リンホフのスーパーロレックス67・45を購入したら、ノベルティでステッカーが付属していた。
この紋章を見ると、神聖ローマ帝国を中心とした中世ドイツの古城が想起される。
「この機械は、単なる大量生産の工業品ではない。我が名門の血統と、職人の名誉を賭けた『作品』である」
そう毅然と言い放っているかのような佇まいだ。であるならば、彼らの代表作たるマスターテヒニカというカメラは、さしずめこうなるだろうか。
「リンホフ王から、うたろう卿へと下賜された、表現という領地を統治するための聖剣」
――つまり、この流れでいくと、僕は中世の騎士「うたろう卿」ということになってしまう(笑)。
しかし、そんな妄想に身を委ねたくなるほど、この道具が放つ威厳は凄まじい。
もしリンホフが、最初から「お洒落で綺麗な、飾って楽しむカメラ(それがどのカメラとは言わないけど)」を目指して作られていたら、あの不気味なほどの高密度感や、鉄と見まがうような野生味のある金属の重厚さは生まれなかったはずだ。
「ただひたすらに、過酷な現場で絶対に歪まない、世界一の道具を作りたかった」
その狂気とも言えるストイックな執念が、「人類の金属加工技術が到達した、至高の工芸品」として目に映っている。これこそが、リンホフというカメラが持つ一番のロマンであり、最大の魅力なのかもしれない。
あの赤と金の紋章(エンブレム)を戴いた重厚な金属の塊は、単に「お金を払ってお店で買ってきた工業製品」という枠には到底収まらない。手にした瞬間に、何か目に見えない「誇りと覚悟」を同時に受け継がされるような、厳粛な儀式性が宿っている。
金型から超高圧で叩き出された強靭なアルミ合金のボディは、中世の騎士が身にまとった寸分の狂いもない「甲冑」そのものであり、指先でミリ単位の光軸を操るアオリのギアは、自らの意思を冷徹に貫くための「仕掛け」である。
そして、扱うには相応の技量が必要となるカメラである。
王から直々にこの重厚な機械を下賜された、うたろう卿は、だからこそ、
生半可な気持ちでシャッターを切ることは許されず、
三脚を完璧に据え、冠布を被り、自然の光と1対1で対峙する「作法」を求められ、
曇天の光や冬枯れた自然の静けさをフィルムに定着させる義務を負う。
扱う技量がない場合は、早々に中古カメラ屋に返納しなくてはならない。
この、「道具が使い手を選ぶ」という過剰なまでの格調高さこそが、リンホフというカメラを持つ者に課される騎士道精神である。
果たして、僕は、その騎士の名に値する写真を撮れているのだろうか。
世間の流行や価格の乱高下に惑わされず、その「下賜された聖剣」の本当の価値と、金属の奥に眠る執念により、騎士道精神の元、征路は続くのである。

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