三脚を据えた。絶好の撮影ポイントというものは、なぜいつもこうも足場が悪いのだろうか。

 超広角レンズを装着し、蛇腹を繰り出しながら構図を絞り込んでいく。用意したフィルムは6枚。これで十分だ。40分ほどかけてセッティングを終え、日没の時刻を調べると、まだ4時間もの時間があった。

 なぜ、陽光の下でシャッターを切らないのか。
 日中は輝度差が大きすぎるからだ。湖面は陽光を跳ね返して白飛びし、岩場の影は深く沈み込む。フィルムのラティチュード(記録再現幅)を超えてしまえば、目の前の世界を「露わにする」ことは叶わない。世界は条件が揃わなければ現れない。だからこそ、光が平坦に、弱くなる瞬間を待つのだ。

 このまま、静かに時を待つ。

 幸い、風はない。構図も決まった。これほど条件に恵まれた日は、一生のうちにそう何度も訪れるものではないだろう。

 岩の上に腰を下ろし、澄んだ湖水に浮かぶ花筏(はないかだ)を眺めたり、周囲を散策したりして過ごすが、こういう時に限って時計の針は遅々として進まない。それでも、夕刻が近づくにつれて花見客の喧騒は引き、空気は冷え込み、陽光は緩やかに傾いていく。

 ようやく午後6時を回った頃、バックにフィルムを装填し、最初の一枚に15分間の長時間露光を祈りのように捧げた。満開、そして無風。これほどの好条件に巡り合うことができず、実はこれまで一度も納得のいく桜を撮れたことがなかった。

 完全に陽が落ちるまでに、5枚のフィルムを費やした。待っている間の4時間はあんなに長かったのに、撮影に没頭した30分は、瞬く間に過ぎ去っていった。

 薄暗くなった足元を慎重に確認しながら、レンズを外し、カメラを折り畳み、三脚を縮めてその場を後にする。湖面には、トンビや猿の鳴き声が、どこか遠く響き渡っていた。

2026年1月24日土曜日

水中木、冬

 


 異例の積雪だった。

 伊吹山麓に雪が積もることは珍しくないが、湖岸がこれほど白く染まることは、そう頻繁にあるわけではない。雪景色の撮影には、またとない好機だった。幸いにも今日は仕事が休みで、自由に動ける一日でもあった。

 道中、雪道を走るリスクはあったが、「無理なら引き返せばいい」と自分に言い聞かせ、湖北へと車を走らせた。フロントガラスの向こうに広がる白さが、次第に現実味を帯びてくる。

 目的地は、多くの写真家を惹きつけてやまない水中木だ。

 僕も何度となく足を運んできた場所だが、冬になると水位が下がり、根元は小さな島のように姿を現す。その地表に雪が積もる光景を、いつか撮りたいと、長く心に留めていた。今回の降雪は、まさにそのために用意された時間のように思えた。

 昼頃に現地へ到着し、まずは数枚シャッターを切る。曇天とはいえ、日中の光はまだ強く、ND400を装着して長秒露光を試みた。その後は近くの喫茶店に入り、読書をしながら光が落ち着くのを待った。

 夕方、完全に太陽が山の向こうに落ち、湖畔に静けさが戻る瞬間を見計らって、最後の一枚に向き合う。

 昼間に撮った写真には、樹木に付着した雪の質感が、より克明に刻まれているだろう。だが、光の階調は夕方の方が美しいはずだ。遠方に浮かぶ沖島が、淡く輪郭を取り戻していく様子は、息をのむほどだった。構図もレンズの選択も、昼間とは変えている。

 個人的には、日没後の繊細な光を好んでいる。とはいえ、昼の描写が劣るわけではない。昼は150mmと300mmで対象を確かに捉え、夕刻には500mmで、その場に漂う空気ごと凝縮するようにシャッターを切った。

