この世界が始まったと同時に、シャッターを開き、世界が終わる瞬間にシャッターを閉じ、一枚のフィルムに、過去から未来までのすべての事象を収めることが出来たとする。
その画像には、おしなべて様々な事象が集積されるが、時間の概念が存在していない。個々の事象は、それぞれの時間において存在するが、一枚のフィルムには、その総和が記録された状態となるため、前後関係は等価となる。
そこには、何がどんな状態で記録されているのだろう?
僕は、そこには結果として何も写っていないと思う。
森羅万象、移ろい、関係を保ちながら存在している。存在していたものはいずれ存在しなくなる。物質も人の思いも。
でも、最初から存在しなかったわけではない。様々なものが折り重なるうちに、無くなってしまうだけ。
この考え方は、あの宗教のあれだね(笑)
長時間露光で撮影していると、多くの時間のざわざわとした出来事がフィルムに露光されていくのに、出来上がる画像は様々なものが溶け込んで輪郭を失い、とても静謐な状態となる。全ての事象の総和は、結果として「空」に至るのでははないだろうか。
あ。言ってしまった。
そんなわけで、長時間露光である。
いったいどこからが長時間露光かと言うと、やはり1秒よりも長く露光する場合だろう。
黒白フィルムは、長時間露光時に実効感度が下がる相反則不軌特性がある。
例えば、僕がいつも使っているフォマパン200のデータシートには、次のように書かれている。
1/1000秒から1/2秒までは露出計の値どおりで撮影して構わないが、1秒よりも長くなると、調整が必要になる。しかし、このデータシートの表だと毎回頭の中で計算しなくてはならないので、自分独自に換算票を作って携帯している。
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