2026年4月4日土曜日

粉引の通奏低音、花の主旋律

 


 外は朝から雨。数日前から咲き始めた桜が満開を迎えているが、雨の中を出歩く気にはなれず、庭先で全ての蕾が開花したクリスマスローズを撮影することにした。
  雨の日は窓から差し込む光が柔らかく、コントロールがしやすい。時間に追われることもなく、撮影に没頭できる。BGMには、バロック音楽のキタローネの楽曲を選んだ。

 粉引(こひき)の一輪挿しに花を活けて写す「粉引に花」シリーズは、もう5年ほど続けている。音楽を聴きながら、ふと思った。この一輪挿しは「通奏低音」であり、その時々に挿す花が「主旋律」なのかもしれない、と。

 愛用の木製大判カメラからは、今日に限っていつもより強く木の香りが漂う。春の暖かさに雨の湿度が加わったせいだろうか。その佇まいを眺めていると、まるで楽器のようだと感じる。

 一年かけて育てたクリスマスローズには、新しい葉が次々と芽吹いている。きっと来年も、また多くの花を咲かせてくれるだろう。
 

2026年3月31日火曜日

「Do It Myself」の効用

 

 1980年代、僕が白黒写真の自家処理を始めたきっかけは、単にその方が圧倒的に安価だったからだ。それ以外に理由はなかった。そうでなければ、最初から迷わずカラー写真を選んでいただろう。当時は白黒写真が美しいとは微塵も思っておらず、コスト面でのやむを得ない選択に過ぎなかった。

 しかし、作業を続けていくうちに、コスト以上に自家処理から得られる恩恵がはるかに大きいことを知り、「もう外注はできない」という思いに変わっていった。それと同時に、モノクロームプリントが持つ独特の美しさも、ようやく理解できるようになったのだ。

 白黒フィルムの現像液は、それこそ何百種類と存在する。外注では、どんな液を使い、どのような温度や攪拌で処理されているかも分からない。それでは到底、自分の目指す仕上がりは望めないだろう。 プリント作業も同様だ。テストプリントを繰り返しては試行錯誤し、理想へと追い込んでいく。この視覚的な判断を、言葉の指示だけで他者に伝えるのは至難の業だ。

 何より、自ら手を動かす過程には常に「学び」がある。そこで得た気づきは、次の表現への応用につながる。

 この日は、展示用パネルの切り出しを行った。既製品を買う方が品質は明らかに高いが、規格品にはない、ある種の「いびつさ」を僕は嫌いではない。写真は制作プロセスの多くを機械に頼るため、作品も工業製品のようになりがちだ。だからこそ、人の手を介した際に生まれるいびつさに、僕は手作業特有の「身体性」を感じるのである。規格品の均質な仕上がりは安心を与えるが、同時に、自分が関与していない存在が空虚さを残す。

 そんなわけで、自分でできることは、まず自分でやってみるのだ。

2026年3月28日土曜日

線は、僕を描く

 砥上 裕將著「線は、僕を描く」


大学生である主人公の鎮魂と再生の物語を、水墨画の修行を通して描いた小説だ。

 大事なことが書かれているような気がして、時期を変えて三回読んだ。
 横浜流星主演による映画版もある。だが、いくつか省略されているところがあり、湖山先生(主人公の水墨画の師匠)のキャスティングも、少しイメージと違った。格好良すぎるのだ。
 この物語に必要なのは、完成された佇まいよりも、もう少し不器用な気配なのかもしれない。だから、やはり小説のほうがいい。

 心に残った湖山先生の言葉を、書き留めておいた。


・目の届くところにしか、手の技は届かない。

・できることが目的じゃないよ。やってみることが目的なんだ。

・どんなに失敗してもいい。失敗することだって、当たり前のように許されたら、おもしろいだろ?

・拙さが、巧みさに劣るわけではないんだよ。

・気韻生動を尊ぶ。気韻というのは……端的に言えば、楽しんでいるかどうか、だよ。

・自分の絵だけを見ていれば、そのうち自分自身の手にも、技にも、騙されるようになってしまうよ。

・現象とは、外側にしかないものなのか? 心の内側に、宇宙はないのか?

・(水墨画は)着彩を排していることからも、我々の外側にある現象を描く絵画ではない……。

・我々の手は、現象を追うには遅すぎるんだ。(描き)終わったときには、またすべてが変わっている。

・絵は、絵空事だよ。

・君が優れた水墨画家になるか、ならないかなんて、そんなことはどうだっていい……それを伝える術が、水墨しかなかったんだよ。


 これらの言葉は、水墨画に限った話ではない。写真を撮ることにも、そのまま重なる。
 
 目の届くところにしか、手の技は届かない。認識していないところに、技巧を凝らすことは出来ない。

 できるかどうかよりも、シャッターを切ってしまうこと。失敗を許された場所でしか、像は立ち上がらない。

 現象は外側にだけあるのか。それとも、こちらの内側にすでに用意されているのか。

 手は遅い。気づいたときには、光も、気配も、すでに別のものになっている。
それでも、遅れたまま、触れようとする。

 絵は絵空事だ、という言葉が、なぜか救いのように残る。写真もまた、現実そのものではない。

だからこそ、そこにしか宿らないものがある。

 これは、僕にとっては形而上のレンズについて書かれた物語なのだと思う。
目に見えるものを写しながら、いつのまにか、こちら側が描かれてしまう、その過程について。

 線は、僕を描く。
 写真もまた、僕を描くのかもしれない。

2026年3月21日土曜日

アルストロメリア

 


 隣町にアルストロメリアの農家があるせいか、時折、新鮮な切り花が手に入る。

 寒い時期はハウス栽培だろうが、暖かくなれば民家の庭先で咲いているのも見かける。アルストロメリアは花もちが良い。すぐに萎れてしまう心配がないので、じっくりと時間をかけて撮影できるのが魅力だ。色や模様は様々だが、今回の被写体には白基調の個体を選んだ。

 いつもの粉引きの一輪挿しにそっと挿し、コーヒーを淹れるためにお湯を沸かす。

​ 誰もいない午後。コーヒーカップを片手に、光の状態を観察する。

 

 まだ風は冷たいが、南向きの部屋には春の陽射しがたっぷりと差し込んでいた。太陽の熱を蓄えたチェストの上で、花はみるみるうちにその花弁を広げていく。

 「萎れる」心配はしていなかったが、「開花」のスピードまでは誤算だった。状態の変化が、思ったよりもずっと速い。のんびりとコーヒーを啜っている場合ではないことに気づく。

