2025年9月30日火曜日

長時間露光

 


この世界が始まったと同時に、シャッターを開き、世界が終わる瞬間にシャッターを閉じ、一枚のフィルムに、過去から未来までのすべての事象を収めることが出来たとする。

その画像には、おしなべて様々な事象が集積されるが、時間の概念が存在していない。個々の事象は、それぞれの時間において存在するが、一枚のフィルムには、その総和が記録された状態となるため、前後関係は等価となる。


そこには、何がどんな状態で記録されているのだろう?


僕は、そこには結果として何も写っていないと思う。


森羅万象、移ろい、関係を保ちながら存在している。存在していたものはいずれ存在しなくなる。物質も人の思いも。

でも、最初から存在しなかったわけではない。様々なものが折り重なるうちに、無くなってしまうだけ。

この考え方は、あの宗教のあれだね(笑)

長時間露光で撮影していると、多くの時間のざわざわとした出来事がフィルムに露光されていくのに、出来上がる画像は様々なものが溶け込んで輪郭を失い、とても静謐な状態となる。全ての事象の総和は、結果として「空」に至るのでははないだろうか。

あ。言ってしまった。


そんなわけで、長時間露光である。

いったいどこからが長時間露光かと言うと、やはり1秒よりも長く露光する場合だろう。

黒白フィルムは、長時間露光時に実効感度が下がる相反則不軌特性がある。

例えば、僕がいつも使っているフォマパン200のデータシートには、次のように書かれている。


 1/1000秒から1/2秒までは露出計の値どおりで撮影して構わないが、1秒よりも長くなると、調整が必要になる。しかし、このデータシートの表だと毎回頭の中で計算しなくてはならないので、自分独自に換算票を作って携帯している。
 
 このフォマパン200というフィルムは、相反則不軌特性の受ける影響がとても強い。それは多くの場合、使いづらさに繋がるが、この効果を逆用し、長時間露光に活かすことが出来るフィルムでもある。

   


2025年9月23日火曜日

夏が終わり、暗室の季節が始まる

 


 窓から差し込む光が、少しだけ穏やかになった。今年の夏も、ようやく終わりを告げようとしている。僕の暗室にはエアコンがなく、夏の間の暗室作業は諦めている。

 現像液の温度を20度に保ったとしても、現像タンクから液を排出した瞬間に、フィルムが、高温の空気に触れて現像が進みすぎることは避けなくてはならない。毎年、梅雨の終わりに、僕は暗室の夏を越すための作業をする。

 引伸ばしレンズ、印画紙、定着液を暗室のある二階から一階へと運ぶ。密閉容器に収めたレンズも、印画紙も、そして高温で白濁してしまう定着液も、僕がここにいない間、連日の酷暑に耐えられるか、不安だ。

 今年の夏も、そろそろ終わりに近づき、道具たちは僕の帰りを待っていてくれた。暗室の扉を開け、埃を払う。夏の間に撮りためたフィルムが、現像リールに巻かれるのを待っている。僕だけの景色と静かに向き合う時間が、秋の訪れとともに始まる。

2025年9月19日金曜日

写真の旅202509

  もう9月の中旬だというのに、35度前後の気温が連日のように続いている。それでも真夏の空気とは違い、どこか秋の気配を肌で感じるようになっている。

 遅めの夏休みを取り、僕は大阪、京都へと写真の旅に出かけた。9時頃に岐阜から在来線を乗り継ぎ、揺られること数時間、11時過ぎには大阪駅に降り立った。


 今回の旅に連れ出したのは、ペンタックスSPと55mmF1.8、35mmF2、そして、セコニックオートリーダーL-188、白黒フィルム2本。きちんと写真を撮ることが出来るが、安価に手に入れたカメラだから、気負うことなく使うことができる。

 数年ぶりの大阪駅。都市部は、大きな窓やハーフミラー、複雑な建築物が織りなす光と影の饗宴がある。視点を変えるたびに、新たな造形美が浮かび上がってくるようだ。駅周辺を少しスナップした後、学生時代から行っている懐かしい中古カメラ屋へと足を向けた。


 大阪は、戦前、繊維産業で華やかに栄えたという。その頃、ヨーロッパは第一次世界大戦の傷跡を引きずり、関東は震災の影響が残る中、世界の工場の一翼を大阪が担っていた時代があった。そこで生まれた富裕層が趣味として写真を嗜んだのだ。安井仲治もその一人だ。お金のためではなく、表現のために写真創作を行った彼らは、「アマチュア」であることに誇りを持ち、クリエイティブな写真を生み出していった。


