2025年8月30日土曜日

NFTと複製芸術における一回性の「アウラ」

  作品が特定の時間と場所に存在する唯一無二の存在であるとき、そこには「アウラ」が宿る──20世紀初頭のドイツの哲学者ベンヤミンは「複製技術時代の芸術作品」でそのように論じている。写真や映画は限られた人々のものではなく、複製によって普遍的な価値を持つが、その過程で「アウラ」は失われていく。

 ここで注意すべきは、「アウラ」が共通認識ではなく、個々の体験によって形成される個別認識であるという点である。さらに言えば、たとえ唯一無二の存在であっても、それが認識されなければ「アウラ」は存在しない。たとえば、庭に生えている雑草も生命を持つ以上、唯一無二の存在ではある。しかし、僕がそれに何も感じなければ、そこに「アウラ」は生じないのと同じである。

 「アウラが存在する」と表現すると、あたかも実体としてそこに何かがあるように響く。しかし「存在する」よりも「感じる」という言葉に置き換えた方が、日本人にはしっくりくるのかもしれない。少しオカルト的ではあるが。


 NFT技術をご存じだろうか。

 簡単な例を挙げれば、あるデジタルデータ(画像でも音声でもよい)があったとする。それをブロックチェーン技術によって複数のコンピュータで所有者履歴などを管理し、唯一無二のデータとして扱うのがNFTである。(法務局での登記のようなものと考えるとわかりやすい。)ただし、これは「複製できない」ことを意味するわけではない。複製は可能だが、それらには証明が付与されないため、オリジナルと複製品は区別可能である。

 では、唯一無二であることで、そのオリジナルデータに「アウラ」を感じるだろうか。

 この場合、オリジナルと複製品の違いは、証明の有無にすぎない。そこにあるのは「アウラ」ではなく、希少性という名の資産的価値ではないだろうか。

 たとえば、自宅で音楽を聴く場合を考えてみよう。NFT化された音声ファイルと複製された音声ファイルとでは、まったく聴き分けができない。オリジナルだから音が良いわけではなく、複製だから音が劣化するわけでもない。

 ベンヤミンは1940年に亡くなっているため、オリジナルと完全に同一のコピーが可能になる時代を想像することはなかっただろう。したがって、ベンヤミン以後の世界では、作品における「アウラ」を再定義する必要があるのではないか。


・丁寧にプリントされ、展示された作品にはアウラが宿る(大量生産は不可能)。

・ストレージ内の画像データには存在せず、モニター表示の作品にも希薄である。

・プリント作品(同じものを再現できない)にはアウラがあるが、ネガには存在しない。

・クラシックカメラは年月を経て唯一無二の存在となりアウラを持つが、新品のカメラには存在しない。

・紙媒体の写真集にはアウラがあるが、電子書籍には存在しない。

・生ビールにはアウラがあるが、缶ビールには存在しない。

・ライブ演奏は一回性ゆえにアウラが宿る。レコードは聴き込むほどに摩耗し唯一無二となるため、そこにアウラが生まれるように思える。PC内のデジタル音声ファイルには存在しないが、再生機器や環境により音が変化するため、再生の瞬間にアウラが立ち現れる。

・ニュース番組などの生放送にはアウラがある。録画放送や編集済み番組には存在しない。


 状況によって「アウラ」の有無の捉え方は変化し、非常に興味深い。しかもこれは冒頭で述べたように「個々の体験により形成される個別認識」であるが、同じ文化圏で同じ時代を生きる人々の間では、意外と似たような感覚が共有されるのではないだろうか。


2025年8月28日木曜日

大判写真

 

 僕が大判写真に心を寄せ始めたのは、2000年頃のことだった。まだフィルムが街にあふれていた時代。2002年、知人から譲り受けたモノレールタイプのカメラを手にしたとき、初めて大判写真の世界の扉を開いた。しかし、その大きさと重量ゆえにすぐに押し戻され、僕の手を離れて別の人のもとへと渡っていった。

 それでも、大判写真への憧れは消えなかった。やがて「組み立て式のテクニカルカメラなら持ち運べるのではないか」と思い、2004年に木製暗箱のタチハラを手に入れた。温かな木の手触りと塗りたてのニスと蛇腹の革の匂い。今にして思えば、それが僕の大判写真の本当の始まりだったのだ。

 中判写真のときには、深く考えることもなく足を踏み出せた。だが大判は違った。ロールではなくシートのフィルムは一枚一枚が独立した「場」であり、暗室機材も一から整え直さないといけない。そこには、それまでの延長線ではなく、新しい世界が待っていた。

 あの頃は、まだ量販店に大判カメラや暗室機材が並んでいた。しかし今、大判写真の環境を整えようと思えば、海外の新しい発想で作られた製品に頼るしかない。3Dプリンターで作られたカメラや、スマホで光を制御する引伸ばし機を見ると、どこか時代のずれを感じる。
 だが、それもまた21世紀の大判写真の姿なのだろう。

 2025年の今、かつての日本の大判カメラメーカーはすべて生産を終え、木製暗箱を作り続けた職人も、この世にはいない。時代の流れに呑み込まれるように消えていったものを思うと、2004年にタチハラを手にしたことがいっそう特別な出来事のように思えてくる。

 もちろん、最初から自在に操れたわけではない。シートフィルムを現像する手つきも、カメラの操作も、初めはひどくぎこちなかった。ひとつひとつの所作を確かめながら進める僕は、まるで歩き方を覚える子どものようだった。けれど今では、体が自然に動き、カメラは僕の一部のようになった。

