2025年10月28日火曜日

花を撮る時間

 


 秋の訪れとともに、コスモスは日本の風景のあちこちに姿を現す。観賞用に整えられた花畑も、道端にひっそりと咲く一輪も、等しく季節の訪れを告げている。明治の開国とともにこの国に迎え入れられた花は、いつしか日本の秋に欠かせない存在となった。

 同じ時代、同じ海を越えてやってきたセイタカアワダチソウは、今では厄介者として扱われている。僕自身、あの花を部屋に飾ろうとは思えない。同じキク科でありながら、これほどまでに運命が分かれたのは何故だろうか。おそらくは花弁の広がりだ。ある程度の面積を持つ花びらが、光を受けて「パッと咲く」瞬間──その華やぎこそが、心を捉えるのだろう。

 これまで数多くの花を撮影してきた。芍薬の繊細さ、胡蝶蘭の優美さ。しかしコスモスは、あまりにも身近すぎて、長い間レンズを向けることがなかった。

 野の花をたくさん摘んできて、形や大きさを吟味しながら一輪挿しに活ける。繊細な花では許されない自由が、ここにはある。茎を切り、向きを変え、何度でも構図を試すことができる。野趣という名の寛容さが、花との対話を豊かにしてくれる。

 このシリーズを撮影するのは、曇りの日か、直射日光が窓に届かない時間帯と決めている。左側の窓から、レースのカーテンを透過した光が、静かに部屋に満ちる。その柔らかな光は弱く、ISO100、F11で撮るとき、シャッタースピードは2秒ほどになる日もある。フィルムの相反則不軌を考慮すれば、実質的には8秒近い露光時間が必要だ。

その長い時間、僕は息を潜めて待つ。

柔らかく、弱く、しかし確かな光が、いつも優しく花とカメラと僕を包んでいる。

0 件のコメント:

コメントを投稿