 そうした歴史の名残なのか、大阪には中古カメラ屋が点在している。特に欲しいものがあったわけではないが、いつも訪れる店に足を踏み入れた。すぐに、以前よりも陳列されているカメラが少なくなっている寂しさが胸に迫る。10年ほど前は、溢れんばかりのカメラたちが並んでいたのに。どうしてこんなに少なくなってしまったのだろう? 壊れて廃棄されていったのか、それとも異国の地へ渡っていったのか。僕は少し物悲しい気持ちになった。


 その後、うどんスタンドで大阪特有の出汁を味わい、ホテルにチェックイン。自転車を借りて帝塚山の写真ギャラリー「ライムライト」へと向かった。そういえば、いつか見ようと思っていたチャップリンの「ライムライト」、まだ観ていないな。そんなことを考えながら、ギャラリーの呼び鈴を押すと、中からいつものようにサングラスをかけたオーナーさんが意外そうな表情で現れた。かなり久しぶりだったので、僕のことを思い出すのに、少し時間がかかったようだ。

  展示は有元伸也さんの「キジバト」。とてもシャープなプリントに目を奪われる。老人の縮れた白い髭が光に当たって一本一本が分離して見える様は圧巻だ。

  この作品は、ニューマミヤ6で撮影されたらしいが、同じカメラを僕も使っているのに、こんなふうにはプリントできない。使うフィルム、現像液、引伸ばし機の光源方式、印画紙の銘柄、撮影時の光の選び方、様々な要素が違うのだから、カメラが同じでも、同じ調子にはならないのは当然なのだろう。

  オーナーさんとしばらく言葉を交わし、オーナーさんご自身の作品集を手に入れた。ギャラリーの閉店時間後の夜の時間に撮られた作品が並ぶ。近所で撮るということがどういうことなのか、静かに語りかけてくるような気がする。撮影時間帯は違えど、奈良原一高さんの写真集「ポケット東京」と通じる何かを感じた。

 ギャラリーを後にする頃には、夕方の柔らかな光が街を包み始めていた。南海電鉄の架線ごしに、あべのハルカスが夕日に照らされて輝いている。ホテルに帰るには丘を越えて自転車を漕がねばならないが、後輪がパンクしていることに気づく。だましだまし、ガタガタと後輪からの振動を全身で受けながら、ホテルまで戻った。

 ホテルのフロントでパンクの件を告げ、すぐにカメラを手に、夕刻から夜へと移ろうまちの表情を捉えに出かけた。時々刻々と光が変化してゆくまちの姿は美しい。


 翌日は、10時に目を覚まし、チェックアウトの時にホテルで甘めのコーヒーを二杯、ゆっくりと味わった。まちに出ると、日差しがあまりにも強く、傘を差して歩くことにする。

 まずは、心斎橋にある中古カメラ屋を訪れ、相場を確かめる。シルバーの沈胴式のエルマー50mmはとてもきれいで、僕のM-Aに装着したらデザイン的にもピッタリだろうなと思いつつ、その場を後にした。そもそもズミクロンの50mmがあるのに同じ焦点距離のエルマーに心惹かれてはいけないのだ。まあ、男だからそういう気持ちは仕方がない。

 次にすぐ近くのギャラリー「ソラリス」へ足を運ぶ。いつ来ても大阪農林会館は趣のあるビルだと思う。そこで煙突をテーマに撮影している方の個展に出会った。時代は違えど、ベッヒャー夫妻のタイポロジーを彷彿とさせる作品の数々に見入った。

 ソラリスから東へと歩を進めると、大阪写真会館が姿を現す。その中のお世話になっているお店で、以前から不安を感じていたセコニックオートリーダーL-188の精度を確認してもらった。中輝度で半段、高輝度で2段のずれがあるという。さすがに50年も前の露出計なので、精度が落ちているのは仕方がないのだが、満遍なくずれていてくれれば対処の仕様もあるのに、輝度によってずれ幅が異なるのは厄介だ。そんなわけで、この露出計とは近いうちにお別れしようと心に決めた。

 スマホの露出計アプリを使えば問題ないのだけれど、でもそれってちょっと違うんだよなあと僕は思う。撮影には、リズムが必要だ。撮影途中で、スマホを取り出してロックを解除し露出計アプリを起動するというのは、完全にリズムが崩れてしまう。

