2025年12月5日金曜日

「tokyo-photo.net」の残照

 

 かつて、銀塩写真を支えた技術情報サイトがあった。tokyo-photo.net。それは、銀塩ウェットプロセスによる写真制作にまつわるありとあらゆる知識が集う、さながら聖地のような場所であった。今思い返せば、あれは間違いなく一つの大きなムーブメントであった。

 その中で、定期的に開催されていた特別な企画がある。名を「グループプリントエクスチェンジ」という。極めてシンプルに言えば、暗室に籠る同好の士たちが、互いの作品を交換し合うという催しである。

 暗室作業に悦びを見出す人々は、基本的に全国津々浦々に散らばっていると言っていい。東京や大阪のような大都市圏ならともかく、僕の住む岐阜県において、自宅暗室を楽しむ人間が一体何人いるだろうか。10人もいないのではないか、とさえ思う。

 かくも孤立しがちな銀塩ウェットプロセス界隈において、誰かの生のプリントを手に取り、その息遣いを感じる機会は皆無に等しい。美術館で展示されている銀塩プリントも、確かに美しい。しかし、それを生み出した作家本人と対話することは難しい。その点、このエクスチェンジの相手は、同じ技法で格闘する同志である。彼らの作品を仔細に観察することで、どんな暗室環境で、どのような工程を経て完成したのかを、手に取るように知ることができる。

 それは、単なる技術への好奇心を超え、自分の作品へと直接的に応用が効く、かけがえのない学びの機会であった。

 僕は tokyo-photo.net のプリントエクスチェンジに何回も参加し、幹事を何度も務めたこともある。しかし、初回から20年ほどの時が流れ、かつてのメンバーは写真から離れたり、デジタルやSNSの世界へ移ったりと、それぞれの場所へと散り散りになってしまった。

 そんな中で、今月、当時のメンバーの一人と再びプリントエクスチェンジを行う運びとなった。昨夜、僕はかつてのように、魂を込めてバライタ印画紙にプリントを焼き付けた。印画紙が水中で揺れる度に、遠い日の記憶が蘇るようだった。

 年末、あるいは年始。彼の暗室から生まれたプリントが、僕の手元に届くのを心から待ち望んでいる。 


2025年12月1日月曜日

偶然の雨、必然の光

 

 平日の午後にぽっかりと空いた時間を抱えて、僕は大阪へと向かった。今回の旅に、特別な地図や明確な目的地はない。「何となく」その時間を過ごせれば、それで良かった。一泊二日という時間は、自分に都市の空気を取り込むには案外短い。

 街のスナップを撮るつもりで、愛用のEOS Kiss IIIにEF50mm F1.8 STMを装着し、敢えてフィルムを装填しないまま、バッグに無造作に押し込んだ。このカメラは、資産としての価値はほぼないけれど、実用には全く不足がない。だからこそ、緩衝材など使わず、雑に放り込んで運べるのがいい。そんな乱雑な扱いで、あちこちの国を旅したにもかかわらず、不思議と壊れもせず、目立った傷もない。

 早めにホテルにチェックインし、借りた自転車に跨る。首からはフィルム未装填のEOS Kiss IIIを提げ、コートの内側に隠すようにして、南船場にある大阪写真会館を目指した。堺筋をひたすら北へ。車道には、自転車レーンの青い路面標示が鮮やかに敷かれているのに気付く。変速機のない簡易な自転車で、旅先を自分の脚で漕ぎ進むとき、この「まち」がより肌理細やかに、身近なものとして僕には感じられる。

 大阪写真会館に到着し、自転車に鍵をかける。

 古き良き中古カメラ店が複数入居するその建物で、僕は「矢倉カメラ」の扉を開いた。数年ぶりの訪問だが、店内の佇まいは一切変わっていない。商品が混沌とした魅力を放って陳列される光景は圧巻で、あらゆる時代の機種、レンズがここに集結しているのではないかと思わせる量だ。目当ての品がある場合は店員さんに告げれば出してもらえるが、この雑然とした棚を眺めているうちに、思わぬ“出会い”がある。ここでは、客自身の探す力量が問われている気がする。

