2025年12月16日火曜日

選ばなかったカメラを今・・・

 

 先月、ニコンFGを手に入れた。

 40年以上前に発売された、小さなフィルム一眼レフ。その存在に、今あらためて触れてみたくなった。


 発売は1982年(昭和57年)。

 当時の僕は中学一年生。欲しいカメラを夢中で探していた頃で、各メーカーに葉書を書けば、数日後には分厚いカタログが郵便受けに届いた。インターネットも比較サイトもない時代。情報とは、自分で取り寄せ、自分で比較し、自分の時間で眺めて噛みしめるものだった。


 その頃の僕にとって、FGは「入門機」のイメージが強く、候補からは外れていた。

 当時のニコンの一眼レフを、今あらためて振り返ると、こんな感じ。


入門機:EM、FG


中級機:NewFM2、FE、FE2、FA


高級機:F3シリーズ


(これはあくまで当時の僕の感覚ね。)


 キヤノン、ペンタックス、ミノルタ、オリンパス。あれこれ迷った末、最終的に選んだのは、精度の高い電子制御式シャッターを搭載したFE2だった。「電池を入れるなら、機械式にこだわる必要なんてない」と、あの頃は信じて疑わなかった。機械式シャッターのNewFM2は選択肢にすら入らなかった。


 そのFE2は、写真専門学校に進学した友人の当時最先端だったAFカメラのミノルタα7000と交換して、今は僕の手元にはない。


 当時FGを評価できなかった理由は単純だった。スペックだ。


 最高シャッタースピードは1/1000秒。シンクロは1/90秒。

 対してFE2は1/4000秒に、シンクロ1/250秒。未来を感じた。


 しかし、あの時代、日本の工業製品はすでに十分すぎる性能を備えており、「更に高いスペック」を競い始めていた。

 カメラにおいても同じで、実際には使わないような機能が積み上がっていく時代だった。


 FGは、入門機のEMの上位版。デザインは正式に「ジウジアーロ」とは表記されないが、EMやF3と同じ血筋を感じる。


 そして時は流れ、21世紀に入り、さらに四半世紀が経った現在。


 電子制御式シャッターを搭載したカメラを「クラシック」と呼ぶには抵抗があるが、それでも製造から40年以上が経ったカメラだ。

 今、スペックを求めてこの手のカメラを選ぶ理由はない。最高シャッタースピードが1/500でも困らないし、ストロボなんて最後に使ったのはいつだったか思い出せない。


 結局のところ、写真はレンズで決まる。――コンタックスの言葉が、今は当時よりずっとよく理解できる。


 ニコンのMF機としては、2004年に手に入れたNewFM2をずっと使っている。サイトを始めて間もないころに知り合ったイケガワさんと僕が使っていたコンタックスのアリアと交換した。もう21年経ったのかと思うと、時の流れは本当に容赦がない。


 そんな中で、今回手に入れたFGは、僕の手元にある唯一の電子制御式シャッター機となる。フィルム現像の現像時間のテストデータを作るためには、信頼できる精度の電子制御式シャッターが適している。


 露出モードは、絞り優先AE、プログラムAE、そしてマニュアル。

 プログラムは、どうも表現という行為と相性が悪い。だからこのカメラでは、絞り優先AEがほどよく思える。測光は中央部重点平均測光。必要なら露出補正ダイヤルを回せばいい。


