僕が長年にわたって使い続けているフィルム用現像液には、無水亜硫酸ソーダがたっぷりと含まれている。1リットルの現像液に対して100グラム。成分の一割が、無水亜硫酸ソーダだと考えると、その存在感は決して小さくない。
無水亜硫酸ソーダは、工業用や食品用としても使われている、穏やかな性質のアルカリ剤である。現像という化学反応は、アルカリが強いほど進みやすい。
現像液の中での無水亜硫酸ソーダの役割は、本来、酸化を防ぐための保恒剤である。しかしそれだけではなく、像を現すに足る程度のアルカリ性も併せ持っている。だからこそ、現像主薬と無水亜硫酸ソーダさえあれば、最も簡素な現像液を作ることができる。
ここまでが、無水亜硫酸ソーダの基本的な役割である。だが、僕がこの成分を含む現像液を使い続けている理由は、むしろ写真表現の側にある。無水亜硫酸ソーダには、像を微粒子化するという特質がある。
金属銀の粒子の周囲がわずかに溶かされ、その溶かされた微細な銀が、近くの粒子へと移動し、再び結びつく。粒子は整えられ、角が取れ、丸みを帯びる。その結果、諧調のつながりは滑らかになる。
もっとも、この効果は、諧調表現に大きな利点をもたらす一方で、シャープネスが甘く、柔らかすぎる調子のネガになるという側面も併せ持っている。
そこで、現像主薬はあえてメトール単用とする。コントラストの境界部分において、現像主薬の疲労と進行の差を利用し、輪郭にわずかな緊張感を与えるためだ。
もし、メトールに還元作用があるハイドロキノンを加えれば、主薬は疲労しにくくなり、この効果は得られにくくなる。
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かつてフィルムメーカーが化粧品に進出した際、現像主薬の還元作用がシミ対策に転用されたという話を聞いた。僕にとってはネガ像を黒く作るための成分が、誰かにとっては肌を白くするためのものになる。
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光を多く受けたハイライト部分では現像反応が早く進み、現像主薬は早々に疲労する。一方、光の乏しいシャドー部では反応が遅く、主薬はゆっくりと消耗していく。この差異が、境界面の描写を形づくる。
攪拌の頻度を抑えること、あるいは現像終了後にホウ砂や炭酸ソーダといったアルカリ剤で処理することも、同様の効果をもたらす。いずれも、フィルムに新鮮な現像主薬を過剰に供給しないことで、ハイライトとシャドーの境目に、かすかな鋭さを生み出すための手法である。
細やかで柔らかな粒状性が生む、諧調の滑らかな連なりと、控えめな輪郭描写。僕の作品表現の骨子は、ほとんどフィルム現像の段階で決まっていると言っていい。暗室での引き伸ばし作業で出来ることは、実はそれほど多くない。
それでも、この現像結果から生まれるネガを見ていると、確かなカタルシスを覚える。現像液の処方は、世界をどう認識するかの方便である。
処方を変えれば、荒々しく、高コントラストな像を得ることもできる。だが、そうした像は、どうにも心を落ち着かせてはくれない。
同じことを続けていれば、人はやがて飽きる。けれども、この現像処方に出会ってから二十年以上が経つ今も、僕は一度も飽きを感じたことがない。
カメラやレンズについては、別のものを試してみたいという気持ちが湧くこともある。しかし、暗室機材や薬剤については、これからもずっと同じものを使い続けたいと思っている。
同じ現像液処方を守り続けることは、写真のためだけでなく、僕自身の心を整えるための、小さな処方箋でもあるのだ。

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