2026年7月14日火曜日

展示とは、自分の到達点を問う場である

 


​ 展示や公募展は、「完成された最高傑作」のみを見せる場所ではない。

 そもそも、それが本当に最高傑作なのか、あるいは完成品なのかは、誰にも分からない。時間が経過して見返したとき、当時はまだ見えていなかったことに気づく場合があるからだ。

 もしその気づきがなければ、表現者としての歩みはそこで終わってしまう。仮に絶対的な到達点というものがあるとして、そこに達してしまったら、次はどこへ行けばいいというのか。したがって、「完成」という状態は非常に曖昧なものだ。

 ​作品は時間の中で変化する。それは作品そのものが変質するのではなく、作者の「認識」が変わるからである。

 そう考えると、展示とは「私は今、ここまで来ました」という報告に近い。

 登山に例えるなら、山頂に立った証明ではなく、現在地の無線連絡のようなものだ。

 十年後に見返すと、「構図が甘かった」と思うかもしれない。あるいは、「もう、あんな気持ちで、撮ることは出来なくなった」と、もう既にいなくなった過去の自分の喪失を感じるのかもしれない。

 それは、今の僕には分からない。なぜなら、十年後の僕はまだここにいないのだから。「これで完成なのか?」という問いに、あらかじめ用意された答えなどない。

​ 展示において、どんなカメラやレンズを使ったか、どんな技術で作ったか、ということはさほど重要ではない。お金で買える機材や既成の知識は、その人固有のものではないからだ。

 そんなものを誇示するよりも、「僕が世界をどう見ているか」がそこに写り込んでいることの方が、遥かに肝要である。

​ 展示する意味とは、その問いを他人の前に差し出すことにある。

「僕は今、世界をこう見ています」

 そう差し出されたものに対して、見る人は賛同するかもしれないし、何も感じないかもしれない。あるいは、まったく別の解釈をするかもしれない。

 それでも展示は成立する。​ 逆に、「完成してから発表しよう」という思い込みは危険極まりない。なぜなら、本当に完成したと思える日など、生涯ほとんど来ないからである。

 世界を眺めていると、問いはとめどもなく湧き上がる。


 木を見れば時間を考え、

 暗室の薬剤を見れば物質を考え、

 月を見れば露光時間を考える。


 探求とは、どこかにある完成形に到達することではなく、問いを深め続けるプロセスそのものなのだ。

 ​展示作品が、単なる偶然の一枚ではなく、僕が長く考えてきた問いの「途中経過」として、自分らしさと意味を持ったものであれば、それでいい。

2026年7月7日火曜日

膨らむ電池

 

 
 フィルムカメラがオートフォーカス化される以前の時代、多くのカメラは露出計を動かすためにボタン電池を使用していた。1950年代から1960年代頃には水銀電池を用いた機種が主流であったが、その有毒性から、後にアルカリ電池や酸化銀電池へと置き換えられていった。

 僕が持っているペンタックスSP、オリンパスPEN D3、ミノルタハイマチックEは、いずれも水銀電池を前提に設計されたカメラである。しかし、水銀電池はすでに入手できないため、SPは電圧調整アダプターと酸化銀電池、PEN D3は空気亜鉛電池、ハイマチックEは簡易アダプターとアルカリ電池で代用している。
 
 この三機種は、僕にとって「二軍のおもしろカメラ」のような存在である。しかし、それでも仕上がる写真には特に問題がない。

 なぜ「二軍のおもしろカメラ」なのかというと、本来想定されていない代用電池を使っていることに、どうしても不安が残るからである。とはいえ、そのカメラならではの得難い魅力があるため、つい使ってしまう。

 SPやPEN D3のような機械式カメラは、電池がなくても撮影自体は可能である。しかし、本来は電池を入れて使うことを前提に設計されたカメラである以上、電池を抜いたまま使うことに、どこか違和感がある。

 もっとも、僕が信頼しきれていないわりには、これらのカメラはいつもきっちり仕事をしてくれる。
 「一軍の本気カメラ」でボタン電池を使うニューマミヤ6やニューFM2といった機種は1980年代以降のものが多く、電池にはLR44またはSR44が指定されている。

 僕はこれまで、安価なLR44を使っていた。ただ、液漏れや腐食の危険があるため、使わないときは電池を抜いて保管している。

 先日、取り外して保管してあったLR44を見ると、電池が膨らんでいるのを発見した。もしこれがカメラの電池室の中で起きていたら、厄介なことになっていたに違いない。

 実は、電池が膨らむ現象は昨年も経験している。二年続けて目の当たりにしたことで、多少高価ではあっても、今後は寿命が長く、電圧が安定していて、液漏れ耐性も高いSR44を使うことにした。

 露出計内蔵や電子制御シャッターを備えたカメラは便利である。しかし、その便利さは電池に支えられている。言い換えれば、便利さと引き換えに厄介ごとを抱え込んでいるとも言える。

 その点、電池をまったく使わないカメラは、ある意味では完璧である。電池切れを心配する必要もなく、液漏れや腐食に悩まされることもない。だからこそ安心できるし、そこに機械としての潔さのようなものを感じるのである。

 もっとも、そのようなカメラにも別の故障や不具合はある。それでも僕は、ときどき膨らんだボタン電池を眺めながら、便利さとは何か、そして道具を信頼するとはどういうことなのかを考えてしまうのである。

2026年6月30日火曜日

このカメラを持つ者は、写真の極限に挑む誇りと義務がある

 