 ボディ左側には、+2EV補正のボタンがある。入門者向けなのだろうが、これを適切に使いこなせた初心者は、当時すでに初心者ではなかったはずだ。



 各所にロックが設けられた操作系は、親切であり、少しばかり煩わしいが、当時の設計思想を感じる。

 巻き上げは小刻み対応。巻き心地は「グイー、グッ」とした粘りのある感触。嫌ではない。むしろ心地よい。

 ファインダーは明るく、ピントの山は掴みやすい。AF時代の入門機より確実に良い作りだ。


 ファインダー内表示はLED。F値表示はないが、それで十分だと思えるのは、年齢のせいか、それとも経験のせいか。


 シャッタスピードダイヤルの文字表示は刻印。NewFM2では印刷になっている。

 時代の変化が、ディテールに宿っている。


 シャッターボタンを押すと、ミラーショックが手のひらに伝わる。

 それが上がる瞬間か、戻る瞬間か――できれば後者であってほしい。そうでなければ手ブレが気になる。けれど、この小さなカメラにそれを求めること自体、もはや野暮だろう。


 NewFM2では内部でショックが吸収されているように感じるが、FGの素朴さも悪くない。


 かつて「選ばなかった」カメラを、こうして今になって手に入れている。


 時代が用意し、時間が熟成させ、そして自分自身の認識が変化したとき、初めて手にする機械がある。若い頃は数値と未来を追い、いまは質感と体験を選ぶ。

 FGは、そうして今、僕の手元にあり、選ばなかったことも、選んだことも、いまこうしてフィルムに光を刻んでいる。


2025年12月12日金曜日

河口の額とエポケー

 


 久しぶりに大判カメラを持ち出し、夕闇が忍び寄る薄暮の琵琶湖を撮ろうと思い、長浜へ向かった。


 午後三時には現地に着いたものの、僕が思い描いていた風景はそこにはなかった。風の強弱、空気の質感、雲の密度、湖の水位──それらの微妙な組み合わせが、僕の撮影意欲を決定づける。この日の琵琶湖は、その条件を満たしてはいなかった。大判カメラでの撮影は、早々に諦めることにした。


 ただ、このまま帰るのは惜しい。そこでニコンFGを肩に掛け、湖岸を歩いて姉川河口へ向かうことにした。柳を中心とした雑木林が防風林のように続き、その薄暗い道を抜けると、一気に視界が開けて砂浜に出た。頬に冷たい風が触れ、ようやく季節が深まりつつあることを肌で知る。


 湿度が低く、空気が澄んでいるからだろう。対岸の湖西の稜線まではっきりと見える。安曇川のあたりには低い雲がかかり、そこから雨柱が斜めに地上へ落ちていた。夏の積乱雲が落とす直線の雨とは違う。比良おろしにあおられてゆっくり傾く、その晩秋らしい雨柱を、僕はしばらく眺めた。


 夏の間に繁茂した水草は、浜辺に打ち上げられて厚く堆積し、その上を波が運んだ砂が覆っている。砂浜を歩いているはずなのに、踏みしめる足裏は布団のようにふかふかと沈み、歩みが思うように進まない。


 ところどころには、鳥に食べられた魚の骨、割れたくるみの殻、そしてペットボトルなどのゴミが漂着していた。きっと秋の終わりから吹きはじめる比良おろしに乗って、このあたりへ運ばれてきたのだろう。


 この日はさほど風が強いわけでもなかったが、姉川の河口では、琵琶湖側から逆流するように波が押し寄せていた。短い秋の陽光がその河口に反射し、薄鈍色の光をゆらゆらと揺らしている。


 その波打ち際に、小さな木製の額が落ちていた。どんな旅路を辿って、ここまで流れ着いたのだろう。僕はそれを拾い上げ、風と日差しの下でしばらく乾かした。塗料は不規則に剥がれ、ところどころ下地が覗いている。木の地肌がむき出しになった部分には、流されてきた時間がそのまま刻まれていた。


 それは、人が意図して作り出せる状態ではない。美しいのか、あるいはただ劣化したゴミにすぎないのか──どちらとも言い切れない宙ぶらりんな感情だけが胸に残る。結論を出せないまま、僕はそっとカバンにその額をしまった。


 僕は写真作品をつくるとき、工程そのものよりも「待つ時間」を大切にする。撮影、ネガ現像、引き伸ばし──どれも、一つを終えたあと次へ進むまでに、数日、ときには数週間をおく。その間に読んだ本や会った人の言葉が、じわりと自分の確信を形づくっていく。そして確信が満ちたころ、静かに作業に向かう。


 拾った額についても、同じように判断を保留し、エポケー(判断停止)の中に置いておこうと思う。エポケーは、忘れ去ることではない。問いを無意識領域に落とし込む作業である。