​ 慌てて遮光カーテンを引き、光の量と角度を追い込む。三脚を立て、カメラにレンズを装着。冠布(かんぷ)を被り、薄暗い中でグラウンドグラスを覗き込む。

 ピントを合わせ、スポット測光でハイライトとシャドウの輝度差を計測する。近接撮影による補正と、フィルムの相反則不軌……。頭の中で露出値を算出し、レンズに設定する。

 時間は慌ただしく過ぎていき、静かな部屋の中で僕だけが忙しなく動いている。すべての準備を終え、シャッターを閉じてフィルムを装填する。引き蓋を抜き、レリーズを押し下げてシャッターを開放した。

​ ――7秒間の露光。

​ この7秒間、少なくとも僕だけは、彫像のように動かない。7秒後、再びレリーズを押してシャッターを閉じた。

​ この日の撮影は、これで完了。

​ ふと机の上を見ると、そこには、いつの間にか飲むのを忘れてすっかり冷めてしまったコーヒーが残っていた。


2026年3月17日火曜日

銀の黒、墨の黒

 


 ゼラチンシルバープリントの仕上げの工程に、スポッティングという作業がある。現像や定着を終え、乾燥したプリントを確認し、微細な白点を見つけて筆で埋めていく作業である。


 フィルムや印画紙に付着した塵や傷、現像の過程で生じた事故的な欠落によって、小さな白い点が残ることがある。それをそのままにしておくと、鑑賞者の視線が目障りなノイズとして、そこに引き寄せられてしまう。

 そこで、細い筆の先にわずかな塗料を含ませ、その白点にそっと触れて消す。使用する塗料には、人によって好みがある。市販されているスポッティング用の塗料もあるが、僕は習字用の墨を使っている。

 墨の黒は炭素の黒で、銀と同じく単体の物質であり、化学的な安定性が高い。長く同じ姿を留めてくれるものにはロマンを感じる。

 スポッティング作業は、いつも硯の陸に水を落とし、墨を磨ることからはじまる。墨は細かな粒子であり、その密度で、濃淡を調整する。


 暗室作業の最後に行うこの小さな修正のなかで、いつも二つの黒の違いを意識する。ひとつは、写真の黒である。ゼラチンシルバープリントの黒は、光によって生まれた銀の像である。撮影された光がフィルムに潜像をつくり、それが現像によって還元され金属銀となり、印画紙の上に定着する。黒は光の結果としてそこに現れる。

 もうひとつは、スポッティングの墨の黒である。墨は光によって生まれたものではない。筆を持つ手の判断によって置かれる黒である。画面の中の一点を見極め、必要最小限の濃度で、できるだけ痕跡を残さないように、塗るのではなく、置く。

 同じ黒ではあるが、両者の成り立ちはまったく異なる。銀の黒は、光と化学反応が作り出した像であり、いわば自然現象の延長にある。一方、墨の黒は、人の手による介入である。

 写真はしばしば、機械的に生成される像だと考えられる。シャッターが開き、光がフィルムに当たり、化学反応が像を作る。そこには人の手の痕跡は少ないように見える。しかし、プリントの最終段階で筆を持つとき、写真は完全に自動的な像ではなくなる。

 白点を見つけ、筆先を置く。その小さな黒は、銀の像の中に紛れ込む。鑑賞者がそれに気づくことはほとんどないだろう。むしろ気づかれないことこそが、この作業の目的である。

 それでも、その一点には意味がある。そこには、光によって生まれた像に対して、人間が最後に触れた痕跡が残っている。銀の黒の中に、わずかに墨の黒が入り込む。

 作業台で筆を置くとき、いつも、その境界に触れているような気がする。光が作ったイメージの黒と、人が置いた物質の黒。その二つが見分けのつかないかたちで同じ印画紙の中に共存する。そのとき写真は、単なる光の記録ではなく、光と人間の行為が重なり合ったものとして、完成する。

2026年3月10日火曜日

写真批評

 金村 修 著「写真批評」


 金村修氏のエッセイが写真界隈で話題になっているので、読んでみた。


 金村氏といえば、かつて『日本カメラ』のモノクロ写真部門で月例フォトコンテストの審査員を務めていた時期がある。その容赦のない選評は非常に魅力的だった。「卓越した、普通にうまい写真」などは、まず選ばれない。どんな写真であれば選ばれるのか、皆目見当がつかないほどカオスな月例だったと思う。

 

 もしかすると、そんな月例だからこそ自分にも勝機があるのではないか——。

 そう思い、その年は一回だけ応募してみたのだが、幸運にも入選して誌面に掲載されたことがある。その際にいただいた選評は、写真の体裁を整える技術など一蹴され、剥き出しの何かが引きずり出されるようなものだった。その言葉は、良くも悪くも一生、僕の心に深く突き刺さっている。それはある種の呪縛と救済のようなものだった。


 その月例で好評を博した金村氏は、翌年から同誌で「金村修に叱られたい!」という連載コーナーも担当されていた。

 そんな金村氏が綴るエッセイが、面白くないはずがない。360ページというボリュームながら、一つの章を読み終えて次をチラ見するたび、どうしても気になって読み進めてしまう。結局、それほど時間をかけずに読了してしまった。

 随所にベッヒャー夫妻やバルト、ポロック、アジェといった名前が登場するため、これらの名に反応する読者なら、随所で立ち止まらされるだろう。


2026年3月5日木曜日

クリスマスローズは走っている

 


 庭先に植えたクリスマスローズが咲き始めた。
 昨年の今頃、静物写真のモチーフにするため、形の異なる三株を買い求め、玄関先で一年かけて育ててきた。ようやく、その花がひらいた。

 日陰を好む植物だからと、わずかな光の差を考えて植え分けた。だが一年後、最も勢いよく葉を広げたのは、皮肉にもいちばん陽当たりのよい場所の株だった。人の配慮など、植物には関わりがないらしい。
 
 撮影のために周到に準備してきたが、花は僕の思惑とは別の時間を生きている。蕾は揃わず、順にほどけ、やがて衰える。一斉に咲いてくれればどれほど楽かと思うが、自然は決して段取りに従わない。
 土門拳は「仏像は走っている」と言った。花もまた、静止しているように見えながら、確かな速度で走り続けている。
 蕾の開き具合を見極める。光の角度を待つ。そのあいだに時は進み、花の相貌もまた移ろう。
 
 ホームセンターで展示用パネルに塗るステインを選び、時間をやり過ごす。準備と逡巡を重ねたのち、ようやくその刻が訪れた。
 ジュラルミンの三脚は冷たく、木製の大判カメラは掌にわずかな温もりを返す。夕刻、窓からの光がゆるやかに衰えていく。

