2026年10月16日金曜日

写真があってよかった。森山大道伝


大竹昭子 著「写真があってよかった。森山大道伝」


 写真が好きで、森山大道氏を知らない人はいないだろう。僕も機会があれば、向学のために写真展を見に行ったり写真集をめくったりしてきた。

 しかし、このブレ・アレ・ボケのスタイルはどうにも好きになれず、このような粗粒子で高コントラストな表現を目指そうと思ったことは一度もない。ゾーンシステムを用いたファインプリントの呪いは強力らしく、僕はそこから逃れられないのだ。

 ただ、同氏の生い立ち、生きざま、思想、時代背景、そして関わった人たちとの逸話には大いに興味がある。

 この本は、読み進めているうちに「森山大道という写真家の伝記」であると思った。よく見てみると、タイトルにも「森山大道伝」と書かれているので、そりゃそうかと一人で苦笑した。

 細江英公、中平卓馬、東松照明、荒木経惟、篠山紀信、深瀬昌久――おなじみの、もはや歴史上の写真家となりつつある昭和の巨匠や、三島由紀夫、寺山修司、浅川マキ等の文化人が、まるで小説の登場人物のように文中に登場する。

 森山氏の写真から僕が勝手に想像していた荒々しい人物像とは違い、そこには非常に繊細な写真家がいた。

「テーマなんかどうでもいい。カメラを持って街を歩き、衝動のまま、言葉が立ち現れる前に撮るんだ」

「苦しんだことも多かったけれど、それでも自分の人生に写真があってよかった」

読書中、そんな声がずっと脳裏に響いていた。
 

2026年10月8日木曜日

月下の狸


EOS Kiss X3 EF-S 18-55mm F3.5-5.6IS ISO100 F8 120s


 夕方に仕事を終え、一目散に琵琶湖の西側へ車を走らせた。今年の中秋の名月は9月25日だったが、あいにく天候に恵まれず、一週間遅れの10月2日に観月と撮影をすることにした。

 この日は、21時25分に北東の山の端から月が昇るはずだった。20時に目的の駐車場に到着したが、北東の空は、雲で覆われていた。軽く調理を済ませて、夕食をとっていると、その間に山の向こう側に雲は消え去り、多くの星が見えるようになった。

「ここではこんなに多くの星が見えるのか」と驚かされる。

 この浜に月光の撮影で訪れるのは今回で三度目になるが、これでうまくいくとはまったく思っていない。

 「何か撮れるまで、何回でも何年でもかけて来てやるさ」くらいの気持ちでいる。

 なぜなら、撮影できるチャンスは年に何度もないのだから。適切な露光値や現像量も依然として未確定のままだ。

 どの画角で撮影すればいいのか、月を見てみないと分からないので、ひとまずリンホフに210mmをセットして、北東方面をじっと眺める。対岸の木之本辺りの街の灯りの向こうの山の端が、ぼんやりと明るくなり始める。すると、月の一部が現れたかと思うと、みるみるうちに月全体が見え、山の端から離れていく。

 そして同時に、湖面には月光の道が出現する。この日、風速は3メートルほどだろうか。ゆらゆらと揺れる湖面と、月の高度に応じて、道の形状は変化していく。

 慌ててレンズを300mmに交換し、何枚か撮影した後、500mmに交換した。

 21時30分から撮影を始めて、2時間ほど撮影に没頭していた。露出計は役に立たない。そこでデジタルカメラで試し撮りをし、その結果を参考に露光値を決める。さらにフィルム(ケントメアパン200)の相反則不軌特性を考慮すると露光時間は7分から40分ほどになる。そうして5枚ほどを撮り終えることができた。

 露光中、浜辺から湖面に輝く月光の道を見ていると、タヌキが現れた。

「まさか、この月光の道を歩いて対岸まで行くつもりか!?」

と思ったのだが、そんなことができるはずもなく、僕の方を何度も見てから渚沿いを足早に走り去っていった。撮影中の構図の中には、タヌキに反射した月の光がフィルムに露光されているはずなのだが、ほかの光に紛れて痕跡は残らない。

 琵琶湖畔で、月が出てから数時間、ずっと見ているなんて、かなりの暇人である。しかし、目まぐるしく変化する月光の道はおもしろく、実はこちらは大変忙しい。

 月光の道が閉じたら、音楽を聴いたり読書をして夜を過ごそうと思ったが、疲れてすぐに横になってしまった。

 僕が眠っている間も、月は湖面を照らしている。もしかしたら、僕が見ていない間に、先ほどのタヌキは、対岸に向かって月光の道を歩いているのかもしれない。

 明日は5時に起きて、日の出前の湖面を撮ろう。


2026年10月2日金曜日

時を経たカメラ

 


 このカメラ、オリンパス・クロームシックスVAというらしい。
 中判のマルチフォーマット(6×4.5、6×6)、目測式のスプリングカメラである。

 僕が小学生だった頃(1970年代)、うちのタンスの奥に、革ケースに包まれたこのカメラを見つけたのが、僕とこのカメラとの最初の出会いである。

 当時、父親が使っていたカメラは、すでにオリンパスペンFTだったため、うちではその頃には、とっくに現役を退いていたようだ。

 それから30年ほど経った2000年頃、うちにこのカメラがあったことを思い出した。趣味でカメラのレストアをしている知人に動くようにしてもらい、何本か撮影してみた。

 この頃には自宅で暗室作業ができるようになっていたから、そんな気になったのだろう。

 元の革ケースは、経年による損傷が著しく、捨ててしまった。

 このカメラのズイコーレンズは、経年変化によってくもることが宿命のようで、うちのカメラも例外ではなかった。

 そのため、ボンヤリとした像しか結ばない。


 「なんだ、こんなボヤけた写真しか撮れないのなら、使う価値がないな」


 そう思い、父親に返却すると、今度は靴箱の隅がこのカメラの居場所になった。

 でも、ずっと思っていた。

 またいつか、使ってみたいと。



道 「撮影:2000年頃」
2023二人展「暗室モノクローム」 pieni onni  (岐阜)での展示作品

 


 それから四半世紀が経過した、現在。

 このカメラの使いにくさの一つに、アイレット(ストラップ通し)がないため、ストラップを装着できないという点がある。

 ある日、何気なくネットショップでカメラケースを見ていたら、なんとオリンパス・クロームシックス用の互換革ケースが販売されているのを発見した。

 今さら、こんな古いカメラの革ケースを新たに制作して商売になるのだろうか?と思いながら、よく見ると、ストラップを吊り下げるためのアイレットも装備されている。

 もしかして、時節到来か!!