 この日、僕が「見てみたかった」のは、世界最小の機械式一眼レフのペンタックスMXか、あるいは「プログラムニコン」の愛称を持つニコンFGだった。どちらも、小型軽量で、フィルム交換式フォーカルプレーンシャッター機という共通点を持つ。

 そもそも「見たかった」という意識、そしてEOS Kiss IIIが「フィルム未装填」であるという事実は、この日の僕の心理状態を如実に示唆していた。つまり、「もし気に入った状態のものがあれば、連れて帰りたい」という、漠然とした期待だ。しかし、中古の宿命で、在庫があるか、あったとしても状態が好ましいか、それは分からない。その不確かな旅の記録を、もしものために請け負うのが、バッグの中のEOS Kiss IIIだった。

 ショーケースを覗き込むと、ニコンFGのシルバーが2台、静かに重ねて置かれているのに気づいた。ペンタックスMXは見当たらない。もしかしたら大量のカメラに埋もれていたのかもしれないが、それ以上探す気にはなれなかった。

 2台のFGを見せてもらい、僕はその歴史と対話する。電池を入れ、何度もシャッターを切り、露出計の動作も確認する。細かな汚れは、持ち帰ってから自分で丁寧に拭き取ればいい。大きな凹みや傷はない。しかし、二台とも三脚穴の周囲には、三脚に取り付ける際にできたスリ傷が付いていた。それは、このカメラが誰かの手で、間違いなく使われてきたという、確かな歴史の証しだ。三脚を使うということは記念写真だろうか。はたまた花火でも撮ったのだろうか?

 2000円ほどの価格差があったが、気になる場所の傷が少なかった安い方を選んだ。

 軽量なカメラには、やはり軽量なレンズを合わせたい。プログラム露出を搭載したFGには、AI Nikkor 50mm F1.8Sが最良の相棒だろう。このレンズも2本の在庫があった。実店舗で中古を購入する最大の価値は、同じ個体を比較できるという体験だ。絞りとピントリングをそれぞれ操作してみる。一本はスカスカと軽いトルク。もう一本は、しっかりとグリスが残っていそうな、ねっとりとしたトルクを感じた。後者には、純正のラバーフードも付属していた。光学系はどちらも問題ないようだ。価格差は1000円ほど高かったが、僕は後者を選んだ。

 サービスでキャップや電池、そしてこの時代のニコンのストラップも探して付けてもらい、フィルムを装填したFGをエアキャップに優しく包んでもらい、店を出た。

 秋の終わりの短い陽光が、街を淡く照らしている。ISO100のフィルムでも、この開放値のレンズならば、電飾に彩られた都市を撮るには十分だ。ホテルに自転車を返し、EOS Kiss IIIを部屋に置いて、僕は真新しい相棒と街を歩き始めた。

 11月の終わりだというのに、もう街はクリスマスの電飾に彩られている。とっくに閉店時刻を過ぎた銀行のガラスには、街の人工的な光が長く映り込み、足早に過ぎていく人々の影が、ときおりその光を遮ってゆく。

 僕は、その様をひたすら絞り開放で撮影していく。

 絞り開放で撮影するということは、開放測光の一眼レフにとって、見たままの像がフィルムに露光されるということだ。シャッタースピードは15分の1秒くらいになっているだろうか。手ブレの心配など、今はどうでもいい。今、この時、この場所で、目の前の光景を深く観察し、シャッターを切ることだけに、全神経を注ぐのだ。

 その刹那、ポケットの中でスマートフォンが微かに振動したような気がした。確認してみると、雨雲が急速に近づいている。通り雨だが、かなり強い雨になりそうだ。雨の予報ではなかったため、傘はホテルに置いてきてしまった。

