
2026年10月16日金曜日
写真があってよかった。森山大道伝

2026年9月3日木曜日
「絶滅写真」とスギモトノート
ずっと以前(20年ほど前だと思う)、杉本氏についてよく知らなかった頃、どこかの美術館で「海景」の一点が展示されているのを見たことがあった。当時は「何もない海が写っているだけ」という感想しか抱けず、価値を見出せずにいた。しかし、「なんだこれは?」と覚えた確かな違和感と共に、杉本氏の名前は記憶の底に残り続けた。
これまで杉本氏を自分の研究対象としてこなかったのは、写真家の枠に収まり切らない作家であったがゆえに、関心が向かなかったからなのだろう。
近年になり美術史を学び始めると、現代美術を代表する日本人作家として再び杉本氏の名に出会った。写真技術を用いた現代美術とはどのようなものか――そう思い立ち、作品が掲載された著書や随筆を数冊手に取ってみた。
そこにあったのは、圧倒的な知識の量だった。まさにリベラルアーツの宝庫のような頭脳を持つ作家だと感嘆した。現代美術への理解を深めると共に、杉本氏の作品はそうした知識や文脈(コンテキスト)の上に成り立っているのだと確信し、「海景」をはじめ、「劇場」「ジオラマ」「放電場」といったコンセプトを読み解いていった。
杉本氏の作品は、単なる感情だけで鑑賞するものではない。深く対峙しようとするならば、鑑賞者にも相応の素養が要求される。文脈を知ってこそ真価を楽しめる作品なのだ。
杉本氏が提示すること、そして考えていることは極めてシンプルである。しかし、それを実行に移すことがいかに困難であるかは容易に想像がつく。氏が制作プロセスをすべて公開し、「真似してもいい」と語りかけているのも、そうした自負の裏返しなのだろう。(当然、おいそれと真似できるはずもないのだが!)
暗闇の展示室に浮かび上がる大判プリントを見つめていると、単なる「写真」を超えた何かを感じる。鑑賞しているうちに、ふと江戸川乱歩の小説『大暗室』が頭をよぎった。
どこか不気味で退廃的な美しさ、そして「かつてそこに確かに存在したもの(あるいは巧妙に作られた虚構)」を凝視する冷徹な視線。像が結ばれる直前の「暗室」の闇そのものを思わせるその世界観は、杉本氏が意図しているかどうかは別として、僕にはその世界が江戸川乱歩の描く猟奇・怪奇の精神世界とどこかで響き合っているように感じられた。

2026年8月29日土曜日
「この声で歌う」ことしかできない
8月末の残暑が厳しい折、京都写真美術館で開催されている、多田洋写真展「無頼」を見に行った。
そこには、岐阜の街角を切り取ったスナップや、抽象的な影と形をモチーフにした30点のゼラチンシルバープリントが、たしかな息遣いとともに並んでいた。
多田さんは、かつて写真月刊誌の月例コンテストという激戦区で、毎月のように紙面を飾っていた実力者である。その過酷な場で勝ち残り、評価され続ける背景には、並大抵ではない年月と凄みが宿っている。それほどにまとまった数のオリジナルプリントを直に眼差すことができたのは、非常に得難い時間だった。
作品群と向き合う中で、僕の心を強く捉えて離さなかったものがある。それは、画面全体に漂う絶妙な「粒子感」だった。おそらく多田さんご自身は、ことさらそれを意識してはいないのかもしれない。
しかし、そこには僕自身の作品にはない、ざらりとしながらも乾いた手触りがあり、ただただ羨望の念を抱かずにはいられなかった。
ふと、写真家・内田ユキオさんのエッセイ『ライカとモノクロの日々』にある、「この声で歌う」という一節が脳裏をよぎる。
ゼラチンシルバープリントにおけるネガというものは、選ぶフィルムや光の測り方、現像液の処方や希釈、そしてタンクを揺らす攪拌のリズムに至るまで、その人の息遣いや癖が否応なく染み込み、唯一無二のトーンとなって立ち現れる。あの美しい粒状性も、きっとその結晶なのだ。
それは歌手にとっての「声」によく似ている。どれほど他人の声が魅力的に響こうとも、それを自分の喉に移植することはできない。歌手はみな、己に与えられた声で歌い切るしかないのである。
表面的なプロセスを真似ることはできるだろう。しかし、それで奏でられるのは決して「自分」ではない。
果たして、僕は、自分の声でちゃんと歌えているのだろうか。
2026年7月18日土曜日
杉本博司自伝 影老日記