 こんな古いカメラのケースを、いつまでも作り続けてくれるとは限らない。

 もしカメラが撮影できる状態に戻るのであれば、このケースを買って使ってみよう。

 ボヤけた像は、そのまま楽しめばいいのだから。

 しかし、時間が流れ過ぎたせいか、レンズは汚れ、シャッターは粘り、蛇腹には穴が空いていた。

 そして、かつてカメラをレストアしてくれた知人は、もうこの世にはいない。

 

 メンテナンスをしてくれそうな近所の修理屋さんをネットで見付けて訪問し相談したが、古過ぎてあまり修理経験がなく、そして、

 

「同じものが数千円で買えるよ」


 と言われ、やんわり断られてしまった。

 しかし、そういう問題ではないのだ。

 仮に「同じもの」を入手したとしても、それは、うちに70年近く存在しているカメラではない。

 今、円安のこともあり、作りの良い日本の1960年代から1980年代くらいのカメラが人気らしい。

 近所の修理屋さんは輸出ビジネスで忙しいようで、それよりも古く、操作や修理の難易度が高い、儲けの薄い厄介なカメラを敬遠したのだろう。

 どうしたものかな、と思った。

 革ケースを入手し、かつカメラのメンテナンスも完了させる。

 これが今回の計画である。

 そうでなければ使う気になれず、カメラの居場所も、靴箱の隅のままだ。

 こうなったら、大阪のいつもの修理屋さんで、直接相談するしかない。

 そう思い、まだ暑さの残る9月の終わりに、南船場へ向かった。

 これまで、いろんなカメラのメンテナンスでお世話になった**「鈴木特殊カメラ」**さんの扉を、久しぶりに叩いた。

 遠方のため、滅多に来られないのだが、店主の方は僕のことを覚えていてくださった。

 知人であるお店の常連さんの噂話をしつつ修理の相談をすると、どうやら納得価格でメンテナンスすることができるらしい。

 ただ、数か月待ちとのことだった。

 僕は安堵するとともに、革ケースをネットショップでオーダーした。

 年明け、雪の降る頃には、カメラにフィルムを装填し、ボヤけた写真を撮影できるだろうか。

 そして、普段の保管場所を、靴箱の隅から防湿庫へと移そう。

 祖父、父親、亡くなった知人、僕。

 次にこのカメラを手にするのは、誰だろうか。


2026年9月24日木曜日

カメラは心の浄化装置なのかもしれない

 唯識(ゆいしき)は、仏教思想の一つである。あらゆる現象や世界は、ただ(唯)心・認識(識)によって現出しているものであり、心の外に客観的な実体(存在)は存在しないという教理である。

 今回は、唯識の教理を軸に、カントの認識論、バルトの「ストゥディウム/プンクトゥム」、シュルレアリスムの表現手法を接続し、写真との関係について考えてみたい。

 まず、唯識の思想を紐解くにあたり、心(認識)には八つの層(八識)が存在していることを理解する必要がある。

 八識と言いつつも、感覚、意識、末那識(まなしき)、阿頼耶識(あらやしき)の四種類だと解釈してもいい。末那識、阿頼耶識は、潜在意識である。


識の名称役割と特徴
前五識(第一識〜第五識)眼・耳・鼻・舌・身の5つの感覚器官による認識(見る、聴く、味わう等)。いわゆる五感。
第六識(意識)思考、判断、記憶、感情など、日常的に「考えている」自覚的な心。
第七識(末那識・まなしき)潜在意識の浅い層。「執着する心」。自我意識の根源であり、「これが自分だ」と無意識に自己執着し続ける心。
第八識(阿頼耶識・あらやしき)根本となる超・潜在意識。あらゆる経験や行動の記憶(種子・しゅじ)が蓄積される巨大なデータベース。
 事物を認識するプロセスとしては、前五識(五感)により捉えた情報を受け、過去の経験の蓄積である第八識(阿頼耶識)から自我を形成する第七識(末那識)が立ち上がり、それが表層の第六識(意識)として現出する。第七識と第八識は潜在意識の領域であるため、本人にその自覚はない。


<例:カレーライスの認識>


前五識:目の前にカレーライスという物体(視覚・嗅覚情報)がある。

第八識(阿頼耶識):過去に食べたカレーライスの体験や記憶(種子)が参照される。

第七識(末那識):過去の蓄積に基づき、「この具材や香りは自分好みだ」と無意識に自己との関係性を判定・執着する。

第六識(意識):「美味しそうだから食べたい」と自覚的に思考・判断する。





 前五識(五感)は感覚器官であり、第六識(意識)は認識の結果に過ぎない。今回焦点を当てるべきは、潜在意識下で働く第七識(末那識)と第八識(阿頼耶識)のメカニズムである。

 第八識(阿頼耶識)の状態(どのような記憶の種子が溜まっているか)によって、第七識(末那識)が事物に対して、どのような自我による偏った解釈を行うかが決まる。したがって、第八識(阿頼耶識)を清浄に保つことが極めて重要となる。ここでの「清浄」とは倫理的な善悪ではなく、心の認識にノイズや認知の歪みを生ませない状態を指す。第八識(阿頼耶識)に負の種子が過剰に溜まると、認知的ゆがみが生じ、人格の破綻や精神的な不調にもつながりかねない。




カントの「認識の枠」との接続


 カントは『純粋理性批判』において、人は「物自体(ありのままの真実)」に直接アクセスすることはできず、個人の認識の枠——感性(時間・空間)と悟性(概念カテゴリー)のフィルター——を通すことでしか事物を構成・統合(統覚)できないと説いた。

 この「認識の枠」こそ、唯識における第八識(阿頼耶識)と第七識(末那識)の構造に重なる。

 人間は、データベースである第八識(阿頼耶識)に存在しない情報や概念は参照できないため、そもそも事物として認識することができないのである。

(参考 形而上のレンズ交換)




バルトの「ストゥディウム・プンクトゥム」との接続


 ロラン・バルトが提唱した写真論における「ストゥディウム」と「プンクトゥム」も、識の階層で説明がつく。

  • ストゥディウム:社会的・言語的に共有可能な情報や記号(コード)であり、唯識では表層の「第六識(意識)」に該当する。

  • プンクトゥム:言葉を超えて鑑賞者の心に突き刺さる強烈なディテールであり、自我や潜在意識の「第七識(末那識)」を突如として揺さぶる現象である。

    (参考 明るい部屋)






シュルレアリスムとスナップ写真


 潜在意識である第七識(末那識)や第八識(阿頼耶識)を直接的に表現しようとしたのが、20世紀初頭のシュルレアリスムであった。彼らは意識のコントロールを外し、潜在意識の言葉をそのまま書き出す「自動記述(オートマティスム)」や、夢の情景を描くことで深層心理にアプローチした。

 日常の動作——例えば車の運転や徒歩移動——を無意識に行えるのは、繰り返しにより獲得された「運動の種子」が第八識(阿頼耶識)に蓄積され、第七識(末那識)がそれを自動操縦しているからである。