 ほどなくして、大粒の雨が降り始めたので、僕は慌てて歩道橋の屋根の下で雨宿りする。すぐ近くにいた路上ミュージシャンと、急な天候の変化について、少し会話を交わしているうちに、雨は嘘のように止んでいった。

 雨上がりの夜の町は、光に満ち溢れている。先ほどの銀行のガラスには水滴が残り、路面には大きな水たまりが、もう一つの光の都市を映し出す。雨が降る前よりも、ずっと多くの光が溢れていた。

 平日の帰宅ラッシュの時間が終わるころには、僕はフィルムを一本撮り終えることができた。

 ニコンFGは、学生時代、写真部の先輩が愛用していたカメラだ。今回縁のなかったペンタックスMXは、恩師が使っていた。この時代のカメラは、今でも中古カメラ店で、「ちゃんと動くもの」として入手できる。当時のカメラは魅力的なものが多く、友人たちがそれぞれの機種を使っていた。そのため、カメラを見れば、それを愛用していた誰かを思い出さずにはいられない。

 あれから随分と年月が流れ、様々な人が僕の人生を通り過ぎていった。

 今回、再びカメラと出会ったように、いつかまた、あの人たちとも出会うことがあるのだろうか。それは、中古カメラ店のように足繁く通えば叶う、というほど簡単なことではない。だからこそ、僕は今、この手にあるカメラで、移ろいゆく光の刹那を焼き付け続けていたいと思う。

 撮ることは失われたものへ手を伸ばす行為なのだろうか。すべてが未整理のまま、しかし確かに存在している。

2025年11月25日火曜日

暗室の冬支度とハーフカメラ

 

 僕の小さな暗室にはエアコンがない。そのため夏は、必然的に、暗室作業を休止せざるを得ない。しかし、冬は違う。四畳ほどの暗室をセラミックヒーターで暖め、現像液などの液温調整には、バットの下に置いた恒温機が活躍する。いずれも消費電力が高いため複数の恒温器を置くことは避けている。だから、ただ1つの恒温器を現像液、停止液、定着液へとリレーのバトンを渡すように順番を移動させながら温度調整をしている。
 中でも真っ先に、温めなくてはならないのは定着液で、20度を下回ると活性が落ち、画像の保存性に大きく影響してしまう。現像液のように像が浮かび上がってくるような目に見えるおもしろみこそない工程だが、目に見えない次元で進行する化学反応だからこそ細心の注意を払う必要があるのだ。
 
 そうして今年もまた、そんなふうに暗室作業をしなくてはならない季節になった。

 冬支度をして、始めた焼いた写真は、オリンパスのPenD3で撮影したネガだ。引伸ばし機のネガキャリアにハーフ用はないため、6×6のネガキャリを使い、2コマを一枚の印画紙に焼いてみた。これは物語の二連画のようであり、時間の流れや対比を生まれ、なかなか面白い。何より、作業効率が上がるのは嬉しい誤算だった。

 長年、趣味として写真を続けてきたが、画質的に劣るとの一点の理由で、ハーフカメラというフォーマットは避けてきた。しかし、昨年ペンタックス17というハーフカメラが新発売となったニュースが僕を揺さぶった。ペンタックスがフィルムカメラを開発していたことは知っていたが、まさかハーフカメラだとは思わなかった。

 ファインダー像が縦型であるハーフカメラは、スマートフォンに慣れた現代の視覚と親和性が高いからなのだろうか。あるいは、フィルム価格が高騰する中、倍の枚数が撮れる経済的な利点からだろうか。

 画質以外のところに、僕が見落としていた魅力があるに違いない。それは使ってみないと分からないと思い、昨年の夏にオリンパスPenD3を手に入れた。数あるハーフカメラの中からPenD3を選んだのは、Penシリーズでマニュアル露出設定を備えており、レンズの開放値が明るいカメラだったから。
 
 この一年で4本ほどフィルムを通した。なるほど、デフォルトで縦で撮影できるのはおもしろい。このカメラを使うときは、縦でしか撮らないことにマイルールを定めた。
 カメラ本体もとても小さい。このカメラを使ってから、135フルサイズを使うとその大きさに違和感を覚えてしまうほどだ。

