2026年5月27日水曜日

パトローネの猫

 


 
 琵琶湖の西側へ久しぶりに行こうと思い、バイクのトランクにニコンNew FM2とレンズ3本、フィルム2本、SCフィルターを積んで出かけた。
 岐阜に住んでいると、琵琶湖の東側は行きやすいのだが、西側は距離があるので、どうしても足が遠のいていた。
 数年ぶりに来てみると、湖岸の草木の繁茂や造成工事によって景色が変わっている。冬になったら大判カメラを持って撮りたいと思う場所を何か所か発見したので、メモしておいた。

 今日の旅の友にNew FM2を選んだのには、ちょっとした理由がある。

 少し前にニコンFGで撮影していたところ、36枚を超えてもまだ巻き上がった。もしかしたら、フィルムローダーでフィルムを巻くときに少し長めに巻いたのかなと思い、そのまま撮っていたら、38枚、39枚と巻き上がっていく。
 ここまで来ると、さすがにカメラ内部で何か異変が起こっていることに気づく。

 予想される事象としては、フィルム装填を失敗して1枚も撮影できていないか、もしくは、途中でフィルムが切れて巻き上げスプールに溜まっているか。

 おそらく後者であろうと当たりをつけ、暗室で裏蓋を開けたが、その予想は外れ、パトローネ室内に完全に巻き取られたフィルムがあるだけだった。
 果たして、このフィルムは未露光なのか、それとも露光済みなのか?

 次の取るべき行動は、露光済みであると判断して現像するか、もしくは、未露光であると判断してベロを引き出し、再び撮影するか……。

 前者の予想が裏切られた場合、何も写っていない素抜けのネガが出来上がる。後者の場合は、コマ間が不ぞろいの多重露光、かつ露光過多のネガが出来上がる。

 まるで、「シュレーディンガーの猫」のように、現像して確認するまでパトローネの中の世界は確定しないのだ。


 僕は、後者を選んだ。
 なぜなら、素抜けのネガはただの失敗だが、そこに光の記録が存在している限りは、やりようがあるかもしれないからだ。

 今回のトラブルはFGに問題があったわけではない。僕の操作ミスによるものだ。それは分かってはいるのだが、今回は心理的にFGから気持ちが遠のいた。
 そんなわけで、New FM2に久しぶりに電池を入れて、FGから取り出したフィルムを装填した。今回は、念入りにだ。

 このNew FM2というカメラ、かなり付き合いの長い知り合いとカメラ交換をして僕の手元にやってきた。彼はモデル末期のものを新品で購入していたので、素性の知れた、信頼できる機体である。

 そうでなくとも、このNew FM2は機械式一眼レフカメラの終着点とも言うべき存在で、ケチの付けようがないカメラである。敢えて言うならば、コストダウンのためにシャッタースピードダイヤルの表示などが刻印ではなくプリントになっていることくらいかな。ファインダーは明るくとても見やすい。マニュアルでピントを合わせないといけないので、スクリーンの出来はとても重要だ。ペンタックスSPはカメラの作りはいいが、古い機種であるためスクリーンは暗い。

 もともとニコンのFEシリーズは、どれも使いやすく説明書いらずのUIであるが、その中でもこのNew FM2は「ザ・スタンダード機械式制御一眼レフ」なのである。それ故か、中古市場でも驚くほど安定している。

 生涯、手元に置いておきたい信頼のできるカメラだ。唯一の心配事は、露出計かな。

そんなことを思いながらNew FM2を首から提げ、「露光済みかもしれないフィルムで撮影している」という一抹の不安を抱えながら湖畔を歩く。ようやくそのフィルムの撮影を終えると、次の、正真正銘の未露光フィルムを装填した。
 
 撮影が終わるころには、トンビが鳴きながら旋回し、鵜が編隊を組んで飛んでいる空が、徐々に夜の気配を帯びてくる。

 帰り道、バイクを操作しながら、もう一度思う。FGに問題があるわけではない。あくまでも僕の操作ミス。そして確認ミス。


2026年5月21日木曜日

光の輪郭を探しに

 


 昨年の七月の終わりにM-Aを手にしてから、気づけば十ヶ月が経っていた。八月に最初のフィルムを一本通したきり、そのカメラの出番は途絶えていた。旅の連れを選ぶとき、どうしてもM-Aでなければならない必然を見つけられず、僕はいつも廉価ではあるが描写には文句がない他のカメラばかりを選んでいたのだ。

 思えばフィルムカメラという領分において、操作系統が似通った他のM型ライカも含め、M-Aの代わりになるカメラはいくらでも転がっている。しかし、デジタルカメラになると、M型ライカの操作感覚は他には置き換えが効かないので、熱心な愛用者がいるのだろう。

 フィルムライカであるM-Aのシルバークロームが、数ヶ月前に生産終了となったようだ。僕は金属の質感をより強く感じられる、銀塩写真の象徴たる「銀色」のカメラが好きだ。黒は僕にとっては強すぎる。光を反射し、カメラのボディが光を纏ってその存在を示してくれる、その佇まいに惹かれる。


 昨年から、琵琶湖畔の木陰の光景を撮り続けている。何度もシャッターを切りながらも、未だ「何を、どう撮るべきか」の答えを出せずにいる。その輪郭を掴むために琵琶湖へと通っているのだが、季節の歩みは早く、日に日に樹々は葉を繁らせ、浜辺の木陰は木漏れ日を浸食していく。