 八重と一重、それぞれの株から、昨夜の雨を含んだ花茎を切る。粉引きの一輪挿しに挿し、形を整える。機材を組み終えてから切るのは、わずかな時間の差で花の均衡が崩れるのを恐れるからだ。

 この日のために一年を費やした。失敗は許されない。

 かつて、プッチーニという品種のカボチャを種から育て、静物として撮ろうとしたことがある。結実せぬまま終わった。翌年、再び種を蒔く気力は残らなかった。
 買ってきた花でも写真は撮れる。だが一年をともに過ごした花には、目に見えない時間が宿る。その時間ごと、写し取りたいと思う。
 
 この日は四枚、シャッターを切った。まだ伸びようとする花茎がある。季節は周期的に雨を降らせ、冬を終わらせ、春へと押し出していく。
 
 そのあいだにも、花は走り続けている。
 僕はそれを追いかける。
 追いながらいつも少しだけ遅れている。

2026年3月3日火曜日

「それは、かつてあった」の残響


 2月3日のエントリーで、ロラン・バルトの『明るい部屋』について書いた。

 そこに記されていた言葉が、半月ほど経った今もなお、心に突き刺さっている。

 そんな心持ちのまま、昨年から撮影したいと思っていた古民家を目指し、風のない、日差しのやわらかな冬の午後に、美濃市までバイクを走らせた。

 自宅から目的地までは一時間ほど。せめて道中だけは軽やかな気分でいたくて、ZARDのアルバム『forever you』を聴きながら走った。

 長良川沿いを北上する。ヘルメットのシールド越しに流れ去る景色を見ていると、河川敷には梅が咲いている。曲も次々と入れ替わっていく。

 「あなたを感じていたい」が流れた。何度も聴いた曲だが、改めて歌詞に耳を澄ますと、これは冬の歌なのだと気づく。



 ボーカルの坂井泉水さんは、2007年に亡くなっている。

 すでにこの世にはいない。そう思った瞬間、軽快だったはずの旋律が、不意にレクイエムのように響きはじめた。

 

 彼女が生きていたころ、その声は、歌以外の何ものでもなかった。

 だが、いまは違う。

 その声は、彼女が確かに存在したという証拠になっている。


 美濃市の旧市街に入り、目的の古民家に到着した瞬間、唖然とした。

 そこにあったはずの古民家はすでに取り壊され、柵の向こうに赤茶色の地面がひろがっているだけだった。

 そこには、もう何もなかった。

 ただ、「それは、かつてあった」という事実だけが残っていた。

 声は残り、建物は消える。

 だが、残ることと消えることに、優劣はない。

 ただ、時間がそうさせるだけだ。

2026年2月21日土曜日

硫肝を作る

 

 僕にとって硫肝は、単なる薬品ではない。


 前回のエントリーで、プリントの銀画像保護と表現のための調色において、硫肝が僕にはどうしても必要だと書いた。

 もう10年以上前になるが、写真用品店で硫肝が売られていたので、500g入りを購入し、それを材料に調色液を作って愛用していた。

 あるとき調色液をうっかりこぼしてしまい、新たに作ろうと思って薬壜の硫肝を確認すると、すっかり酸化して用を成さない状態になっていた。

 以前購入した写真用品店ではすでに取り扱いがなく、薬品メーカーや商社に直接問い合わせても、生産終了であるとか、個人とは取引しないとか、試験研究用にしか販売しないとか言われ、ほとほと困り果てていた。

 そこで海外の写真用品ECサイトから、硫肝を基に調合された調色液を取り寄せて使ってみた。(その時の話はこちら)

 使えないことはないが、調色特性にはどうしても不満が残る。それでも「もうこれしかないんだ」と、無理やり自分を納得させて使い続けていた。

 そんな日々を過ごすうち、写真仲間から「炭酸カリウムと硫黄で硫肝を作れるらしい」という情報を得た。その友人自身は実際に作ったことはないという。となると、ここから先は自分で試すしかない。

 しかし、もしこれがうまくいけば、安価に、しかもいつでも作りたての新鮮な硫肝を手に入れることができる。やってみるだけの価値は十分にあると思った。

 硫黄と炭酸カリウムを熱して反応させることで、ようやく水溶性でアルカリ性を示す『硫肝(多硫化カリウム)』が生まれるのだ。

「硫黄を水に溶かし、そこに印画紙を浸ければ調色できるのではないか?」

 化学的知識がほとんどない自分は、最初そんなことを考えた。しかし、そもそも硫黄は水には溶けない。さらに、印画紙のゼラチン層を通過して金属銀を硫化させるには、ある程度のアルカリ性が必要になる。

 こうして生まれる硫肝は、水に溶け、アルカリ性を示す。だからこそ銀画像に作用できるのだ。

 ちなみに、温泉に硫黄が溶け込んでいるのも同様の作用による。地球内部で硫黄がナトリウムやカリウム、カルシウムなどと結合し、水溶性の物質となって温泉の成分となる。そして、これらが湖に流れ込むと、硫黄の黄色と太陽光の青が混ざり合い、エメラルドグリーンの湖が生まれる。


白水湖(岐阜県大野郡白川村)

 

 写真をやっていると、いろいろなことが分かってきて面白いな、と思う。暗室の中の化学反応が、外の世界の大きな自然現象とつながっている。

 さっそくアマゾンで炭酸カリウムと硫黄を購入した。加熱用の容器とマドラーはステンレス製を用い、硫化水素の発生に備えて、屋外で作業することにした。


 ちょうど持ち手が壊れて、捨てる予定の鍋があったので、それを使うことにした。まるで硫肝を作るために、このタイミングで壊れてくれたかのようで、その鍋を褒めてやりたいくらいだった。


必ず正しい知識の下で、かつ自己責任で、自他ともに安全に気を付けて調合してください!