 まだ大きく引伸ばしたことはないので、どのサイズまで大きく出来るか分からないけど、このカメラで撮影した写真は大きく引伸ばすためのものではないと思った。粒子感を活かした表現にするために大きく伸ばしてもいいが、まずは小さく引伸ばして、その凝縮されたサイズ感を楽しもう。

 この日の暗室作業は、何枚かのテストプリントが出来たのでひとまず終了。

 外は冷たい雨が降り始めている。印画紙を水洗している間、僕はコタツに潜り込み、温かいココアを飲みながら冷えた脚を温めた。

 印画紙水洗の水が流れる音と、雨が地面を打つ音。
 異なるリズムの二重奏が、冬の静かな夜をやさしく揺らしていた。

2025年11月22日土曜日

フローへの助走

 本日も秋晴れだ。僕は部屋に丁寧に掃除機をかけ、布団を太陽の温もりをたっぷり吸って膨らむように陽光の下に広げる。今夜の心地よい眠りは、これで約束されたようなものだろう。

 布団を干している間、先日の美濃市で撮り切れなかったフィルムが入ったままのカメラを手に取り、中山道の湊町へ愛用の自転車に跨がり、静かに漕ぎ出した。

 先日訪れた美濃市もそうだが、近代化の波が押し寄せる以前のまち並みには、どこか時間の厚みが漂っている。旧街道の裏手には、過去への分岐点のような狭く、曲がりくねった道が張り巡らされ、そこには時間を遡ったかのような魅力的な被写体が潜んでいるのだ。

 自転車を漕ぎ始めて最初の10分ほどは、いつものことながら体が重い。まだ出発したばかりなのに、「もう引き返そうか」という億劫な気持ちに囚われそうになる。

 だが、その時間を越えると、次第に心身が動きに馴染み、ペダルを漕ぐことに一定のリズムが生まれる。その後は、意識と行為が融合し、まるで水が流れるようにフロー(Flow)の状態へと移行していく。移動と時間の経過が、内側で一つになっていくあの感覚だ。

 創作活動においても、このフローの状態に自分を置くことが、最良の結果を生む鍵だと僕は思っている。

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【フロー(Flow)】とは、心理学者のミハイ・チクセントミハイが提唱した概念で、僕らが特定の活動に完全に没頭し、時間の感覚さえ忘れてしまうほど夢中になっている心理状態を指す。フロー状態は、高い集中力と生産性をもたらすだけでなく、活動そのものから大きな充足感や幸福感を得ることができる。

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 フローに入るためには、あの自転車の漕ぎ始めと同様に、「億劫さ」という助走期間を乗り越える必要がある。このエンジンがかかるまでの一手間が、創作活動に取り掛かるのを妨げる最大の壁だ。

 フローに入るためにコーヒーを淹れたり、気分を上げる音楽を聴いたりしているうちに、結局その準備だけで終わってしまうことが多々ある。集中力を上げるために、音楽を聴き、ごく短時間、瞑想状態に身を置くことはフローに入るための準備としてはとても効果的ではあるが、そのまま眠ってしまうこともある。

 活動を始めても、即フローになるわけではない。フローに入るための条件がある。なぜなら、フローは、「何か他の目的」のためにあってはならないからだ。その活動に「縛り」があると、それは雑念となり、純粋な集中の妨げになる。

 撮影に出かけているのに、途中で急に仕事の電話がかかってきたりすると、その瞬間にフロー状態は継続困難となり解除されてしまう。暗室での作業においても、その行為が失敗を取り戻すための作業であったり、金銭的な目的や迫りくる納期といった「外部の動機」は妨げとなり、心の純度を失うことでフローには入りづらい。