 陽射しが熱を帯びるにつれ、湖畔を歩く足取りも重くなる。けれど、木陰のベンチでひと息つくと、夏の琵琶湖の匂いを連れた涼風が、鼻腔をかすめて肺の腑までを心地よく吹き抜けていく。

 こんな日だからこそ、M-Aと過ごしたい、と思った。

 ズミクロン35mm ASPH.にイエローフィルターをねじ込み、M-Aに合わせる。フィルム二本と露出計をバッグに放り込み、バイクのエンジンをかけて琵琶湖の北へと向かった。

 昼過ぎから始めた撮影も、午後五時を回る頃には、携えた二本のフィルムを撮り終えた。レンズを透過していった、樹木、草花、湖面、そして気まぐれに落ちる木漏れ日たち。彼らは一体、どんな姿でそこに留まっているのだろう。

 木漏れ日の撮影は、まだ二年目の幕が上がったばかり。今日のフィルムに落ちた光の粒子は、少し先の未来で確かめることにする。 

2026年5月17日日曜日

尾形光琳の銀

尾形光琳 紅白梅図屏風

 
 日本史や美術史を紐解くと必ず出てくる、尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」。
  着目すべきは、中央の妖しくうねった黒い川である。今まで、この黒が何に由来するものなのか、深く考えたことはなかった。 
  
 何か自分の写真表現で参考になることはないかと、日本画の技法書を読んでいるうちに、ある記述に強い興味を覚えた。

 


 この黒い川は、銀箔を硫化させて作り出した黒だという。そして、若干の紫色を帯びていることから、微量のセレニウムの存在が指摘されている。
 これは、僕が暗室でバライタ印画紙を硫化調色、あるいはセレニウム調色しているのと同じプロセスではないか。まさかこんなところで、自分と光琳が接続するとは思ってもみなかった。

 なぜ、化学的に安定した墨ではなく、あえて不安定な銀を光琳は使ったのだろうか。

 墨にはない、硬質な金属光沢を求めたのか。
 背景が金であるため、川の表現にも貴金属である銀を使いたかったのか。
 あるいは、不安定な物質だからこそ、生き物のように変化し、完成していく「時間」を計算に入れたのだろうか。

 暗室で印画紙を現像液に浸したとき、最初に浮かび上がる黒はまだ浅い。それが定着や調色(硫肝・セレン)のプロセスを経て、ようやく「これだ」という独自の重みを持った黒へと完成していく。

 光琳が求めたのも、おそらくその「化学変化の先にある黒」だったのではないだろうか。
 もし彼がただ「黒い線」を引きたいだけなら、迷わず墨を使ったはずだ。しかし彼が描きたかったのは、流れる水であり、うごめく自然のエネルギーであった。そのためには、光を吸い込む墨ではなく、光と遊び、時とともに変化し続ける「銀の黒」でなければならなかったのだろう。

 川は、変化し続けるものだから。

2026年5月14日木曜日

大西茂 「写真と絵画」



 東京ステーションギャラリーで開催された展示の図録を購入した。

 掲載作品は決して多くはないが、そこにあるのは、いわゆる「正統な暗室処理」からはかけ離れた技法で生み出されたものばかりだ。


 刷毛(はけ)を用いた部分現像、変則的な温度管理による色調変化、ソラリゼーション、そして多重露光。長期保存という観点では推奨されない手法かもしれないが、彼にはそれ以上に優先すべき表現があったのだろう。

 数学者でもあった彼は「超無限」を顕(あらわ)そうとしていたという。それはプラトンの「イデア」に近い観念だったのだろうか。


 僕自身は、フィルムの性能を限界まで引き出し、適切な温度管理のもと、長期保存に耐えうる処理を旨としている。しかし、その正当な処理こそが、表現における一つの「限界」なのかもしれない。そこから逸脱した先にこそ、見えてくる世界があるのではないか。そう感じさせられた。

2026年5月10日日曜日

ニセアカシアの記憶

 


 ハチミツの瓶のラベルを見ると、蜜源として「アカシア」と表示されていることがよくある。だが、その多くはこの「ニセアカシア」を指しているようだ。本来のアカシアは黄色い花を咲かせる別種である。

 ニセアカシアを一輪挿しに生け、大判カメラを構える。操作を続け、グラウンドグラスに映る藤に似た小花の群れにピントが合った瞬間、ふとある記憶が蘇った。かつて北京を旅した際、迷路のように入り組んだ胡同(フートン)をカメラを持って歩いていると、路上に無数の小さな花弁が散り敷いていた。あの花も、ニセアカシアだったのではないだろうか。

 フェイ・ウォンの楽曲に『アカシアの実』という曲がある。

  異国の言葉で歌われるその曲を初めて聴いたとき、なぜか言いようのない懐かしさを覚えたのを覚えている。

2026年5月6日水曜日

原点回帰のその先へ



 市販の硫肝(ポリ硫化カリウム)が入手困難になってから、印画紙の調色処理はここ一年、僕にとっての大きな課題であった。国内で取り扱う事業者は既になく、海外のECサイトから調合済みの調色液を取り寄せてみたものの、その仕上がりは満足のいくものではなかった。