 写真撮影、特に直感的なスナップ撮影においても同様の現象が起きる。通常の認識プロセスは「前五識(五感) ➔ 第六識(意識:言語・意味づけ)」という段階を辿るが、衝動的な撮影においては第六識(意識)の言語化が一時的にバイパス(迂回)される。五感の生データが深層の第七(末那識)・第八識(阿頼耶識:記憶・執着)とショートカットで直結し、「なぜ撮ったのか自分でもわからない」まま、身体反応としてシャッターが切られるのである。

 写真が時に、言葉による説明を拒むような強い力を持つのは、思考(第六識:末那識)以前の潜在意識領域で光が定着されているからに他ならない。



写真を「鑑賞する」ということ


 写真を鑑賞する行為は、単に平面上の画像を眺めることではない。それは「鑑賞者の第八識(阿頼耶識)に眠る膨大な記憶(種子)が、写真というトリガー(縁)によって起動・共鳴するプロセス」である。


 写真と対峙した時、心の中では以下の変化が起きている。


1. 前五識(眼識)の受容

 鑑賞者の眼が、写真に定着された明暗、色彩、被写体の輪郭という「光の生データ」を受容する。

2. 第六識(意識)による解読(ストゥディウム)

 「何の建物か」「時代背景はいつか」と、自身の教養や言語を用いて概念的に作品を理解しようとする。


3. 第七識・第八識の共鳴(プンクトゥムの発生)

 写真に写るわずかなディテール(誰かの手の角度、窓辺の光、街角の陰影)が引き金となり、鑑賞者自身の第八識の底に沈んでいた個人的な記憶や、言葉にならないノスタルジー、喪失感が突如として揺り起こされる。第七識(末那識)は「これは私に関係がある」と強烈に反応し、胸を締め付けられる。


 つまり、写真に感動する時、感動の源泉は「写真の内部」にあるのではなく、「写真の光が、鑑賞者自身の第八識(阿頼耶識)の底に眠っていた記憶の澱(おり)をかき混ぜ、表面に浮かび上がらせた」ことにある。



写真というメディアがもたらす「心の掃除と鍛錬」


 第七識(末那識)は、第八識(阿頼耶識)のデータを燃料にして自動運転を行うと同時に、新たな執着(悪種子)を生み出して第八識(阿頼耶識)を濁らせ続ける「増殖炉」としての側面を持つ。人は日常において、第六識(意識)が作り出す思考の雑音や、第七識(末那識)の過剰な自我執着に囚われ、心の濁り(負の循環)に巻き込まれがちである。


 不安や不満を反芻することで第八識(阿頼耶識)を濁らせてしまう罠から抜け出すには、唯一「自覚的な観察」が可能な第六識(意識)の働きによって、過剰な意味付けや執着の循環を自ら断ち切らなければならない。

 では、カメラを向ける行為は、この構造にどのように寄与するのだろうか。

 スナップ撮影において、言葉や意味付け(第六識:意識)をバイパスし、直感と深層記憶を結びつけてシャッターを切る作業。それは、カメラという「精神の延長」を通して、普段は隠されている潜在意識の偏愛や執着(末那識の影)を、光の像として外部に「客観化」するプロセスである。

 また、写真を鑑賞する行為もまた、被写体という鏡を通して自身の第八識(阿頼耶識)に眠る記憶の澱をあぶり出し、内面を直視させる。

 第八識(阿頼耶識)の掃除が「時間をかけて良い種子を蓄積し、認識の濁りを払うこと」であるならば、カメラを手に世界と対峙することは、自動暴走する自我のフィルター(末那識)をファインダーという窓を通して客観的に見破り、静かに整えていくマインドフルネスの実践と言える。

 写真とは、自らの深層の濁りに溺れることなく、世界と自己をもう一度「ありのまま(真如)」に見つめ直すための、極めて静かな心の浄化装置(瞑想)なのかもしれない。



横山紘一 著  「やさしい唯識 心の秘密を解く 」


 それにしても、事物の認識というのは、写真作品を作るうえで一度は誰もが焦点を当てて考えてみることらしい。「杉本博司著:スギモトノート」の中にも末那識についての記述がある。



2026年9月20日日曜日

最後の一枚までよろしく

 


 オリエンタル写真工業から、モノクロ製品・生産販売終了のアナウンスがあった。

 僕が知る限り、かつて国内には、三菱、フジ、オリエンタルの3社がゼラチンシルバープリント用印画紙のメーカーとして存在していた。それぞれに特徴がある印画紙であった。三菱製紙の「月光」は冷黒調寄りで好みではなかったため、ほとんど使ったことがなかった。フジのバライタ紙「レンブラント」は素晴らしい印画紙であったのでよく利用したが、RCペーパーはベースが薄く、気のせいかプラスチック感があったためあまり使うことはなかった。

 オリエンタルには、高級印画紙の「シーガル」と廉価版の「イーグル」があったが、シーガルは高価なうえにあまりにも純黒調過ぎた。イーグルは、廉価版と言いつつも安っぽさが微塵もなく僕の好みによく合っていたので、一時期よく愛用していた。

 歴史あるブランドが消えてしまうのは寂しい限りだが、これも時代の流れで仕方がない。最後にRCの8×10(100枚入り)を一箱注文しておいた。これで、僕が使うことのできるオリエンタルの印画紙の命数が具体的になってしまった。もう新たに入手することは出来なくなるのだ。

 あとは、ハーマンテクノロジー(イルフォード、ケントメア)とフォマ、ADOXに頑張ってもらうしかないかな。もちろんOEM生産も大歓迎だが。

2026年9月17日木曜日

L型レリーズアダプター

 


 前の冬の終わりに雪景色を撮影した時か、春の初めに桜の撮影に出かけた際、ケーブルレリーズと、その先端に装着するL型アダプターを落としたのか失くしてしまった。

 ケーブルレリーズは過去に何本か買って使ってきたが、自分にとっては、布巻きの柔らかい素材のものが一番使いやすい。ビニールで包まれたものは、ケーブルの保護という点では破損しにくい利点があるものの、応力が強くてしなやかさに欠ける。 

 ケーブルレリーズは、フィルムカメラ時代の写真用品遺産というべきもので、大量生産され、そのほとんどが汎用品であり、安価な中古品が数百円で手に入るし、今でも新品で購入することができる。

 そういうわけで、ケーブルレリーズはいい。問題はその先端に装着するL型アダプターである。このアクセサリーはケーブルレリーズほどありふれたものではなく、新品ではもう入手できない。しかも安くはない。

  この「安くはない」というのは、決して手が出ないような価格ではないのだが、

「たかがこんなものにこの価格か」

 と思ってしまう所以である。

 少なくとも、新品で売られていた頃の価格よりは安く買えないと、どうにも納得がいかないのだ。 L型アダプターを失くしてからというもの、果たしてこのアクセサリーは撮影に必須のものなのかと、半年ほど自問自答してみた。