硫肝(多硫化カリウム)の作り方

・硫黄     10g

・炭酸カリウム 20g

※ 炭酸カリウムを50ccの湯に溶かし硫黄を加えたものを加熱する。ペースト状に近い液体の状態で沸騰した状態をキープし、水分が蒸発したら水を補充し、コーラのような色になり、硫黄が完全に溶けるまで加熱すると、15gほどの硫肝が生成できる。



硫肝調色液の作り方

・自作硫肝(上記で生成したもの)   約15g

・炭酸ソーダ                5g

・水      (総量2リットル)


 さっそく手元のプリントでテストしてみた。結果は、十分に満足のいくものだった。

 調色というプロセスは、単にゼラチン層を透過して銀画像を安定させるだけではない。時としてそれは、見る者の心の壁をも通過し、奥底まで届く力を持つ。




<調色処理> 




<調色前>



 今回はRC印画紙でのテストだったが、バライタ印画紙や事前漂白を組み合わせれば、表現の幅はさらに広がるだろう。その未知の色調を探っていくのが今から楽しみだ。


――結果を報告すると、友人は「これで自由になれた気がするよ」と言ってくれた。

自らの手で知識を編み、技術を習得することで得られる「自由」は、確かに存在するのだ。

2026年2月17日火曜日

銀とその保護、表現について

 写真用フィルムや印画紙には銀が使われている。他の金属は、コスト、光感度特性、毒性、保存性といった点で適さず、選ばれることはなかった。

 白黒写真の場合、フィルムや印画紙に含まれる銀は、現像・定着処理を経て金属銀として像を形成する。感光しなかったハロゲン化銀は定着液に溶解し、取り除かれる。これがゼラチン・シルバープリントである。

 カラー写真の場合も、フィルムや印画紙には銀が含まれているが、処理工程の途中で色素に置き換えられ、銀は取り除かれてリサイクルされる。これは発色現像方式による印画である。

 銀は貴金属であり、化学的には比較的安定しているが、決して万全ではない。

 銀の指輪やネックレスを着けたまま温泉に入ると真っ黒になる。銀の皿やスプーンは、使わなくても経年で黒ずんでくる。シルバーアクセサリーには、意図的に黒ずませる「いぶし加工」という技法もある。古い写真がセピア色に変色するのも、同じ現象だ。

 これらはすべて、空気中に微量に含まれる硫化水素が、金属銀を硫化銀へと変えることで起こる。

 銀分子の密度によって、黒く見えたり、茶色く見えたりする。銀は鉄のように酸化してボロボロになることはないが、最終的には硫化銀という安定形態へと移行する。自然界に存在する銀の多くは、硫化銀として産出する。

 ここで、写真の話に戻る。

 金属銀が露出したままのゼラチン・シルバープリントは、いずれ硫化していく運命にある。長期間プリントを保存しようとするなら、金属銀を何らかの形で保護する必要がある。

 海外では、セレニウム調色液によって金属銀をセレン化する処理が一般的だと思われるが、重金属であるためか、日本国内では入手しづらい。

 セレニウムトナーに代わる次善の策としては、フジのAGガードが挙げられるだろう。これは印画紙表面に保護膜を形成する処理で、銀を化学的に安定化させる方法とは異なるが、色調が変化しないため、僕も使うことがある。

そして、硫化調色である。

 放置しておけば、印画紙上の金属銀はまだらに硫化していく。それならば、最初から一様に硫化させ、安定形態にしてしまえばよい。加えて、モノクロームの表現は白と黒だけではない。茶色を帯びたモノクロームを用いたい場面もある。

 硫化調色の薬品には、硫化ソーダ、硫化カリウム、硫化カルシウムなどがあるが、硫肝(多硫化カリウム)による調色は、僕にとって最も好みの色調を得ることのできる方法だ。

 しかし、写真のデジタル化によって銀塩写真のユーザーは減少し、供給される写真薬品の種類も限られてきた。現在では、市販の硫肝を入手することは、かなり困難になっている。

 硫肝にまつわる話は、また別の機会で。

2026年2月14日土曜日

ケントメアパン200と歩む、新しい日常

 

 

 2025年5月、モノクロフィルムの新作「ケントメアパン200」が発売された。デジタル全盛のこのご時世に、新型フィルムが登場した。世界のフィルム事情はどうなっているんだろうと、驚きと期待が入り混じる。


 これまで常用してきたフォマパン200は、価格と品質のバランスが良く気に入っていた。しかし、ブローニー判に関してはベースが薄すぎて、扱いにくさを感じていたのも事実だ。ケントメアパン200のデータシートを確認すると、フォマパンよりも厚みがある。これは期待できそうだ。


 ブローニーの価格は両者でほぼ変わらない。あとは、画質が自分の好みに合うかどうか。夏の終わりにテスト用の135サイズ1本と、ブローニー5本を注文したが、独自の現像データを作るのに手間取り、ようやく実用段階に漕ぎ着けた。


 僕が愛用している現像液は自家調合のため、メーカーのデータシートに現像時間の記載はない。フィルムを換えるたび、暗室のタイマーを前に「果たしてこれでいいのか」と疑心暗鬼になりながら試行錯誤を繰り返す。


 仮にデータシートに目安が載っていたとしても、それをどう運用するかは撮り手次第だ。僕は、ネガ現像にかなりのこだわりを持っている。階調、粒状性、そしてシャープネス。この処理工程にこそ、作者の性格が露わになると思っているからだ。


<作例>

 


 Canon EOS Kiss III / EF50mm f1.8 STM /  KENTMERE PAN200 (EI100) /

  Stoeckler Two-bath Film Developer /  SILVERCHROME FLEXGRADE RC Matt


 仕上がりは、まったく不満のないレベルだった。心配していた粒状性も十分に満足できる。データシートには「コントラストが高め」との記述があったが、減感(EI100)して現像することで、ほどよく抑制された印象だ。


 僕の愛用する現像液は、感度を稼げるタイプではないため、公称感度から下げて露光することになる。この現像液には粒子の溶解作用があり、微粒子化されることで階調の繋がりが良くなる特性がある。


  一方で、全体が甘い描写に寄ってしまう傾向があるため、コントラストの境界(輪郭)でシャープネスを出すように処理を工夫している。決して「個々の粒子を立たせて全体をカリカリに見せる」ようなシャープネスではなく、あくまで滑らかなトーンの中に芯のある表現を目指しているのだが、ケントメア200は見事にそれに応えてくれた。


 これから、僕のブローニー判のメインフィルムはケントメアパン200になりそうだ。


2026年2月10日火曜日

生成AI画像とストゥディウム、写真表現のこれから・・・

 前回のエントリーで、ロラン・バルト著『明るい部屋――写真についての覚書』(1997)について書いた。

 そこで今回は、改めて生成AI画像との関連について考えてみたい。生成AI画像は、プロンプトによって生成される。プロンプトとは、当然のことながら言語を用いてAIに指示を与える行為である。