 リンホフのスーパーロレックス67・45を購入したら、ノベルティでステッカーが付属していた。

 この紋章を見ると、神聖ローマ帝国を中心とした中世ドイツの古城が想起される。

 「この機械は、単なる大量生産の工業品ではない。我が名門の血統と、職人の名誉を賭けた『作品』である」

 そう毅然と言い放っているかのような佇まいだ。であるならば、彼らの代表作たるマスターテヒニカというカメラは、さしずめこうなるだろうか。

 「リンホフ王から、うたろう卿へと下賜された、表現という領地を統治するための聖剣」

 ――つまり、この流れでいくと、僕は中世の騎士「うたろう卿」ということになってしまう(笑)。


 しかし、そんな妄想に身を委ねたくなるほど、この道具が放つ威厳は凄まじい。

 もしリンホフが、最初から「お洒落で綺麗な、飾って楽しむカメラ(それがどのカメラとは言わないけど)」を目指して作られていたら、あの不気味なほどの高密度感や、鉄と見まがうような野生味のある金属の重厚さは生まれなかったはずだ。

 「ただひたすらに、過酷な現場で絶対に歪まない、世界一の道具を作りたかった」

 その狂気とも言えるストイックな執念が、「人類の金属加工技術が到達した、至高の工芸品」として目に映っている。これこそが、リンホフというカメラが持つ一番のロマンであり、最大の魅力なのかもしれない。

 あの赤と金の紋章(エンブレム)を戴いた重厚な金属の塊は、単に「お金を払ってお店で買ってきた工業製品」という枠には到底収まらない。手にした瞬間に、何か目に見えない「誇りと覚悟」を同時に受け継がされるような、厳粛な儀式性が宿っている。

 金型から超高圧で叩き出された強靭なアルミ合金のボディは、中世の騎士が身にまとった寸分の狂いもない「甲冑」そのものであり、指先でミリ単位の光軸を操るアオリのギアは、自らの意思を冷徹に貫くための「仕掛け」である。

 そして、扱うには相応の技量が必要となるカメラである。

 

 王から直々にこの重厚な機械を下賜された、うたろう卿は、だからこそ、

  • 生半可な気持ちでシャッターを切ることは許されず、

  • 三脚を完璧に据え、冠布を被り、自然の光と1対1で対峙する「作法」を求められ、

  • 曇天の光や冬枯れた自然の静けさをフィルムに定着させる義務を負う。

  • 扱う技量がない場合は、早々に中古カメラ屋に返納しなくてはならない。

 この、「道具が使い手を選ぶ」という過剰なまでの格調高さこそが、リンホフというカメラを持つ者に課される騎士道精神である。

 果たして、僕は、その騎士の名に値する写真を撮れているのだろうか。

 世間の流行や価格の乱高下に惑わされず、その「下賜された聖剣」の本当の価値と、金属の奥に眠る執念により、騎士道精神の元、征路は続くのである。

2026年6月25日木曜日

波打つ時間のなかで

 

写真と文章の内容は関係ありません


 毎年、夏に地元の美術展が開催される。数年前にその美術展はリニューアルし、審査員は地元出身の写真家ではなく、知名度のある写真家や評論家が担い、毎年入れ替わるようになった。そのため、どんな作品が評価されるかは、まったく予想がつかない。

 展示会場が広いため作品サイズも大きくなるが、ゼラチンシルバープリントのシート印画紙の最大サイズは大全紙までしかないので、僕はそれを使うことになる。近年は、デジタル作品の印刷可能なサイズがとても大きくなったので、A0サイズでの応募もあり、大きさから受ける迫力において銀塩は不利である。

 この美術展は、作品サイズの大きさもさることながら、現代美術的な作風が強いと、近年の展示を見て感じていた。 それならば、そちらの方面で今年は作品を作ってみようと思い、昨年の秋の終わりから準備して、冬の終わりに完成させた。毎日のようにその作品を眺め、気になる場所にスポッティングを施すなど、手を加えていた。

 ところが、梅雨に入りかける少し前に、湿気のせいなのかは分からないが、木製パネルと写真の接着面が波打つようになってきた。最初は、気にならない程度であった。僕はそれを見ないふりをした。

 こんなに苦労して作り上げたのに、また作り直さなければならないのか。初めて作る時は創作活動であるが、やり直しは、苦痛を伴う作業でしかない。そもそも、手作業に占める割合が高い作品であるため、同じものを作るなんて出来るわけがない。 仮にやり直したとしても、落選する可能性もある。入選率の低さから予想すると、むしろその方が高い。もうやり直したくない。このままいってしまおう。 所詮は趣味だし、やってもやらなくても、誰かに対して責任を負っているわけではないし。

 そんな思いのまま、毎日作品を眺める日々が一か月ほど続き、作品搬入まで半月あまりになった。

 やっぱり、やり直そう。何が原因で失敗したのかは、よく分かっている。

 ネガを探し、引伸ばし機にセットしてルーペで粒子を見ながらピントを合わせ、印画紙をイーゼルに固定したら、露光する。予め用意しておいた現像液をたっぷり張った大全紙のバットの中で、露光済みの印画紙を揺らす。そして、水洗を終えたプリントを慎重に部分漂白する。

 ホームセンターでベニヤと角材を購入し、パネルを作る。ステインを何度も重ね塗りする。

 もうここまで来ると、やり直すことへの苦痛は、僕の中からは消えている。

 搬入日まで、残りの日々は少ない。でも、何とかなる。満たされた気持ちで、審査に臨もう。後のことは、後のことだ。



2026年6月22日月曜日

暗室のプルシアンブルー

 


 ゼラチンシルバープリントのプロセスで、ハイライトの濃度や色調を整えるために使う薄黄色の漂白液。赤血塩(フェリシアン化カリウム)を溶かしたその液体は、何度も印画紙を浸すうちに、いつしか緑がかった青色へと変化していく。
 使い古して水垢やカビでも湧いたのだろうと、これまでは特に気にも留めていなかった。