 その結果、無くても問題ないという結論に達したものの、納得のいく価格で見つけたら買おうとは思っていた。 無くても問題ないのだから世間の実勢価格は余計に高く感じられ、探す努力もしなくなっていたが、ある時ふと、フリマサイトで安く出品されているのを発見した。しかもクーポンを使えば500円程度で購入できる。それを知るやいなや、誰かに先を越されないよう、秒で購入ボタンを押した。

  今度こそ、失くさないようにしよう。 

2026年9月10日木曜日

月光のカノン

 

EOS Kiss X3 EF-S 18-55mm F3.5-5.6IS
 

 8月の終わり、月光に輝く湖面を撮るため、湖畔へ向かった。しかし、今回も納得のいく結果を得ることはできなかった。それでも、6×7のフォーマットで一枚だけシャッターを切った。

 今回の撮影で分かったことがある。月光が湖岸から沖へと一直線に伸びる「光の道」が現れる時間は、僕の予想では月の出から1時間ほど、あるいは月の入りまでの1時間ほどに限られるということだ。だが今回は、その時間帯に湖岸へ立つことができなかった。

 理屈としては、きっと単純なことなのだろう。それでも僕は、身体で確かめなければ、物事を深く納得することができない。実際に湖岸に立ち、光が移ろいゆく様を目で追って、初めてその理屈が自分のものになった。

 撮影の条件は、さらに厳しい。

 月の出入りの前後1時間という限られた時間でありながら、同時に日の出前、あるいは日の入り後で、空が十分に暗くなければならない。

 果たして、僕が狙うあの場所で、望む方角へ真っ直ぐに月光の道が伸びる瞬間は存在するのだろうか。

 「月の出・月の入り時刻方角マップ」を開き、これから何度もシミュレーションを重ねることになるだろう。

 仮に天象の条件がすべて揃ったとして、その刻、その場所に自分自身が佇むことができるだろうか。その夜の風は凪いでいるだろうか。雲の切れ間は開いているだろうか。

 いつだって僕の心には、湖岸の木々の間から沖へ遥かに伸びる、眩い月光の道が映っている。

 いつの日か、僕はその光の道の起点に立つことができるのだろうか。

2026年9月3日木曜日

「絶滅写真」とスギモトノート


 東京国立近代美術館で開催されている杉本博司「絶滅写真」を7月に見てきた。

 ずっと以前(20年ほど前だと思う)、杉本氏についてよく知らなかった頃、どこかの美術館で「海景」の一点が展示されているのを見たことがあった。当時は「何もない海が写っているだけ」という感想しか抱けず、価値を見出せずにいた。しかし、「なんだこれは?」と覚えた確かな違和感と共に、杉本氏の名前は記憶の底に残り続けた。

 これまで杉本氏を自分の研究対象としてこなかったのは、写真家の枠に収まり切らない作家であったがゆえに、関心が向かなかったからなのだろう。


 近年になり美術史を学び始めると、現代美術を代表する日本人作家として再び杉本氏の名に出会った。写真技術を用いた現代美術とはどのようなものか――そう思い立ち、作品が掲載された著書や随筆を数冊手に取ってみた。

 そこにあったのは、圧倒的な知識の量だった。まさにリベラルアーツの宝庫のような頭脳を持つ作家だと感嘆した。現代美術への理解を深めると共に、杉本氏の作品はそうした知識や文脈(コンテキスト)の上に成り立っているのだと確信し、「海景」をはじめ、「劇場」「ジオラマ」「放電場」といったコンセプトを読み解いていった。


 杉本氏の作品は、単なる感情だけで鑑賞するものではない。深く対峙しようとするならば、鑑賞者にも相応の素養が要求される。文脈を知ってこそ真価を楽しめる作品なのだ。

 杉本氏が提示すること、そして考えていることは極めてシンプルである。しかし、それを実行に移すことがいかに困難であるかは容易に想像がつく。氏が制作プロセスをすべて公開し、「真似してもいい」と語りかけているのも、そうした自負の裏返しなのだろう。(当然、おいそれと真似できるはずもないのだが!)

 

 暗闇の展示室に浮かび上がる大判プリントを見つめていると、単なる「写真」を超えた何かを感じる。鑑賞しているうちに、ふと江戸川乱歩の小説『大暗室』が頭をよぎった。

 どこか不気味で退廃的な美しさ、そして「かつてそこに確かに存在したもの(あるいは巧妙に作られた虚構)」を凝視する冷徹な視線。像が結ばれる直前の「暗室」の闇そのものを思わせるその世界観は、杉本氏が意図しているかどうかは別として、僕にはその世界が江戸川乱歩の描く猟奇・怪奇の精神世界とどこかで響き合っているように感じられた。



 今回の上京の目的は、展示作品の鑑賞はもちろんのこと、同館3階の所蔵品ギャラリーに展示されている「スギモトノート(複製)」を確かめ、記録することだった。杉本氏が作品制作において重ねてきた試行錯誤の痕跡が、そこに綴られているはずだからだ。僕にとって必要となるページは、すべてカメラに収めてきた。


「やっぱり、ネガ現像液はD-23処方か。」


 あの「海景」の果てしない無限のグラデーションとシャドー部の粘りが、メトール単用の現像液から生み出されていたことは、以前随筆を読んで知っていた。

 この「D-23」現像液については、また別の機会に詳しく書くことにしたい。僕自身もD-23から派生した処方の現像液を愛用しているため、この薬剤とは実に長い付き合いになる。

 
杉本博司 著 「スギモトノート 銀塩写真技法」


 7月中旬、岩波書店から杉本博司著『スギモトノート 銀塩写真技法』が刊行された。 ノートに書かれた思考が随筆的に解き明かされている内容かと期待して手に取ったが、様相は少し違っていた。どちらかといえば、杉本作品の撮影現場や技術的な側面から当時を回想するような一冊であった。 それでも、一気に読み終えてしまったのは紛れもない事実である。

 二十年前、「何もない海」としか思えなかった一枚の写真が、いまになってこれほど多くのものを僕の中から引き出してくる。

 あのとき感じた「なんだこれは?」という違和感は、どうやら間違っていなかったらしい。

 作品を理解するとは、作品に知識を付け足すことではなく、過去の自分が感じていたものを後から別の言葉で発見することなのかもしれない。

2026年8月29日土曜日

「この声で歌う」ことしかできない

 