**

 バルトは、文化的に理解可能で、誰もが共有できる意味――すなわちコードの領域を「ストゥディウム(Studium)」と名付けた。

 一方で、ときにそのコードが通用しない瞬間が訪れる。見る者を突き刺すような、「意味になりきらない何か」。バルトはそれを「プンクトゥム(Punctum)」と呼んだ。

**

 プロンプトは、誰もが共有できる意味によって構成されていなければならない。つまり、言語化可能なストゥディウム的イメージこそが、生成AIの得意分野であると言える。

 前回のエントリーで触れた例をプロンプト化し、実際に画像を生成してみた。その結果が次のとおりである。



プロンプト

「日本の伝統行事の稚児行列に参加しようとしている化粧をした子供に、窓からの斜光線がその顔を照らしている画像」

生成結果


 意外なほど、うまく生成されているのではないだろうか。

 もし、このようなモチーフを対象に実際に撮影していたとしたら、「結果としての画像」だけを求めるのであれば、生成AIは極めて親和性が高い存在であると言える。

 他にも、

 「ひまわり畑とドクターイエロー」

 「ひなびた駅のホームで、白いワンピースを着た女性がトランクを持つ風景」

 「山城と月」

 それらは、SNSで「映える」画像は言語化が容易であることに気づかされる。


 この技術の登場は、写真表現において一つの転換点になるのではないだろうか。過去にも、似たような転換点があった。


<写真と印象派以降の類似性>

 19世紀、写真が「現実の忠実な記録」という役割を担うようになったことで、画家たちはそれまでとは異なる、多様な表現へと向かっていった。

 印象派は光や瞬間の印象を追求し、キュビズムは多視点の同時表現へと踏み込み、抽象画は形態や色彩そのものを探求した。写実という「機能」から解放されたことで、人間にしかできない表現が模索されていったのである。


<生成AIによる新たな分岐>

 生成AIが「言語化可能なイメージ」を高精度で生成できるようになった今、アートは次のような方向へとシフトしていくのかもしれない。

・言語を超えた領域

 ――プロンプトでは記述できない曖昧さ、矛盾、無意識的要素の追求

・物質性・身体性

 ――デジタルでは再現不可能な素材の質感や、制作プロセスそのものの価値

・偶然性と予測不能性

 ――アルゴリズムの確率的生成とは異なる、「真の偶然」との対峙

・文脈依存の体験

 ――特定の空間・時間・鑑賞者との関係性の中でしか成立しない作品

 もっとも、写真が登場しても写実絵画が消えなかったように、生成AIの時代になっても、従来と同じ表現を続ける人はいるだろう。結果として、多様な表現が共存していくはずだ。


 そんな時代に、僕はどこへ向かおうとしているのだろうか。少なくとも、言語化できた時点で安心してしまうような表現ではない。「何が写っているか」が説明できた瞬間に、役割を終えてしまう場所には立っていないつもりだ。

2026年2月3日火曜日

明るい部屋

 

ロラン・バルト著「明るい部屋―写真についての覚書」(1997)


 ロラン・バルトの『明るい部屋――写真についての覚書』。 写真論の古典でありながら、僕はこの本を手に取るのを長く避けてきた。みすず書房の重厚な装丁、そして翻訳特有の「……するところのもの」といった難解な言い回し。ページをめくる前から、その手強さを想像していたからだ。しかし、敢えてそこに踏み込んでみた。分からない部分は分からないままでいい。


 以下は、この難解な迷宮をアリアドネの糸に導かれ、僕なりに咀嚼し、たどり着いた景色である。

*この本にはアリアドネの章もあったので援用してみた。



「ストゥディウム」

 写真は一見、現実をありのままに写し取っているように見える。しかし実際には、僕たちは無意識のうちに多くの「コード(規則)」に支配されながら、その像を解釈している。コードとは、撮影者の視点であり、僕たちの「認識の枠」の一部を形成している。


 バルトは、この文化的に理解可能で、誰もが共有できる意味の領域を**「ストゥディウム(Studium)」**と呼んだ。


 たとえば、日本の伝統行事の稚児行列に参加しようとしている化粧をした子供の写真があるとする。窓からの射光線がその顔を照らしている。「これは伝統の記録であり、光の使い方が効果的だ」……。そうした容易に言語化できる要素の集積がストゥディウムである。


 SNSに溢れる「映える」写真もまた、まさにストゥディウムの塊だ。また、バルトによればポルノもまたストゥディウムに属する。それは実用的で明白であり、何が写っているかを即座に言語化できるからだ。

 対して「エロティシズム」は、写っていない何かを想起させ、鑑賞者の内面を揺さぶる。それはもはやストゥディウムの領域ではない。

 エロ本は、その内容がエロティシズムではなくポルノなので、エロ本という言い回しは間違っていることになる。と、思った。

 

「プンクトゥム」

 時としてそのコードが通用しない瞬間が訪れる。バルトが**「プンクトゥム(Punctum)」**と名付けた、観る者を突き刺す「意味になりきらない何か」である。


 プンクトゥムは、鑑賞者が個人的に「感じてしまう」ものである。通常、鑑賞の主体は人間であり、写真は客体に過ぎない。だが、ニーチェが「深淵をのぞき込むとき、深淵もまたこちらをのぞき込んでいる」と言ったように、プンクトゥムが発生する瞬間、主客は逆転する。写真の側から、こちらを刺しに来るのだ。


 バルトは写真を「俳句」に例えた。五・七・五という形式の中で、用いられている単語のの意味以上のものが、ある細部から見えてくる。写真もまた、静止した像の裂け目から、僕たちの認識を根底から揺さぶってくる。

 

「みるための時計」としてのカメラ

 カメラという装置は、もともと家具や時計の技術から派生したものだという。そう考えると、写真はまさに**「みるための時計」**なのだとバルトは言っている。


 ここで一つの疑問が浮かぶ。プンクトゥムは鑑賞者に発生するものだが、では、その状況をすべて知っている「作者自身」が自作を見たときはどうなるのか。


 撮影時の僕は、たしかに「意図を持つ主体」であった。しかし、相応の時を経て自作に対面したとき、僕は「ただの観者」へと変貌する。かつての自分が捉えたはずの背景、忘れていた身振り、今は失われた場所……。それらは「今となっては失われてしまった事物」として、無慈悲に僕を突き刺す。


 作者は、自分が写した「かつての自分」という名の存在に射抜かれる。写真は、時間がもたらす不可逆性を突きつける、最も精緻な時計である。ただし、その時計が動くためには、「時間の経過」という残酷な発酵が必要なのだ。


「それはかつてあった」という狂気

 第一部の最後で、バルトはそれまでの分析的な態度を投げ出す。「今まで書いたことは、やっぱりなかったことにして、もう一回考え直す」という驚くべき前言取り消しを行い、第二部へと突入する。


 これは第一部が誤りだったからではない。分析という「ロゴス(論理)」を捨て、写真がもたらす「パトス(情念)」の深淵へと飛び込むための儀式だったのだ。


 バルトは写真の本質を、**「それはかつてあった」**という狂気であると結論づけた。 狂気とは何か。それは、過去のある瞬間が、時間を超えて「今、ここ」に存在する矛盾そのものだ。