 しかし昨夜、ふと「この青は何だろう」と疑問が湧き、調べてみて驚いた。
 液中で生まれていたのは、あの「プルシアンブルー」だったのだ。

 かつて、青はもっとも高貴で貴重な色だった。ウルトラマリンに代表されるように、手に入れるには希少な鉱物を砕くしかなかったからだ。
 そんな歴史を塗り替えたのが、18世紀初頭のドイツだった。赤い絵の具を製造していた職人が、調合の失敗から偶然に合成の青を生み出した。それがプルシアンブルーである。

 この人工の青の誕生がなければ、北斎の鮮やかな浮世絵も、ゴッホの燃えるような夜空も、今とは違う姿になっていたかもしれない。

 僕の暗室に、これもまた偶然に現れた青は、漂白液に鉄イオンが混入したことが原因のようだ。ステンレスのトングから溶け出したのか、あるいは水道水に含まれるわずかな鉄分に反応したのか。
 
 ゼラチンシルバープリントという、手間も時間もかかるクラシカルな技法に日々向き合っていたからこそ、この「青」に出会うことができた。
 
 しかし、正体が分かったところで、僕の写真が変わるわけではない。
 それでも、暗室の小さなバットの中から、18世紀のドイツや天才画家たちの足跡へと地続きに知識が繋がっていく。その一瞬の興奮が、たまらなく心地よい。


2026年6月16日火曜日

八重の曲線

 

 

 八重咲きのユリをいただいたので、いつもの粉引の一輪挿しに挿して撮影した。このシリーズで使うレンズは、ニッコールW210mm F5.6に決めている。絞りはいつもF8前後。画角と被写体までの距離、そしてボケの量が、いまの自分にはちょうどいい。 カメラは、その時の気分でタチハラかリンホフを選ぶ。

 改めて考えてみると、「気分」とは何なのだろうか。 理由はいくつも挙げられる。前回はリンホフだったから今日はタチハラにしよう、といった単純な反復もあれば、操作そのものを楽しみたいからリンホフを選ぶこともある。木の軽さや手触り、あるいは金属の冷たさや油の匂いに惹かれることもあるだろう。 だが、そうして並べた理由は、どれも決め手にはならない。むしろ、それらが重なり合い、わずかに揺らぎながら、その時の選択をかたちづくっている。

 論理では説明しきれないが、決して偶然でもない。体調や光の具合、直前まで見ていた風景や記憶の断片——そうしたものが身体のどこかに沈殿し、その総体として現れてくるもの。それを、ひとまず「気分」と呼んでいるのかもしれない。いつだって、論理に先立つ「気分」という情調の中で、すでに世界に投げ込まれ、道具と向き合っているのだろう。

 今日、選んだのはリンホフだった。八重咲きの柔らかな曲線と、油の匂いを帯びた冷たい金属。それらが、今の自分の内側に静かに噛み合った。 粉引の白とユリの白が溶け合うファインダーの中で、カメラはもはや観察すべき客体ではなく、ハイデガーが言ったように身体の一部——「手近存在」として世界に溶け込んでいく。カメラを操作する指先の微細な振動だけが、僕と世界を繋ぐ確かな手応えのように感じられた。 

2026年6月8日月曜日

エンターテイメントとしての発色現像プリント

 


 ヤマボウシの静物写真を撮りたくなったので、3年ほど前に苗木を買ってきて庭先に植えた。昨年は一輪も咲かなかったが、今年は肥料と水やりをまめに行ったせいか、少し花がついた。

 いつもどおり、大判カメラで撮影した後、デジタルカメラでも撮影しておいた。デジタルカメラでの画像は、SNSに投稿したら役目を終える。

 しかし、思い返してみれば、キスデジタルX3を買ってから17年ほど経つが、このカメラで撮影したものをちゃんとプリントしたことがない。ふと、カラーで引き伸ばしてみたいと思った。もちろん、僕の本領はゼラチンシルバープリントなので、それは「遊び」としてだ。

 現状、写真の紙焼き(プリント)には、代表的なプロセスとして次のものがある。


1 ネガ → 光学引き伸ばし → 銀塩プリント(発色現像、ゼラチンシルバー)

2 ネガ → スキャン → 銀塩プリント(発色現像)

3 デジカメ → 銀塩プリント(発色現像)

4 ネガ → スキャン → インクジェット

5 デジカメ → インクジェット

※技法的に、発色現像はカラー、ゼラチンシルバーはモノクローム


 デジカメで撮影した場合、選択肢は3か5になる。デジタルデータからデジタルネガを作成し、1のプロセスを通ることもできるが、まあ、今回はそこまで深く立ち入らないので3を選んだ。

 3を選ぶか、5を選ぶか。おそらく5の方が「本気度」が高いのではないだろうか。デジカメで撮影してインクジェットで印刷するというのは、現代において最も高品質で耐久性があるプリントを作成できる手法であり、相応に高価でもある。

 僕が3を選んだのは、冒頭にも書いたように今回の試みが「遊び」であるからと、久しぶりに発色現像方式の印画紙を手に取って見てみたいと思ったからだ。


 そんなわけで、少しだけ明るめに調整し、RAW現像したデータをSDカードに保存して、近所のカメラのキタムラに行った。

 カメラ店に行くのはかなり久しぶりである。どうやって注文したら良いのか分からずにいると、店員にプリント注文用の端末を案内された。注文の過程で「無補正」と「お任せ補正」があり、どちらにしようかかなり悩んだが、せっかく自分で現像したデータなので、最終的に「無補正」にした。