 昨冬の終わり、硫黄と炭酸カリウムによって硫肝を合成できると知り、自作に踏み切った。試行錯誤の結果、それが実用に足るものであることを確認できた。しかし、肝心の使用液の濃度、アルカリ強度、処理温度、そして処理時間。これらの最適なバランスを導き出すには、さらなる時間を要した。幾度ものテストを重ね、昨夜、ようやく納得のいくパラメーターを探り当てることができた。

 これでやっと、一年前の状態に戻れたのだ。しかし、失ったものを取り戻す過程で得られた知識や経験は、あまりに大きかった。これは単なる原点回帰ではない。

 かつてのように市販品を使い、教科書通りに処理していただけの自分はもうここにはいない。自らの手で理を解き、答えを導き出した「今の僕」が、確かにここにいる。

 調色を終え、水洗中のバライタ印画紙を攪拌しながら、現れた見事な濃茶の輝きに、そんな確信を得ていた。


2026年5月5日火曜日

三年目のシャクヤク

 


 職場の同僚から、今年も芍薬(しゃくやく)をいただいた。今年で3年目になる。

 1年目は、その存在感に視覚・嗅覚ともに圧倒された。蕾から散るまでの位相的遷移を日々観察し、撮影もしたが、花弁の華やかさに意識を奪われ、自分らしい写真は撮れずに終わった。だが、大量の花弁が一気に崩れ落ちる散り際と、その柔らかで冷たい手触りだけは、強烈な印象として残った。

 2年目は、花がどう変化するかを経験済みであったため、心に余裕を持って迎えることができた。しかし、花を見る「形而上のレンズ」が前年と同じままでは、新たな発見には至らない。開花中に数カット撮影したが、手応えはなかった。 それでも、角度や光線を変えて試行錯誤していた刹那、花弁がハラハラと落ちた。その瞬間、前年の記憶が鮮烈に蘇った。僕は急いで、かろうじて残った花弁と、散った花弁をフレームに収めた。それは、僕の中のレンズが切り替わった瞬間でもあった。

 3年目の今年は、開花した花と蕾のトーンバランス、そして茎や葉の形状に着目して撮影計画を立てた。蕾の状態でいただいてから、大きめの花瓶に挿し、毎日水を替えてその時を待った。昨日の夕方から蕾が綻び始め、深夜には五分咲きの状態になった。 「一輪が咲き、かつ二輪目は開花直前」という状態を、早朝か夕方の柔らかな光で撮らねばならない。チャンスは翌朝しかなかった。

 当日、早起きして開花状況が最適であることを確認し、剪定鋏(せんていばさみ)を手にした。花の形に合わせた即興の剪定だ。その間にも開花は刻一刻と進んでいく。 移ろう朝の光に合わせ、幾度も花や蕾の配置を整え直しながら、2時間で7枚ほどを撮影した。

 三度目の芍薬は、いまも大輪の花を咲かせている。僕の意識の中においても。

2026年5月3日日曜日

イメージかモノか

 高島 直之 著 「イメージか モノか: 日本現代美術のアポリア」


 この本の内容は、僕にとって少し難解なものだった。しかし、いつものことながら、分からないものにこそ、わずかでも関わろうとする姿勢が必要だと思う。未知の領域には、自身の価値観を揺さぶる何かが潜んでいる可能性が高いからだ。一読してすぐに理解できるような内容では、真の意味で新しい視点を得ることはできない。


 この本は、現代美術全般を対象にしているが、その多くのページが写真関連に割かれていた。写真は、シャッターを押した瞬間、撮り手の意図を超えてあらゆるものを写し取ってしまう。イメージを見るとは、単なる記号の「解読」ではない。それは「人間と事物を結びつける場を感得すること」に他ならない。鑑賞者は写真を見る際、そこに写るイメージを見ているのであって、写真という物質的な媒体そのものを見ているわけではないからだ。ただし、印画紙の表面の質感は、作品性に確かに影響を与える。


 写真家・中平卓馬は、自身の写真実践が権力側の私有するイメージに回収されることを拒絶した。彼は著書『なぜ、植物図鑑か』において、情緒的な物語性を排除し、物事をあるがままに即物的に捉えることを目指した。それは、彼が思想的闘争の時代を生きたという背景も、大きく影響しているのだろう。


 ロラン・バルトが「作者の死」で説いたように、作品は完成した瞬間に作者の手を離れ、その解釈は鑑賞者に委ねられる。僕が1990年代に写真教室に通っていた頃、講師はよく「この作品からは作者の思いが伝わらない」と批評していた。しかし現在では、そうした評価軸は徐々に過去のものになりつつあるように思う。鑑賞において「作者の思い」は副次的なものであり、どう受け止めるかは鑑賞者の自由に委ねられているのだ。


 中平氏が、意図しない恣意的な解釈を拒み、事物をあるがままに伝えようとした背景には、こうした「解釈の暴走」への抵抗があったのかもしれない。その思想は、美術動向である「もの派」とも共通点がある。目の前の現実を、解釈を挟まずに像として定着させることは、写真という装置の本質的な特徴でもある。