東京国立近代美術館で、杉本博司氏の「絶滅写真」展が開催されている。先日、その会場に足を運んだ。具体的な展示の有り様は後日改めてここに綴るつもりだが、彼がどのような軌跡を辿ってこの表現に行き着いたのかに興味が湧き、その自伝を紐解いてみた。
戦後まもなく、東京の裕福な家庭に生まれた氏は、復興の熱気と学生運動の嵐が吹き荒れる日本で学生時代を終え、混迷のなかで渡米する。1970年代初頭の留学は現代のそれとは比較にならないほど地続きではなかったはずだが、親類に米国人の夫を持つ女性がいたという背景が、彼を未知の地へと押し出すささやかな、しかし決定的な呼び水となったのだろう。
以降、人生の大半を米国で過ごすことになる。世界を漂泊しながらニューヨークに拠点を据え、ヒッピー・ムーブメントが全盛を迎えるなか、ポップアートの旗手や現代アーティストたちの熱気のただ中に身を置いた。 作家活動の傍らで古美術商を営み、自ら大工仕事をもこなし、そして若くして妻を看取る。こうした生々しい経験の集積とその喪失のすべてが、杉本氏の表現の底流を形作っている。
写真という表現領域において、彼はアンセル・アダムスを精神的なメンター(師)と定め、ゾーンシステムによる厳密なネガ作成に没頭していく。 何かを狂おしく実践する者にとって、やはりメンターの存在は不可欠なのだ。ジョセフ・キャンベルが『千の顔を持つ英雄』で描いたように、境界を越えて旅立つ英雄(表現者)の前には、必ずその行く手を指し示す「導き手」が現れる。それは神話の時代から続く普遍的な構造なのだろう。
そのメンターは、必ずしも言葉を交わせる実在の人物である必要はない。遥か歴史の彼方にいる異国の人であっても、あるいは身近な誰かであってもいい。要は、己の精神のなかに揺るぎない「指標」をいかに打ち立てるか、ということなのだと思う。
読み終えたあとも思考の覚めない、一冊であった。
2026年5月14日木曜日
大西茂 「写真と絵画」

東京ステーションギャラリーで開催された展示の図録を購入した。
掲載作品は決して多くはないが、そこにあるのは、いわゆる「正統な暗室処理」からはかけ離れた技法で生み出されたものばかりだ。
刷毛(はけ)を用いた部分現像、変則的な温度管理による色調変化、ソラリゼーション、そして多重露光。長期保存という観点では推奨されない手法かもしれないが、彼にはそれ以上に優先すべき表現があったのだろう。
数学者でもあった彼は「超無限」を顕(あらわ)そうとしていたという。それはプラトンの「イデア」に近い観念だったのだろうか。
僕自身は、フィルムの性能を限界まで引き出し、適切な温度管理のもと、長期保存に耐えうる処理を旨としている。しかし、その正当な処理こそが、表現における一つの「限界」なのかもしれない。そこから逸脱した先にこそ、見えてくる世界があるのではないか。そう感じさせられた。
2026年4月28日火曜日
犬の木
アンセル・アダムスの「Dogwood Blossoms」という写真作品がある。 闇に沈む岩肌から、浮き出るような存在の白いハナミズキ。 色彩を削ぎ落としたモノクロームの世界が、これほどまでに花の息吹を鮮烈に、そして饒舌に語るものかと、初めてその作品に触れたとき、衝撃が走った。
あの日以来、僕にとって「花を写す」ということは、闇の中に光を求める行為と同義になった。自作の「粉引に花」という連作も、あの静謐な闇への憧憬から始まった。
背景となる黒は、決して平坦な「無」であってはならない。 そこには、わずかな諧調が宿っていなければならない。壁の肌理(きめ)と光の戯れが織りなす、奥行きのある闇。その微細な濃淡のゆらぎこそが、主役たる花を引き立てるのだ。
季節は巡り、今、街にはハナミズキが溢れている。 北米を故郷に持つその花を見上げながら、アダムスが捉えたそれとの微かな違和感に立ち止まる。花弁の描く曲線、その反り。近所で咲き誇る花たちは、どこか記憶の中の映像とは異なる輪郭を描いているように見えてならない。
偉大な先人の背中を追うことの虚しさは承知していても、容易に逃れることはできない。
昨年もハナミズキの撮影をしたが、どこか違和感が残るネガしか作れず、プリント作業までは至らなかった。今年は花が完全に開ききる直前、その初々しい緊張感にレンズを向けた。現像液の中で浮かび上がるネガが、いつか印画紙の上で、僕に光を放ってくれるだろうか。
四月の湿った風の中で、まだ、理想の白を探し続けている。
2026年3月10日火曜日
写真批評

金村 修 著「写真批評」
金村修氏のエッセイが写真界隈で話題になっているので、読んでみた。
金村氏といえば、かつて『日本カメラ』のモノクロ写真部門で月例フォトコンテストの審査員を務めていた時期がある。その容赦のない選評は非常に魅力的だった。「卓越した、普通にうまい写真」などは、まず選ばれない。どんな写真であれば選ばれるのか、皆目見当がつかないほどカオスな月例だったと思う。
もしかすると、そんな月例だからこそ自分にも勝機があるのではないか——。
そう思い、その年は一回だけ応募してみたのだが、幸運にも入選して誌面に掲載されたことがある。その際にいただいた選評は、写真の体裁を整える技術など一蹴され、剥き出しの何かが引きずり出されるようなものだった。その言葉は、良くも悪くも一生、僕の心に深く突き刺さっている。それはある種の呪縛と救済のようなものだった。
その月例で好評を博した金村氏は、翌年から同誌で「金村修に叱られたい!」という連載コーナーも担当されていた。
そんな金村氏が綴るエッセイが、面白くないはずがない。360ページというボリュームながら、一つの章を読み終えて次をチラ見するたび、どうしても気になって読み進めてしまう。結局、それほど時間をかけずに読了してしまった。
随所にベッヒャー夫妻やバルト、ポロック、アジェといった名前が登場するため、これらの名に反応する読者なら、随所で立ち止まらされるだろう。