 タチハラは軽く、扱いやすく、十分に信頼できるカメラだった。それでも僕は、金属の重みを持つテクニカルカメラへの憧れを拭えなかった。組み立て式カメラの始祖、リンホフ。その響きに惹かれ続け、2013年、リンホフ・マスターテヒニカ2000を中古で手に入れた。修理屋で調整を受け、グラウンドグラスと蛇腹を交換し、ソリッドな金属の塊とギアの油の匂いがするリンホフを今も愛用している。もちろん、タチハラも静かに僕のそばにいる。

 長く使ってきたカメラを前にすると、その入手の経緯まで鮮やかに蘇る。そしてそれは、僕の人生を振り返ることと同じ意味を持つ。リンホフを夢見て研究していた日々は、昨日のように思える。それでも、あの時から流れた歳月の方が、今ははるかに長い。

 一日に十枚も撮らない大判写真。少ない枚数だからこそ、一枚ごとに時間をかけ、丁寧に撮るため無駄が少ない。むしろ135の方が浪費が多く、高くつくことさえある。

 世間では「大判写真は高価な趣味」と思われがちだ。だが白黒フィルムを自家現像すれば、それほどでもない。(2025年8月19日 記)

 大判カメラにロールフィルムホルダーをつければ中判カメラとしても使える。しかしそれはあくまで補助であり、楽しみの本質には届かない。中判フィルムを使うなら、むしろ6×9のビューカメラを持つ方が、きっと心が弾むだろう。

 大判写真の魅力とは何か。広いフィルム面積から生まれる高画質も確かに大きい。だが本当の魅力は、目の前の光景と長い時間向き合えることにある。三脚を据え、カメラを組み、構図を決め、露出を測る。その間ずっと、景色と呼吸を合わせるように立ち続ける。大判カメラは、過ぎていく時間を必死に追いかける道具だ。

 フィルムを装填し引き蓋を抜き、レリーズを握ると、静止した時間が訪れる。

 光がそっと移ろい、風が通り過ぎる。大判写真とは、その一瞬を抱きとめようとする、静かな祈りに似ている。

2025年8月26日火曜日

ニューマミヤ6

 

 中判写真展に参加します。(2025.10.22~26)

 2025年10月22日から26日まで、岐阜市にあるフォトギャラリーpieni onniで開催される中判写真展に参加することになった。

 この写真展に展示する作品は、ニューマミヤ6で撮影したものである。このカメラについて少し語っておきたい。

 ニューマミヤ6は、レンズ交換式の6×6中判電子制御式レンジファインダーカメラである。その名に「ニュー」を冠しているのは、かつてマミヤ6というスプリングカメラが存在したからだろう。この時代、「ニュー」という言葉は流行の兆しを見せていたように思う。「ニューミュージック」や「ニュージェネレーション」という言葉が飛び交い、カメラの世界でも「ニューFM2」や「ニューF-1」といった新機種が登場した時代であった。

 ニューマミヤ6もまた、内部に蛇腹構造を持つ。レンズを沈胴させることでコンパクトに持ち運べる反面、その構造は複雑である。後継機であるマミヤ7(6×7)ではこの蛇腹構造が廃止された。1989年にグッドデザイン賞を受賞しているが、正直なところ、僕はそれほど格好いいとは思っていない。

 このカメラとの出会いは、1996年頃に参加したマミヤ645AFの撮影体験会でのことだった。マミヤの社員の方にニューマミヤ6を紹介してもらったのだが、「一眼レフでもないし、何に使うのだろう?まったく用途がないカメラだな」という印象しか抱かなかった。

 その後、中判カメラに興味を持ち、ヤシカマット124Gを購入してみた。しかし、二眼レフ特有の操作感と6×6のスクエアフォーマットに馴染めず、すぐに手放してしまった。再び時が流れ、2001年にライカM6TTLを購入したことで、僕はレンジファインダーカメラの魅力に目覚めた。そこで、脳裏から消えかかっていたニューマミヤ6が、再び光を放ち始めたのである。二眼レフとは異なり、レンジファインダーであれば違和感なく使えるに違いない、そう確信した。

 だが、その頃にはすでにニューマミヤ6は生産終了しており、そもそもあまり売れたカメラではなかったようで、探すのに苦労した。そんなある日、2003年に名古屋の中古カメラ店で幸運にも見つけることができた。75mmのレンズ付きで135,000円だったと思う。高価だと思いながらも購入したが、今ではもっと価値が上がってしまっている。

 実際に使ってみると、一眼レフとは違いミラーがないため、対称型レンズの設計が可能になったせいか、非常に描写力の高いレンズであることがわかった。翌年には50mmの交換レンズを買い足した。他に150mmのレンズがあるが、使用する機会はなさそうなので、購入することはまずないだろう。

 ボディは適度な重量感があり、人間工学的に握りやすい。そして、レンズシャッターであるため、手ブレに強いのだ。手持ちで1/8秒のシャッタースピードでも不思議とブレずに撮れる。また、6×6の正方形フォーマットは、縦横の区別がないため、フレーミングを素早く決めることができる。

 ただ、TTLではない測光方式は、時折信用できないと感じることがある。絞り優先AEも使えるが、僕はマニュアル露出でしか使ったことがない。さらに、電子制御式シャッターであるため、いつまで使えるかという不安が常につきまとう。15年ほど前、75mmレンズのシャッターが不調になり、津島市にあるマミヤ認定修理店の山田テクニカルサービスに直接持ち込み、オーバーホールをしてもらったことがある。あれから随分と月日が経ち、今ではオーバーホールも難しく、どこまで修理可能かもわからないだろう。