 もの派は空間に対象を配置することで「物質の存在」を際立たせ、写真は四角い枠に収めることで「事物の存在」を際立たせる。


 しかし、写真は多くの場合、やはり「イメージ」として享受されるものであり、「ものそのもの」を直接鑑賞する媒体ではない。それゆえに、写り込んだ事物の「概念」が鑑賞者の脳内に飛び込み、自動的な解釈を誘発してしまう。

 写真に写るのは現実であり、観念ではない。しかし、写り込んでいる事物から想起される「人の思い」は、確かに存在すると信じたい。そして、僕はずっとそんな写真に取り組んできたつもりだ。


 でも、最近、こうした著書を読み繋ぐにつれ、別方向の興味も顔を出してきた。果たして写真によって、「ものそのもの」に限りなく近似した表現を生み出すことは可能なのだろうか。

 この問いに、時間をかけて向き合っていきたいと思う。

2026年4月28日火曜日

犬の木

 


 アンセル・アダムスの「Dogwood Blossoms」という写真作品がある。 闇に沈む岩肌から、浮き出るような存在の白いハナミズキ。 色彩を削ぎ落としたモノクロームの世界が、これほどまでに花の息吹を鮮烈に、そして饒舌に語るものかと、初めてその作品に触れたとき、衝撃が走った。

 あの日以来、僕にとって「花を写す」ということは、闇の中に光を求める行為と同義になった。自作の「粉引に花」という連作も、あの静謐な闇への憧憬から始まった。

 背景となる黒は、決して平坦な「無」であってはならない。 そこには、わずかな諧調が宿っていなければならない。壁の肌理(きめ)と光の戯れが織りなす、奥行きのある闇。その微細な濃淡のゆらぎこそが、主役たる花を引き立てるのだ。

 季節は巡り、今、街にはハナミズキが溢れている。 北米を故郷に持つその花を見上げながら、アダムスが捉えたそれとの微かな違和感に立ち止まる。花弁の描く曲線、その反り。近所で咲き誇る花たちは、どこか記憶の中の映像とは異なる輪郭を描いているように見えてならない。

 偉大な先人の背中を追うことの虚しさは承知していても、容易に逃れることはできない。

 昨年もハナミズキの撮影をしたが、どこか違和感が残るネガしか作れず、プリント作業までは至らなかった。今年は花が完全に開ききる直前、その初々しい緊張感にレンズを向けた。現像液の中で浮かび上がるネガが、いつか印画紙の上で、僕に光を放ってくれるだろうか。

 四月の湿った風の中で、まだ、理想の白を探し続けている。

2026年4月23日木曜日

揺らぎの湖面

 


 湖畔の樹々が、新緑の兆しをそっと告げている。葉は枝の先からほどけるように芽吹き、日ごとにその姿を変えていく。
 
 夕刻、湖畔に三脚を据え、十五分の露光のあいだ、ただ立ち尽くしていると、樹々の向こうで湖面が光り、揺らいでいた。
 
 湖面を見ていると、世界のはじまりもまた、このような揺らぎに満ちていたのではないかと思えてくる。
 一枚の布がたわむように、何かが満ち、かすかに波打つ。そのわずかな偏りが、かたちを呼び寄せ、また打ち消し合いながら、やがて残るものと消えるものを分けていったのかもしれない。
 そうして残されたものが、星や大地の姿を結んでいったのだろう。
 いまここに在るということは、どこかで在らなかったことと隣り合っている。
  
 長い露光のあいだ、そんな取り留めのない思いに身をゆだねていると、魚の跳ねる音がして我にかえる。
  
 陽が傾き、入り江の奥へと目を向ける。岩礁を写そうと、湖岸を北へ歩いた。
 水際の、波が届かぬあたりに、何かが横たわっている。はじめは小さな毛布かと思ったが、近づけば、それは小動物の骸だった。原形は失われ、砂礫に半ば埋もれている。何であったのかは分からない。ただ、猿ほどの大きさに見えた。
 それは、ここに在った時間を終えたのだろうか。

 そのすぐ傍らに、親指ほどの小さな木が芽を出していた。あまりにか細い姿なのに、軽く引いてもびくともしない。見えないところで、確かに根を張っている。
 この芽がどこまで伸びるのかは分からない。ただ、いまはまだ、ここにとどまり、揺らぎの中で確かに息づいている。

 僕は撮影を繰り返し、やがて、シャッターを静かに閉じる。
 
 十五分という時間のあいだに、光は幾度も揺れ、その都度、かたちを変えていたはずだ。 その連なりが、フィルムの上に、ひとつの像として沈んでいく。
 
 あの湖面の揺らぎも、すべては消えたのではなく、かたちを変えてそこに在る。
 

2026年4月21日火曜日

亜硫酸ソーダと心の処方箋

 

 僕が長年にわたって使い続けているフィルム用現像液には、無水亜硫酸ソーダがたっぷりと含まれている。1リットルの現像液に対して100グラム。成分の一割が、無水亜硫酸ソーダだと考えると、その存在感は決して小さくない。


 無水亜硫酸ソーダは、工業用や食品用としても使われている、穏やかな性質のアルカリ剤である。現像という化学反応は、アルカリが強いほど進みやすい。


 現像液の中での無水亜硫酸ソーダの役割は、本来、酸化を防ぐための保恒剤である。しかしそれだけではなく、像を現すに足る程度のアルカリ性も併せ持っている。だからこそ、現像主薬と無水亜硫酸ソーダさえあれば、最も簡素な現像液を作ることができる。