 いつか、この琵琶湖に洗われた額を「美しい」と思える日が来たなら、そのときは丁寧に手入れして、ふさわしい一枚の写真を入れてやりたい。

 その写真は、きっとこの額の旅路を尊ぶような一枚でなければならない。





2025年12月9日火曜日

形而上のレンズ交換

 

 18世紀のドイツの哲学者カントは、人が世界をそのまま捉えるのではなく、ある種の枠組みを通して認識していると述べた。

 その考えを借りつつ話を進めると、世界をどのように認識するかは、個々の経験や先入観、文化的背景によって影響される。つまり、僕たちは世界そのものをそのまま認識するのではなく、無意識的な枠組みによって変形されたものを認識している。深層心理と言ってもいい。

 認識は単なる外的な世界の反映ではなく、無意識的な枠に基づいて選別された結果であり、その枠に縛られるため、物事を枠からはみ出した、思いもよらない方法で認識することはできない。

 図にあるように、現象を認識の枠というフィルターを通すと、クローズアップされたり、切り捨てられたり、本来なかった物が意識の場に出現したりする。

 写真を撮る瞬間、何を「美しい」と感じるか、何にシャッターを切るかは、意識的な判断よりも無意識的な反応や感覚、違和感によって決定され、同時に作品に個性を与える。

 認識の枠が無意識領域に存在する理由は、意識的に行う行動は思考負荷が高く、瞬時に行えず、安定的に対応ができないためである。無意識的な枠組みは、日常的に効率的に反応し、行動できるようにするために存在する。

 したがって、同じような作品しか作れなくなり、自分で自分の作品に飽きてきた場合は、認識の枠を変えなくてはならない。それには、無意識領域の再編成が必要となる。具体的手法としては、フロー体験、文芸作品の貪欲な吸収、旅などの新たな環境体験により、認識の枠を揺さぶる必要がある。新たな視点を得ることで、世界を見る「無意識領域のレンズ」が変わり、作品に変化が現れる。

 新たな「無意識領域のレンズ」を手に入れるための、最も手軽で簡便な方法は、カメラ屋に行き、欲しいレンズを手に入れることかもしれない。物理的に世界を見るレンズを変えれば、その体験は無意識領域に落とし込まれ、世界を見るための「無意識領域のレンズ」にも影響を与えることができるかもしれない。

 写真を志す人たちは、それを経験的に知っているため、そうしたロジックがなくても、無意識にカメラ屋でレンズを探しているのだろう。もはや夢遊病者のように。

 しかし、この方法は手軽で簡単であるだけに、得られる効果は限定的であり、深い変化をもたらすものではない。物理的なレンズを変えても、それだけでは根本的な認識の枠を大きく揺さぶることは難しい。だからこそ、認識の枠を変えるためには、内面の再編成が必要だと感じている。そしてそのためには、意識的な努力と深い内省が不可欠だと改めて思う。

 



2025年12月5日金曜日

「tokyo-photo.net」の残照

 

 かつて、銀塩写真を支えた技術情報サイトがあった。tokyo-photo.net。それは、銀塩ウェットプロセスによる写真制作にまつわるありとあらゆる知識が集う、さながら聖地のような場所であった。今思い返せば、あれは間違いなく一つの大きなムーブメントであった。

 その中で、定期的に開催されていた特別な企画がある。名を「グループプリントエクスチェンジ」という。極めてシンプルに言えば、暗室に籠る同好の士たちが、互いの作品を交換し合うという催しである。

 暗室作業に悦びを見出す人々は、基本的に全国津々浦々に散らばっていると言っていい。東京や大阪のような大都市圏ならともかく、僕の住む岐阜県において、自宅暗室を楽しむ人間が一体何人いるだろうか。10人もいないのではないか、とさえ思う。

 かくも孤立しがちな銀塩ウェットプロセス界隈において、誰かの生のプリントを手に取り、その息遣いを感じる機会は皆無に等しい。美術館で展示されている銀塩プリントも、確かに美しい。しかし、それを生み出した作家本人と対話することは難しい。その点、このエクスチェンジの相手は、同じ技法で格闘する同志である。彼らの作品を仔細に観察することで、どんな暗室環境で、どのような工程を経て完成したのかを、手に取るように知ることができる。