「かつて在った」という確信と、「今はもういない」という喪失。この矛盾が同時に突きつけられたとき、理性を超えた剥き出しの感情が立ち上がる。これこそが写真の孕む狂気である。


 僕もまた、ずっと以前、毎年海外へ撮影に出かけていた。その頃の写真を見返すたび、「もうこんな写真は二度と撮れない」と痛感する。今の僕はあの頃の僕ではなく、被写体となったあの場所もあの人も、もう存在しない。その事実が僕を射抜くとき、僕はプンクトゥムという名の狂気に触れている。


 バルトは、写真を本当によく見るためには、時として写真から顔を上げるか、あるいは目を閉じてしまう方がいいと言う。

 コード化された意味から自由になり、心の奥底で立ち上がってくる印象に身を任せる。そのとき、写真は単なる記録であることをやめ、二度と繰り返されることのない「一回性」の痕跡として、僕たちの実存に触れてくる。


 「ただ一度しか起こらなかったこと」を、理解可能な形式へと変換してしまうのがコード化だとするならば、そこから漏れ出した「痛み」こそが写真の正体なのかもしれない。その裂け目は僕たちの認識を壊すが、同時に、新しい世界を見るための枠組みを形成する契機ともなるのだ。

2026年1月24日土曜日

水中木、冬

 


 異例の積雪だった。

 伊吹山麓に雪が積もることは珍しくないが、湖岸がこれほど白く染まることは、そう頻繁にあるわけではない。雪景色の撮影には、またとない好機だった。幸いにも今日は仕事が休みで、自由に動ける一日でもあった。

 道中、雪道を走るリスクはあったが、「無理なら引き返せばいい」と自分に言い聞かせ、湖北へと車を走らせた。フロントガラスの向こうに広がる白さが、次第に現実味を帯びてくる。

 目的地は、多くの写真家を惹きつけてやまない水中木だ。

 僕も何度となく足を運んできた場所だが、冬になると水位が下がり、根元は小さな島のように姿を現す。その地表に雪が積もる光景を、いつか撮りたいと、長く心に留めていた。今回の降雪は、まさにそのために用意された時間のように思えた。

 昼頃に現地へ到着し、まずは数枚シャッターを切る。曇天とはいえ、日中の光はまだ強く、ND400を装着して長秒露光を試みた。その後は近くの喫茶店に入り、読書をしながら光が落ち着くのを待った。

 夕方、完全に太陽が山の向こうに落ち、湖畔に静けさが戻る瞬間を見計らって、最後の一枚に向き合う。

 昼間に撮った写真には、樹木に付着した雪の質感が、より克明に刻まれているだろう。だが、光の階調は夕方の方が美しいはずだ。遠方に浮かぶ沖島が、淡く輪郭を取り戻していく様子は、息をのむほどだった。構図もレンズの選択も、昼間とは変えている。

 個人的には、日没後の繊細な光を好んでいる。とはいえ、昼の描写が劣るわけではない。昼は150mmと300mmで対象を確かに捉え、夕刻には500mmで、その場に漂う空気ごと凝縮するようにシャッターを切った。

 使用した500mmは、山崎光学研究所のテレ・コンゴー500mm F9.5である。同社が業務を終える前年に新品で購入したものだ。この焦点距離を必要とする場面は多くなく、いつしか持ち出す機会も減っていった。一時は、手放してしまおうかと考えたことさえある。
 
 だがこの日、広角から望遠まで万全を期してレンズを携行した判断が、静かに報われた気がした。もしこの一枚が、思い描いていた通りに写っているのなら、このレンズは名実ともに、僕の「愛用の一本」と呼べる存在になるだろう。

 結果がどうであったかは、現像してみるまで分からない。

 うまく写っていないかもしれないし、暗室での工程で失敗する可能性だってある。
それでも、雪を掻き分け、踏みしめながら、コハクチョウの鳴き声を背に撮影に没頭した時間は、確かな記憶として身体の奥に残った。

 それだけで、もう十分だった。

2026年1月20日火曜日

ローライコード4

 


 15年くらい前に、ローライコード4(Ⅳ)を買った。あまり出番が多いカメラではないが、今のところ手放そうと思ったことはない。
 
 最初に買った二眼レフはヤシカマット124Gだった。二眼レフ固有の独特の構え方や、左右が逆に映るファインダー像、6×6フォーマットに馴染めずにしばらく使わないでいるうちにシャッターが不調を来たし、すぐに手放してしまった。
 ニューマミヤ6を使うようになり、6×6フォーマットには慣れた。大判カメラを使うようになり、上下左右逆のファインダー像にも違和感がなくなった。

 そんな折、再び二眼レフを使いたくなり、マミヤC330fを入手した。これはとても良いカメラだった。しかし、とても大きく重く、大判カメラと使用場面が重なるため、ほどなく手放した。マミヤCの重さに閉口した経緯もあり、次に探したのは軽い機体だった。
 チェコ製のフレクサレットの上品なデザインに魅了され、購入したが、ファインダー像があまりにも暗く、フードの取り付け規格が専用品であり、他社製を流用することも出来なかった。自分で分解清掃しているうちに、元に戻せなくなり、これも手放してしまった。いくらデザインが気に入っても、他の部分が満足出来なかった。

 それまでの経験から学んだことは、自分が探すべき二眼レフは軽くて、フードやフィルターが使いやすい汎用規格で、ファインダー像が明るいものが理想ということになる。最初からこの結論に辿り着けそうなもんだが、やってみないと分からなかったのだ。

 二眼レフは、とても種類が多い。国産ならリコーフレックス、プリモフレックスあたりが今はいいかなと思う。ミノルタオートコードも魅力的だが、僕には立派過ぎるし重い。
 ニ眼レフで有名なのは、ローライフレックスだと思うが、それゆえ高価で重い。

 二眼レフは僕にとって、写真活動の気分転換をするためのカメラという位置づけになることは予感していたこともあり、真剣には探していなかったが、今は無きtokyo-photo.netのフォーラムで、ローライコード4を推しているメンバーがいた。

 調べてみると、軽くて、フードは当然BAY1の汎用規格で、しかも比較的安価である。オークションサイトで、スクリーンを明るいものに交換して整備済みのものを購入した。当時、4万5千円ほどだったが、今もあまり相場は変わっていない。

 手元に届いて、子細にカメラを観察してみたが、作りも良くとても満足な買い物であった。右側のノブでピントを合わせて、レバー式のシャッターで撮影する。テッサータイプのレンズ構成で、キリッとした写りだ。このローライコード4を入手してから15年経つが、他の二眼レフを買おうという気にはならないため、僕にはローライコード4が最適解だったのだ。

 

2026年1月14日水曜日

ペンタックスSPと歩む豊かな写真ライフ

 