 8月末の残暑が厳しい折、京都写真美術館で開催されている、多田洋写真展「無頼」を見に行った。

 そこには、岐阜の街角を切り取ったスナップや、抽象的な影と形をモチーフにした30点のゼラチンシルバープリントが、たしかな息遣いとともに並んでいた。

 多田さんは、かつて写真月刊誌の月例コンテストという激戦区で、毎月のように紙面を飾っていた実力者である。その過酷な場で勝ち残り、評価され続ける背景には、並大抵ではない年月と凄みが宿っている。それほどにまとまった数のオリジナルプリントを直に眼差すことができたのは、非常に得難い時間だった。

 作品群と向き合う中で、僕の心を強く捉えて離さなかったものがある。それは、画面全体に漂う絶妙な「粒子感」だった。おそらく多田さんご自身は、ことさらそれを意識してはいないのかもしれない。

 しかし、そこには僕自身の作品にはない、ざらりとしながらも乾いた手触りがあり、ただただ羨望の念を抱かずにはいられなかった。

 ふと、写真家・内田ユキオさんのエッセイ『ライカとモノクロの日々』にある、「この声で歌う」という一節が脳裏をよぎる。

 ゼラチンシルバープリントにおけるネガというものは、選ぶフィルムや光の測り方、現像液の処方や希釈、そしてタンクを揺らす攪拌のリズムに至るまで、その人の息遣いや癖が否応なく染み込み、唯一無二のトーンとなって立ち現れる。あの美しい粒状性も、きっとその結晶なのだ。

  それは歌手にとっての「声」によく似ている。どれほど他人の声が魅力的に響こうとも、それを自分の喉に移植することはできない。歌手はみな、己に与えられた声で歌い切るしかないのである。

 表面的なプロセスを真似ることはできるだろう。しかし、それで奏でられるのは決して「自分」ではない。

 果たして、僕は、自分の声でちゃんと歌えているのだろうか。

2026年8月25日火曜日

失くした延長リンクとブリコラージュ

 


 シャッターの油が固着せぬよう、定期的に絞りを動かし、空シャッターを切る。そのために取り出したレンズから、あるはずの重要部品が消えていた。いつか紛失するのではないか――この外れやすい「延長リンク」に対して抱いていた予感が、最悪の形で的中した瞬間だった。

 これほど小さなパーツなど、単体で売られているのを見たことがない。もし修理扱いで取り寄せようものなら、そのサイズに見合わない高額な費用がかかることは火を見るより明らかだった。

 無いなら、作るしかない。暗室でお馴染みの覆い焼き用ワイヤーをニッパーで切り出し、慎重にクランク状へ曲げてみる。すると、ジャストフィットする代用品が完成した。仕上げに自転車の虫ゴムを被せ、脱落防止の工夫も施す。

 それから一か月ほど経った頃だろうか。撮影現場で冠布をバサバサとあおった拍子に、足元へポロリと金属片が落ちた。紛失したと諦めていた、あのオリジナルの延長リンクだった。

 苦笑いしつつも、妙な充足感があった。たとえ再びこれを失う日が来ようとも、僕にはいつでも自らの手で引き戻せる「技術」を手に入れたのだから。

※「ブリコラージュ」社会人類学者のレヴィ=ストロースがで用いた概念で、ありあわせの物を工夫して使う思考。


  

2026年8月18日火曜日

新版 写真論


 あまりにも有名なスーザン・ソンタグの『写真論』だが、今まで読んだことがなかった。最近、新版が発売されたので読んでみた。

 読んではみた。半分くらいまでは。

 しかし、断片的には分かるものの、通して読んでみると僕には何が書いてあるのか、まったく分からなかった。訳文が難解なうえに、僕の読解力が不足しているのか、難しい単語が多いわけでもないのに、さっぱり頭に入ってこない。

 名著と言われている本なのに、まったく理解できずに断念してしまうのは悔しくて仕方がないが、今の僕には無理なのかもしれない。

 写真家や画家が書いた本は生の感覚や身体性を伴うため内容が理解できるのだが、評論家や学者の文章は、他人の思想・文学・歴史・社会現象を大量に引きながら、言葉で言葉を重ねる世界を展開しているような気がする。僕とは持っている前提知識の量があまりにも違いすぎるうえに、思考プロセスも別物なのだ。

 もしかしたら、ソンタグの『写真論』に書かれていることは、シンプルなことなのかもしれない。今は、この本に時間を費やすことは避けるが、またいつか読んでみようと思う日が来るのかもしれない。

2026年8月13日木曜日

写真展の片隅で考える平和

  


 岐阜市のギャラリー「pieni onni」で開催されている公募写真展「PEACE」に参加している。会期は8月16日(日)まで。

 この季節に「平和」へと思いを寄せると、先の大戦から戦後何年といった報道や各地での式典を目にする。誰もが戦争のない世の中を祈るが、世界のどこかでは常に紛争が続いており、戦争がなくなる気配はない。なぜなくならないのかを考え始めると長くなりそうなので、今日は考えないでおくことにする。

 「平和」という文字から連想されるのは、きっと「平らかな和」なのだろう。平穏で和やかな日々が続くなら、それは間違いなく誰にとっても心の中に平和が存在している状態だ。

 しかし人は生きているだけで、さまざまな試練に見舞われ、不安や心配事が絶えない。身体の健康と精神の平静を重んじるエピクロスの快楽主義を地で行くような生き方ができればいいのだが、人は自分本位だけでは生きられないため、それもなかなか難しい。 せめて、人生のところどころに現れる貴重な「平和」を満喫したいものだ。

 今回は公募展であり、個々の作品はそれぞれ独立しているものの、テーマが決まっているため会場全体がひとつのコレクティブアート作品のようにも感じられる。会期中は毎日懇談会が開催されており、作品を眺めたり言葉を交わしたりして過ごす時間は、まさに「平和」そのものである。

2026年8月11日火曜日

黒の物語

 ヘイリー・エドワーズ=デュジャルダン (原著), 丸山 有美 (翻訳)「色の物語 黒」


 黒とはいったい、何だろうか。

 写真が捉えるもの。それは光源から発せられた光子という名の素粒子が、物体に跳ね返り、レンズを通ってフィルムへと到達した軌跡だ。その光がフィルムの記録再現幅(ラティチュード)に収まったとき、初めて像として結実する。

 物質によって光子の反射率は異なり、その数値が低ければ低いほど、眼前に現れる黒は深さを増していく。となれば、究極の黒とは、光さえも逃しはしないブラックホールの色を指すのだろうか。


 人類は、この「完全な黒」を求めて、悠久の時を費やしてきた。

 歴史を紐解けば、必ずフランスのラスコー洞窟の壁画に行き当たる。当時の人々は二酸化マンガンを用い、闇を描こうとした。その後も木炭や鉄など、身近な物質を媒介に、人類は黒を「発明」し続けてきたのである。その探求の結晶は、2014年に登場したナノ技術による最新の黒にまで至る。数千年もの間、黒を作り出すことは、人にとってそれほどまでに困難で、抗いがたい魅力を持つ挑戦であったに違いない。