 それは、単なる技術への好奇心を超え、自分の作品へと直接的に応用が効く、かけがえのない学びの機会であった。

 僕は tokyo-photo.net のプリントエクスチェンジに何回も参加し、幹事を何度も務めたこともある。しかし、初回から20年ほどの時が流れ、かつてのメンバーは写真から離れたり、デジタルやSNSの世界へ移ったりと、それぞれの場所へと散り散りになってしまった。

 そんな中で、今月、当時のメンバーの一人と再びプリントエクスチェンジを行う運びとなった。昨夜、僕はかつてのように、魂を込めてバライタ印画紙にプリントを焼き付けた。印画紙が水中で揺れる度に、遠い日の記憶が蘇るようだった。

 年末、あるいは年始。彼の暗室から生まれたプリントが、僕の手元に届くのを心から待ち望んでいる。 


2025年12月1日月曜日

偶然の雨、必然の光

 

 平日の午後にぽっかりと空いた時間を抱えて、僕は大阪へと向かった。今回の旅に、特別な地図や明確な目的地はない。「何となく」その時間を過ごせれば、それで良かった。一泊二日という時間は、自分に都市の空気を取り込むには案外短い。

 街のスナップを撮るつもりで、愛用のEOS Kiss IIIにEF50mm F1.8 STMを装着し、敢えてフィルムを装填しないまま、バッグに無造作に押し込んだ。このカメラは、資産としての価値はほぼないけれど、実用には全く不足がない。だからこそ、緩衝材など使わず、雑に放り込んで運べるのがいい。そんな乱雑な扱いで、あちこちの国を旅したにもかかわらず、不思議と壊れもせず、目立った傷もない。

 早めにホテルにチェックインし、借りた自転車に跨る。首からはフィルム未装填のEOS Kiss IIIを提げ、コートの内側に隠すようにして、南船場にある大阪写真会館を目指した。堺筋をひたすら北へ。車道には、自転車レーンの青い路面標示が鮮やかに敷かれているのに気付く。変速機のない簡易な自転車で、旅先を自分の脚で漕ぎ進むとき、この「まち」がより肌理細やかに、身近なものとして僕には感じられる。

 大阪写真会館に到着し、自転車に鍵をかける。

 古き良き中古カメラ店が複数入居するその建物で、僕は「矢倉カメラ」の扉を開いた。数年ぶりの訪問だが、店内の佇まいは一切変わっていない。商品が混沌とした魅力を放って陳列される光景は圧巻で、あらゆる時代の機種、レンズがここに集結しているのではないかと思わせる量だ。目当ての品がある場合は店員さんに告げれば出してもらえるが、この雑然とした棚を眺めているうちに、思わぬ“出会い”がある。ここでは、客自身の探す力量が問われている気がする。

 この日、僕が「見てみたかった」のは、世界最小の機械式一眼レフのペンタックスMXか、あるいは「プログラムニコン」の愛称を持つニコンFGだった。どちらも、小型軽量で、フィルム交換式フォーカルプレーンシャッター機という共通点を持つ。

 そもそも「見たかった」という意識、そしてEOS Kiss IIIが「フィルム未装填」であるという事実は、この日の僕の心理状態を如実に示唆していた。つまり、「もし気に入った状態のものがあれば、連れて帰りたい」という、漠然とした期待だ。しかし、中古の宿命で、在庫があるか、あったとしても状態が好ましいか、それは分からない。その不確かな旅の記録を、もしものために請け負うのが、バッグの中のEOS Kiss IIIだった。

 ショーケースを覗き込むと、ニコンFGのシルバーが2台、静かに重ねて置かれているのに気づいた。ペンタックスMXは見当たらない。もしかしたら大量のカメラに埋もれていたのかもしれないが、それ以上探す気にはなれなかった。

 2台のFGを見せてもらい、僕はその歴史と対話する。電池を入れ、何度もシャッターを切り、露出計の動作も確認する。細かな汚れは、持ち帰ってから自分で丁寧に拭き取ればいい。大きな凹みや傷はない。しかし、二台とも三脚穴の周囲には、三脚に取り付ける際にできたスリ傷が付いていた。それは、このカメラが誰かの手で、間違いなく使われてきたという、確かな歴史の証しだ。三脚を使うということは記念写真だろうか。はたまた花火でも撮ったのだろうか?