 フローに入るための理想の形は、完成するかどうか自分でも分からない作品を試行錯誤できること。曖昧なままで手探りで向き合える環境こそ創作を深く支える。

 フロー状態に身を置くことは、充実感や幸福感に直結する。フロー状態は創作活動以外でももちろん入ることができる。スポーツ、読書、美術鑑賞、映画鑑賞、性行為など、多くの活動がフロー状態を経験できるものだ(音楽鑑賞のような受動的な行為はフローの準備には使えるが目的化はしにくい)。

 そして、脳は、繰り返し行われた思考や行動に対応して、特定の神経細胞間の結合を強化したり、新しい結合を作ったりする。ゆえに、幾多のフロー体験を重ねることは、単なる一時的な集中力の向上ではなく、脳の構造と機能を変化させ、「フローに素早く、深く入るための習慣的な脳内メカニズム」を築き上げる訓練となり、創作活動において大きなアドバンテージとなる。


 この日、僕は数ヶ月前にフィルムを装填したカメラから、ようやく撮影済みのフィルムを取り出すことができた。

 撮影中は、「フィルムが残っているから撮らなければ」という思いは全くない。ただ歩いて、光と影の気になるところを探し、見つかったら、露出とピントを合わせてシャッターを切る。ただそれだけの行為を、無心で何度か繰り返した。

 フィルムの残りがなくなると、「もう一本持って来れば良かったのに」という小さな後悔の念と共に、心地よかったフロー状態が解除された。


 短い秋の陽が、沈みきらないうちに帰宅して布団を取り入れよう。 今夜はふっくらと膨らんだ布団の中で眠る前に哲学書を読んで別のフローに入り込んでみよう。

2025年11月18日火曜日

撮り切れない午後

 

 冷たくなり始めた風が、秋の深まりを告げる午後のこと。撮りかけのフィルムが入ったハーフカメラを提げ、僕は美濃市の旧市街へと向かった。


 その日の予定は、場所、カメラ、移動手段、そして心の微妙な揺らぎが複雑に絡み合って決まる。この日は、岐阜の郷土の味「鶏ちゃん」を食べたくなり、秋晴れの長良川沿いを愛用のオートバイで走りたい衝動にも駆られていた。そして何より、撮りかけのフィルムを撮り切って現像したかった。

 平日の遅い昼下がり、評判の店は幸いにも空いていた。鉄板が据えられたテーブルの一つに腰を下ろすと、店員が鶏肉と野菜を手際よく炒めていく。時折開く自動ドアから秋風が入り込み、湯気を奥の座席へと運んでいった。湯気と匂いが混じり合う、その一瞬に季節の移ろいを感じた。

 お腹を満たしたあとの午後の残り時間は、街のスナップに充てることにした。美濃市といえば「うだつの町並み」だが、整いすぎた風景は僕の求める被写体を隠してしまう。むしろ観光の賑わいから少し外れた路地にこそ、時代の残滓が存在している。朽ちた看板、幾層もの記憶を纏った壁。そうしたものはどこにでもあるようでいて、初めての街の新鮮な眼差しが新たな発見をもたらしてくれる。僕は街の中心から少しずつ外へと歩を進め、その痕跡を追った。

 通りのあちこちには、今年も「美濃和紙あかりアート展」の作品が並んでいた。和紙で形作られた灯りの塑像が、午後の光に淡く光っている。
 ふと、彫塑作品の題名について考える。具体的な事物の名もあれば、「時間」「希望」といった形而上学的な言葉も多い。ここにある作品の題にも、そうした普遍的な問いかけが潜んでいた。

 翻って、写真の題名はどうだろう。多くは「〇〇の橋」「祭りの〇〇」といった具象的なものが多い。
 思えば、彫塑は無から物質を削り出し、抽象を具象へと立ち上げる行為だ。だからこそ、形而上学的な題と響き合うのだろう。
 だが写真は、現実の断片を定着させる宿命を持つ。写っている事物の意味から、鑑賞者の意識を完全に解き放つことは難しい。だからこそ、写真で抽象や思想を表現するには、題名が視覚情報の先を照らす「思索の道標」とならねばならない。