 10日ほどして受け取りに行き、仕上がりを確認すると、ちょっと暗めではあるが満足のいくレベルであった。これがいつものゼラチンシルバープリントであるなら再プリント(焼き直し)していたかもしれないが、今回はそこまでやるつもりはない。そうしたお手軽さを求めて、このサービスを選んだのだ。


 印画紙の裏を見ると、富士フイルム製品のようだった。少し前に富士フイルムはシート印画紙の販売を終了してしまったが、ロール印画紙の供給はまだ続けている。同社もノーリツ鋼機も、ミニラボ機をまだ生産ラインに残しているのだ。

 各店舗にミニラボ機を配置するのは需要面から難しいのだろうが、ラボへ集中一元化し、ユーザー側も仕上がりまでの日数を許容できるのであれば、この価格で発色現像プリントを楽しめる環境は、まだ当分は維持されるのではないだろうか。


 フィルムカメラは現像結果を見るまで分からないため、その「待つ期間」がワクワクするとよく言われる。しかし今回の経験から、RAW現像データ通りに仕上がるか分からない発色現像プリントも、納品を待つ間の心持ちは同じではないかと思えた。

 もっとも、僕の場合はいつも「ワクワク」ではなく、「ハラハラ(心配)」なのだが。

CANON EOS-kiss X3  EF50mmF1.8STM

2026年6月4日木曜日

開拓者の木

 


 琵琶湖の湖岸には、アカメヤナギが群生している。

​ 水中から生えている木の大半は、このアカメヤナギではないだろうか。成長が早く、生命力が強いこの木は、他の植物に先駆けていち早く根付き、森林形成の第一歩を担う「先駆植物(パイオニア植物)」である。

​ 開拓者であるがゆえに、この木には試練が待ち受けている。嵐、雪、雷、虫害、波。それらの災厄に耐え切れず、倒れてしまう木もある。しかし、倒れてもなお、生を諦めることはない。倒れたまま、別の方向に枝や根を伸ばし、成長し続けていく。

​ 20年ほど前だろうか。湖岸で撮影しているうちに、沖に浮かぶように生えている開拓者たちを、間近で見たいと思い始めた。まさか泳いでいくわけにもいかず、水上を散歩できる乗り物を探すなかで、カヤックに行き着いた。それから10年ほどは、琵琶湖の湖岸を漕いで回った。

  その間、フィルムカメラを持っていた手は、パドルを握る手に変わっていた。

​ 「事物をよくみる」という行為を実現するための道具が、カメラからカヤックに移った時期だった。

​ 水中から生えているように見える木の根元は、水深こそ浅いが、常に水に浸かっているため地中深くに根を伸ばさず地表に沿っている。それゆえ、波で周囲の土を洗われ、強風が吹き付けると、倒れやすいのだろう。

 カヤックを降りて、開拓者の周りを歩いてみると、その見かけ上の島は根だけで形成されているようで、ふわふわとして、まことに踏み応えがない。

​ ただそれだけを確認するために、湖岸を嘗めるように漕ぎまわった。

​ 今は再び、カメラを使い、湖岸から遠くの開拓者たちをみている。やっていることは、元に戻ったわけだ。しかし、開拓者に触れ、認識の枠を強く揺さぶられた僕は、もう以前のままではない。



2026年5月31日日曜日

満月のプレリュード

  完全に陽が落ちた満月の夜、湖面を撮影する場合、露光時間はどうなるのだろうか。

  露出値の基準をISO100で「-EV2(F8、4分)」と想定してみる。しかし、使用するフィルム特有の相反則不軌特性を考慮しなければならない。


フォマパン200の場合

  


 データシートによると、露光時間が100秒を超えるときには、露光時間を18倍に引き伸ばさなければならない。

 4分の露光では補正後の露光時間はおよそ70分程度になる。しかし、一律で18倍というわけでもないだろうし、実際に撮影に臨むとなれば、F8で1時間、F11なら2時間くらいで、撮影することになりそうだ。



ケントメアパン200の場合



 こちらはフォマパン200に比べると、相反則不軌特性がいくぶん穏やかである。

 この数式は、指数になっている。計算上はF8で16分、F16なら95分となる。ただ、ケントメアパン200はコントラストが高くなりやすいという特徴を持つ。ハイライトの繊細な階調を硬くさせずに残すため、あえて少し切り詰め、F16で50分の露光とするのが現実的かもしれない。


 撮影フォーマットについても思案が要る。 フォマパン200はブローニーから大判の4×5まで揃うが、ケントメアパン200には4×5のラインナップがない。そのため、後者を選ぶならブローニーを使うことになる。手元には6×9のロールフィルムホルダーがあるが、今回は4×5に近いアスペクト比を持つ6×7で、あの静寂な広がりを切り取ってみたい。

 本番は、夏の終わりか、あるいは秋の初め頃の満月の夜。 夕暮れ時の湖面に三脚を立て、夜の帳が静かに落ちてくるのを待つのだ。長く開け放たれたシャッターの傍らで、お湯を沸かしてコーヒーを淹れる――そんな贅沢な時間が、今から少し待ち遠しい。


 この撮影は、不確定要素のオンパレードだ。実際のEV値、月の高度、大気の透明度、湖面の状態、相反則不軌の個体差や現像条件、引き伸ばし時に欲しいネガ濃度。

 これらを事前に完全には予測することは出来ない。今の段階で自分にできることと言えば「失敗を減らす」ことだけで、「最初から正解を知る」ことは難しい。


「仮説を立てる → 撮る → 現像する → 初めて結果を知る」

という時間のかかる営みである。

 その意味では、今回の撮影は写真を撮るだけでなく、満月の湖面という被写体について学ぶための最初の実験とも言える。

 そして意外と、最初のネガが技術的には失敗でも、その失敗から得た情報が二回目、三回目の撮影で大きく効いてくるだろう。

 「一枚の成功作を狙う」というより、「満月の湖面というテーマを数年かけて探究する」方向に進むのもいい。

 計算上の露光値が、現像後に失敗であると判明しても、そんな時間を過ごした記憶だけは、静かに刻まれるのだろう。

 