 こうした不安から、しばらくしてローライコードⅣを購入した。様々な経験を積んだことで、この頃には二眼レフの操作に違和感がなくなっていた。レンジファインダーと二眼レフはまったくの代替にはならないだろうが、これで人生における不安要素が一つ減ったわけである。同時に、ローライコードⅣと付き合っていくという新たな責任も生まれたのだが。

 ニューマミヤ6は、普段はあまり使うことはない。しかし、海外旅行に行く際にはよく持って行き、その機動性の高さから、たくさんの写真を撮ることができた。最近では、冬に雪が積もる山村を撮り歩くときの相棒として、常にこのカメラを選ぶ。

 すぐに手元を離れていくカメラもあれば、ずっと手元に残るカメラもある。ニューマミヤ6は、間違いなく僕にとって後者の1台である。

2025年8月23日土曜日

フィルム用現像液について

 白黒フィルムの現像は、とても簡単である。暗室もいらないし、一回目からほぼ失敗なく出来ると思う。独学でも十分だ。

(中段、少し読んでよく分からない場合は後段まで読み飛ばしてください)

 白黒フィルムの現像は、コントラスト、粒状性、シャープネスが、ここでほぼ決まってしまうので、重要な工程である。引伸ばしの段階でそれを補うことは困難だ。作家独自のトーンがあるとしたら、この工程で形成されると言ってもいい。

 カラーネガフィルムはC41、リバーサルはE6処理で現像されるが、現像液も処理温度も決まっているため選択の余地はない(例外を除く)。そのため、どこで現像しても工程さえ逸脱しなければ同じ結果になる。

 白黒フィルムの現像液は用途によって様々な種類がある。一生かかっても、試すのは無理なくらいの数があると言っていい。でも、ざっくり分類するとこの4種類だと思っていい。


1 標準現像液

2 微粒子現像液

3 増感現像液

4 高先鋭現像液


 ただし、はっきりとこのように分類は出来ない。例えば国内で最も安価で入手しやすいフジのSPD(スーパープロドール)は、標準現像液と増感現像液の中間くらいだと思うし、ミクロファインは微粒子現像液ではあるが、希釈すれば高先鋭化も期待できる。

 そして、現像液によって感度が出にくいものがあるので、そうした現像液を使う場合は、撮影感度をISO感度よりも下げて撮影する必要がある。

 成分を見れば、どんな性格の現像液なのか、だいたい分かるようになってくる。どのフィルムにも、どの現像液にも「豊かな諧調で微粒子に仕上がるよ」と書いてあったりするが、それはそのまま受け取ってはいけない。あくまでも自分の好みで判断する必要があるのだ。

 以上が、基本的なことである。


 僕の場合は、感度は少々犠牲になってもいいから、柔らかい調子、豊かな諧調、微粒子、先鋭度はそこそこあれば良く、薬剤の調達が容易で安価なものを探した結果、シュテックラー氏二浴式現像液を使用している。少々、オカルト的な扱いをされる現像液ではあるが、20年以上この処方を愛用している。

 調合済みの市販品だと、D23が近いのかな。現像主薬のメトールと無水亜硫酸ソーダだけというシンプルな処方である。

 写真家(というか美術家)の杉本博司さんの著書の中に、アンセル・アダムズの教科書に掲載されている現像処方を全て試して、19世紀のメトール単体の処方に行き着いた。という下りがある。もしかしたら、杉本さんの処方もD23に近いものなのかもしれない。

 ちなみにD23は、標準現像液と微粒子現像液の中間くらいの位置づけである。

 白黒フィルムの現像なんて、すっかり枯れた技術だが、それでも比較的新しい時代の現像液はいろいろ出ているようだ。あまりにも多くの現像液を試していると、試しているだけで何年も過ぎてしまうし、試している程度の使い込み方ではその処方を極めたとは到底言えないので、気に入ったものが見つかったら、その現像液とずっと付き合った方がいい。それが自分独自のトーンになる。

 白黒フィルムは、できることなら自分で現像するのが望ましい。安価に済むだけではなくいろんな発見があるから。店に出してもいいけど、どんな現像液でどんな処理されているか分からないでしょ?多くの場合、経済性優先の強力な現像液で高温短時間処理されているんじゃないのかな。それは、失敗ではないけど決して調子の良いものではない。

 自分でやれば目的に合わせた現像液を選択できるし、減感、増感も思いのままである。

2025年8月22日金曜日

フォマパン200はフィルム価格高騰時代の救世主となるか

 


 今日もしつこくフォマパン200の話です😁

 白黒フィルムは、一般的なパンクロマチック以外にも感色特性の違いにより、オルソマチックや赤外線フィルムもあるが、僕にはそれらを使った表現方法が見つからないので、常用フィルムを選ぶ際には、パンクロマチックの中から選んでいる。その中でも、カラーネガと同じ現像処理(C41)をする色素タイプは除外する。

 そうなると、トラディショナルタイプ(Tri-X等)と、タブラータイプ(T-max等)の中から選ぶことになる。

 フィルムメーカーのブランドイメージや品質で選ぶのもいいと思うけど、僕はそういうのは気にしない。安価で品質に問題がなく自分の好みに合っていればそれでいい。

 

(ここの部分は読み飛ばしてもいいけどね)

