2025年8月7日木曜日

色彩論

ニュートン(1643-1727)の光学(1704

万有引力の発見で有名なニュートンは、太陽光をプリズムに当てると、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色に分光することを(も)発見した人である。

ここで興味深いのは、色を7段階にしたのは、1オクターブの音階に合わせて7色にしたことだ。実際のところ、赤から紫まではなだらかに変化していくため、何色にでも定義付けることが出来たと思われるが、科学分野にも芸術の影響があったということである。

橙と藍に関しては変化する幅が狭いため、ミ、ファ及びシ、ドの間の音階は半音の差であることに一致している。ちなみに、白色光は単色光の混合色である。物体の色というのは、発せられた光が物体で吸収されなかった色が反射したときの光の色となる。

 少年時代にピアニストを目指していたアンセル・アダムスは、諧調を11に分割するゾーンシステムを生んだが、やはり音階との関係も経験的に何かあったのだろう。一見、無関係のものからインスピレーションを得て、何かの発見に至ることはしばしばある。ニュートンのりんごも然りである。

「異質にみえる諸関係が相互に接近させられ、それらが一つに結び合わされたから・・・」

と、ゲーテの「科学方法論」の中にも記述がある。

 

ゲーテ(1749-1832)の色彩論(1810

 

 文学者で有名なドイツのゲーテだが、この時代の偉大な人たちは、いろいろなことをやってのけていたようだ。ゲーテもニュートンも政治家としての側面もあった。このゲーテの色彩論、僕にとっては内容が難しく、目で文字を追っているだけで、頭の中にどれほど入っているか分からない。

 ゲーテの色彩論、最初のうち読んでいるとニュートンの光学の批判が随所に出て来る。ニュートンは17世紀の物理学から光を考察したので、人間が見たときの光や色や、視覚異常がある人が見た光や色についてのアプローチをしなかったのは当たり前なのかもしれない。そこまで批判するのは酷なような気がもする。ゲーテは文学者故に、人の生理的視覚からアプローチが出来たのであろう。

 この色彩論の中では、光に最も近い色は黄色、闇に最も近いのは青となっている。青と黄色の先には、ゲーテの色彩環では、一方の頂点が緑、もう一方の頂点は赤になっている。

 僕はモノクローム専門で、カラーは扱わないが、カラー暗室をやる人には、これは違和感があるのではないだろうか?青(C)と黄色(Y)からは、赤は作れない。

 しかしながら、闇に近い色は青、光に近い色は黄色というのは、日常生活では経験的に至極納得できるのではないだろうか。ゲーテは、闇にも色が含まれているという。この辺りはいかにも文学者的な考察だと思う。

 絵本やアニメでは、夜は青っぽく描かれているし、光線兵器の色は黄色を含んでいることが多い。もしかして、ゲーテの色彩論を、みんな知っているのかな?

 ゲーテは、生理的色彩の章の中で、「青は黄色を要求する」と、補色残像についても言及している。これは、強い青を見続けた後、白いものを見ると黄色っぽく見えると言うものである。もしかして、ゴッホ(1853-1890)は、南仏の青い空を見続けたあまり、黄色の空を見たのかもしれない。

  

うたろう(196920😕?)の色彩論(2025

  僕は光学と化学によるモノクローム写真に携わっているので、その経験から色彩について自分自身の悟性により次のように結論づけている。どの門戸から入り、事物を観察したかによって認識は大きく左右されるが、自分が叩いた門はモノクローム写真である。 

前提として濃淡と色彩は合わせて考える。モノクローム写真は、最終的には単色の濃淡で印画紙上に現れる。色彩は、その表現過程で利用するのみだからである。

  まず、完全なる白と黒は色ではないと考える。

どんな色の物体も、完全な闇の中に存在すれば肉眼では闇に紛れ区別出来ない。撮影してもフィルムには記録されないし、印画紙上には諧調のない完全な黒として再現される。

物体に強烈な光(この場合は混合色の光)を当てると、まぶしくて見れなくなり、どんな色の物体も白く見える。撮影するとフィルムには乳剤が最も厚く残り、印画紙上には純白として再現され記録されない。つまり印画紙のベースのままの色となり表現上の空白部分となり最も忌避すべき部分となる。

この二つの理由により、光の強弱もしくは有無によりどんな色の物体も白と黒に飽和していくため、完全なる白や黒は、光か闇かのどちらかである。光や闇を色とは言わない。

闇はフィルムに記録されないし、光は印画紙に記録されない。記録されないものを撮っても無意味であるため撮影対象にはしない。したがって、どれくらい暗ければ闇になるのか、どれくらい明るければ純白になるのかは、自己の記録再現幅を知る必要がある。

 肉眼で見て、白あるいは黒と認識しているものは、完全な白(光)や黒(闇)ではない。それらはフィルムに再現可能な近似な白、もしくは黒である。詳細に観察していくと、肉眼で認識する白や黒は、その周囲との対比によって存在する。

モノクローム写真において、色彩に注意すべきことは撮影時のコントラスト調整に色彩が利用可能なことである。例えば、青い空を濃いグレーで表現したい場合は、黄、橙、赤のフィルターを用いる。真っ赤な紅葉を白く表現したい場合は、赤いフィルターを装着すれば紅葉が白くなる。

 うたろう色彩論は、以上となる。これだけ分かっていれば色彩について僕の人生は困ることはない。

「青は黄を要求する」

青い風景に黄色が存在すると目が落ち着くような気がする。

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