 四分の露光が一時間へと引き伸ばされる。

 もちろん実際に引き伸ばされているのは時間ではなく、フィルムの感度特性なのだが、露出計の示す数字と現実の露光時間との間には、大きな隔たりが生まれる。

 宇宙を旅する光もまた、長い時間の中でその姿を変える。宇宙誕生の頃に放たれた光は、空間の膨張によって波長を引き伸ばされ、現在では宇宙マイクロ波背景放射として観測されている。

 満月の湖面を写そうと計算していると、ときどき写真という技術が、光だけでなく時間そのものを扱う装置であるように思えてくる。

 もしフィルムがマイクロ波にも感光したなら、夜空は肉眼で見るよりもずっと賑やかで、眩しい場所として記録されるのかもしれない。

 しかし、目に見えないその眩しさを遮るように、夜の湖面はただ静かに、満月の光だけを気紛れに返すだろう。


 ――そんなわけで、リンホフのスーパーローレックス 45/67 を探そうかな。物欲のプレリュード。

2026年5月30日土曜日

夏の終わりの落とし物

 


 昨年の夏の終わり、確かに撮影したはずのネガが行方不明になっていた。それから月日が流れ、当時の記憶も曖昧になった今頃になって、ようやくそれを見つけ出すことができた。

 ネガの反転像では細部が分かりにくいため、普段ならベタ焼きで確認するところだが、今回は電灯の光に透かしただけで、それらしき気配を感じ取ることができた。すぐに引き伸ばし機で大きく投影し、探していたものだと確信に変えた。

 シャドーもハイライトも、破綻することなくネガの中に情報が収まっている。アンセル・アダムスが提唱したゾーンシステム――フィルム、現像液、そして処理工程の相関から導き出した撮影感度と露光が生み出した、技術の賜物だった。

 大判カメラに比して、135フォーマットの撮影は極めて軽快だ。しかし、フィルム面積の小ささゆえに、そのハンドリングはかえってシビアさを要求される。手軽に扱えるものほど、真に使いこなすのは難しい。


2026年5月27日水曜日

パトローネの猫

 


 
 琵琶湖の西側へ久しぶりに行こうと思い、バイクのトランクにニコンNew FM2とレンズ3本、フィルム2本、SCフィルターを積んで出かけた。
 岐阜に住んでいると、琵琶湖の東側は行きやすいのだが、西側は距離があるので、どうしても足が遠のいていた。
 数年ぶりに来てみると、湖岸の草木の繁茂や造成工事によって景色が変わっている。冬になったら大判カメラを持って撮りたいと思う場所を何か所か発見したので、メモしておいた。

 今日の旅の友にNew FM2を選んだのには、ちょっとした理由がある。

 少し前にニコンFGで撮影していたところ、36枚を超えてもまだ巻き上がった。もしかしたら、フィルムローダーでフィルムを巻くときに少し長めに巻いたのかなと思い、そのまま撮っていたら、38枚、39枚と巻き上がっていく。
 ここまで来ると、さすがにカメラ内部で何か異変が起こっていることに気づく。

 予想される事象としては、フィルム装填を失敗して1枚も撮影できていないか、もしくは、途中でフィルムが切れて巻き上げスプールに溜まっているか。

 おそらく後者であろうと当たりをつけ、暗室で裏蓋を開けたが、その予想は外れ、パトローネ室内に完全に巻き取られたフィルムがあるだけだった。
 果たして、このフィルムは未露光なのか、それとも露光済みなのか?

 次の取るべき行動は、露光済みであると判断して現像するか、もしくは、未露光であると判断してベロを引き出し、再び撮影するか……。

 前者の予想が裏切られた場合、何も写っていない素抜けのネガが出来上がる。後者の場合は、コマ間が不ぞろいの多重露光、かつ露光過多のネガが出来上がる。

 まるで、「シュレーディンガーの猫」のように、現像して確認するまでパトローネの中の世界は確定しないのだ。


 僕は、後者を選んだ。
 なぜなら、素抜けのネガはただの失敗だが、そこに光の記録が存在している限りは、やりようがあるかもしれないからだ。

 今回のトラブルはFGに問題があったわけではない。僕の操作ミスによるものだ。それは分かってはいるのだが、今回は心理的にFGから気持ちが遠のいた。
 そんなわけで、New FM2に久しぶりに電池を入れて、FGから取り出したフィルムを装填した。今回は、念入りにだ。

 このNew FM2というカメラ、かなり付き合いの長い知り合いとカメラ交換をして僕の手元にやってきた。彼はモデル末期のものを新品で購入していたので、素性の知れた、信頼できる機体である。

 そうでなくとも、このNew FM2は機械式一眼レフカメラの終着点とも言うべき存在で、ケチの付けようがないカメラである。敢えて言うならば、コストダウンのためにシャッタースピードダイヤルの表示などが刻印ではなくプリントになっていることくらいかな。ファインダーは明るくとても見やすい。マニュアルでピントを合わせないといけないので、スクリーンの出来はとても重要だ。ペンタックスSPはカメラの作りはいいが、古い機種であるためスクリーンは暗い。

 もともとニコンのFEシリーズは、どれも使いやすく説明書いらずのUIであるが、その中でもこのNew FM2は「ザ・スタンダード機械式制御一眼レフ」なのである。それ故か、中古市場でも驚くほど安定している。