 ちなみに、135って、何?って思われる諸氏もおられるかと思うが、世間一般で35ミリフィルムと呼ばれているものである。いろんな誤解でそう呼んでいる人が多いと思うけど、正確には違う。そもそも縦横比24ミリ×36ミリなのでどこにも35ミリは存在しない。

 まあ、別にいいけどね。会話の中で、誰かが35ミリフィルムと言っても、いちいち「それは違うぞ」と、訂正を求めることはない。僕もうっかり35ミリフィルムって言ってしまうこともあるし。

 フィルムの銘柄は出来るだけ変えたくない。フィルムを変えると現像データを作らないといけないのが、大変面倒だからである。データシートの現像時間はあくまでも参考値なので、自分が使っている引き伸ばし機の種類等で変えなくてはいけないのだ。この辺りのことは、また別の機会に書くことにしよう。

 可能であれば、品質的に安心して使うことが出来るコダックやイルフォードを選択したいが、価格的にまったく安心出来なくなったのでもう使うことは出来ない。選択肢がないなら高くても使うと思うけど、他にも安価に供給してくれているメーカーがあるんだから、それを検証してみようという努力は必要だ。

 そんなわけで、フォマパン200クリエイティブである。OEM商品で、国産メーカーのマリックス200や、アリスタED200も存在する。他にもあるかも。中身は同じなので、安価に入手できるものを買えばいいと思う。

 フォマには、フォマパン100クラシック、フォマパン400アクション というフィルムもある。これは試してみたが、まったく自分の好みには合わなかった。この三種類の中で200だけが、T粒子タイプのフィルムであるが、それはあまり関係ないと思う。

 フィルムのISO感度と、実効感度は違うため、撮影感度は実効感度で撮影しなくてはならないが、概ね半分くらいになると言っていい。ISO200のフォマパン200は、実効感度は100となるため、非常に使いやすい。手持ち撮影でも十分だ。

 他にも、ケントメア400も試してみたが自分には合わなかった。あとは、中国製の上海GP3や、ラッキーSHD400あたりも大変気になってはいるが、今のところは手を出していない。

 フォマパン200にも、不満なところはある。135と45は問題ないのだが、不満があるのは120である。それは、ベースのポリエステルがとにかくペラペラなのだ。データシートを見ると、0.1mmの厚さしかない。画質的には不満はないのだが、現像するときにかなり神経質になる。

 全てのフォーマットを同じ銘柄で統一したいところではあるが、120だけは、最近発売されたケントメア200に変えようと思い最近少し買ってみた。データシートによると厚さが0.125mmと書かれているので、フォマよりも少し分厚い。今は暑い時期なので、もう少し気温が下がったら、現像データを作ってみることにしよう。

 フォマは不思議なメーカーである。20年前、国内量販店での価格は、フジやコダックよりもフォマの方が高かった。その当時と比べてフィルム価格は5倍ほどの価格になっているが、フォマはそれほど値上がりしていなくて、今や安価なフィルムになっている。他メーカーが値上げするほど、趣味で写真をやっているような層はフォマに流れていくのかもしれない。

 僕の写真人生の前半はフジ、後半はフォマとのお付き合いになりそうな気がする。


2025年8月19日火曜日

フィルム事情2025

  ここ数年、フィルムはずっと値上がり傾向にある。出費が嵩むのは痛いが、僕はそれほど苦しんでいない。ここ数年愛用しているのは、チェコ製のフォマパン200なんだけど、撮影からネガ現像までに必要な費用は次のとおりとなる。


135 36枚撮り1本(100ftフィルム)         500円

      現像液、定着液等1本あたり       30円

    年間使用本数              20本

    年間費用   (500+30)20    10,600円・・・①


120 1本                  800円

    現像液、定着液等1本あたり         30円

    年間使用本数                8本

                年間費用   (800+30)8        6,640円・・・②


45  1枚                    180円

    現像液、定着液             20円

    年間使用枚数              50枚

                年間費用   (180+20)50      10,000円・・・③


          ①+②+③=27,240円(年間) ÷ 12月 = 2,270円 


 フィルム代と現像代で、一ヶ月2,000円ちょっと。しかも、これは写真活動をそこそこ活発に行った場合である。20年くらい前は、もっと良いフィルムを使ってもこの半額くらいだった。その頃に比べると確かに高い。1,000円も高くなっている!😓

 上記の単価は現在の国内市場単価よりも若干安めだが、個人輸入や国内サイトでセール期間を利用したり、薬剤は写真用にこだわらず、食品用、工業用等から探して調達している。写真用でも洗濯用でも炭酸ソーダは炭酸ソーダなのでそれなら洗濯用の方が安価である。

 ただ、これはあくまでもフィルムからネガを作るまでの費用なので、ここからどうするかは、これを読んでいるあなた次第である。

① ネガをライトボックスに置き、スマホやデジカメでデュープして反転すれば、ほぼ費用はかからない。(スマホかデジカメを持っていない人は、、、いないよね?)フィルムホルダー付のライトボックスがない場合は、中華通販で安く買いましょう。三千円もしないと思う。