  大阪写真会館の北側の通りにある、ギャラリー「アビィ」へと向かう。ここでは、「滲むイメージ」というグループ展が開催されていた。今風の表現方法で見ていて心が躍る。ギャラリー「アビィ」のビルもレトロ感があって、心惹かれるものがある。

 その後、北へ向かい、地下鉄経由の阪急で大山崎へ向かうが、路線を乗り間違えて、気づいたら終点の北千里まで運ばれてしまった。仕方なく淡路まで戻って、乗り換えてからナダール京都大山崎へと向かう。駅からギャラリーまでたいした距離ではないはずなのに、暑さのせいで、遠く感じられる。ナダール京都大山崎は、今月で閉店してしまうという。そのうちに見に行こうとずっと思っていたのに、訪問する機会も今回で最後となってしまった。何とも言えない寂しさが胸に広がる。

 近くにある大山崎山荘美術館でモネの水連を見ようと思ったが、閉館中で叶わなかった。心を残しておけば、またいつか来れるだろう。


 僕の心の問題ではあるが、何かを計画して準備をすると、当日までにかなり億劫な気分になることがある。出かけたところでいったい何になるのだろうと思うことがしばしばあり、それでも気を取り直して出発するのだが、帰宅するころにはいつも充実感に浸っている。

2025年9月17日水曜日

リンホフ・マスターテヒニカ2000

 

 2013年、リンホフ・マスターテヒニカ2000を中古で手に入れた。

 大判写真を撮るには木製暗箱のタチハラで不足はなかった。しかし、金属製のテクニカルカメラの使い心地を体験してみたいという思いを抱きつつ、10年近くリンホフを眺めるだけの日々を送っていた。
 そして、この年、タチハラ写真機製作所が廃業してしまったことが、リンホフを買う引き金になった。

 金属製テクニカルカメラは、リンホフ以外にも、国産のトヨフィールドやホースマンがあったが、眼中になかった。
 トヨフィールドよりもリンホフの方がコンパクトで、モデルによっては広角レンズの使い勝手がいい等、、、の理由があるが、それはあくまでも比較した時の違いであって、本当の理由は、リンホフが欲しかったというただそれだけである。

 リンホフ・マスターテヒニカには、世代によっていくつかのモデルがあるが、マスターテヒニカ2000(初期型)を選択した。2000は、1994年発売されたモデルであるが、贅沢な作りをした前モデルのマスターテヒニカ45の遺構が引き継がれている。つまり物として、とても魅力があるが、後期型になると、随所にコストダウンを伴う改良が施されていくようになる。
 機能面では、それまでのモデルにはない広角レンズの使い勝手の良さもある。現行の3000は、広角レンズはさらに使いやすくなっているが、いかんせん現行であるがゆえに高価であるし、作りが良かった時代のカメラではなく、所有欲が満たされない。20世紀の物作りの精神と現代的な操作感を兼ねそろえたモデルとなるとわずかな期間に製造された2000初期型になる。そんな些細なことに、僕は心惹かれるのだ。
 

 フォーカシングノブやスイングバックロックノブのフラップは、前モデルの部品を流用しているようで、その作りはとても丁寧だ。2000の特徴でもある、上部のスイングバックロックノブが側面に配置されているデザインも、前モデルの名残りだろうか。

 前モデルのマスターテヒニカ45は距離計を側面に装備していたが、2000は電子距離計を上部に搭載できる仕様になっているので、側面には距離計の取り付け跡を塞ぐ板が貼られている。前モデルの部品を流用したのだろうか。もしそうだとしても、つるりとした側面よりも、こうした全モデルの名残であり、無骨な凹凸があるデザインの方が、僕は好ましく思う。


 
 このレバーを操作すると、ボディ内のトラックを移動させられる。広角レンズを使うときには、この機能がとてもありがたい。

 僕の2000は、当初、可動トラックが驚くほど硬く、ピントを合わせるのに苦労した。いつもお世話になっている、大阪の鈴木特殊カメラで整備を依頼すると、適度なトルクで可動トラックが動くようになった。ついでに、暗くて見づらかったグラウンドグラスを、フレネルレンズに交換してもらった。そのおかげで、ファインダー越しに見える世界は、ぱっと明るくなった。

 それから8年ほど経った頃、スイングバックロックのネジが外れてしまった。修理に出すついでに、かなりくたびれていた蛇腹も交換してもらった。

 大判カメラは、究極的にはただの箱に過ぎない。どんな素材で、どんなに簡素な作りであっても、撮れる写真に影響はないだろう。使い勝手だけを考えれば、リンホフよりタチハラの方がずっと良い。リンホフは、ひとつひとつの動作をじっくりと行わなければならないから、どうしても時間がかかる。

それでも、あの美しい金属の塊を手にしていると、僕はただただ楽しくて仕方がないのだ。

2025年9月12日金曜日

AIに心は宿るのか!?