 ここまでが、無水亜硫酸ソーダの基本的な役割である。だが、僕がこの成分を含む現像液を使い続けている理由は、むしろ写真表現の側にある。無水亜硫酸ソーダには、像を微粒子化するという特質がある。


 金属銀の粒子の周囲がわずかに溶かされ、その溶かされた微細な銀が、近くの粒子へと移動し、再び結びつく。粒子は整えられ、角が取れ、丸みを帯びる。その結果、諧調のつながりは滑らかになる。


 もっとも、この効果は、諧調表現に大きな利点をもたらす一方で、シャープネスが甘く、柔らかすぎる調子のネガになるという側面も併せ持っている。


 そこで、現像主薬はあえてメトール単用とする。コントラストの境界部分において、現像主薬の疲労と進行の差を利用し、輪郭にわずかな緊張感を与えるためだ。

 もし、メトールに還元作用があるハイドロキノンを加えれば、主薬は疲労しにくくなり、この効果は得られにくくなる。

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 かつてフィルムメーカーが化粧品に進出した際、現像主薬の還元作用がシミ対策に転用されたという話を聞いた。僕にとってはネガ像を黒く作るための成分が、誰かにとっては肌を白くするためのものになる。

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 光を多く受けたハイライト部分では現像反応が早く進み、現像主薬は早々に疲労する。一方、光の乏しいシャドー部では反応が遅く、主薬はゆっくりと消耗していく。この差異が、境界面の描写を形づくる。


 攪拌の頻度を抑えること、あるいは現像終了後にホウ砂や炭酸ソーダといったアルカリ剤で処理することも、同様の効果をもたらす。いずれも、フィルムに新鮮な現像主薬を過剰に供給しないことで、ハイライトとシャドーの境目に、かすかな鋭さを生み出すための手法である。


 細やかで柔らかな粒状性が生む、諧調の滑らかな連なりと、控えめな輪郭描写。僕の作品表現の骨子は、ほとんどフィルム現像の段階で決まっていると言っていい。暗室での引き伸ばし作業で出来ることは、実はそれほど多くない。


 それでも、この現像結果から生まれるネガを見ていると、確かなカタルシスを覚える。現像液の処方は、世界をどう認識するかの方便である。

 処方を変えれば、荒々しく、高コントラストな像を得ることもできる。だが、そうした像は、どうにも心を落ち着かせてはくれない。


 同じことを続けていれば、人はやがて飽きる。けれども、この現像処方に出会ってから二十年以上が経つ今も、僕は一度も飽きを感じたことがない。


 カメラやレンズについては、別のものを試してみたいという気持ちが湧くこともある。しかし、暗室機材や薬剤については、これからもずっと同じものを使い続けたいと思っている。

 同じ現像液処方を守り続けることは、写真のためだけでなく、僕自身の心を整えるための、小さな処方箋でもあるのだ。


2026年4月17日金曜日

モクレン

 



 次々と花が入れ替わるこの季節、僕は「粉引きに花」のシリーズ撮影に追われている。実家の庭で今にも咲きそうだったモクレンの枝を切り、毎日そのつぼみが開くのをじっと待った。

 このモクレンは「トウモクレン」という種類らしい。真っ白なハクモクレンや、花弁の内外ともに紫のシモクレンとは違い、トウモクレンは外側が紫で内側が白いのが特徴だ。

  モノクロームで表現する以上、被写体としての花は「白」を基調としたい。しかし、大ぶりのハクモクレンは画面の中での主張が強すぎ、一方でシモクレンは中間調のグレーとなり背景に紛れてしまう。諧調が分離せず、花の存在が際立たないのだ。結果として、実家に咲いていたのがトウモクレンであったことは、僕にとってこの上ない幸いだった。

 それにしても、大ぶりの花を付けた枝を一輪挿しに生けると、どうしても花が重みで下を向いてしまう。モクレンは本来、空を仰ぐように咲く花だ。その気高く上を向く姿を捉えたくて、位置を固定するのに少々手を焼いた。

 花の向きを自在に制御する「生け花」のような技術も、また学ばねばならないのか、と苦笑する。

 写真を撮るということは、単にシャッターを切ることではない。ある時は展示のための木工や、カメラのストラップを作るための革細工に没頭し、ある時は暗室での化学反応や、レンズの向こう側にある哲学を思索する。そして、水辺の被写体を求めてカヤックを漕ぎ出し、水上を彷徨うこともある。

 一枚の銀塩プリントに命を吹き込むために必要な、あまりに多岐にわたる研鑽。その終わりのない旅路に、僕は今、そこはかとない可笑しさと喜びを感じている。


2026年4月9日木曜日

暮色の湖岸


 
 今年の桜の開花は、例年よりも一週間ほど早かった。

 ここ岐阜ではすっかり満開を過ぎ、葉桜になりつつある。昨日の雨と風が季節の移ろいを加速させたのだろう。近所の桜の名所からも花見客の姿は消え、観光駐車場の監視員が所在なさげに佇んでいた。

 湖北の桜が満開を迎えるのは、岐阜よりも一週間ほど遅い。「今シーズンはまだ一枚も桜を撮れていない」という焦燥にも似た思いに突き動かされた。まだ間に合うのではないか。そう信じて大判カメラ一式を車に積み込み、湖岸の暮色に染まる桜を求めて北へと向かった。