 

 普段はマニュアルフォーカスの機械式一眼レフ、ニコン New FM2 を愛用しているが、万が一のサブ機として、 ペンタックス SP を購入した。これが、4年前のことになる。


 ただ、これは自分でもかなり強引な言い訳だと振り返ってみると思った。New FM2はすこぶる調子がいいし、仮に故障したとしても、修理中に代わりを務めるカメラは既に手元にある。結局のところ、そんな理屈はどうでもよくて、New FM2よりも20年ほど前の時代のこのカメラを、ただ使ってみたかっただけなのだろう。


 ペンタプリズムにアクセサリーシューがない、すっきりとしたデザイン。今となっては珍しい「絞り込み測光」。そして汎用性の高いM42マウント。実際に手に取ってみると、巻き上げレバーの手応えやシャッターを切ったときの感触がとても心地よい。その質感は、僕が使っている現行品のライカ M-A にも決して劣っていないと感じる。

 ただ、やはりファインダー像は、New FM2よりもかなり暗くざらついている印象はある。まだ発展途上のカメラであったことは否めない。

 かつてのベストセラー機ということもあり、中古市場には今も豊富に出回っていて、価格も手頃だ。55mm F1.8のレンズ付きで1万円ほど。135mm F3.5は不人気ゆえか1,000円くらい。少し高価な35mm F2も1万円ほどで手に入った。


 オールドレンズの定番といえば「Super-Takumar」が人気だが、僕はあえて次世代の「Super-Multi-Coated Takumar」で揃えた。これらはいわゆる「放射能レンズ」で、硝材に酸化トリウムが使われているため、入手時はかなり黄色く変色(黄変)していた。特に35mm F2の変色はひどいものだった。


 僕は黒白(モノクロ)フィルムしか使わないが、できるだけ普通のレンズとして使いたかったので、UVライトを二日間ほど照射して黄変を除去した。それでも完全には消えず、わずかに色が残っているが、それも味だろう。


 SP用の水銀電池「H-B」はすでに生産終了しているため、関東カメラサービスのアダプターを導入した。このアダプターは電圧を調整してくれる優れものだが、いかんせん60年前のカメラである。露出計の精度を確認したところ、低輝度側で2段ほどズレが生じていた。しかし、極端に暗い場所で撮ることは稀なので、実用上の問題はない。


 フィルムカメラを安価に楽しむには、これ以上ない選択肢かもしれない。100ft(フィート)の長巻から切り出した1本あたり500円前後の黒白フィルムを使い、自分で現像してスマホでネガスキャンする。そんな工夫を凝らす時間も含めて、豊かな写真ライフを味わえそうだ。

 ただ、最初からこの境地にはたどり着ける者は多くはない気がする。 

2026年1月10日土曜日

在庫という名の安心


 ここのところ、まち歩きのスナップが楽しくて、135フィルムをよく使っている。
一年で100ftフィルムを一巻(缶)、消費するくらいのペースだ。

 先日、フィルムをパトローネに巻き取るためのローダーに、新しいフィルムを装填した。ローダーは普段、冷蔵庫で保管し、必要な分だけを切り出して使っている。気がつくと、未開封の100ftフィルムがなくなっていた。補充しなくてはならない。

 いつも利用していた海外のECサイトで注文しようとしたが、ユーロがあまりにも高くなり国内で購入するのと、価格的な差がほとんどない。おそらく、近いうちに国内で販売されているものも、次の輸入ロットでは為替の影響を受け、値上がりする可能性があるだろう。それに加えて、フィルムや印画紙に必要な銀の相場が高騰しているという話も耳にする。

 安くなる要素は、今のところ何も見当たらない。
 
 そんな情勢なので、国内で入手できる価格が変わらないうちに、2巻(缶)注文しておいた。これで、おそらくあと3年は大丈夫だ。もっと在庫しておいてもいいのかもしれない。しかし、今後も135フィルムを多く使うとは限らないし、そもそも写真活動そのものに興味が薄れる時期が来るかもしれない。過度に長期保管するリスクも、頭の片隅にある。

 それに、もしかしたら「何か」の要因で、為替や銀価格のトレンドが変わり、今よりも安くなる可能性だって、ゼロではない。可能性はかなり低いが、それでも、そうならないとは言い切れない。

 現在、フォマパン200の100ftフィルムは9000円ほどで、そこから36枚撮りが18本取れる。1本あたりにすると、500円くらいだ。20年ほど前、もっと性能の良いフィルムが1本150円程度で手に入ったことを思えば、ずいぶん高くなった。それでも、500円で踏みとどまってくれていることに、感謝すべきなのかもしれない。

 ここまで書いて、やっぱり心配になってきた。
 近いうちに、あと2巻(缶)注文して、心の平安を得ようと思う。

 

2026年1月6日火曜日

認識を助けるための、忘却

 

PENTAX SP Super-multi-coated Takumar 55mm f1.8

Fomapan200(EI100)  Stoeckler Two-bath Film Developer

SILVERCHROME FLEXGRADE RC Matt

 フィルム写真は、撮影後すぐに確認することができない。後で見返してみると、なぜこんな写真を撮ったのか自分でも分からないものがある。意図的に撮ったのか、あるいは事故的にシャッターが切れてしまったのか、それすら判然としない。

 現像するまで結果が分からないその時間を「楽しみ」だと言う人は多いが、僕個人はそう思ったことはない。デジタルカメラであれば即座に確認し、失敗していれば消去して撮り直すだろう。フィルムでも同様のことが可能なら、おそらくそうしてしまっている。

 デジタルカメラにおける「即座の消去」は、「現在の自分」の価値観による検閲とも言える。撮影した瞬間の自分にとって「失敗」と見なされたものは、その場で存在を抹消され、未来の自分に届くことはない。

 それならば、デジタルカメラでの「失敗作」も、消去せずに保存しておけば良いのかもしれないが、僕の場合、デジタルカメラでの撮影目的は、あくまでも「記録」なので、意図に反したものは、消去したい性分なのだ。
 
  しかし、その「効率の良さ」が必ずしも良い結果に結びつくとは限らない。

 フィルムの場合、結果を見るには待たざるを得ない。「待つ」と言っても、僕の場合は自分で現像しているため、未現像のまま保管している時間が長いというだけのことだ。フィルムは、ある程度溜まってから作業した方が効率も良く、現像液の節約にもなる。

 結果として、撮影から暗室でプリントするまでには、ある程度の月日が経過することになる。そこには思わぬ効用がある。時間が経つことで、撮影時の記憶があいまいになっていくのだ。それは、画像を暗室で再構成する際、良い方向に働く。撮影時の主観的な感情が薄れることで、自身の写真を客観視できるようになるからだ。