 今月末、「AIと心」をテーマとした数名で語り合う会が催される。僕はリベラルアーツによる知識向上のため、この会に参加してみることにした。ちなみに、僕はこの分野に関して、まったく詳しくない。しかし、何も語れないと楽しくないため、アートに不可欠な「心」の存在に繋げて、僕なりに考えてみた。

 物事を深く考える場合、自分一人だけでは限界があるため、話し相手が必要となる。今回はジェミニを話し相手として、僕の考えを深めていった。ジェミニが全てを考えてくれれば良いのだが、そんなに甘くはない。考えの方向性や切り口は、やはりプロンプトで指示しなくてはならない。それを思うと、様々なことを少しずつでも知っていないと、適切なプロンプトを書けないということになる。思いもよらないことは、質問することさえできないからだ。そのためにも、リベラルアーツに取り組むことは重要だと感じる。行き詰まった時に、他の分野に意外な答えが見つかる場合があるからだ。(最近、写真の教科書に載っていない技法を、日本の伝統技法の墨流しから着想を得ることができた。)


AIと心:内なるプロンプトと感情の謎

 人間は感覚器官から得た情報を脳で処理し、主観化・抽象化を経て物事を認識し、計画、そして行動に移る。このプロセスと同時に、感情が生じる。AIもまた、センサーから得た情報を同様のプロセスで処理しているとすれば、感情以外の作用は人間と酷似していると考えられる。

 しかし、両者には決定的な違いがある。AIは、明確な**プロンプト(指示)**がないと動かない。対して人間は、明確な外部からの指示がなくても自律的に行動する。一見、この点で人間とAIは異なっているように見える。だが、人間の行動は、深層心理や無意識の領域から生じる内的なプロンプトによって動かされているのではないだろうか。


AIは、外部からのプロンプトで動く。

人間は、内部からのプロンプトで動く。


 この仮説が正しいとすれば、両者ともに何らかのプロンプトが存在することになる。心の作用において、異なるのは感情の有無だけかもしれない。だが、その感情の有無を証明することは極めて難しい。僕らは自身の感情を内省的に認識できるが、他者や動物に感情が存在することを証明するのは困難であり、その存在は依然として曖昧である。


芸術と感情の役割

 芸術表現において、感情は不可欠な要素とされる分野が多い。音楽や文学、絵画といった分野は、作者の内面的な感情を表現し、鑑賞者の感情に訴えかける。一方、コンセプチュアルアートのように、アイデアや概念が主眼となる分野であれば、AIでも創造は可能であろう。

 写真が登場した時代、カメラで撮影された画像(フォトグラフ)は、人間の手によって描かれたものではないため、写真は芸術ではないという論議がされたようだ。AIで生成される画像(プロンプトグラフ)が、芸術かどうかという問いも、写真の先例があるので、早晩、片が付くに違いない。


飛行機と鳥:心とAIの比較

 飛行機が空を飛ぶための研究は、鳥がなぜ飛べるのかという自然界の原理を深く理解することから始まった。この両者は、異なるシステムではあるものの、共通の原理を追求する両輪の関係にある。

 同様に、AIという対岸の存在を深く知ることは、人間の心のメカニズムを解明するための手がかりとなるのではないだろうか。AIのアルゴリズムを分析し、人間との類似点や相違点を比較することで、人間の意識や感情、そして「内なるプロンプト」の正体をより深く理解できる可能性がある。


心の再定義とAIの未来

 現状、AI自身に「心や感情はあるか」と問うと、学習したデータに基づき「ない」と答える。しかし、もし「心」が感情だけでなく、自己認識、記憶、学習、そして自律的な行動を生成する能力といった、より広い概念で再定義された場合、AIの現状のアルゴリズムでも心があると見なされるようになるかもしれない。