② クリエイティブなことをしたいのであれば、スキャナで読み込んでフォトショップ等でレタッチしてもいい。これは、スキャナや、レタッチソフトの費用がかかる。

 ①②の場合、最初からデジカメを使えばいいじゃん、という意見もあるが、プロセスを楽しみたいのだから、そういうわけにはいかないのである。

 ①の手法は手軽で楽しそう。暗室が持てなくなったら、僕もやるかも。


③ 僕の場合、ネガを作ったら、暗室で引き伸ばしをしているので、現像薬品や印画紙費用がかかるが、これも20年くらい前に比べると倍くらいにはなっている気がする。1作品作るのに、印画紙を何枚使うかは、その時々で違うし、印画紙サイズや銘柄によっても価格は変わる。これは、デジタルでプリントする時も、紙については銘柄によって費用がまちまちなので、銀塩だから高いとは言えない。ただ今の時代、暗室用品一式を揃えるのは、写真量販店に行けば一式揃うというわけにはいかなくなっているので、なかなか厳しい。暗室作業の流れは難しいものではないのだけど、いくら簡単だと言っても体験してみるまでは実感として分からないとは思う。

 古くても満足できるカメラとレンズ2本を3万円くらいで買って、身の回りの物を撮影し、白黒フィルムを自家現像してデュープして楽しむ。これが安価で豊かな写真ライフなのかもしれない。

 映画「PERFECT DAYS」の主人公の平山は古いコンパクトカメラにネガカラーフィルムを詰めて写真屋さんで同時プリントして、生活の中でアートを楽しんでいた。ささやか過ぎる生活だが、そんな中にも心の機微は存在する。


2025年8月16日土曜日

湖岸の木陰

 

 7月の終わりにライカM-Aが手元に届いたが、あまりにも暑い日が続くので撮影に出かけることが出来ずにいた。毎晩寝る前に、M-Aを防湿庫から取り出して、ファインダーを覗き空シャッターを数回切り、また防湿庫へ戻して安心するという日々を繰り返していた。

 しばらく雨の日が続いた後、立秋が過ぎた。天気予報の予想気温はまだまだ高く、日々、最高気温の記録更新のニュースが流れている。それでも観測数値とはうらはらに空気の質は秋に近づいているのを感じる。

 そんな夏の午後、琵琶湖の浜辺で過ごそうと思い、M-Aを買ったときに付属していた使用期限が今月までのコダックのTri-Xを装填し、海津に向かった。かつて愛用していたフィルムだが、価格が高騰し、とても買えるものではなくなってしまった。かなり贅沢な気分でこの日は撮影に臨んだ。いつもはISO100設定のフィルムを使っているので、露出計の設定をISO200(減感)に設定した。

 漁港から琵琶湖を左側に眺めながら、浜辺を歩く。琵琶湖岸は場所によって、葦が繁っていたり岩礁地帯であったり様々な様相を呈している。ここは、かつての宿場町で、民家の庭と浜辺との境界が曖昧だ。生活空間と琵琶湖が接近しているため、浜辺がほどよく管理されており、とても心地が良い。
 そして、ここの浜辺の光は独特でとてもいい。湖面に反射した光が広葉樹の木陰を通過する際、浜辺の白茶色の砂に当たり拡散されつつ、民家の壁に到達する。光が変化しながら湖面から民家まで移動する、程よい距離がこの浜辺には存在する。
 木陰が心地よいせいか、昼寝している人がいた。

 しばらく浜辺を歩き進むと松林になり、あたりは松脂の香りで包まれるようになる。広葉樹とは違う形の木陰を落とし、民家もなくなるので、先ほどの光の空間はここにはない。
 いくつかの、飛び越えることができるくらいのサイズの小川の河口を越えてさらに歩くと、湖水浴客で賑わう高木浜、知内浜へ行き着くが、ここはもう静けさとは無縁の別世界である。(よくもわるくも)

 いくつかの木陰を繋ぐように、行きつ戻りつ撮影を進めていく。撮影中は、視覚以外の情報は脳に入ってこないが、カメラを下ろすと、ヒグラシやツクツクボーシの鳴き声が聞こえてきたり、歩みを進める足元の草むらからは、バッタが飛び出してくる。これから咲きそうな蕾を蓄えたユリも生えている。秋の気配をそこかしこに感じる。

 たまに吹く風は、吹く度に温度や湿度や匂いが違っている。山から降りてくる風、町屋を通り抜ける風、林間を吹き抜ける風、それぞれの場所でその場の成分を空気が含みこむのだろう。

 二時間ほど歩き、漁港のあたりに戻ったときには夕方近くになっていた。射光線の状態だと木陰の位置は早く移動していく。それでも、昼寝している人は相変わらず移動した木陰の下で眠り続けている。

 光が弱くなってくると、砂浜の照り返しが弱くなり、日中は見えなかったものが見えてくる。あたりには、二枚貝や巻貝の貝殻、鳥(鳩くらい)の卵の殻、魚か鳥の風化した骨が落ちている。そんな浜辺を、二匹の猫が走り抜けていく。

 ここは、人の生活と自然が調和した心地よい場所。

 この日、M-Aに詰めたフィルムは全て取り終えた。だって、カメラの中にフィルムが入ったままだと、寝る前の楽しみがなくなるでしょ?


 

2025年8月15日金曜日

答えに辿り着けないときは、別の道を歩けばいい




何で写真をやっているのか?

何でフィルムカメラを使うのか?

何でモノクロームなのか?