 「待つ」という行為は、単なる効率化ではなく、それは、「自分」というノイズが消えるのを待つための熟成期間なのかもしれない


 撮影した瞬間の「僕」と、数ヶ月後にネガを見る「僕」は、別の存在である。時間が経過することで、かつての自分の感情というバイアスが剥がれ落ち、純粋な「対象」として写真に向き合える。「忘却」が「認識」を助けてくれる。

 この写真も、撮影した記憶が全くない。しかし、ピントも露出もそれなりに合っている。何かの弾みでシャッターが降りたわけではなさそうだ。気になって、小さな印画紙にさっとプリントしてみた。

  仕上がったものを見ても、やはり「これは何だ」という感覚は拭えない。だが、そのわけの分からなさが面白い。自分でもこれ以上どうしようもない写真なので、「このネガを丁寧に焼き直そう。」とまでは思わない。

 ただ、こうして図らずも撮れてしまった写真が、表現の新たな出発点になることはある。

2026年1月4日日曜日

ノイズに耳を澄まし、目を凝らす


   


  昨年を振り返ってみると、古楽をよく聴いていた。聴き始めの頃は知識がなく、十六世紀の音楽家ジョン・ダウランドのリュート作品ばかりを繰り返し聴いていた。

 なんて心癒される音色だろうと思った。

 他のリュート作品も聴いてみたくなり、オムニバスCDを手に取った。すると、音色や奏法に随分と違いがあることに気づいた。
 
 調べてみたところ、リュートにはルネサンス様式とバロック様式があるらしい。僕が聴いていたジョン・ダウランドはルネサンス様式である。 バロック様式では、リュートを大型化したテオルボという楽器があり、かなり低音が出る。音域がとても豊かである。 テオルボの作品を調べて、今村泰典さんの「バッハの《無伴奏チェロ組曲》」を、ダウンロード購入してみた。 (YouTube でも視聴できるみたい。) 

  僕は、音楽にはまったくと言っていいほど門外漢で、音楽理論は分からないので、理性ではなく感性のみで鑑賞することになる。

 知識がないことは、悪いことばかりではない。器楽曲であれば、耳から脳に届く情報を理性で分析することなく、感性のまま受け止めることができる。日本語の歌詞が入った曲だと、理性で意味を解釈しないわけにはいかないため、そうはいかないが。

  リュートのようなソロの演奏を聴いていると、手のひらがネックを滑る音や、袖が弦に触れたときの音に気付く。

 DTM(コンピューター打ち込みの音楽)では、身体行為に付随するノイズは発生しない。ノイズは一般に雑音とされるものだが、そういったノイズは快なのか、あるいは不快なものなのか?僕には快く聴こえるため、好意的なものとして捉えている。

 耳に届く「身体的なノイズ」が音楽に奥行きを与えるように、視覚表現におけるノイズもまた、単なる雑音以上の意味を持ち得るのではないか。

 フィルム写真の世界を振り返ると、現像ムラや傷、埃といったノイズは、かつては徹底的に忌避される対象だった。しかし、いつの頃からかこのノイズを表現手段とする作品が見られるようになった。

 フィルムの最初と最後のコマの、半分しか露光されていない像を積極的に面白がるのも同じ感覚だと思う。 先日読んだ村上隆氏の「芸術闘争論」の文中に、視線誘導をするため、ノイズを意図的に描くこともある。というくだりがあった。僕の場合、現像ムラがあるネガは、即座に失敗と判断し、傷や埃によるスポットは、印画紙に修正を施し、その存在を消してきた。 

 リュートの弦が擦れる音を愛でるように、これからは写真に現れるノイズもまた、一つの「音色」としてその可能性を模索してみたい。



2025年12月29日月曜日

認識の枠とストリートフォトグラフィー


PENTAX SP Super-multi-coated Takumar 55mm f1.8

Fomapan200(EI100)  Stoeckler Two-bath Film Developer

SILVERCHROME FLEXGRADE RC Matt


 ストリートフォトグラフィーとは、まちを歩き、偶然に現れた現実を即時に撮影したもの、と定義づければよいだろう。


 先人たちの巨匠の作品には、人が写っている場合が多く、そこには人間ドラマがあり、いわゆる決定的瞬間が写し取られていた。


 二十一世紀に入り、インターネットが普及し、誰もが撮影した画像を公衆の面前に晒すことが可能になった頃から、写真を撮る人々は肖像権に対して、より神経質になっていった。それは、社会全体が「ホワイト化」していく流れとも無関係ではないだろう。


 そのような情勢の中で、人が写り込んだ写真を撮影する者は、次第に減少していった。


 新聞の三面記事を眺めていると、盗撮で逮捕という報道を頻繁に目にする。こちらにその意図がなかったとしても、いつ自分が犠牲の祭壇にまつり上げられるか分からないと思えば、人を撮ることに慎重になるのも無理はない。


 結果として、人が写り込んでいたとしても個人が特定できない状態であったり、撮影対象そのものが都市風景や物体へと移行していった。僕自身も、カメラを提げてまちを歩くときは、自然とそのような撮影スタイルになっている。



PENTAX SP Super-multi-coated Takumar 55mm f1.8

Fomapan200(EI100)  Stoeckler Two-bath Film Developer

SILVERCHROME FLEXGRADE RC Matt



 カメラという装置を用いてまちを撮影する行為は、絵画などの表現手法とは異なり、「無意識」と直結、もしくはより近い領域で作用しているのではないだろうか。


 絵画は、構図や色彩の選択など、理性が介在する余地が大きい。ジャクソン・ポロックは、理性を排除し無意識と接続するためにアクションペインティングという手法を採ったが、それは偶然性に身を委ねたというよりも、理性ではなく無意識によって制御された行為であったと言える。


 感性、悟性、理性の順に意識は深まっていくが、ストリートフォトグラフィーは、出会い頭に撮影が完了する表現であり、その多くは感性の領域で完結する。


 一方で、風景や静物に取り組む際には、構図や露光時間を吟味するなど、理性の働きが大きく関与する。そこには、写真表現の別の位相が存在している。


 ストリートフォトグラフィーは、感性の無意識領域で世界にアクセスする必要がある。そのため、以前のブログに書いたように認識の枠を揺さぶるための内面の再編成、意識的な努力と深い内省が不可欠だと改めて思う。


  哲学は、答えではなく問いである。知識ではなく道具である。と、つくづく感じる。


Nikon FG Ai Nikkor 50mmF1.8S

Fomapan200(EI100)  Stoeckler Two-bath Film Developer

SILVERCHROME FLEXGRADE RC Matt