 使用した500mmは、山崎光学研究所のテレ・コンゴー500mm F9.5である。同社が業務を終える前年に新品で購入したものだ。この焦点距離を必要とする場面は多くなく、いつしか持ち出す機会も減っていった。一時は、手放してしまおうかと考えたことさえある。
 
 だがこの日、広角から望遠まで万全を期してレンズを携行した判断が、静かに報われた気がした。もしこの一枚が、思い描いていた通りに写っているのなら、このレンズは名実ともに、僕の「愛用の一本」と呼べる存在になるだろう。

 結果がどうであったかは、現像してみるまで分からない。

 うまく写っていないかもしれないし、暗室での工程で失敗する可能性だってある。
それでも、雪を掻き分け、踏みしめながら、コハクチョウの鳴き声を背に撮影に没頭した時間は、確かな記憶として身体の奥に残った。

 それだけで、もう十分だった。

2025年12月12日金曜日

河口の額とエポケー

 


 久しぶりに大判カメラを持ち出し、夕闇が忍び寄る薄暮の琵琶湖を撮ろうと思い、長浜へ向かった。


 午後三時には現地に着いたものの、僕が思い描いていた風景はそこにはなかった。風の強弱、空気の質感、雲の密度、湖の水位──それらの微妙な組み合わせが、僕の撮影意欲を決定づける。この日の琵琶湖は、その条件を満たしてはいなかった。大判カメラでの撮影は、早々に諦めることにした。


 ただ、このまま帰るのは惜しい。そこでニコンFGを肩に掛け、湖岸を歩いて姉川河口へ向かうことにした。柳を中心とした雑木林が防風林のように続き、その薄暗い道を抜けると、一気に視界が開けて砂浜に出た。頬に冷たい風が触れ、ようやく季節が深まりつつあることを肌で知る。


 湿度が低く、空気が澄んでいるからだろう。対岸の湖西の稜線まではっきりと見える。安曇川のあたりには低い雲がかかり、そこから雨柱が斜めに地上へ落ちていた。夏の積乱雲が落とす直線の雨とは違う。比良おろしにあおられてゆっくり傾く、その晩秋らしい雨柱を、僕はしばらく眺めた。


 夏の間に繁茂した水草は、浜辺に打ち上げられて厚く堆積し、その上を波が運んだ砂が覆っている。砂浜を歩いているはずなのに、踏みしめる足裏は布団のようにふかふかと沈み、歩みが思うように進まない。


 ところどころには、鳥に食べられた魚の骨、割れたくるみの殻、そしてペットボトルなどのゴミが漂着していた。きっと秋の終わりから吹きはじめる比良おろしに乗って、このあたりへ運ばれてきたのだろう。


 この日はさほど風が強いわけでもなかったが、姉川の河口では、琵琶湖側から逆流するように波が押し寄せていた。短い秋の陽光がその河口に反射し、薄鈍色の光をゆらゆらと揺らしている。


 その波打ち際に、小さな木製の額が落ちていた。どんな旅路を辿って、ここまで流れ着いたのだろう。僕はそれを拾い上げ、風と日差しの下でしばらく乾かした。塗料は不規則に剥がれ、ところどころ下地が覗いている。木の地肌がむき出しになった部分には、流されてきた時間がそのまま刻まれていた。


 それは、人が意図して作り出せる状態ではない。美しいのか、あるいはただ劣化したゴミにすぎないのか──どちらとも言い切れない宙ぶらりんな感情だけが胸に残る。結論を出せないまま、僕はそっとカバンにその額をしまった。


 僕は写真作品をつくるとき、工程そのものよりも「待つ時間」を大切にする。撮影、ネガ現像、引き伸ばし──どれも、一つを終えたあと次へ進むまでに、数日、ときには数週間をおく。その間に読んだ本や会った人の言葉が、じわりと自分の確信を形づくっていく。そして確信が満ちたころ、静かに作業に向かう。


 拾った額についても、同じように判断を保留し、エポケー(判断停止)の中に置いておこうと思う。エポケーは、忘れ去ることではない。問いを無意識領域に落とし込む作業である。