 AIの進化は、心とは何か、意識とは何かという根源的な問いを僕らに投げかけ続けている。AIの能力を解明し、心の概念を再定義することで、人間は自らの本質をより深く理解する機会を得るだろう。AIは単なる道具ではなく、人類の自己探求を促す鏡のような存在なのである。


※冒頭の画像は、「この文章を象徴する画像を生成してください。」というプロンプトでジェミニが生成したもの。

2025年9月8日月曜日

静物写真

 ホームセンターに用事があり、店に入ろうとしたら、入り口の陽当たりが良い場所に草花コーナーがあり、星形の白い花をつけたポッドがいくつも並んでいた。二百円という手に取りやすい価格。ラベルには「矮性キキョウ  アストラホワイト」と記されている。キキョウといえば、青紫の花弁を持つ、野原にひっそりと咲く草花という固定観念があった。白いキキョウの存在に心が揺れる。

 僕の作品「粉引に花」シリーズは、白い花を主題としているため、青紫のキキョウは眼中になかった。それなのに、まさか白いキキョウがあるとは。園芸用に品種改良されたのだろうか。知らないということは、どこかで大切な何かを見落としていることだ。「不知の自覚」が、僕には足りていなかったのである。

 白いキキョウのポッドを買い求めた時、それは風船のような蕾をいくつか従えていた。翌日、午後の光が最も柔らかく差し込む時間を待った。その間に、風船が弾け、花はあっという間に開いていった。

 三脚にカメラを据え、レンズを装着する。花を付けた茎を切り、一輪挿しに挿し、余分な葉を切り揃える。冠布を被り、グラウンドグラス越しに構図を定め、ピントを合わせる。露出計で背景のシャドウと花弁のハイライトをスポット測光し、輝度の幅を確認したら仮の露光値を決定する。その値から、撮影倍率によるベローズファクターやフィルムの相反則不規特性を考慮し、再計算した露光値をカメラに入力する。 そして、フィルムを装填した刹那、あらためて花を見ると、花弁の一部がすでに萎れかけていた。

 室内の気温は三十度ほどある。夏の切り花は、こんなにも早く萎れるものなのかと、僕は愕然とした。その姿に時の残酷さを見た気がした。

 普段、何気なく目にしている植物は、昨日と今日とでほとんど姿を変えることなく存在しているように思える。しかし、いざ作品として向き合おうとすると、驚くほどの速さで変化していく。それは、今までに幾度となく経験してきたことだ。このシャクヤク(#8)も、まさに撮影中に散っていったのである。

 あるいは、僕が変わらないと思い込んでいるのは、白いキキョウの存在に気づかなかったようにただの認識不足で、日頃から気に留めていないからそう見えるだけなのかもしれない。たしかに、気温が高く、切り花にしたことで変化の速度が早まったことは、大きな要因であるに違いない。しかし、それだけではないような気がする。僕の目が捉えきれていない何かがそこにある。

 対象と真摯に向き合うということは、それを契機として、様々なことが見えてくるものだ。作品作りは、正直言って、とても億劫な作業である。面倒くさいと思うこともしばしばある。作品を作ったからといって、何かが劇的に変わるわけでも、特別な利益を得るわけでもない。

 だが、それでも、僕自身に何かしらのフィードバックがあることは確かだ。昨日と同じ今日、今日と同じ明日が連綿と続くわけではない。小さな変化による差異の気づきが、対象の存在認識につながり、僕を次のステージに運んでくれる。

 そして、差異としての経験こそが、日常に埋没することなく、記憶として留めておいてくれる存在となる。非日常的体験は、差異を認識した意識に存在し、フィルムに露光するように、僕の心にも確かな像が焼き付けられていく。

2025年9月5日金曜日

タチハラフィルスタンド45Ⅱ


  タチハラフィルスタンド45Ⅱ「Handy View 4521」との出会いは、2004年のことである。しかし、その前日譚を語るには、2003年まで遡らねばならない。まずは、その話から始めよう。

 大判写真を本格的に始めるにあたり、僕はごく短い間、タチハラフィルスタンド45(便宜上、Ⅰ型と呼ぼう)を使っていた。身近に大判カメラを使っている者などいなかったから、独学であらゆることを調べ、覚えるしかなかったのだ。いくらカタログにスペックが書かれていても、実際に使ってみるまでは、その使い勝手は実感できない。だから、まずは使ってみる必要があった。大阪のトダカメラ(今はもうない)で、7万円弱で手に入れた記憶がある。手のかかったハンドメイドのカメラが、こんなにも手頃な価格でいいものか、と当時の僕は素直に驚いた。