 個展を開催する間に、この命題については自分なりに解決しておかなければならないと思ったが、結局満足のいく答えには至らなかった。こういった根源的な問に実存的に答えるのはとても困難だ。というより、そんなものは存在しないと、最近悟った。

 元々、自分の中には何か写真に対する根源的な欲求が潜んでいて、様々な経験によりそれが顕在化していくものであり、根源的な欲求とは何かという問いの答えを探し続けていた。でも、見つからなかった。

 写真に携わることの楽しさや機材のおもしろさ、モノクローム写真の美しさについては、それぞれ答えることはできる。でも、それって、経験してみたから分かることであって、写真を始める前から分かっていたことではない。

 それでも、問われたときは、それなりに経験してきたことを答えてしまってきたが、返答する度に別のことを言っている気がする。←なぜなのかは後述する。

 最近、いろいろな本を読んで、気づいたことではあるが、自分の自由意思で、行動を決定しているわけではないという考え方がある。もちろん、誰かに強制されて写真をやっているわけではなく、主体的にやっているわけではあるが、それは、自分が生きてきた時代や場所、産業技術や、思想、生活環境、人間関係、等々の複合的かつ多元的要因から影響を受け、たまたまやっているのに過ぎないのである。たまたまって、無責任で思考停止に陥った感が拭えないが、どんなことでもそうだと思う。

 「自由」というのは、何ものにも左右されない状態であるが、人は常に何かに影響されて生きているにも関わらず、自由意志で行動していると勘違いしていることに気づかず答えを導き出そうとしているから答えが見つからない。スピノザの自由意志に関する考え方や構造主義の考え方を知った時、そう思った。

 自由意志があるのではなく、そこに流れ着いた自分がいるだけと言ってもいい。「流れ」については時代背景や生活環境等の側面から、また、流れ着いた場所に留まっている(写真趣味を継続している)理由については経験的側面から説明可能である。

 何で返答する度に別のことを言ってしまうのかというと、それは時間を経るごとに自分は変わっていくからである。

 例えば、1990年の自分は、1990年で固定されているから、その後、いつその当時のことを振り返っても過去は変わらないので同じはずである。というのは、観念的な見地からは違うと思う。

 なぜなら、1990年の自分を振り返るとき、2010年の自分が振り返るのと2025年の自分が振り返るのとでは、それを眺める時間的距離が違うと見えてくるものも違ってくる。写真だって、撮影距離が違うと、その意味合いが違ってくるのでそれは同じ事ではないだろうか。

 経験を積み重ねることで気付くことはある。自分にとって写真は、世界を知るために潜る門の一つであり、主客未分の純粋体験は精神的な救いでもある。

 世界を知るためには、どこの門(分野:例えば音楽でも工芸でも数学でもいい)から入っても進んでいくうちに、歴史、哲学、工学、化学等様々なものと出会うことになる。出会う度に自分と融合し、新たな自分が形作られていく。


2025年8月10日日曜日

ホットシューカバー

 ホットーシューカバー、正直言ってこんなものは、ただのお洒落アイテムだと思っていた。でも、いろいろ調べていると、エッジで怪我をしないため。接点を保護するため。髪が挟まって抜けるのを防ぐため。と、その効果が書かれている。

 今まで気付かなったが、改めてホットシューの角ばったところに触ってみると確かに尖がっていて、これで引っ掻いたら怪我しそうな気がする。でも、こんな場所で引っ掻いて怪我するってあり得ない気がするんだけど。それよりもバッグにカメラを収納しているとき、他の物に傷が付きそう。キヤノンのホットシューはこんなに尖っていない。

 接点を保護するためというのは、納得は出来る。僕の場合、ここにフラッシュを付けて撮ることはないので、塞いだままでもいい。

 髪が挟まって抜けるなんてことはあるの?もし、そうなったら、髪が抜けるよりも、びっくりしてカメラを落としてしまう方が怖い。この歳だから、髪もかなり大事なんだけど💦

 いろいろ効果があるのは理解した。しかし、めったに発生しない事象の予防策としてのアイテムという感が拭えない。どう考えても、世間的にはお洒落アイテムで使っている人の方が多いような気がする。しかし、いい歳をしたおじさんなので、ホットシューからパンダが生えているようなそんなカメラは使いたくない。

 お洒落アイテムとしてのホットシューカバーではないので、実用的なものを選ぶということになるが、「こんな板一枚のもの」にライカ純正は高過ぎる。だからと言ってあまりにもチープ感満載なものも憚られる。

 ということで、AliExpressで適当なものを見つけたので結果的にはここで650円で買った。ライカ純正の十分の一で買えた。値段的には十分満足。ただ、購入したサイトがアリエクである。届いてみるまで油断してはいけない。いや、届いた後もそう簡単には油断できない。まったく違うものが送られてきたり、金属っぽい樹脂製品だったり、工作精度が悪くバリだらけで、指を怪我したりカメラが傷ついたり、ゆるくてすぐに外れて紛失したり、あるいはその逆で装着したらそのまま外れなくなったり。。。。と、あらゆる想定をしておかなければならないのだ。(ある意味、その恐怖を回避するために、純正を買っておいた方がいいのかもしれない)

  

 おそるおそる装着してみたところ、何の問題もなかった。

 650円のわりにはきちんと工作されていてピッタリとはめ込むことが出来たし、ちゃんと取り外すことも出来る。念のため、2時間後、4時間後に取り外してみたけど、それも問題ない。ということで、一件落着。


 ここで、海外ECサイトについて、僕の考えを少し書いておこう。AliExpressやTEMU等、中国のECサイトは、ちまたではかなり怪しげな噂が流れている。真偽は分からないが、カード情報が抜き取られる危険があるとか。でも、クレジットカードが使える会社であるということは、審査を通過しているため、そこは心配しなくてもいいと思う。そもそも、実際にアリエクやTEMUを使っている人から被害情報は聞いたことがないし。間違った情報で安く買う機会を逃すのは大きな損失だ。
 