 琵琶湖は広いが、桜と岩礁、そして湖面を一つの画面に収められるポイントは限られている。かつてカヤックを出し、湖岸の表情を丹念に探った時の記憶を頼りに、目的の場所へと足を進める。

 写真は不確定要素の積み重ねだ。現地へ赴いたところで、望み通りの花が咲いているとは限らない。花見客で溢れて車を止められないかもしれないし、狙った場所に先客がいるかもしれない。風が吹けば枝は揺れ、現像のプロセスにも失敗のリスクは潜んでいる。

 それでも、行かなければ何も得ることはできない。

 午後2時。明るいうちに構図を追い込もうと、不安定な岩場に三脚を据えた。絶好の撮影ポイントというものは、なぜいつもこうも足場が悪いのだろうか。

 超広角レンズを装着し、蛇腹を繰り出しながら構図を絞り込んでいく。用意したフィルムは6枚。これで十分だ。40分ほどかけてセッティングを終え、日没の時刻を調べると、まだ4時間もの時間があった。

 なぜ、陽光の下でシャッターを切らないのか。
 日中は輝度差が大きすぎるからだ。湖面は陽光を跳ね返して白飛びし、岩場の影は深く沈み込む。フィルムのラティチュード(記録再現幅)を超えてしまえば、目の前の世界を「露わにする」ことは叶わない。世界は条件が揃わなければ現れない。だからこそ、光が平坦に、弱くなる瞬間を待つのだ。

 このまま、静かに時を待つ。

 幸い、風はない。構図も決まった。これほど条件に恵まれた日は、一生のうちにそう何度も訪れるものではないだろう。

 岩の上に腰を下ろし、澄んだ湖水に浮かぶ花筏(はないかだ)を眺めたり、周囲を散策したりして過ごすが、こういう時に限って時計の針は遅々として進まない。それでも、夕刻が近づくにつれて花見客の喧騒は引き、空気は冷え込み、陽光は緩やかに傾いていく。

 ようやく午後6時を回った頃、バックにフィルムを装填し、最初の一枚に15分間の長時間露光を祈りのように捧げた。満開、そして無風。これほどの好条件に巡り合うことができず、実はこれまで一度も納得のいく桜を撮れたことがなかった。

 完全に陽が落ちるまでに、5枚のフィルムを費やした。待っている間の4時間はあんなに長かったのに、撮影に没頭した30分は、瞬く間に過ぎ去っていった。

 薄暗くなった足元を慎重に確認しながら、レンズを外し、カメラを折り畳み、三脚を縮めてその場を後にする。湖面には、トンビや猿の鳴き声が、どこか遠く響き渡っていた。

2026年4月7日火曜日

パネル装

 

 

 写真をパネルに貼るという行為は、保存という点では危うさを伴う。剥き出しの銀塩面は傷に弱く、木材から出るヤニが歳月とともに紙を蝕む可能性も否定できない。永く遺すことを目的とするならば、額装に軍配が上がるのは明白だ。

 けれど、表現の方向性として、どうしてもパネルという形式が必要な場合がある。その時は、展示期間という限られた時間の中でだけその命を全うすればいい、と潔く割り切ることにしている。あるいは、自分自身が日々眺めて楽しむためであれば、保存性の優劣など些細な問題に過ぎない。

 ベニヤを裁ち、角材を貼り合わせる。サンドペーパーを走らせて表面を整え、ステインを塗り、金具を打つ。そうした単純な作業の積み重ねによって、一つの「場」が出来上がる。

 そこに、4×5判の密着プリントで引き伸ばした印画紙を添える。……密着プリントはネガの原寸大であるため、「引き伸ばした」というのは、いささか語弊がある。

 額装の端正な佇まいとはまた違う、作品と支持体が一体となった、分かちがたい塊としての実存を実感する。

2026年4月4日土曜日

粉引の通奏低音、花の主旋律

 


 外は朝から雨。数日前から咲き始めた桜が満開を迎えているが、雨の中を出歩く気にはなれず、庭先で全ての蕾が開花したクリスマスローズを撮影することにした。
  雨の日は窓から差し込む光が柔らかく、コントロールがしやすい。時間に追われることもなく、撮影に没頭できる。BGMには、バロック音楽のキタローネの楽曲を選んだ。

 粉引(こひき)の一輪挿しに花を活けて写す「粉引に花」シリーズは、もう5年ほど続けている。音楽を聴きながら、ふと思った。この一輪挿しは「通奏低音」であり、その時々に挿す花が「主旋律」なのかもしれない、と。

 愛用の木製大判カメラからは、今日に限っていつもより強く木の香りが漂う。春の暖かさに雨の湿度が加わったせいだろうか。その佇まいを眺めていると、まるで楽器のようだと感じる。

 一年かけて育てたクリスマスローズには、新しい葉が次々と芽吹いている。きっと来年も、また多くの花を咲かせてくれるだろう。
 

2026年3月31日火曜日

「Do It Myself」の効用

 

 1980年代、僕が白黒写真の自家処理を始めたきっかけは、単にその方が圧倒的に安価だったからだ。それ以外に理由はなかった。そうでなければ、最初から迷わずカラー写真を選んでいただろう。当時は白黒写真が美しいとは微塵も思っておらず、コスト面でのやむを得ない選択に過ぎなかった。