 2000円ほどの価格差があったが、気になる場所の傷が少なかった安い方を選んだ。

 軽量なカメラには、やはり軽量なレンズを合わせたい。プログラム露出を搭載したFGには、AI Nikkor 50mm F1.8Sが最良の相棒だろう。このレンズも2本の在庫があった。実店舗で中古を購入する最大の価値は、同じ個体を比較できるという体験だ。絞りとピントリングをそれぞれ操作してみる。一本はスカスカと軽いトルク。もう一本は、しっかりとグリスが残っていそうな、ねっとりとしたトルクを感じた。後者には、純正のラバーフードも付属していた。光学系はどちらも問題ないようだ。価格差は1000円ほど高かったが、僕は後者を選んだ。

 サービスでキャップや電池、そしてこの時代のニコンのストラップも探して付けてもらい、フィルムを装填したFGをエアキャップに優しく包んでもらい、店を出た。

 秋の終わりの短い陽光が、街を淡く照らしている。ISO100のフィルムでも、この開放値のレンズならば、電飾に彩られた都市を撮るには十分だ。ホテルに自転車を返し、EOS Kiss IIIを部屋に置いて、僕は真新しい相棒と街を歩き始めた。

 11月の終わりだというのに、もう街はクリスマスの電飾に彩られている。とっくに閉店時刻を過ぎた銀行のガラスには、街の人工的な光が長く映り込み、足早に過ぎていく人々の影が、ときおりその光を遮ってゆく。

 僕は、その様をひたすら絞り開放で撮影していく。

 絞り開放で撮影するということは、開放測光の一眼レフにとって、見たままの像がフィルムに露光されるということだ。シャッタースピードは15分の1秒くらいになっているだろうか。手ブレの心配など、今はどうでもいい。今、この時、この場所で、目の前の光景を深く観察し、シャッターを切ることだけに、全神経を注ぐのだ。

 その刹那、ポケットの中でスマートフォンが微かに振動したような気がした。確認してみると、雨雲が急速に近づいている。通り雨だが、かなり強い雨になりそうだ。雨の予報ではなかったため、傘はホテルに置いてきてしまった。

 ほどなくして、大粒の雨が降り始めたので、僕は慌てて歩道橋の屋根の下で雨宿りする。すぐ近くにいた路上ミュージシャンと、急な天候の変化について、少し会話を交わしているうちに、雨は嘘のように止んでいった。

 雨上がりの夜の町は、光に満ち溢れている。先ほどの銀行のガラスには水滴が残り、路面には大きな水たまりが、もう一つの光の都市を映し出す。雨が降る前よりも、ずっと多くの光が溢れていた。

 平日の帰宅ラッシュの時間が終わるころには、僕はフィルムを一本撮り終えることができた。

 ニコンFGは、学生時代、写真部の先輩が愛用していたカメラだ。今回縁のなかったペンタックスMXは、恩師が使っていた。この時代のカメラは、今でも中古カメラ店で、「ちゃんと動くもの」として入手できる。当時のカメラは魅力的なものが多く、友人たちがそれぞれの機種を使っていた。そのため、カメラを見れば、それを愛用していた誰かを思い出さずにはいられない。

 あれから随分と年月が流れ、様々な人が僕の人生を通り過ぎていった。

 今回、再びカメラと出会ったように、いつかまた、あの人たちとも出会うことがあるのだろうか。それは、中古カメラ店のように足繁く通えば叶う、というほど簡単なことではない。だからこそ、僕は今、この手にあるカメラで、移ろいゆく光の刹那を焼き付け続けていたいと思う。