 芸術という領域において、写真の題名はあまりに軽んじられてはいないか。作品名は、鑑賞者が作品と向き合う際の「入口」であり、そこから深淵へと降りていくための言葉だと僕は思う。

 夕陽が影を長く引き始めたころ、今日もまた撮り切れなかったフィルムをハーフカメラごとバッグにしまった。

 そんな問いを胸に、オートバイのエンジンをかける。冬の気配を頬に感じながら、静かにハンドルを握った。

2025年11月11日火曜日

露出計、どうしようかな問題


 9月の終わりに、大阪を旅した。南船場の古いカメラ屋で、セコニック・オートリーダーL-188の精度を測ってもらった。結果は、中輝度で0.5EV、高輝度で2EVのずれていることが判明した。
 高輝度で撮ることなど、ほとんどない。それでも、心のどこかで不完全な道具を使用していることが、小さな棘のように刺さったままだ。精度の落ちた露出計は、ネガの階調そのものに影響する。迷った末に、この露出計の引退を決めた。

 思えば、7月に自分で調整したとき、どこか自信が持てなかった。数値よりも、あのときの「わずかな違和感」が正確だったのだろう。製造されてから五十年の時間を経た道具に、もう一度完璧を求めるのは酷というものだ。

 ほかに使える露出計といえば、セコニック・ズームマスターL-508がある。これは信頼しているが、スポットメーターなのでスナップには向かない。
 こうして「露出計どうしようかな問題」が、僕の頭の中で静かに浮上した。

一、スマホアプリの露出計を使う。

二、露出計内蔵のカメラをもう一台持っていく。

三、勘で露出を決める。

 ひとつ目の案。スマホアプリ。
 便利ではあるが、何か違う。光を測るという行為に、スマホのロックを解除してアプリを起動し、、、、という手順は撮影のリズムを乱してしまう。
 
 ふたつ目。内蔵露出計付きのカメラ。
 軽快に撮りたい旅に、使わないカメラを露出計代わりに持つのは、本末転倒だ。
 
 そして、みっつ目。勘。
 案外、これがいちばん正しいのかもしれない。
 そもそもL-188の精度に疑いを抱いたのは、自分の“勘露出”とずれていたからだった。
 ならば、露出計を手放してしまえばいい。
 
 ただ、勘は気まぐれで、信じ過ぎるのも危うい。露出を決めるたびに頭の中で小さな計算を始めてしまうのも、なんだか違う。これも撮影のリズムを壊してしまう。

 そんな理由で、気が進まなかったけれど、結局セコニック・ツインメイトL-208を買った。 二十年前にも一度手にしたことがある。けれどそのときは、すぐに手放してしまった。いま思えば、あの頃は、使いこなす前に飽きてしまったのだと思う。
 
 当時は、スタジオデラックスの無骨なデザインが格好よく見え、一時期使っていた。
 電池いらずの機械式メーター。その針が静かに揺れる様子に、何とも言えぬ憧れがあった。 けれど、入射光メインの測光は僕の撮り方に合わず、やがて手元を離れていった。
 
 他にも候補はいくつかあった。フォクトレンダーのVCメーターや、TTArtisanのライトメーター。どちらもアクセサリーシューに取り付けるタイプだ。
 だが、せっかく露出計を内蔵していないカメラを選んでいるのに、後付けで載せてしまうのは美しくない。
 
 最終的に、心が選んだのはやはりセコニック・ツインメイトL-208だった。理屈ではなく、気持ちの問題。
 TTArtisanのOEM品がAliExpressで安く売られているのを見つけたとき、少し心が揺れた。
 物価高のこの時代、海外通販のページを眺めるのも一種の冒険だ。
 けれど、精度を疑いながら使う道具ほど落ち着かないものはない。僕にはやはり、信頼の積み重ねのあるものが合っている。
 