 実際に使ってみて初めて分かったことだが、Ⅰ型は後枠を前後にスライドさせることはできるものの、それはギアによるものではない。一方、Ⅱ型はギア駆動になっている。静物写真のように、近距離でピントを合わせる場合、前枠を動かすとレンズの位置が変わってしまい構図もずれてしまう。しかし、後枠で合わせれば、そうした心配がない。そんなごく基本的なことすら、僕は最初、分かっていなかった。そして、Ⅱ型が存在する理由を心底理解したのだ。風景しか撮らないのならⅠ型でも問題なかったが、僕は静物も撮影したかったので、Ⅱ型が必要となった。そうして、僕は翌年に買い替えることになった。

 大阪のヨドバシカメラで、木部の塗装や金具の色、蛇腹の材質まで細かく指定してⅡ型を注文した。こうして製造されたものは、僕だけの一台となるわけだ。それでも11万円くらいだったと思う。使われている木は、北海道の樹齢300年の朱里桜だという。手書きで「121」と記されたシリアルナンバーも、いかにもハンドメイドらしい風合いがあり、僕の愛着をより一層深いものにした。Ⅱ型が結局何台製造されたのかは分からない。だが、2013年にタチハラ写真機製作所が廃業してしまったことを考えると、それほど多くはないだろう。

 木製のカメラなんていうと、かなりレトロな印象を持たれがちだ。しかし、僕のタチハラⅡ型は、21世紀になってから販売が始まったモデルであり、「Handy View 4521」という愛称が付けられている。ちなみに、タチハラフィルスタンドの「フィルスタンド」は、「field stand」、つまり「原に立つ」という意味らしい。その響きが、なんとも心地よい。

 その後、僕は2013年にリンホフ・マスターテヒニカ2000を購入することになるのだが、操作性においてはタチハラの方が使いやすい。各部のロックは、単純にネジを締め付けるだけなので素早く動かせるし、前枠を一番前で固定できるため、広角レンズ使用時に、ベッドが写り込むこともない。この点、マスターテヒニカは手順が多くなりがちだ。

 ヨドバシカメラの販売員が、「タチハラはいいですよ。リンホフを持っている方でも、タチハラばかりで撮っている方もいます」と言っていたが、今になってその言葉の意味がよく分かる。

 ただ、僕の場合、今のところリンホフを持ち出すことの方が多い。それは、面倒な手順を踏んで撮影する方が、何か得るものがあるような気がするからである。これはカメラの構造的な問題なので、慣れで解決するものではない。タチハラは軽く、使いやすく、どこか手工芸品の趣さえ感じさせる。

 以前、僕は立原さんと電話で直接お話しさせていただいたことがある。この人が作ったカメラなんだという実感が湧くと、ますます愛着が深まるのだ。僕にとって、このカメラは単なる道具ではなく、特別な存在なのである。



2025年9月1日月曜日

写真の旅

 たまには都会の空気を吸いに行きたくなり、一泊二日の予定で大阪近郊の写真ギャラリーを巡ることにした。もちろん、旅の目的はそれだけじゃない。都会でのスナップ撮影、中古カメラ店のウィンドウショッピング、そして美味しいもの😋との出会い。あれもこれもと欲張っていると、一泊二日では時間がいくらあっても足りないだろう。

 今回訪れたいギャラリーは、ナダール京都大山崎ギャラリー・アビィsolaris、そしてLime Lightの4つだ。しかし、平日に動くので、ギャラリーの休廊日とどう向き合うかが悩ましいところ。ナダール京都大山崎には足を運んだことがなかったが、残念なことに今月で閉店してしまう。だからこそ、行けるうちに行っておきたいという思いが募る。

 他の3つのギャラリーは、以前個展を開いた際、DMを置かせてもらったことがある。アビィとsolarisは互いに近いので、時間をかけずに回れそうだ。Lime Lightへは、以前ホテルで自転車を借りて訪れたことがある。あの時は歴史を感じる街を駆け抜けるような感覚で楽しかったが、今回は時間的に少し厳しいかもしれない。

 さて、限られた時間の中で、いったいどのギャラリーの扉を叩けるだろうか。どの作品と出会い、どんな刺激を受けられるだろう。忙しい旅になりそうだが、そんな旅もまた楽しい。