 撮ることは失われたものへ手を伸ばす行為なのだろうか。すべてが未整理のまま、しかし確かに存在している。

2025年11月25日火曜日

暗室の冬支度とハーフカメラ

 

 僕の小さな暗室にはエアコンがない。そのため夏は、必然的に、暗室作業を休止せざるを得ない。しかし、冬は違う。四畳ほどの暗室をセラミックヒーターで暖め、現像液などの液温調整には、バットの下に置いた恒温機が活躍する。いずれも消費電力が高いため複数の恒温器を置くことは避けている。だから、ただ1つの恒温器を現像液、停止液、定着液へとリレーのバトンを渡すように順番を移動させながら温度調整をしている。
 中でも真っ先に、温めなくてはならないのは定着液で、20度を下回ると活性が落ち、画像の保存性に大きく影響してしまう。現像液のように像が浮かび上がってくるような目に見えるおもしろみこそない工程だが、目に見えない次元で進行する化学反応だからこそ細心の注意を払う必要があるのだ。
 
 そうして今年もまた、そんなふうに暗室作業をしなくてはならない季節になった。

 冬支度をして、始めた焼いた写真は、オリンパスのPenD3で撮影したネガだ。引伸ばし機のネガキャリアにハーフ用はないため、6×6のネガキャリを使い、2コマを一枚の印画紙に焼いてみた。これは物語の二連画のようであり、時間の流れや対比を生まれ、なかなか面白い。何より、作業効率が上がるのは嬉しい誤算だった。

 長年、趣味として写真を続けてきたが、画質的に劣るとの一点の理由で、ハーフカメラというフォーマットは避けてきた。しかし、昨年ペンタックス17というハーフカメラが新発売となったニュースが僕を揺さぶった。ペンタックスがフィルムカメラを開発していたことは知っていたが、まさかハーフカメラだとは思わなかった。

 ファインダー像が縦型であるハーフカメラは、スマートフォンに慣れた現代の視覚と親和性が高いからなのだろうか。あるいは、フィルム価格が高騰する中、倍の枚数が撮れる経済的な利点からだろうか。

 画質以外のところに、僕が見落としていた魅力があるに違いない。それは使ってみないと分からないと思い、昨年の夏にオリンパスPenD3を手に入れた。数あるハーフカメラの中からPenD3を選んだのは、Penシリーズでマニュアル露出設定を備えており、レンズの開放値が明るいカメラだったから。
 
 この一年で4本ほどフィルムを通した。なるほど、デフォルトで縦で撮影できるのはおもしろい。このカメラを使うときは、縦でしか撮らないことにマイルールを定めた。
 カメラ本体もとても小さい。このカメラを使ってから、135フルサイズを使うとその大きさに違和感を覚えてしまうほどだ。

 まだ大きく引伸ばしたことはないので、どのサイズまで大きく出来るか分からないけど、このカメラで撮影した写真は大きく引伸ばすためのものではないと思った。粒子感を活かした表現にするために大きく伸ばしてもいいが、まずは小さく引伸ばして、その凝縮されたサイズ感を楽しもう。

 この日の暗室作業は、何枚かのテストプリントが出来たのでひとまず終了。

 外は冷たい雨が降り始めている。印画紙を水洗している間、僕はコタツに潜り込み、温かいココアを飲みながら冷えた脚を温めた。

 印画紙水洗の水が流れる音と、雨が地面を打つ音。
 異なるリズムの二重奏が、冬の静かな夜をやさしく揺らしていた。

2025年11月22日土曜日

フローへの助走

 本日も秋晴れだ。僕は部屋に丁寧に掃除機をかけ、布団を太陽の温もりをたっぷり吸って膨らむように陽光の下に広げる。今夜の心地よい眠りは、これで約束されたようなものだろう。

 布団を干している間、先日の美濃市で撮り切れなかったフィルムが入ったままのカメラを手に取り、中山道の湊町へ愛用の自転車に跨がり、静かに漕ぎ出した。

 先日訪れた美濃市もそうだが、近代化の波が押し寄せる以前のまち並みには、どこか時間の厚みが漂っている。旧街道の裏手には、過去への分岐点のような狭く、曲がりくねった道が張り巡らされ、そこには時間を遡ったかのような魅力的な被写体が潜んでいるのだ。