 19世紀に写真が登場した当初、その色は「黒」ではなく「茶色」だった。当時の技術では、まだ完全な黒を定着させることができなかったのだ。よくある誤解として、「古い白黒写真が劣化して茶色くなった」と思われがちだが、そうではない。それらは、最初から琥珀の色調を帯びて生まれてきたのである。

 その後、感光材料の改良が進み、銀粒子の緻密な制御が可能になったことで、写真はようやく、ビロードのような深い黒を手に入れた。


 人類が数千年かけてようやく到達したこの漆黒を、僕は今、あえて再び「茶色」へと引き戻そうと試みている。硫黄を操り、化学変化を媒介として、銀の黒を温かな褐色へと変容させる。それは、効率や進歩という名の時間軸を逆行する、僕自身の物語なのかもしれない。

2026年8月5日水曜日

美の共通感覚と、表現者のジレンマ

 いくら端正込めて制作された芸術作品であっても、他社の目に晒さないと、自己満足で終わってしまう。

 このことは、すべての表現者が背負わなければならない、最も残酷で人間らしい「避けられない矛盾(ジレンマ)」なのだと思う。


 他者の評価から離れた、純粋な衝動から作品は生まれるはずなのだが、現実の人間は、仙人のように霞を食べて、永遠に孤独な湖畔で生きていくことはできない。


 なぜ、「自己満足」では生きられないのか。なぜ「誰かに見てもらいたい」と願ってしまうのか。

 それは決して、承認欲求や名誉欲等のみではなく、「アートの本質」に組み込まれた、もう一つの避けられない真理がある。


 もし本当に自己満足だけでよいのなら、ただ目に焼き付けて、胸にしまっておけばいい。一瞬を惜しむように撮影する必要も暗室の闇で作業する必要も、公募展に応募する必要も、エッセイに書き起こす必要もない。

 それでも奇跡のような光景を、自分の中だけで終わらせてはいけない。誰かに伝えなければならない」という、もう一つの強烈な衝動がある。

 

 哲学者カントは、判断力批判の中で、実用性や理屈とは遠いところにあるという意味として「美は無関心である」と言った後に、「共通感覚」について述べている。

 それは、「美しいと感じたとき、人は無意識のうちに『他人も同じように美しいと感じるはずだ(感じてほしい)』と要求する」という性である。


 自分のこの孤独な感覚は、決して独りよがりではなく、他の人間たちとも繋がっているはずだと確認したくてたまらなくなる生き物が人間なのだろう。

 「認められたい」という願いの根源は、名声ではなく、「魂が見ている世界は、他者と繋がっている」という深い安心感(連帯)への渇望である。

 しかし、ここで悲劇が起こる。

 純粋な求めは「魂の震え(共通感覚)への共鳴」なのに、現実の社会(公募展や市場)が用意しているのは、「審査基準」や「価格」といった「冷酷なシステムの物差し(具象化)」だからである。


 「自分が目の当たりにした奇跡の光(魂)が、冷たい社会の秤にかけられ、点数や価格という記号に還元されてしまうことへの違和感」


 「それでも、たった一人でもいいから、あの光の美しさをわかってくれる『誰か』に出会いたいという祈り」


 この2項が、激しく綱引きをしている。

 しかし、この対極にある2つの世界を、作品を抱えて、傷つきながら何度も往復する闘いの中にいる姿こそが、人間らしいのだ。


 自己満足の安全な場所に引きこもらず、傷つく(否定される)かもしれない恐怖を抱えながら、それでも「私が見た光」を社会へと差し出す勇気がアートを生み出し続ける理由そのものなのである。

 それゆえ、「無関心」であり「共通感覚」から発露した美は極めて純度が高い。そこに承認欲、名誉欲、金銭欲が絡んだとしてもだ。

 しかし、それゆえ、承認欲、名誉欲、金銭欲が見え過ぎる作品は薄汚く見えてしまう。

2026年7月29日水曜日

月光のフェルマータ~確定した現実の存在と不在~

EOS Kiss X3 EF-S 18-55mm F3.5-5.6IS

 先週、公募展の審査が終わった。その結果は今週、僕の手元に届くはずだ。期待か、それとも失意か。どちらにしても、僕は否応なく「確定した現実」に着地することになる。 宙ぶらりんなこの時間は、可能性がまだ閉じられていない時間でもある。

「いっそ、永久に結果など届かなければいい」

 ――そんな拍子抜けな願いが口をつくのは、丹精込めて生み出したものを現実の秤にかけたくないという密かな防衛本能なのだろう。

 

 答えの出ない思いを抱えたまま、暮れなずむ国道を琵琶湖の西岸へと走らせた。 三脚を据え、大判カメラにレンズを装着する。グラウンドグラスの暗がりの中で構図を確かめると、日没まではあと三十分ほどだった。南東の空には、まだ頼りなげな月がぽつりと浮かんでいる。

 浜辺に腰を下ろし、静かに暮れゆく湖面を眺めながらささやかな夕食をとる。ただ目の前にある光と水、刻一刻と移ろう時間だけに身を委ねていると、胸のざわめきをゆっくりと解きほぐしてくれる。

 

 日没直後、まだ周囲にうっすらと残光が漂う中、最初の一枚のために十五分間の露光を開始する。シャッターを開け、一息ついてふと南東の湖面に目をやった。 まばゆい光が、波間に眩しく揺れている。車のヘッドライトか、対岸の街灯りでも映り込んでいるのだろうか。

 だが、目を凝らしてよく見れば、それはほかでもない、月光だった。

  「この光を撮りたい」

 ――激しい衝動が胸を突く。 しかし、大判カメラは今まさに露光の真っ最中だ。ほかにカメラは……そうだ、車の中に古いキスデジ(小型デジタル一眼)を積んでいたはずだ。迷っている時間はない。急いでスペアの三脚にキスデジを据え、頭に固定したヘッドランプの細い光で足元を照らし、暗闇の岸辺を走り出した。猶予は大判カメラを露光している十五分しかない。

 息を切らして辿り着いた水際で、僕は言葉を失った。 天上から降り注ぐ月光が湖水と溶け合う瞬間、波の一粒一粒が四方八方へと銀色の光を打ち返している。そこには、目も眩むような光の絨毯が揺らめいていた。

 はやる心を抑えながら三脚を立てる。マニュアルモードに切り替え、ISOは100、絞りはF8、シャッタースピードはバルブに。レリーズ(遠隔シャッター)など用意しているはずもない。

 キスデジでこんな奇跡のような夜を撮ることなど想定していなかったのだ。意を決し、指先で直接シャッターボタンを押し込む。 露光時間を感覚で変えながら夢中で数枚を撮影すると、再び暗がりを走り抜け、大判カメラのもとへと戻った。滑り込みでシャッターを閉じ、フィルムを巻き上げる。

