シャッターの油が固着せぬよう、定期的に絞りを動かし、空シャッターを切る。そのために取り出したレンズから、あるはずの重要部品が消えていた。いつか紛失するのではないか――この外れやすい「延長リンク」に対して抱いていた予感が、最悪の形で的中した瞬間だった。
これほど小さなパーツなど、単体で売られているのを見たことがない。もし修理扱いで取り寄せようものなら、そのサイズに見合わない高額な費用がかかることは火を見るより明らかだった。
無いなら、作るしかない。暗室でお馴染みの覆い焼き用ワイヤーをニッパーで切り出し、慎重にクランク状へ曲げてみる。すると、ジャストフィットする代用品が完成した。仕上げに自転車の虫ゴムを被せ、脱落防止の工夫も施す。
それから一か月ほど経った頃だろうか。撮影現場で冠布をバサバサとあおった拍子に、足元へポロリと金属片が落ちた。紛失したと諦めていた、あのオリジナルの延長リンクだった。
苦笑いしつつも、妙な充足感があった。たとえ再びこれを失う日が来ようとも、僕にはいつでも自らの手で引き戻せる「技術」を手に入れたのだから。
※「ブリコラージュ」社会人類学者のレヴィ=ストロースがで用いた概念で、ありあわせの物を工夫して使う思考。
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