 生涯、手元に置いておきたい信頼のできるカメラだ。唯一の心配事は、露出計かな。

そんなことを思いながらNew FM2を首から提げ、「露光済みかもしれないフィルムで撮影している」という一抹の不安を抱えながら湖畔を歩く。ようやくそのフィルムの撮影を終えると、次の、正真正銘の未露光フィルムを装填した。
 
 撮影が終わるころには、トンビが鳴きながら旋回し、鵜が編隊を組んで飛んでいる空が、徐々に夜の気配を帯びてくる。

 帰り道、バイクを操作しながら、もう一度思う。FGに問題があるわけではない。あくまでも僕の操作ミス。そして確認ミス。


2026年5月21日木曜日

光の輪郭を探しに

 


 昨年の七月の終わりにM-Aを手にしてから、気づけば十ヶ月が経っていた。八月に最初のフィルムを一本通したきり、そのカメラの出番は途絶えていた。旅の連れを選ぶとき、どうしてもM-Aでなければならない必然を見つけられず、僕はいつも廉価ではあるが描写には文句がない他のカメラばかりを選んでいたのだ。

 思えばフィルムカメラという領分において、操作系統が似通った他のM型ライカも含め、M-Aの代わりになるカメラはいくらでも転がっている。しかし、デジタルカメラになると、M型ライカの操作感覚は他には置き換えが効かないので、熱心な愛用者がいるのだろう。

 フィルムライカであるM-Aのシルバークロームが、数ヶ月前に生産終了となったようだ。僕は金属の質感をより強く感じられる、銀塩写真の象徴たる「銀色」のカメラが好きだ。黒は僕にとっては強すぎる。光を反射し、カメラのボディが光を纏ってその存在を示してくれる、その佇まいに惹かれる。


 昨年から、琵琶湖畔の木陰の光景を撮り続けている。何度もシャッターを切りながらも、未だ「何を、どう撮るべきか」の答えを出せずにいる。その輪郭を掴むために琵琶湖へと通っているのだが、季節の歩みは早く、日に日に樹々は葉を繁らせ、浜辺の木陰は木漏れ日を浸食していく。

 陽射しが熱を帯びるにつれ、湖畔を歩く足取りも重くなる。けれど、木陰のベンチでひと息つくと、夏の琵琶湖の匂いを連れた涼風が、鼻腔をかすめて肺の腑までを心地よく吹き抜けていく。

 こんな日だからこそ、M-Aと過ごしたい、と思った。

 ズミクロン35mm ASPH.にイエローフィルターをねじ込み、M-Aに合わせる。フィルム二本と露出計をバッグに放り込み、バイクのエンジンをかけて琵琶湖の北へと向かった。

 昼過ぎから始めた撮影も、午後五時を回る頃には、携えた二本のフィルムを撮り終えた。レンズを透過していった、樹木、草花、湖面、そして気まぐれに落ちる木漏れ日たち。彼らは一体、どんな姿でそこに留まっているのだろう。

 木漏れ日の撮影は、まだ二年目の幕が上がったばかり。今日のフィルムに落ちた光の粒子は、少し先の未来で確かめることにする。 

2026年5月17日日曜日

尾形光琳の銀

尾形光琳 紅白梅図屏風

 
 日本史や美術史を紐解くと必ず出てくる、尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」。
  着目すべきは、中央の妖しくうねった黒い川である。今まで、この黒が何に由来するものなのか、深く考えたことはなかった。 
  
 何か自分の写真表現で参考になることはないかと、日本画の技法書を読んでいるうちに、ある記述に強い興味を覚えた。

 


 この黒い川は、銀箔を硫化させて作り出した黒だという。そして、若干の紫色を帯びていることから、微量のセレニウムの存在が指摘されている。
 これは、僕が暗室でバライタ印画紙を硫化調色、あるいはセレニウム調色しているのと同じプロセスではないか。まさかこんなところで、自分と光琳が接続するとは思ってもみなかった。

 なぜ、化学的に安定した墨ではなく、あえて不安定な銀を光琳は使ったのだろうか。

 墨にはない、硬質な金属光沢を求めたのか。
 背景が金であるため、川の表現にも貴金属である銀を使いたかったのか。
 あるいは、不安定な物質だからこそ、生き物のように変化し、完成していく「時間」を計算に入れたのだろうか。

 暗室で印画紙を現像液に浸したとき、最初に浮かび上がる黒はまだ浅い。それが定着や調色(硫肝・セレン)のプロセスを経て、ようやく「これだ」という独自の重みを持った黒へと完成していく。

 光琳が求めたのも、おそらくその「化学変化の先にある黒」だったのではないだろうか。
 もし彼がただ「黒い線」を引きたいだけなら、迷わず墨を使ったはずだ。しかし彼が描きたかったのは、流れる水であり、うごめく自然のエネルギーであった。そのためには、光を吸い込む墨ではなく、光と遊び、時とともに変化し続ける「銀の黒」でなければならなかったのだろう。

 川は、変化し続けるものだから。

2026年5月14日木曜日

大西茂 「写真と絵画」



 東京ステーションギャラリーで開催された展示の図録を購入した。

 掲載作品は決して多くはないが、そこにあるのは、いわゆる「正統な暗室処理」からはかけ離れた技法で生み出されたものばかりだ。


 刷毛(はけ)を用いた部分現像、変則的な温度管理による色調変化、ソラリゼーション、そして多重露光。長期保存という観点では推奨されない手法かもしれないが、彼にはそれ以上に優先すべき表現があったのだろう。