 

 次の一枚は三十分露光だ。少しの余裕ができた僕は、再び三脚を抱えて先ほどの浜辺へと向かった。 けれど――あの銀の絨毯は、もうどこにもなかった。 ほんの数分前まであれほどまばゆく輝いていた光は嘘のように消え去り、静けさだけが広がっている。琵琶湖は広い。  

  あの瞬間の光の奇跡を目撃したのは、きっと世界で僕ひとりだけだったのだろう。僕が見なかったとしたら、あの光景は「確定した現実」として存在しない。

 沖合へと引き退いた月光は今、遠くの湖面をただ静かに、一筋のスポットライトのように照らし続けていた。

 

2026年7月26日日曜日

生ものな作品

 写真を紙に焼き付ける。そこに宿った像をどう愛でるかによって、その作品の軌跡は形を変えていく。

 僕にとって紙焼きの目的は、自分のための「時を超える標本」を作ることだ。手に馴染む四つ切ほどの大きさが心地いい。暗室でバライタ印画紙に銀の粒子を浮かび上がらせ、硫化調色を施す。そうして出来上がった一枚は、幾年月にも耐えうる作品となる。

 もし幸運な機会が訪れ、その写真を展示という名の旅をさせる日が来たのなら、 無酸性の三角コーナーでマットに添え、額の裏板で優しく圧をかけてやる。それだけで、波打っていた紙は息を整え、平らな表情を見せてくれる。展示という短い旅が終われば、またアルバムの静かな闇へと還せばいい。

 少なくとも僕は、その旅の準備で裏打ちはしたくない。ドライマウントでマットボードに強く圧着されたプリントは、もう旅立つ前の姿には戻れない。半永久の時を望むのであれば、余計な手は加えず、ただそのまま置いておくのが一番なのだ。


──そうは言っても、ただ一過性の展示だけを目的に大全紙を使わなくてはならない時もある。

 作品内容によっては額を使えず、パネルやマットへ固定するために糊やテープを使い、印画紙にどうしても負担をかけてしまう。大全紙という大きさは、僕が手元で静かに愛でるには少し大袈裟すぎるのだ。

 どれほど精魂を傾け、その一瞬に命を吹き込んだとしても、僕にとってそれは展示を終えれば役目を果たす「短命な花」に過ぎない。

 消耗品、と呼ぶのは少し寂しい。 そう、あれはまるで「生もの」なのだ。展示室の眩い光の中にいる間だけその命を咲かせ、楽しむためのもの。過ぎ去ったあとは、記憶の中の残像だけが静かに揺らめいている。

2026年7月20日月曜日

光と物質のマリアージュ

 

 
 電磁波の全帯域の中で、人が見ることのできる領域はほんのわずかだ。太陽は可視光線領域の電磁波を多く放出しているため、人は太陽光に合わせた目を持つように進化してきたのだろう。
 もし、すべての波長を見ることができたのなら、世界は眩しすぎる。

 太陽から放たれた光子が、フィルムの乳剤中に存在するハロゲン化銀に当たると光子は消滅する。ハロゲンが電子を手放し、銀イオンがそれを受け取ることで、金属銀の微粒子(潜像核)が生まれる。この段階の金属銀は「潜像」と呼ばれ、きわめて頼りないものにすぎない。しかし、これを現像液に浸すことにより、潜像という「種」が何百万倍、何千万倍ものスケールですさまじく増殖し、目に見える像が現出する。だからこそ、これを「現像」と呼ぶのだろう。

 電磁波のエネルギーは、波長が長いほど弱く、短いほど強い。この関係性を見ると、紫外線のエネルギーの強さは凄まじい。肌に当てるのを避けたくなるのも道理だ。

 そのエネルギーの強弱は、撮影用フィルムの歴史にもそのまま当てはまる。ハロゲン化銀単独の乳剤は、青色より短い波長の光にしか感光しない。つまり、青空は真っ白に写り、それ以外の暖色系の景色は沈んで黒くなってしまう。現在ではそのようなレギュラー乳剤のフィルムは市販されていない。

 それでは視覚的な再現性に乏しいため、乳剤に感色性染料を加えることで、緑色領域まで感度を広げた「オルソクロマチック・フィルム」が登場した。このフィルムは、赤色という長い波長には感光しない。だがその性質ゆえに、暗室で赤いセーフライトをつけて作業ができるという大きな利点がある。実際、暗室で扱うモノクロ印画紙(ゼラチンシルバープリント用)の多くは、現在でもこのオルソクロマチックに近い(赤色非感光性の)乳剤を使用している。

 その後、さらに色素の改良が進み、すべての可視光に感光する「パンクロマチック」が登場し、これがモノクロフィルムの主流となった。一方で「赤外線フィルム」は、パンクロマチックよりもさらに波長の長い、人間の目には見えない赤外線領域にまで感度を広げたものだ。

 ただ、パンクロマチックが全可視光に感光すると言っても、すべての色に均一な感度を持つわけではない。やはりエネルギーの強い、短い波長の光(青や紫)に対してより過敏に反応してしまう。そのため、そのまま撮影すると青空は目視よりも白っぽく写り、雲とのコントラストが失われてしまう。そこで、レンズの前にイエローフィルターを装着し、青色近辺の短い波長を適度にカットしてやる。そうすることで、青空を「見た目の印象」に近い、落ち着いたトーンで引き締めることができるのだ。

 
 もし太陽光の放出スペクトルが、まったく異なる帯域だったとしたら、私たちはこれほど豊かな光景を見ることも、記録することもできなかっただろう。
 人間の目が「光」として感じている波長と、ハロゲン化銀という物質が「エネルギー」として受け取り、その姿を変える波長が、ほぼ重なり合っている。この精妙なキャッチボール。

 そう考えると、暗室の赤い光の下、現像液の中で印画紙の上に静かに像が浮かび上がってくるあの瞬間は、単なる化学変化を超えて、この宇宙の「光」と「物質」の調和(マリアージュ)を目の当たりにしているような、そんな敬虔な気持ちにさえさせてくれる。

2026年7月18日土曜日

杉本博司自伝 影老日記


 

 東京国立近代美術館で、杉本博司氏の「絶滅写真」展が開催されている。先日、その会場に足を運んだ。具体的な展示の有り様は後日改めてここに綴るつもりだが、彼がどのような軌跡を辿ってこの表現に行き着いたのかに興味が湧き、その自伝を紐解いてみた。

 戦後まもなく、東京の裕福な家庭に生まれた氏は、復興の熱気と学生運動の嵐が吹き荒れる日本で学生時代を終え、混迷のなかで渡米する。1970年代初頭の留学は現代のそれとは比較にならないほど地続きではなかったはずだが、親類に米国人の夫を持つ女性がいたという背景が、彼を未知の地へと押し出すささやかな、しかし決定的な呼び水となったのだろう。

