もう9月の中旬だというのに、35度前後の気温が連日のように続いている。それでも真夏の空気とは違い、どこか秋の気配を肌で感じるようになっている。
遅めの夏休みを取り、僕は大阪、京都へと写真の旅に出かけた。9時頃に岐阜から在来線を乗り継ぎ、揺られること数時間、11時過ぎには大阪駅に降り立った。
今回の旅に連れ出したのは、ペンタックスSPと55mmF1.8、35mmF2、そして、セコニックオートリーダーL-188、白黒フィルム2本。きちんと写真を撮ることが出来るが、安価に手に入れたカメラだから、気負うことなく使うことができる。
数年ぶりの大阪駅。都市部は、大きな窓やハーフミラー、複雑な建築物が織りなす光と影の饗宴がある。視点を変えるたびに、新たな造形美が浮かび上がってくるようだ。駅周辺を少しスナップした後、学生時代から行っている懐かしい中古カメラ屋へと足を向けた。
大阪は、戦前、繊維産業で華やかに栄えたという。その頃、ヨーロッパは第一次世界大戦の傷跡を引きずり、関東は震災の影響が残る中、世界の工場の一翼を大阪が担っていた時代があった。そこで生まれた富裕層が趣味として写真を嗜んだのだ。安井仲治もその一人だ。お金のためではなく、表現のために写真創作を行った彼らは、「アマチュア」であることに誇りを持ち、クリエイティブな写真を生み出していった。
そうした歴史の名残なのか、大阪には中古カメラ屋が点在している。特に欲しいものがあったわけではないが、いつも訪れる店に足を踏み入れた。すぐに、以前よりも陳列されているカメラが少なくなっている寂しさが胸に迫る。10年ほど前は、溢れんばかりのカメラたちが並んでいたのに。どうしてこんなに少なくなってしまったのだろう? 壊れて廃棄されていったのか、それとも異国の地へ渡っていったのか。僕は少し物悲しい気持ちになった。
その後、うどんスタンドで大阪特有の出汁を味わい、ホテルにチェックイン。自転車を借りて帝塚山の写真ギャラリー「ライムライト」へと向かった。そういえば、いつか見ようと思っていたチャップリンの「ライムライト」、まだ観ていないな。そんなことを考えながら、ギャラリーの呼び鈴を押すと、中からいつものようにサングラスをかけたオーナーさんが意外そうな表情で現れた。かなり久しぶりだったので、僕のことを思い出すのに、少し時間がかかったようだ。
展示は有元伸也さんの「キジバト」。とてもシャープなプリントに目を奪われる。老人の縮れた白い髭が光に当たって一本一本が分離して見える様は圧巻だ。
この作品は、ニューマミヤ6で撮影されたらしいが、同じカメラを僕も使っているのに、こんなふうにはプリントできない。使うフィルム、現像液、引伸ばし機の光源方式、印画紙の銘柄、撮影時の光の選び方、様々な要素が違うのだから、カメラが同じでも、同じ調子にはならないのは当然なのだろう。
オーナーさんとしばらく言葉を交わし、オーナーさんご自身の作品集を手に入れた。ギャラリーの閉店時間後の夜の時間に撮られた作品が並ぶ。近所で撮るということがどういうことなのか、静かに語りかけてくるような気がする。撮影時間帯は違えど、奈良原一高さんの写真集「ポケット東京」と通じる何かを感じた。
ギャラリーを後にする頃には、夕方の柔らかな光が街を包み始めていた。南海電鉄の架線ごしに、あべのハルカスが夕日に照らされて輝いている。ホテルに帰るには丘を越えて自転車を漕がねばならないが、後輪がパンクしていることに気づく。だましだまし、ガタガタと後輪からの振動を全身で受けながら、ホテルまで戻った。
ホテルのフロントでパンクの件を告げ、すぐにカメラを手に、夕刻から夜へと移ろうまちの表情を捉えに出かけた。時々刻々と光が変化してゆくまちの姿は美しい。
翌日は、10時に目を覚まし、チェックアウトの時にホテルで甘めのコーヒーを二杯、ゆっくりと味わった。まちに出ると、日差しがあまりにも強く、傘を差して歩くことにする。
まずは、心斎橋にある中古カメラ屋を訪れ、相場を確かめる。シルバーの沈胴式のエルマー50mmはとてもきれいで、僕のM-Aに装着したらデザイン的にもピッタリだろうなと思いつつ、その場を後にした。そもそもズミクロンの50mmがあるのに同じ焦点距離のエルマーに心惹かれてはいけないのだ。まあ、男だからそういう気持ちは仕方がない。
次にすぐ近くのギャラリー「ソラリス」へ足を運ぶ。いつ来ても大阪農林会館は趣のあるビルだと思う。そこで煙突をテーマに撮影している方の個展に出会った。時代は違えど、ベッヒャー夫妻のタイポロジーを彷彿とさせる作品の数々に見入った。
ソラリスから東へと歩を進めると、大阪写真会館が姿を現す。その中のお世話になっているお店で、以前から不安を感じていたセコニックオートリーダーL-188の精度を確認してもらった。中輝度で半段、高輝度で2段のずれがあるという。さすがに50年も前の露出計なので、精度が落ちているのは仕方がないのだが、満遍なくずれていてくれれば対処の仕様もあるのに、輝度によってずれ幅が異なるのは厄介だ。そんなわけで、この露出計とは近いうちにお別れしようと心に決めた。
スマホの露出計アプリを使えば問題ないのだけれど、でもそれってちょっと違うんだよなあと僕は思う。撮影には、リズムが必要だ。撮影途中で、スマホを取り出してロックを解除し露出計アプリを起動するというのは、完全にリズムが崩れてしまう。
大阪写真会館の北側の通りにある、ギャラリー「アビィ」へと向かう。ここでは、「滲むイメージ」というグループ展が開催されていた。今風の表現方法で見ていて心が躍る。ギャラリー「アビィ」のビルもレトロ感があって、心惹かれるものがある。
その後、北へ向かい、地下鉄経由の阪急で大山崎へ向かうが、路線を乗り間違えて、気づいたら終点の北千里まで運ばれてしまった。仕方なく淡路まで戻って、乗り換えてからナダール京都大山崎へと向かう。駅からギャラリーまでたいした距離ではないはずなのに、暑さのせいで、遠く感じられる。ナダール京都大山崎は、今月で閉店してしまうという。そのうちに見に行こうとずっと思っていたのに、訪問する機会も今回で最後となってしまった。何とも言えない寂しさが胸に広がる。
近くにある大山崎山荘美術館でモネの水連を見ようと思ったが、閉館中で叶わなかった。心を残しておけば、またいつか来れるだろう。
僕の心の問題ではあるが、何かを計画して準備をすると、当日までにかなり億劫な気分になることがある。出かけたところでいったい何になるのだろうと思うことがしばしばあり、それでも気を取り直して出発するのだが、帰宅するころにはいつも充実感に浸っている。