 いつか、この琵琶湖に洗われた額を「美しい」と思える日が来たなら、そのときは丁寧に手入れして、ふさわしい一枚の写真を入れてやりたい。

 その写真は、きっとこの額の旅路を尊ぶような一枚でなければならない。





2025年8月16日土曜日

湖岸の木陰

 

 7月の終わりにライカM-Aが手元に届いたが、あまりにも暑い日が続くので撮影に出かけることが出来ずにいた。毎晩寝る前に、M-Aを防湿庫から取り出して、ファインダーを覗き空シャッターを数回切り、また防湿庫へ戻して安心するという日々を繰り返していた。

 しばらく雨の日が続いた後、立秋が過ぎた。天気予報の予想気温はまだまだ高く、日々、最高気温の記録更新のニュースが流れている。それでも観測数値とはうらはらに空気の質は秋に近づいているのを感じる。

 そんな夏の午後、琵琶湖の浜辺で過ごそうと思い、M-Aを買ったときに付属していた使用期限が今月までのコダックのTri-Xを装填し、海津に向かった。かつて愛用していたフィルムだが、価格が高騰し、とても買えるものではなくなってしまった。かなり贅沢な気分でこの日は撮影に臨んだ。いつもはISO100設定のフィルムを使っているので、露出計の設定をISO200(減感)に設定した。

 漁港から琵琶湖を左側に眺めながら、浜辺を歩く。琵琶湖岸は場所によって、葦が繁っていたり岩礁地帯であったり様々な様相を呈している。ここは、かつての宿場町で、民家の庭と浜辺との境界が曖昧だ。生活空間と琵琶湖が接近しているため、浜辺がほどよく管理されており、とても心地が良い。
 そして、ここの浜辺の光は独特でとてもいい。湖面に反射した光が広葉樹の木陰を通過する際、浜辺の白茶色の砂に当たり拡散されつつ、民家の壁に到達する。光が変化しながら湖面から民家まで移動する、程よい距離がこの浜辺には存在する。
 木陰が心地よいせいか、昼寝している人がいた。

 しばらく浜辺を歩き進むと松林になり、あたりは松脂の香りで包まれるようになる。広葉樹とは違う形の木陰を落とし、民家もなくなるので、先ほどの光の空間はここにはない。
 いくつかの、飛び越えることができるくらいのサイズの小川の河口を越えてさらに歩くと、湖水浴客で賑わう高木浜、知内浜へ行き着くが、ここはもう静けさとは無縁の別世界である。(よくもわるくも)

 いくつかの木陰を繋ぐように、行きつ戻りつ撮影を進めていく。撮影中は、視覚以外の情報は脳に入ってこないが、カメラを下ろすと、ヒグラシやツクツクボーシの鳴き声が聞こえてきたり、歩みを進める足元の草むらからは、バッタが飛び出してくる。これから咲きそうな蕾を蓄えたユリも生えている。秋の気配をそこかしこに感じる。

 たまに吹く風は、吹く度に温度や湿度や匂いが違っている。山から降りてくる風、町屋を通り抜ける風、林間を吹き抜ける風、それぞれの場所でその場の成分を空気が含みこむのだろう。

 二時間ほど歩き、漁港のあたりに戻ったときには夕方近くになっていた。射光線の状態だと木陰の位置は早く移動していく。それでも、昼寝している人は相変わらず移動した木陰の下で眠り続けている。

 光が弱くなってくると、砂浜の照り返しが弱くなり、日中は見えなかったものが見えてくる。あたりには、二枚貝や巻貝の貝殻、鳥(鳩くらい)の卵の殻、魚か鳥の風化した骨が落ちている。そんな浜辺を、二匹の猫が走り抜けていく。

 ここは、人の生活と自然が調和した心地よい場所。

 この日、M-Aに詰めたフィルムは全て取り終えた。だって、カメラの中にフィルムが入ったままだと、寝る前の楽しみがなくなるでしょ?