 以降、人生の大半を米国で過ごすことになる。世界を漂泊しながらニューヨークに拠点を据え、ヒッピー・ムーブメントが全盛を迎えるなか、ポップアートの旗手や現代アーティストたちの熱気のただ中に身を置いた。 作家活動の傍らで古美術商を営み、自ら大工仕事をもこなし、そして若くして妻を看取る。こうした生々しい経験の集積とその喪失のすべてが、杉本氏の表現の底流を形作っている。

 写真という表現領域において、彼はアンセル・アダムスを精神的なメンター(師)と定め、ゾーンシステムによる厳密なネガ作成に没頭していく。 何かを狂おしく実践する者にとって、やはりメンターの存在は不可欠なのだ。ジョセフ・キャンベルが『千の顔を持つ英雄』で描いたように、境界を越えて旅立つ英雄(表現者)の前には、必ずその行く手を指し示す「導き手」が現れる。それは神話の時代から続く普遍的な構造なのだろう。

 そのメンターは、必ずしも言葉を交わせる実在の人物である必要はない。遥か歴史の彼方にいる異国の人であっても、あるいは身近な誰かであってもいい。要は、己の精神のなかに揺るぎない「指標」をいかに打ち立てるか、ということなのだと思う。

 読み終えたあとも思考の覚めない、一冊であった。

2026年7月14日火曜日

展示とは、自分の到達点を問う場である

 


​ 展示や公募展は、「完成された最高傑作」のみを見せる場所ではない。

 そもそも、それが本当に最高傑作なのか、あるいは完成品なのかは、誰にも分からない。時間が経過して見返したとき、当時はまだ見えていなかったことに気づく場合があるからだ。

 もしその気づきがなければ、表現者としての歩みはそこで終わってしまう。仮に絶対的な到達点というものがあるとして、そこに達してしまったら、次はどこへ行けばいいというのか。したがって、「完成」という状態は非常に曖昧なものだ。

 ​作品は時間の中で変化する。それは作品そのものが変質するのではなく、作者の「認識」が変わるからである。

 そう考えると、展示とは「私は今、ここまで来ました」という報告に近い。

 登山に例えるなら、山頂に立った証明ではなく、現在地の無線連絡のようなものだ。

 十年後に見返すと、「構図が甘かった」と思うかもしれない。あるいは、「もう、あんな気持ちで、撮ることは出来なくなった」と、もう既にいなくなった過去の自分の喪失を感じるのかもしれない。

 それは、今の僕には分からない。なぜなら、十年後の僕はまだここにいないのだから。「これで完成なのか?」という問いに、あらかじめ用意された答えなどない。

​ 展示において、どんなカメラやレンズを使ったか、どんな技術で作ったか、ということはさほど重要ではない。お金で買える機材や既成の知識は、その人固有のものではないからだ。

 そんなものを誇示するよりも、「僕が世界をどう見ているか」がそこに写り込んでいることの方が、遥かに肝要である。

​ 展示する意味とは、その問いを他人の前に差し出すことにある。

「僕は今、世界をこう見ています」

 そう差し出されたものに対して、見る人は賛同するかもしれないし、何も感じないかもしれない。あるいは、まったく別の解釈をするかもしれない。

 それでも展示は成立する。​ 逆に、「完成してから発表しよう」という思い込みは危険極まりない。なぜなら、本当に完成したと思える日など、生涯ほとんど来ないからである。

 世界を眺めていると、問いはとめどもなく湧き上がる。


 木を見れば時間を考え、

 暗室の薬剤を見れば物質を考え、

 月を見れば露光時間を考える。


 探求とは、どこかにある完成形に到達することではなく、問いを深め続けるプロセスそのものなのだ。

 ​展示作品が、単なる偶然の一枚ではなく、僕が長く考えてきた問いの「途中経過」として、自分らしさと意味を持ったものであれば、それでいい。

2026年7月7日火曜日

膨らむ電池

 

 
 フィルムカメラがオートフォーカス化される以前の時代、多くのカメラは露出計を動かすためにボタン電池を使用していた。1950年代から1960年代頃には水銀電池を用いた機種が主流であったが、その有毒性から、後にアルカリ電池や酸化銀電池へと置き換えられていった。

 僕が持っているペンタックスSP、オリンパスPEN D3、ミノルタハイマチックEは、いずれも水銀電池を前提に設計されたカメラである。しかし、水銀電池はすでに入手できないため、SPは電圧調整アダプターと酸化銀電池、PEN D3は空気亜鉛電池、ハイマチックEは簡易アダプターとアルカリ電池で代用している。
 
 この三機種は、僕にとって「二軍のおもしろカメラ」のような存在である。しかし、それでも仕上がる写真には特に問題がない。

 なぜ「二軍のおもしろカメラ」なのかというと、本来想定されていない代用電池を使っていることに、どうしても不安が残るからである。とはいえ、そのカメラならではの得難い魅力があるため、つい使ってしまう。

 SPやPEN D3のような機械式カメラは、電池がなくても撮影自体は可能である。しかし、本来は電池を入れて使うことを前提に設計されたカメラである以上、電池を抜いたまま使うことに、どこか違和感がある。

 もっとも、僕が信頼しきれていないわりには、これらのカメラはいつもきっちり仕事をしてくれる。
 「一軍の本気カメラ」でボタン電池を使うニューマミヤ6やニューFM2といった機種は1980年代以降のものが多く、電池にはLR44またはSR44が指定されている。

 僕はこれまで、安価なLR44を使っていた。ただ、液漏れや腐食の危険があるため、使わないときは電池を抜いて保管している。

 先日、取り外して保管してあったLR44を見ると、電池が膨らんでいるのを発見した。もしこれがカメラの電池室の中で起きていたら、厄介なことになっていたに違いない。

 実は、電池が膨らむ現象は昨年も経験している。二年続けて目の当たりにしたことで、多少高価ではあっても、今後は寿命が長く、電圧が安定していて、液漏れ耐性も高いSR44を使うことにした。

 露出計内蔵や電子制御シャッターを備えたカメラは便利である。しかし、その便利さは電池に支えられている。言い換えれば、便利さと引き換えに厄介ごとを抱え込んでいるとも言える。

 その点、電池をまったく使わないカメラは、ある意味では完璧である。電池切れを心配する必要もなく、液漏れや腐食に悩まされることもない。だからこそ安心できるし、そこに機械としての潔さのようなものを感じるのである。

 もっとも、そのようなカメラにも別の故障や不具合はある。それでも僕は、ときどき膨らんだボタン電池を眺めながら、便利さとは何か、そして道具を信頼するとはどういうことなのかを考えてしまうのである。