 数学者でもあった彼は「超無限」を顕(あらわ)そうとしていたという。それはプラトンの「イデア」に近い観念だったのだろうか。


 僕自身は、フィルムの性能を限界まで引き出し、適切な温度管理のもと、長期保存に耐えうる処理を旨としている。しかし、その正当な処理こそが、表現における一つの「限界」なのかもしれない。そこから逸脱した先にこそ、見えてくる世界があるのではないか。そう感じさせられた。

2026年5月10日日曜日

ニセアカシアの記憶

 


 ハチミツの瓶のラベルを見ると、蜜源として「アカシア」と表示されていることがよくある。だが、その多くはこの「ニセアカシア」を指しているようだ。本来のアカシアは黄色い花を咲かせる別種である。

 ニセアカシアを一輪挿しに生け、大判カメラを構える。操作を続け、グラウンドグラスに映る藤に似た小花の群れにピントが合った瞬間、ふとある記憶が蘇った。かつて北京を旅した際、迷路のように入り組んだ胡同(フートン)をカメラを持って歩いていると、路上に無数の小さな花弁が散り敷いていた。あの花も、ニセアカシアだったのではないだろうか。

 フェイ・ウォンの楽曲に『アカシアの実』という曲がある。

  異国の言葉で歌われるその曲を初めて聴いたとき、なぜか言いようのない懐かしさを覚えたのを覚えている。

2026年5月6日水曜日

原点回帰のその先へ



 市販の硫肝(ポリ硫化カリウム)が入手困難になってから、印画紙の調色処理はここ一年、僕にとっての大きな課題であった。国内で取り扱う事業者は既になく、海外のECサイトから調合済みの調色液を取り寄せてみたものの、その仕上がりは満足のいくものではなかった。

 昨冬の終わり、硫黄と炭酸カリウムによって硫肝を合成できると知り、自作に踏み切った。試行錯誤の結果、それが実用に足るものであることを確認できた。しかし、肝心の使用液の濃度、アルカリ強度、処理温度、そして処理時間。これらの最適なバランスを導き出すには、さらなる時間を要した。幾度ものテストを重ね、昨夜、ようやく納得のいくパラメーターを探り当てることができた。

 これでやっと、一年前の状態に戻れたのだ。しかし、失ったものを取り戻す過程で得られた知識や経験は、あまりに大きかった。これは単なる原点回帰ではない。

 かつてのように市販品を使い、教科書通りに処理していただけの自分はもうここにはいない。自らの手で理を解き、答えを導き出した「今の僕」が、確かにここにいる。

 調色を終え、水洗中のバライタ印画紙を攪拌しながら、現れた見事な濃茶の輝きに、そんな確信を得ていた。


2026年5月5日火曜日

三年目のシャクヤク

 


 職場の同僚から、今年も芍薬(しゃくやく)をいただいた。今年で3年目になる。

 1年目は、その存在感に視覚・嗅覚ともに圧倒された。蕾から散るまでの位相的遷移を日々観察し、撮影もしたが、花弁の華やかさに意識を奪われ、自分らしい写真は撮れずに終わった。だが、大量の花弁が一気に崩れ落ちる散り際と、その柔らかで冷たい手触りだけは、強烈な印象として残った。

 2年目は、花がどう変化するかを経験済みであったため、心に余裕を持って迎えることができた。しかし、花を見る「形而上のレンズ」が前年と同じままでは、新たな発見には至らない。開花中に数カット撮影したが、手応えはなかった。 それでも、角度や光線を変えて試行錯誤していた刹那、花弁がハラハラと落ちた。その瞬間、前年の記憶が鮮烈に蘇った。僕は急いで、かろうじて残った花弁と、散った花弁をフレームに収めた。それは、僕の中のレンズが切り替わった瞬間でもあった。

 3年目の今年は、開花した花と蕾のトーンバランス、そして茎や葉の形状に着目して撮影計画を立てた。蕾の状態でいただいてから、大きめの花瓶に挿し、毎日水を替えてその時を待った。昨日の夕方から蕾が綻び始め、深夜には五分咲きの状態になった。 「一輪が咲き、かつ二輪目は開花直前」という状態を、早朝か夕方の柔らかな光で撮らねばならない。チャンスは翌朝しかなかった。

 当日、早起きして開花状況が最適であることを確認し、剪定鋏(せんていばさみ)を手にした。花の形に合わせた即興の剪定だ。その間にも開花は刻一刻と進んでいく。 移ろう朝の光に合わせ、幾度も花や蕾の配置を整え直しながら、2時間で7枚ほどを撮影した。

 三度目の芍薬は、いまも大輪の花を咲かせている。僕の意識の中においても。

2026年5月3日日曜日

イメージかモノか

 高島 直之 著 「イメージか モノか: 日本現代美術のアポリア」


 この本の内容は、僕にとって少し難解なものだった。しかし、いつものことながら、分からないものにこそ、わずかでも関わろうとする姿勢が必要だと思う。未知の領域には、自身の価値観を揺さぶる何かが潜んでいる可能性が高いからだ。一読してすぐに理解できるような内容では、真の意味で新しい視点を得ることはできない。


 この本は、現代美術全般を対象にしているが、その多くのページが写真関連に割かれていた。写真は、シャッターを押した瞬間、撮り手の意図を超えてあらゆるものを写し取ってしまう。イメージを見るとは、単なる記号の「解読」ではない。それは「人間と事物を結びつける場を感得すること」に他ならない。鑑賞者は写真を見る際、そこに写るイメージを見ているのであって、写真という物質的な媒体そのものを見ているわけではないからだ。ただし、印画紙の表面の質感は、作品性に確かに影響を与える。