 ツインメイトL-208は、反射光と入射光、二つのモードで測ることができる。
 試しに18%グレーカードを測ってみた。
 両方のモードで同じ値が出たとき、小さな安堵が胸を満たした。
 道具に再び信頼が宿る瞬間というのは、いつだって静かで、どこか懐かしい。
 
 「これで撮りに行けるな」と思ったその夜、
 ふと――反射光と入射光、両方とも同じ量ずれているから結果が同じであるのならどうしよう、という不安が浮かんだ。念のため、他の露出計とデジタルカメラも持ち出して、測光してみた。
 結果はすべて同じ。これで二度目の安心。

 けれど、もし他の露出計とデジタルカメラも同じ量だけずれていたら……?
 
 そんな疑いを考え始めたところで、ふっと笑ってしまった。
 もう、このあたりでやめておこう。
 撮影ができれば、それでいい。
 少しの誤差も、光の揺らぎのようなものだ。

 それを受け入れて、シャッターを切る。
 秋の午後、カメラを手にした瞬間、露出計の針がゆっくりと動いた。
 その微かな動きが、光の息づかいのように感じられた。
 写真を撮るというのは、光と仲直りすることなのだと思う。

2025年11月4日火曜日

偶然を必然に変えるまでの時間

 
 現代美術家であり写真作家でもある杉本博司氏。
 彼の代表作「海景」シリーズ。その最初の一枚は、カリブ海を訪れたとき、偶然に撮影された一枚から始まったという。

 南洋の強い日差しの下、奇跡のように雲ひとつない水平線。
 そして、たまたまうまくいったネガ現像。
 数々の偶然が重なり、あの一枚が生まれた。

 しかし、杉本氏は語っている。
 「偶然(マグレ)には再現性がない」と。
 その偶然を必然へと変えるまでに、十年の歳月を要したという。

 巨匠ですら、十年。
 けれど、その「マグレ」を見逃さなかった眼差しこそ、すでに必然の萌芽だったのだろう。

 杉本氏によれば、初期の頃はどれほど丁寧に作業しても、現像ムラが避けられなかったという。それを克服するために、自ら道具を考案し、理想の調子で現像できるようになるまで、十年を費やしたらしい。

 僕もまた、シートフィルムの現像ムラに長く悩まされた一人だ。
 杉本氏の8×10に比べれば、僕の4×5などまだ扱いやすい方だろう。
 それでも、皿現像、ハンガー現像、各社のタンク現像……方法を変えても、どれも満足のいく結果が得られなかった。

 現像ムラの原因を、「道具のせいではなく、自分の技術が未熟だから」と結論づけた。
 だが、何年も試行錯誤を重ねても、ムラは消えない。
 現像液の温度、攪拌のリズム、時間、濃度。
 すべてを見直しても、フィルムのトーンには微かな不均一が残った。

 転機は、友人が3Dプリンターで作ってくれたシートフィルムホルダーだった。
 使い慣れたステンレスタンクにそれを装着して試してみると、長年悩まされたムラが嘘のように消えた。

 ――原因は技術だけではなく、道具にもあったのだ。

 もちろん、皿現像を完璧にこなす人もいる。
 あるいは、被写体にトーンのフラットな部分が少なければ、ムラは目立たないのかもしれない。
 それでも僕には、この解決がひとつの“救い”に思えた。
 長い間見えなかった水平線が、ようやくくっきりと浮かび上がったような感覚だった。

 杉本氏の「海景」シリーズは、奇跡のような偶然から始まった。
 だが、その後の長い時間の中で、偶然は確かな必然へと変わっていった。

 おそらく偉大な作品の多くは、そうして生まれていくのだろう。
 ふと訪れた瞬間に“偶然”が宿り、それを受け止めるための“準備”と“悟性”が、写真家の中で静かに育っていく。

 その最初の一枚を「撮る」ために必要なのは、技術でも運でもない。
 現象を深く見つめ、世界の成り立ちを理解しようとする意志――
 それを作品として形にできる、成熟した眼差しなのだと思う。