 先日、ネックスピーカーを買い替えるために、アマゾンで調べてからTEMUを見てみたら、どう見ても同じ機器でブランドだけ違うものが2割ほど安い値段で販売されていたので、TEMUで買った。同じ工場(と思う)で生産され、別ブランドで販売されているものを中国製ではよく見るからそれだと思った。結果的にTEMUで購入したが予想通りで問題はなかった。

 今回のような買い物以外にも、印画紙やフィルム、写真薬品等、海外通販をたまに使うが届かないというトラブルは一度もない。海外通販で買う理由は、国内量販店よりも安く買えるからということもあるが、そもそも国内では入手できないからという理由もある。

 本来、個人で少量を輸入するよりも、代理店が大量に輸入し、国内で販売する方が安くなるんじゃないかと思うのだが、そうならないのは、どこかでうまくいっていない部分があるのだろう。そのことから考えると中外写真薬品のSILVERCHROMEは、納得のいく値付けとなっている気がする。これは生産国がEUのもの。多分、中身はあの印画紙だと思う。UK製じゃないよ。

 とまあ、話は少し逸れたが、アリエクは暗室用品も入手出来るし、警戒しながら使えば問題ないと思う。明らかに、世の中の一般的価値からずれている価格設定のものは、そもそもが怪しいので、そういうのを見抜くことが出来る目は持たないといけない。買い物も勉強である。

 
 


2025年8月7日木曜日

色彩論

ニュートン(1643-1727)の光学(1704

万有引力の発見で有名なニュートンは、太陽光をプリズムに当てると、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色に分光することを(も)発見した人である。

ここで興味深いのは、色を7段階にしたのは、1オクターブの音階に合わせて7色にしたことだ。実際のところ、赤から紫まではなだらかに変化していくため、何色にでも定義付けることが出来たと思われるが、科学分野にも芸術の影響があったということである。

橙と藍に関しては変化する幅が狭いため、ミ、ファ及びシ、ドの間の音階は半音の差であることに一致している。ちなみに、白色光は単色光の混合色である。物体の色というのは、発せられた光が物体で吸収されなかった色が反射したときの光の色となる。

 少年時代にピアニストを目指していたアンセル・アダムスは、諧調を11に分割するゾーンシステムを生んだが、やはり音階との関係も経験的に何かあったのだろう。一見、無関係のものからインスピレーションを得て、何かの発見に至ることはしばしばある。ニュートンのりんごも然りである。

「異質にみえる諸関係が相互に接近させられ、それらが一つに結び合わされたから・・・」

と、ゲーテの「科学方法論」の中にも記述がある。

 

ゲーテ(1749-1832)の色彩論(1810

 

 文学者で有名なドイツのゲーテだが、この時代の偉大な人たちは、いろいろなことをやってのけていたようだ。ゲーテもニュートンも政治家としての側面もあった。このゲーテの色彩論、僕にとっては内容が難しく、目で文字を追っているだけで、頭の中にどれほど入っているか分からない。

 ゲーテの色彩論、最初のうち読んでいるとニュートンの光学の批判が随所に出て来る。ニュートンは17世紀の物理学から光を考察したので、人間が見たときの光や色や、視覚異常がある人が見た光や色についてのアプローチをしなかったのは当たり前なのかもしれない。そこまで批判するのは酷なような気がもする。ゲーテは文学者故に、人の生理的視覚からアプローチが出来たのであろう。

 この色彩論の中では、光に最も近い色は黄色、闇に最も近いのは青となっている。青と黄色の先には、ゲーテの色彩環では、一方の頂点が緑、もう一方の頂点は赤になっている。

 僕はモノクローム専門で、カラーは扱わないが、カラー暗室をやる人には、これは違和感があるのではないだろうか?青(C)と黄色(Y)からは、赤は作れない。

 しかしながら、闇に近い色は青、光に近い色は黄色というのは、日常生活では経験的に至極納得できるのではないだろうか。ゲーテは、闇にも色が含まれているという。この辺りはいかにも文学者的な考察だと思う。

 絵本やアニメでは、夜は青っぽく描かれているし、光線兵器の色は黄色を含んでいることが多い。もしかして、ゲーテの色彩論を、みんな知っているのかな?

 ゲーテは、生理的色彩の章の中で、「青は黄色を要求する」と、補色残像についても言及している。これは、強い青を見続けた後、白いものを見ると黄色っぽく見えると言うものである。もしかして、ゴッホ(1853-1890)は、南仏の青い空を見続けたあまり、黄色の空を見たのかもしれない。

  

うたろう(196920😕?)の色彩論(2025

  僕は光学と化学によるモノクローム写真に携わっているので、その経験から色彩について自分自身の悟性により次のように結論づけている。どの門戸から入り、事物を観察したかによって認識は大きく左右されるが、自分が叩いた門はモノクローム写真である。 

前提として濃淡と色彩は合わせて考える。モノクローム写真は、最終的には単色の濃淡で印画紙上に現れる。色彩は、その表現過程で利用するのみだからである。

  まず、完全なる白と黒は色ではないと考える。

どんな色の物体も、完全な闇の中に存在すれば肉眼では闇に紛れ区別出来ない。撮影してもフィルムには記録されないし、印画紙上には諧調のない完全な黒として再現される。

物体に強烈な光(この場合は混合色の光)を当てると、まぶしくて見れなくなり、どんな色の物体も白く見える。撮影するとフィルムには乳剤が最も厚く残り、印画紙上には純白として再現され記録されない。つまり印画紙のベースのままの色となり表現上の空白部分となり最も忌避すべき部分となる。