 写真家・中平卓馬は、自身の写真実践が権力側の私有するイメージに回収されることを拒絶した。彼は著書『なぜ、植物図鑑か』において、情緒的な物語性を排除し、物事をあるがままに即物的に捉えることを目指した。それは、彼が思想的闘争の時代を生きたという背景も、大きく影響しているのだろう。


 ロラン・バルトが「作者の死」で説いたように、作品は完成した瞬間に作者の手を離れ、その解釈は鑑賞者に委ねられる。僕が1990年代に写真教室に通っていた頃、講師はよく「この作品からは作者の思いが伝わらない」と批評していた。しかし現在では、そうした評価軸は徐々に過去のものになりつつあるように思う。鑑賞において「作者の思い」は副次的なものであり、どう受け止めるかは鑑賞者の自由に委ねられているのだ。


 中平氏が、意図しない恣意的な解釈を拒み、事物をあるがままに伝えようとした背景には、こうした「解釈の暴走」への抵抗があったのかもしれない。その思想は、美術動向である「もの派」とも共通点がある。目の前の現実を、解釈を挟まずに像として定着させることは、写真という装置の本質的な特徴でもある。

 もの派は空間に対象を配置することで「物質の存在」を際立たせ、写真は四角い枠に収めることで「事物の存在」を際立たせる。


 しかし、写真は多くの場合、やはり「イメージ」として享受されるものであり、「ものそのもの」を直接鑑賞する媒体ではない。それゆえに、写り込んだ事物の「概念」が鑑賞者の脳内に飛び込み、自動的な解釈を誘発してしまう。

 写真に写るのは現実であり、観念ではない。しかし、写り込んでいる事物から想起される「人の思い」は、確かに存在すると信じたい。そして、僕はずっとそんな写真に取り組んできたつもりだ。


 でも、最近、こうした著書を読み繋ぐにつれ、別方向の興味も顔を出してきた。果たして写真によって、「ものそのもの」に限りなく近似した表現を生み出すことは可能なのだろうか。

 この問いに、時間をかけて向き合っていきたいと思う。

2026年4月28日火曜日

犬の木

 


 アンセル・アダムスの「Dogwood Blossoms」という写真作品がある。 闇に沈む岩肌から、浮き出るような存在の白いハナミズキ。 色彩を削ぎ落としたモノクロームの世界が、これほどまでに花の息吹を鮮烈に、そして饒舌に語るものかと、初めてその作品に触れたとき、衝撃が走った。

 あの日以来、僕にとって「花を写す」ということは、闇の中に光を求める行為と同義になった。自作の「粉引に花」という連作も、あの静謐な闇への憧憬から始まった。

 背景となる黒は、決して平坦な「無」であってはならない。 そこには、わずかな諧調が宿っていなければならない。壁の肌理(きめ)と光の戯れが織りなす、奥行きのある闇。その微細な濃淡のゆらぎこそが、主役たる花を引き立てるのだ。

 季節は巡り、今、街にはハナミズキが溢れている。 北米を故郷に持つその花を見上げながら、アダムスが捉えたそれとの微かな違和感に立ち止まる。花弁の描く曲線、その反り。近所で咲き誇る花たちは、どこか記憶の中の映像とは異なる輪郭を描いているように見えてならない。

 偉大な先人の背中を追うことの虚しさは承知していても、容易に逃れることはできない。

 昨年もハナミズキの撮影をしたが、どこか違和感が残るネガしか作れず、プリント作業までは至らなかった。今年は花が完全に開ききる直前、その初々しい緊張感にレンズを向けた。現像液の中で浮かび上がるネガが、いつか印画紙の上で、僕に光を放ってくれるだろうか。

 四月の湿った風の中で、まだ、理想の白を探し続けている。

2026年4月23日木曜日

揺らぎの湖面

 


 湖畔の樹々が、新緑の兆しをそっと告げている。葉は枝の先からほどけるように芽吹き、日ごとにその姿を変えていく。
 
 夕刻、湖畔に三脚を据え、十五分の露光のあいだ、ただ立ち尽くしていると、樹々の向こうで湖面が光り、揺らいでいた。
 
 湖面を見ていると、世界のはじまりもまた、このような揺らぎに満ちていたのではないかと思えてくる。
 一枚の布がたわむように、何かが満ち、かすかに波打つ。そのわずかな偏りが、かたちを呼び寄せ、また打ち消し合いながら、やがて残るものと消えるものを分けていったのかもしれない。
 そうして残されたものが、星や大地の姿を結んでいったのだろう。
 いまここに在るということは、どこかで在らなかったことと隣り合っている。
  
 長い露光のあいだ、そんな取り留めのない思いに身をゆだねていると、魚の跳ねる音がして我にかえる。
  
 陽が傾き、入り江の奥へと目を向ける。岩礁を写そうと、湖岸を北へ歩いた。
 水際の、波が届かぬあたりに、何かが横たわっている。はじめは小さな毛布かと思ったが、近づけば、それは小動物の骸だった。原形は失われ、砂礫に半ば埋もれている。何であったのかは分からない。ただ、猿ほどの大きさに見えた。
 それは、ここに在った時間を終えたのだろうか。

 そのすぐ傍らに、親指ほどの小さな木が芽を出していた。あまりにか細い姿なのに、軽く引いてもびくともしない。見えないところで、確かに根を張っている。
 この芽がどこまで伸びるのかは分からない。ただ、いまはまだ、ここにとどまり、揺らぎの中で確かに息づいている。

 僕は撮影を繰り返し、やがて、シャッターを静かに閉じる。
 
 十五分という時間のあいだに、光は幾度も揺れ、その都度、かたちを変えていたはずだ。 その連なりが、フィルムの上に、ひとつの像として沈んでいく。
 
 あの湖面の揺らぎも、すべては消えたのではなく、かたちを変えてそこに在る。