 自転車を漕ぎ始めて最初の10分ほどは、いつものことながら体が重い。まだ出発したばかりなのに、「もう引き返そうか」という億劫な気持ちに囚われそうになる。

 だが、その時間を越えると、次第に心身が動きに馴染み、ペダルを漕ぐことに一定のリズムが生まれる。その後は、意識と行為が融合し、まるで水が流れるようにフロー(Flow)の状態へと移行していく。移動と時間の経過が、内側で一つになっていくあの感覚だ。

 創作活動においても、このフローの状態に自分を置くことが、最良の結果を生む鍵だと僕は思っている。

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【フロー(Flow)】とは、心理学者のミハイ・チクセントミハイが提唱した概念で、僕らが特定の活動に完全に没頭し、時間の感覚さえ忘れてしまうほど夢中になっている心理状態を指す。フロー状態は、高い集中力と生産性をもたらすだけでなく、活動そのものから大きな充足感や幸福感を得ることができる。

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 フローに入るためには、あの自転車の漕ぎ始めと同様に、「億劫さ」という助走期間を乗り越える必要がある。このエンジンがかかるまでの一手間が、創作活動に取り掛かるのを妨げる最大の壁だ。

 フローに入るためにコーヒーを淹れたり、気分を上げる音楽を聴いたりしているうちに、結局その準備だけで終わってしまうことが多々ある。集中力を上げるために、音楽を聴き、ごく短時間、瞑想状態に身を置くことはフローに入るための準備としてはとても効果的ではあるが、そのまま眠ってしまうこともある。

 活動を始めても、即フローになるわけではない。フローに入るための条件がある。なぜなら、フローは、「何か他の目的」のためにあってはならないからだ。その活動に「縛り」があると、それは雑念となり、純粋な集中の妨げになる。

 撮影に出かけているのに、途中で急に仕事の電話がかかってきたりすると、その瞬間にフロー状態は継続困難となり解除されてしまう。暗室での作業においても、その行為が失敗を取り戻すための作業であったり、金銭的な目的や迫りくる納期といった「外部の動機」は妨げとなり、心の純度を失うことでフローには入りづらい。

 フローに入るための理想の形は、完成するかどうか自分でも分からない作品を試行錯誤できること。曖昧なままで手探りで向き合える環境こそ創作を深く支える。

 フロー状態に身を置くことは、充実感や幸福感に直結する。フロー状態は創作活動以外でももちろん入ることができる。スポーツ、読書、美術鑑賞、映画鑑賞、性行為など、多くの活動がフロー状態を経験できるものだ(音楽鑑賞のような受動的な行為はフローの準備には使えるが目的化はしにくい)。

 そして、脳は、繰り返し行われた思考や行動に対応して、特定の神経細胞間の結合を強化したり、新しい結合を作ったりする。ゆえに、幾多のフロー体験を重ねることは、単なる一時的な集中力の向上ではなく、脳の構造と機能を変化させ、「フローに素早く、深く入るための習慣的な脳内メカニズム」を築き上げる訓練となり、創作活動において大きなアドバンテージとなる。


 この日、僕は数ヶ月前にフィルムを装填したカメラから、ようやく撮影済みのフィルムを取り出すことができた。

 撮影中は、「フィルムが残っているから撮らなければ」という思いは全くない。ただ歩いて、光と影の気になるところを探し、見つかったら、露出とピントを合わせてシャッターを切る。ただそれだけの行為を、無心で何度か繰り返した。

 フィルムの残りがなくなると、「もう一本持って来れば良かったのに」という小さな後悔の念と共に、心地よかったフロー状態が解除された。


 短い秋の陽が、沈みきらないうちに帰宅して布団を取り入れよう。 今夜はふっくらと膨らんだ布団の中で眠る前に哲学書を読んで別のフローに入り込んでみよう。