この二つの理由により、光の強弱もしくは有無によりどんな色の物体も白と黒に飽和していくため、完全なる白や黒は、光か闇かのどちらかである。光や闇を色とは言わない。

闇はフィルムに記録されないし、光は印画紙に記録されない。記録されないものを撮っても無意味であるため撮影対象にはしない。したがって、どれくらい暗ければ闇になるのか、どれくらい明るければ純白になるのかは、自己の記録再現幅を知る必要がある。

 肉眼で見て、白あるいは黒と認識しているものは、完全な白(光)や黒(闇)ではない。それらはフィルムに再現可能な近似な白、もしくは黒である。詳細に観察していくと、肉眼で認識する白や黒は、その周囲との対比によって存在する。

モノクローム写真において、色彩に注意すべきことは撮影時のコントラスト調整に色彩が利用可能なことである。例えば、青い空を濃いグレーで表現したい場合は、黄、橙、赤のフィルターを用いる。真っ赤な紅葉を白く表現したい場合は、赤いフィルターを装着すれば紅葉が白くなる。

 うたろう色彩論は、以上となる。これだけ分かっていれば色彩について僕の人生は困ることはない。

「青は黄を要求する」

青い風景に黄色が存在すると目が落ち着くような気がする。

2025年8月3日日曜日

写真コンテストについて

  従来から各地で開催されてきた写真コンテストだが、昨今はSNSにハッシュタグを付けて投稿する参加形式も増えている。

 僕は多作な性分ではないため、納得のいく作品ができた時だけ参加している。コンテストは、その主旨や審査員の指向、時代性など様々な要因によって入選が決まる。つまり作品評価の基準はコンテストの数だけ存在すると言えるだろう。応募数の多いコンテストでは、同じ審査員が同じ日に再び審査しても結果が変わる可能性がある。それほどこの評価基準は不安定なものだ。評価基準を完全に明文化することも困難であり、審査員は客観性を意識しながらも、最終的には自己の主観の中で判断せざるを得ない。

 しかし、コンテストとはそういうものなのだ。落選を機に写真を諦め、コンテスト自体を嫌悪する人を多く見てきた。一方で、コンテスト対策が自身の表現方法と化してしまった人もいる。どちらも、コンテストという枠組みに心を囚われた状態だと僕は考えている。

 創作において、外部の基準に囚われることは本質的ではない。自分は自分の作品を作ればよい。人間は様々なものを吸収しながら成長し変化するが、その変化はコンテストという場における不安定な外的要因によってではなく、自らの内側から生まれるべきものだ。評価基準は常に流動的であるため、続けていれば自分に合う場所が見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。

 また、コンテストだけが作品発表の唯一の手段ではない。コンテストには適さなくとも優れた作品は存在するし、そもそも広く発表する必要のない創作の形もある。

 最近、時間をかけて丹念に作り上げた作品がコンテストで落選した。確かに残念ではあるが、だからといってコンテスト向けの作品を作ろうとは思わない。自分の心に響かないものを作ることはできないし、そうした作品を応募して再び落選したら、さらに虚しさを感じるだけだろう。(でも、入選したら嬉しいかも。)

 僕は来年も、不確実な評価基準と自分自身の内的成長という二つの変数が交わる瞬間を楽しみに、自分の信じる作品を出品していきたい。


2025年8月1日金曜日

渡部さとるさんの美術史講座

  

 2024年8月から、写真家の渡部さとるさんの美術史講座をオンライン受講している。渡部さんのことを初めて知ったのは、2003年に刊行された、今はなきエイ出版の「旅するカメラ」を読んだときからだ。このエイ文庫、写真だけではなくいろんな趣味のものがあってすごく良かったんだけど、なくなちゃったのは惜しいね。「旅するカメラ」はその後、同文庫から4巻まで刊行され、毎回楽しみにしていた。バリを始めとするアジアの島へ行ったのも、この本の影響による。

 何か自分の好きな物事が出来たら、その歴史について知りたくなる。これまで趣味としてきた、バイク、カメラ、自転車、カヤック、いつの時代にどこの国でどんな発展を遂げてきたのか、どれも興味があった。

 たまたま、Youtubeを見ていたところ、渡部さとるさんの2B Channelにたどり着いた。おおよそ週一くらいで更新される番組の中で、写真集の解説や表現について、毎回ゲストを交えて語られる。

 写真の歴史や写真が絵画に与えた影響については、僕もおぼろげながら知っていた。しかし、それ以外のことは詳しくは知らなかった。ましてや現代美術はまったく意味不明なものだと思い理解しようとさえ思っていなかった。しかし、この講座を受けてみて、文明発祥から、宗教、哲学、戦争、産業革命等、歴史的なイベントは美術に常に影響を与えてきたことを知った。

 僕は第9期美術史講座、写真史講座、そして現在、第10期美術史講座を受講しているが、9期と10期は内容が少し変えてあって、興味深い。

 僕は今期で卒業するが、この講座を受けて、自分の作品に影響があったのは確かである。少なくとも、現代美術について少しは理解出来たような気がするし、哲学の本をよく読むようになった。1回や2回、講座を受けただけでは分からないしすぐに忘れてしまうので、折を見てこの講座を見返そうと思っている。