 しかし、作業を続けていくうちに、コスト以上に自家処理から得られる恩恵がはるかに大きいことを知り、「もう外注はできない」という思いに変わっていった。それと同時に、モノクロームプリントが持つ独特の美しさも、ようやく理解できるようになったのだ。

 白黒フィルムの現像液は、それこそ何百種類と存在する。外注では、どんな液を使い、どのような温度や攪拌で処理されているかも分からない。それでは到底、自分の目指す仕上がりは望めないだろう。 プリント作業も同様だ。テストプリントを繰り返しては試行錯誤し、理想へと追い込んでいく。この視覚的な判断を、言葉の指示だけで他者に伝えるのは至難の業だ。

 何より、自ら手を動かす過程には常に「学び」がある。そこで得た気づきは、次の表現への応用につながる。

 この日は、展示用パネルの切り出しを行った。既製品を買う方が品質は明らかに高いが、規格品にはない、ある種の「いびつさ」を僕は嫌いではない。写真は制作プロセスの多くを機械に頼るため、作品も工業製品のようになりがちだ。だからこそ、人の手を介した際に生まれるいびつさに、僕は手作業特有の「身体性」を感じるのである。規格品の均質な仕上がりは安心を与えるが、同時に、自分が関与していない存在が空虚さを残す。

 そんなわけで、自分でできることは、まず自分でやってみるのだ。

2026年3月28日土曜日

線は、僕を描く

 砥上 裕將著「線は、僕を描く」


大学生である主人公の鎮魂と再生の物語を、水墨画の修行を通して描いた小説だ。

 大事なことが書かれているような気がして、時期を変えて三回読んだ。
 横浜流星主演による映画版もある。だが、いくつか省略されているところがあり、湖山先生(主人公の水墨画の師匠)のキャスティングも、少しイメージと違った。格好良すぎるのだ。
 この物語に必要なのは、完成された佇まいよりも、もう少し不器用な気配なのかもしれない。だから、やはり小説のほうがいい。

 心に残った湖山先生の言葉を、書き留めておいた。


・目の届くところにしか、手の技は届かない。

・できることが目的じゃないよ。やってみることが目的なんだ。

・どんなに失敗してもいい。失敗することだって、当たり前のように許されたら、おもしろいだろ?

・拙さが、巧みさに劣るわけではないんだよ。

・気韻生動を尊ぶ。気韻というのは……端的に言えば、楽しんでいるかどうか、だよ。

・自分の絵だけを見ていれば、そのうち自分自身の手にも、技にも、騙されるようになってしまうよ。

・現象とは、外側にしかないものなのか? 心の内側に、宇宙はないのか?

・(水墨画は)着彩を排していることからも、我々の外側にある現象を描く絵画ではない……。

・我々の手は、現象を追うには遅すぎるんだ。(描き)終わったときには、またすべてが変わっている。

・絵は、絵空事だよ。

・君が優れた水墨画家になるか、ならないかなんて、そんなことはどうだっていい……それを伝える術が、水墨しかなかったんだよ。


 これらの言葉は、水墨画に限った話ではない。写真を撮ることにも、そのまま重なる。
 
 目の届くところにしか、手の技は届かない。認識していないところに、技巧を凝らすことは出来ない。

 できるかどうかよりも、シャッターを切ってしまうこと。失敗を許された場所でしか、像は立ち上がらない。

 現象は外側にだけあるのか。それとも、こちらの内側にすでに用意されているのか。

 手は遅い。気づいたときには、光も、気配も、すでに別のものになっている。
それでも、遅れたまま、触れようとする。

 絵は絵空事だ、という言葉が、なぜか救いのように残る。写真もまた、現実そのものではない。

だからこそ、そこにしか宿らないものがある。

 これは、僕にとっては形而上のレンズについて書かれた物語なのだと思う。
目に見えるものを写しながら、いつのまにか、こちら側が描かれてしまう、その過程について。

 線は、僕を描く。
 写真もまた、僕を描くのかもしれない。

2026年3月21日土曜日

アルストロメリア

 


 隣町にアルストロメリアの農家があるせいか、時折、新鮮な切り花が手に入る。

 寒い時期はハウス栽培だろうが、暖かくなれば民家の庭先で咲いているのも見かける。アルストロメリアは花もちが良い。すぐに萎れてしまう心配がないので、じっくりと時間をかけて撮影できるのが魅力だ。色や模様は様々だが、今回の被写体には白基調の個体を選んだ。

 いつもの粉引きの一輪挿しにそっと挿し、コーヒーを淹れるためにお湯を沸かす。

​ 誰もいない午後。コーヒーカップを片手に、光の状態を観察する。

 

 まだ風は冷たいが、南向きの部屋には春の陽射しがたっぷりと差し込んでいた。太陽の熱を蓄えたチェストの上で、花はみるみるうちにその花弁を広げていく。

 「萎れる」心配はしていなかったが、「開花」のスピードまでは誤算だった。状態の変化が、思ったよりもずっと速い。のんびりとコーヒーを啜っている場合ではないことに気づく。

​ 慌てて遮光カーテンを引き、光の量と角度を追い込む。三脚を立て、カメラにレンズを装着。冠布(かんぷ)を被り、薄暗い中でグラウンドグラスを覗き込む。

 ピントを合わせ、スポット測光でハイライトとシャドウの輝度差を計測する。近接撮影による補正と、フィルムの相反則不軌……。頭の中で露出値を算出し、レンズに設定する。

 時間は慌ただしく過ぎていき、静かな部屋の中で僕だけが忙しなく動いている。すべての準備を終え、シャッターを閉じてフィルムを装填する。引き蓋を抜き、レリーズを押し下げてシャッターを開放した。

​ ――7秒間の露光。

​ この7秒間、少なくとも僕だけは、彫像のように動かない。7秒後、再びレリーズを押してシャッターを閉じた。

​ この日の撮影は、これで完了。

​ ふと机の上を見ると、そこには、いつの間にか飲むのを忘れてすっかり冷めてしまったコーヒーが残っていた。


2026年3月17日火曜日

銀の黒、墨の黒

 


 ゼラチンシルバープリントの仕上げの工程に、スポッティングという作業がある。現像や定着を終え、乾燥したプリントを確認し、微細な白点を見つけて筆で埋めていく作業である。


 フィルムや印画紙に付着した塵や傷、現像の過程で生じた事故的な欠落によって、小さな白い点が残ることがある。それをそのままにしておくと、鑑賞者の視線が目障りなノイズとして、そこに引き寄せられてしまう。

 そこで、細い筆の先にわずかな塗料を含ませ、その白点にそっと触れて消す。使用する塗料には、人によって好みがある。市販されているスポッティング用の塗料もあるが、僕は習字用の墨を使っている。

 墨の黒は炭素の黒で、銀と同じく単体の物質であり、化学的な安定性が高い。長く同じ姿を留めてくれるものにはロマンを感じる。

 スポッティング作業は、いつも硯の陸に水を落とし、墨を磨ることからはじまる。墨は細かな粒子であり、その密度で、濃淡を調整する。


 暗室作業の最後に行うこの小さな修正のなかで、いつも二つの黒の違いを意識する。ひとつは、写真の黒である。ゼラチンシルバープリントの黒は、光によって生まれた銀の像である。撮影された光がフィルムに潜像をつくり、それが現像によって還元され金属銀となり、印画紙の上に定着する。黒は光の結果としてそこに現れる。

 もうひとつは、スポッティングの墨の黒である。墨は光によって生まれたものではない。筆を持つ手の判断によって置かれる黒である。画面の中の一点を見極め、必要最小限の濃度で、できるだけ痕跡を残さないように、塗るのではなく、置く。

 同じ黒ではあるが、両者の成り立ちはまったく異なる。銀の黒は、光と化学反応が作り出した像であり、いわば自然現象の延長にある。一方、墨の黒は、人の手による介入である。

 写真はしばしば、機械的に生成される像だと考えられる。シャッターが開き、光がフィルムに当たり、化学反応が像を作る。そこには人の手の痕跡は少ないように見える。しかし、プリントの最終段階で筆を持つとき、写真は完全に自動的な像ではなくなる。

 白点を見つけ、筆先を置く。その小さな黒は、銀の像の中に紛れ込む。鑑賞者がそれに気づくことはほとんどないだろう。むしろ気づかれないことこそが、この作業の目的である。

 それでも、その一点には意味がある。そこには、光によって生まれた像に対して、人間が最後に触れた痕跡が残っている。銀の黒の中に、わずかに墨の黒が入り込む。

 作業台で筆を置くとき、いつも、その境界に触れているような気がする。光が作ったイメージの黒と、人が置いた物質の黒。その二つが見分けのつかないかたちで同じ印画紙の中に共存する。そのとき写真は、単なる光の記録ではなく、光と人間の行為が重なり合ったものとして、完成する。

2026年3月10日火曜日

写真批評

 金村 修 著「写真批評」


 金村修氏のエッセイが写真界隈で話題になっているので、読んでみた。


 金村氏といえば、かつて『日本カメラ』のモノクロ写真部門で月例フォトコンテストの審査員を務めていた時期がある。その容赦のない選評は非常に魅力的だった。「卓越した、普通にうまい写真」などは、まず選ばれない。どんな写真であれば選ばれるのか、皆目見当がつかないほどカオスな月例だったと思う。

 

 もしかすると、そんな月例だからこそ自分にも勝機があるのではないか——。

 そう思い、その年は一回だけ応募してみたのだが、幸運にも入選して誌面に掲載されたことがある。その際にいただいた選評は、写真の体裁を整える技術など一蹴され、剥き出しの何かが引きずり出されるようなものだった。その言葉は、良くも悪くも一生、僕の心に深く突き刺さっている。それはある種の呪縛と救済のようなものだった。


 その月例で好評を博した金村氏は、翌年から同誌で「金村修に叱られたい!」という連載コーナーも担当されていた。

 そんな金村氏が綴るエッセイが、面白くないはずがない。360ページというボリュームながら、一つの章を読み終えて次をチラ見するたび、どうしても気になって読み進めてしまう。結局、それほど時間をかけずに読了してしまった。

 随所にベッヒャー夫妻やバルト、ポロック、アジェといった名前が登場するため、これらの名に反応する読者なら、随所で立ち止まらされるだろう。